第2回 匂い

 大学生時代、京都から新幹線で福山に帰省するたび、この町の匂いに僕は胸をしめつけられた。土の香りなのか、福山城公園に植えられた植物の香りというのか、それともJFEスチールから流れてくる匂いなのか、駅に併設されたセブンイレブンとなか卯の匂いが混ざったものなのか。具体的に表現しにくい、ただ「福山の匂い」という言葉が一番しっくりとくる。僕は嬉しいような、けれど恥ずかしいような気持ちになる。「そうか、これが僕の故郷か」と、幾度となく思わされた。

 実家の近所に「ひなくら文房具」という昔ながらの駄菓子屋さんがあった。「文房具」とついてはいるが申し訳程度の筆記具があるのみで、薄暗い店内には宝石のように駄菓子が敷き詰められていた。たしかモーニング娘。の当たりくじなんてのもあった。遠足のお菓子三〇〇円を買うのはこの店だ。ふだんはお小遣いをもらってお菓子を買うことはできなかったので、その時ばかりは胸が躍った。骨董品を吟味する好事家のように一個ずつ悩みながら選ぶ。白いビニール袋のなかは軽くも甘い宝物だった。(最近久しぶりにのぞこうと思ったら、跡形もなく更地になっていた。)

 自分の故郷福山をめぐればいろいろなことが思いめぐらされる。家族とちょっとした買い物にでかけるときは市内でもっとも大きなショッピングセンター「ポートプラザ」だった。初めての眼鏡を作ったのも、姉が連れて行ってくれた初めてのスタバも、クリスマスプレゼントにと犬のぬいぐるみを買ってもらったのもここだった。お店のスタッフの人とやりとりしていると、自然に方言を交えた会話になる。チェーン店なのに素朴でどこか良かった。

 小学生のとき父に連れられて行った「自由軒」は今も営業を続けている。Uの字カウンターの席では遅い昼休憩の会社員に、親子連れ、昼間から酒を飲みかわすおっさん達が同じ時間を過ごす。ふらふらと帰ってきた僕は何とはなしに一人通うようになった。足を引きずりながらも華麗に客をさばきつつ、おでん鍋に出汁を足すお母さんの動きに茶道の点前を見るかのようで、心が動かされる。たしか、初めてここに来た時、僕はカレーライスを食べていた。父とガメラ3を観た帰りだったけ。その時、酔っ払いのおじさんにからまれた。今では僕が酔っ払いになっちまった。

 町にはどんどんチェーン店が増えていく。気づけば思いを寄せていた建物も駐車場になっている。それでも取り残されたように昔ながらの商店があり、あるいはあえて踏みとどまるように店を続けている人々がいる。僕はそんな場所の匂いを自ら嗅ごうとしているのかもしれない。福山唯一の観光地と言ってもいい鞆の浦へと続く道沿いにある喫茶店、「ファミリー喫茶花茎(かけい)」。僕は毎年暮れの実家の餅つきの日に必ずここへ立ち寄る。店内ではテレビと中華風アレンジの有線が同時に流れ、おしぼりはタオルを小さく縫った手製のもの。メニューを開くとホットコーヒー、唐揚げ定食、ホットケーキなどよくある町の喫茶店の感なのだけれど、気取らない雰囲気で僕は好きだ。ここから瀬戸内海の風景を眺める度に、死ぬならこの店のソファの上もいいなと思う。

 大学に行く前、僕はこの町がたまらなく嫌いだった。風俗店とパチンコ屋ばかりあるこの町が嫌いだった。没個性な町だと思っていた。自分の町を「便利だけど何もない町」と苦笑い気味に紹介した。町の位置を他県の人に説明するとき、「倉敷と尾道の間」とも言っていた。けれど、嫌いであるのに嫌いぬくことができなかった自分がいた。それが町の匂いだった。僕にも染みついた「福山の匂い」だった。母親の指から香った玉ねぎの匂いような、畑を耕して帰ってきた祖母の手から香った土の匂いのような、町を暮らす人々の生活の匂いだった。大嫌いな町だったのに、大好きだった。

 この町に生まれ育った僕にしか嗅ぐことのできない匂いがたしかにあった。どこに暮らそうと、この匂いを僕はまとって生きている。

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