コクテイル書房 1/3

12月28日(月曜)

 久しぶりに高円寺「コクテイル書房」を覗くと、内装がすっかり生まれ変わっている。1ヶ月近くに及んだ改修工事を経て、12月24日に再開したばかりとあって、どこか清々しい感じがする。何より目を引くのは、店の奥に設置された小さなシャンデリアだ。カウンターには斉藤友秋さんが立っていて、お米を研いでいるところだ。
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 炊飯の準備が整ったところで15時45分、駅の近くにある「魚祥」と「ユータカラヤ」まで買い出しに出かける。小松菜は280円、春菊は350円。葉野菜はどれも高騰していて、「どうなってんだ」と斉藤さんが苦笑いする。菜の花であれば98円と手頃だけど、菜の花は昨日仕込んだポテトサラダにも使っているので、購入は見送る。野菜とは対照的に魚はどれも安価で、イナダは1尾330円だ。今年は豊漁であるうえに、休業中の飲食店が多く、値崩れしているのだという。どう調理するのか決めないまま、斉藤さんはイナダをカゴに入れる。

「事前にメニューを決めるというよりも、食材を眺めながらメニューを決める感じですね」。買い出しの帰り道、斉藤さんはそう教えてくれた。「食材が高過ぎると、売り値もあげなきゃ駄目だから、現実的じゃないものはどんどん切り捨ててますね。自分が飲みに行ったとして、『このぐらいの値段なら頼むだろうな』みたいなことを基準にすることは多いかもしれないです」

 斉藤さんは音楽家として活動しながら、週に2日、ひとりで店番をしている。最初に「コクテイル書房」を訪れたのは、お店で開催されたライブに出演したときだったという。

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「ここに最初にきたときは、今まで触れたことがないような空間で、かっこいい店だなと思ったんです。ただ、ぼくがリハーサルをやっているときに、狩野さんがいなくなっちゃったんですよ。お金を置いて、『酒屋がきたら、これで払っておいてください』って。そのまま店に誰もいなくなっちゃって、何なんだろうと思った印象がありますね。それをきっかけに飲みにくるようになったんですけど、飲みながら前の職場の愚痴を言ってたら、『うちでやりたいようにやったらいいんじゃないか』と狩野さんに言われて。ぼくも泥酔してたから、酔っ払った勢いでオーケーしちゃって、店番をやるようになったんです」

 店主の狩野俊さんが「コクテイル書房」を創業したのは1998年の春、最初に店を構えたのは国立だった。当初はごくありきたりの古書店だったそうだが、次第に近所に暮らす人たちが集まり、夜には飲み会が催されるようになった。常連客に「ここに酒場も作ればいいんだ」と提案され、酒場部門を開設する。こうして古本屋と酒場が合体した「古本酒場コクテイル」が誕生した。

 2000年秋に高円寺に移転するにあたり、狩野さんは「文士料理」を看板に掲げた。文士料理とは、小説やエッセイに描かれた料理にアレンジを加え、再現したものを指す。2010年には妻・かおりさんとの共著『文士料理入門』も出版。その表紙に写るのは、檀一雄の『檀流クッキング』に登場する大正コロッケである。おからと魚のすり身を混ぜ、ボール状に丸めて揚げた一品は、「コクテイル書房」の名物料理である。

 高円寺に移転すると、「コクテイル書房」はトークイベントやライブも開催するようにもなった。駅前横丁にある4坪ほどの物件は手狭になり、2003年にあづま通りに、2010年に現在の北中通りの物件に移転する。

 斉藤さんが店番をするようになったのは2015年のこと。最初のうちは「斉藤バル」と銘打ち、定休日に間借りするような形で営業していたが、2016年からは日曜と月曜、それに昼の部を斉藤さんが、火曜から土曜を狩野さんが担当をするようになった。ひとつの店にマスターがふたり。そんな体制で店を営業することに決めたのは、狩野さんが「店を変えたい」と思っていたからだろう。

「ぼくが店番を始めたころ、狩野さんはやる気をなくしてて、『俺は一回、精神的に店をやめる』とか言い出したんですよ。古本酒場って名前をやめたいと言い出したのもそのころで、『ここは古本酒場コクテイルじゃなくて、コクテイル書房だ』と。その言葉はすごく印象に残ってますね。本があるだけの飲み屋になってるのが嫌だ、って。その時期に一度リニューアルをして、それまでごちゃごちゃした雰囲気だったのが、本が真ん中にある感じに変わってきた気がします」
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 買い出しを終えて店に戻ると、斉藤さんは土鍋を火にかけ、米を炊く。7分経ったところで弱火にして、さらに13分ほど炊く。「昔は様子を見ながら炊いてましたけど、最近は炊く量が決まってきたから、タイマーで測ってます」と斉藤さんは言う。 

「昼の部を始めるときに、狩野さんに言われたんですよ。ここは駅から結構距離がありますけど、『駅から離れていても、お客さんがわざわざ目指してきてくれるのはカレーかラーメンだ』って。店の雰囲気を考えるとカレーだろうってことで、『斉藤さん、カレーやりなよ』と。たしかにカレーは面白いなってことで作り始めたんです。ただ、それまでスパイスカレーを作ったことがなかったから、最初は苦労しましたね」

 当初はシンプルなスパイスカレーを出していたが、「コクテイル書房」に馴染むカレーを模索するうち、「文学カレー」を考案する。そのころ狩野さんは文士料理だけでなく、作家や文学から得るインスピレーションをもとにした「文学料理」を提供するようになっていた。「文学カレー」も、小説やエッセイに登場するカレーを再現するのではなく、夏目漱石が食べたら「美味い」と言ってくれそうな味を追求し、2019年に漱石カレーが誕生する。

 漱石カレーは店頭で提供するだけでなく、本のように手に取ってもらえるようにと、レトルトとして商品化した。工場に発注するにあたり、試作を4度重ね、ようやく納得のいく仕上がりとなる。そうして商品化に踏み切ったものの、量産されたレトルトの味は、試作とは微妙なズレが生じていた。それならば、いっそのこと自分の店で納得のいくものを作ろうと、狩野さんは「コクテイル書房」内に缶詰工場を立ち上げることに決めた。11月30日に始まった改修工事を経て、店の奥に工場が出来上がりつつある。

「工場ができたぶん、店は狭くなったんですけど、そのぶん暖房の効きがよくなったんです」。仕込みに取り掛かりながら、斉藤さんは言う。「あと、全体的に明るくなりましたよね。ここ数年で、狩野さんが段々外に向いてきてる感じはありますね。正面をガラス張りにしたのも、昔の狩野さんじゃ絶対にやんなそうなことだな、と。そのおかげで、若い人が自然に入ってくるようになったのはものすごい変化ですね。実際、『前から気になってたんですけど、怖くて入れなかったんです』と言われることもチラホラあって。狩野さんは昔、もっと難しい顔してましたもんね」

 仕込みがひと段落したところで、エプロンを外してカウンターに座り、原稿用紙に今日のメニューを書く。どう調理するか迷っていたイナダは、刺身(450円)、唐揚げ(500円)、頭塩焼き(350円)でメニューに記載する。近くのコンビニでメニューをコピーしてきて、カウンターに配置する。窓の外を見遣ると、スーツ姿の人たちが足早に通り過ぎてゆく。「今日が仕事納めの人が多いんですかね」と斉藤さんがつぶやく。斉藤さんも今日が年内最後の店番だ。

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「料理をやっていると、楽なんですよね。料理は完成が早いから、音楽で悩んだりしたものが昇華されて、すごく楽なんです。音楽よりわかりやすくて、皆が喜んでくれる。料理と音楽はぼくの中で繋がっていて、芸術を作ってますみたいな感じではなくて、日々の日記みたいなものなんです。昔はもっと追われるようにやってましたけど、淡々と作り続けたくて。飯食わないと死んじゃうのと同じで、料理と音楽は毎日のことですね」

 17時55分になるとアイポッドをスピーカーに繋ぐ。音楽を再生すると、「よし、オープンしました」と斉藤さんが宣言する。スピーカーから流れてきたのはセロニアス・モンクとジョン・コルトレーンのセッションだ。その音源はスタジオで録音されたものではなく、1958年にふたりがライブで共演したとき、コルトレーンの妻・ナイーマがテープレコーダーで録音したものだという。一夜限りのライブで演奏された音源を、60年以上経ってこうして聴くことができるというのは、不思議な体験だ。

 ぼくはカウンターの端に座り、ハートランドを注文する。これまで何度となく、こんなふうにビールを飲んできたせいか、コクテイルという場所からはまず「酒場」を連想する。でも、ここはまぎれもなく古本屋だ。この連載で「コクテイル書房」を――「古本酒場コクテイル」ではなく「コクテイル書房」を――取材したいと思ったのは、古本屋とは一体どんな場所であるのか、年の瀬の「コクテイル書房」で過ごしながら考えたいと思ったからだ。

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