コクテイル書房 2/3

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12月29日(火曜)

 高円寺駅を北口に出て、横断歩道を渡り、セントラルロードを歩く。入り口には先月オープンしたばかりのブルーシールのアイスクリーム屋さんがある。ブルーシールといえば沖縄のイメージが強く、冬の高円寺で見かけると不思議な感じがする。居酒屋、風俗店、沖縄料理屋、中華料理屋、スーパーマーケット、コンビニエンスストア、古着屋に美容室。車一台が通れるほどの道に、いろんな店がひしめき合っている。この通りを5分ほど歩くと、「コクテイル書房」が見えてくる。

 13時、狩野さんは「開店」作業を始める。「コクテイル書房」の店頭には「まちのほんだな」と名づけられた書棚がある。ここに並ぶのは売り物ではなく、自分が持ち込んだ本を自由に物々交換できる書棚だ。1度に3冊まで交換可能で、持ち込む本のジャンルは不問。夜間は戸板で塞いでいる「まちのほんだな」を開き、棚を整えてゆく。
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 作業がひと段落したところで、「ユータカラヤ」まで買い出しに出かける。棚の並びを眺めていると、昨日にも増して歳末感がある。かまぼこに伊達巻、栗きんとんがずらりと並んでいる。すき焼き用の牛肉や、冷凍されたカニもどどんと陳列されている。ぼくが生まれ育った町では年末年始にすき焼きやカニを食べる習慣がなかったから、地域差を感じる。狩野さんはすすすすと店内をまわり、商品を手に取ってゆく。会計を終えると、持ち帰り自由のみかん箱に品物を手際良く積み込んだ。

 「普段はこうやって買い物しながら、何を作るか思い浮かべるんです。でも、昨日飲みすぎたせいか、全然思い浮かばなくて。焼きそばを作るってことは決めてたんですけど、なんで茄子を買ったのか、自分でもいまだにわからないんですよね」

 店に引き返すと、次は仕込みだ。大根の皮を剥き、ぶり大根を作る。豚の肩ロース肉は、唐揚げにしようかチャーシューにしようか迷った挙句、とりあえず塩をまぶして冷蔵庫に寝かせておく。今日はきっと暇だろうと、手短に仕込みを終えると、古本の仕事に取りかかる。

「ここ3年、全然市場に行ってないんです。お客さんから本が買えるようになったというのが大きな要因なんですけど。入ってくる主なルートはふたつあって、ひとつはうちにいらしてくださる編集者の人の紹介で、大学の先生の研究室の整理に行って、本を買う。もうひとつは、近所の方からの声掛けで、亡くなった方の蔵書の整理ですね」

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 こうして店で作業をしているあいだ、昔はラジオを聴いていることが多かった。でも、あまりにもCMが多くて嫌になり、今はYouTuberの動画を再生し、音声だけ聴いている。「エレベーターの防犯カメラに、幽霊のような姿が写っていたんです」――そんなトークが流れてくると、狩野さんは画面を切り替える。しばしその映像を眺めて、入力作業に戻ってゆく。

 以前からずっと、狩野さんは「朝方のライフスタイルに切り替えて、古本の仕事をする時間を増やしたい」と思っていた。コロナ以前は18時から23時まで営業していたこともあり、なかなか生活習慣を変えられずにいたけれど、コロナの影響で営業時間を短縮したぶん、古本の仕事をする時間が増えた。

「古本の仕事って、地味に面白いんです。本を触ってるだけで面白いんですよ。今の時代、ほとんどの書誌情報がネットにのっかってますけど、たまにのっかってない本もあって、へえーって思いながらネットに打ち込んだり。それはわかりやすい例ですけど、畑やってる人が『土を触っているとすっきりする』と言うのとおんなじで、触ってるだけで楽しいんです」

 狩野さんが最初に本の仕事にたずさわったのは24歳のころ。輸入関係の仕事に就きたいと考えていた狩野さんは、資格学校に足を運んだ。通関士の資格取得コースのパンフレットを手に神保町を歩いていると、洋書専門の古本屋「ワンダーランド」の前を通りかかると、求人の募集が出ていた。ああ、本屋は楽しそうだなと、狩野さんはその足で面接を申し込んだ。

「ワンダーランドはアメリカ文学者の蟻二郎さんがオーナーの店で、日本で本を買わずに、アメリカから直輸入してお客さんに提供するのが売りの店だったんです。その頃には蟻二郎さんは亡くなられていて、奥さんが店を継いでいたんですけど、僕がパンフレットを持っているのを見て、『あなた、通関士に興味あるの?』と。その求人は結構な倍率だったらしいんですけど、奥さんはきっと輸入のことに詳しくなかったから、『詳しい人に働いてもらえたら嬉しいわ』って、それで採用してもらったんです」

 狩野さんは通関士のパンフレットを持っていただけで、輸入に関する知識があったわけではないけれど、本は通関業務が必要のない品物だったこともあり、仕事に差し支えることはなかった。ただ、働き始めて2年が経とうとするころに「ワンダーランド」は閉店してしまう。いつか独立しようと考えていたわけではなかったけれど、自分で古本屋を開業することに決めた。どこかの会社に就職することや、別の業態を立ち上げることは考えず、国立で「コクテイル書房」を始める。高円寺に移転して、今年で20年が経った。

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 プルルルルルルと着信音が響く。電話に出た狩野さんは「何?」とだけ言う。電話の相手は妻・かおりさんだ。「わかった、わかった、はい」。淡々と電話を切ると、ベンチコートを羽織り、郵便局に出かけていく。ネットから注文が入った本の梱包と発送はかおりさんが担当しており、入金があったか確認してほしいと電話があったのだという。入金を確認すると、発送する本を自宅まで届けにいく。お店に帰ってくる頃にはもう、日が傾きかけている。

「今日の東京の新規感染者は856人みたいです。火曜日でこの数字はすごいですね」。狩野さんはパソコンを閉じて、店内に掃除機をかける。隅々まで綺麗にホコリを吸い取ると、調理場とカウンターのあいだにあるガラス戸にガラス透明クリーナーを噴きつけ、新聞紙で磨いてゆく。最後にカウンターとテーブルを拭くと、狩野さんは自宅に戻り、家族と夕食をとる。「橋本さんのぶんも用意してあるんで、よかったら」と誘われて、ぼくも一緒に夕食をいただくことになる。

「あれ、箸は?」食卓に箸が並んでいなかったことに気づくと、狩野さんがかおりさんに尋ねる。
「あ、出して出して」。料理を皿に盛りつけながら、かおりさんが応じる。
「え、どれ?」
「好きなの」
「好きなのって――なんか割り箸とかないの?」
「え、割り箸がいいの?」
「だって、なんか悪いじゃん」
「綺麗に洗ってあるから」
「あ、そう。いいですか?」

 こんなふうに誰かの自宅にお邪魔するのはずいぶん久しぶりのことのように感じる。普段使っている箸を来客に差し出してよいものか――そんなひとつひとつに思い悩む生活から、遠ざかってしまっている。
 魚の煮つけに、ごはんに、お味噌汁。長男の創大君が食卓まで運んできてくれる。夕食はすべてかおりさんが作ってくれたものだ。営業時間が短くなってからというもの、酒場として営業を始めるまえに帰宅して、こうして家族一緒に夕食をとるようになったのだという。慌ただしく食事を終えると、狩野さんは原稿用紙をテーブルに広げ、今日のメニューを考え始める。

「これ、赤かぶの何漬け?」と狩野さん。

「梅酢漬け」とかおりさん。食卓に並んだ赤かぶの梅酢漬けは、お店のメニューにも加わるようだ。「美味しいよ、この赤かぶ」と狩野さんが言えば、「何で言い方するの?」とかおりさんが笑う。お店でカウンター越しに会うときに比べて、狩野さんは言葉数が多いように感じる。

「うちだとめちゃくちゃしゃべりますよ」とかおりさん。「定休日の夜とか、ずっとしゃべってるよね?」
「うん。将棋もやってくれる」と創大君。
「だから――内弁慶なんです」と狩野さんが照れくさそうに言う。
「内弁慶以上だよね」とかおりさん。
「内弁慶以上って、じゃあ何?」

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「王子様」と創大君が答えれば、「内暴君」とかおりさんが応じる。狩野さんは「表現が面白いね」と笑いながら、原稿用紙を取り出し、今晩のメニューを書き始める。17時半には店に引き返し、備長炭を鍋に入れ、火を起こす。火鉢に炭を入れると、メニューをコピーするべく、コンビニに走る。そのあいだにお客さんがやってきて、狩野さんの予想に反し、開店早々に「コクテイル書房」は満席となる。お客さんへの付き出しにと、狩野さんは大正コロッケを揚げる。

「マスター、私、やっぱりぶり大根だけにします」。ぶり大根と海老とチキンのチーズグラタンを注文していたお客さんが、狩野さんにそう告げる。ひとりで切り盛りしている酒場だからと、常連のお客さんが気を遣っている。

「大丈夫ですよ」と狩野さん。「これ以上はお客さん入んないから、もうちょっとしたら落ち着きますんで」

 その言葉通り、開店から1時間も経つ頃には料理もひと段落する。

「しかし、なんでちっちゃい頃はあんなに正月が楽しかったんだろう?」カウンターの向こう側で洗い物をしながら、狩野さんがつぶやくように言う。

「高円寺はね、南口の玩具屋が元旦から営業してたんですよ」と、カウンターで飲んでいたお客さんが言う。「そこは2階に模型が並んでいて、素晴らしい品揃えだったんです。ウォーターラインシリーズ――軍艦と戦車ですね。小学校の同級生は、元旦にお年玉をもらうと、そこに行ってましたよ」

 会話に耳を傾けていると、狩野さんがその男性を紹介してくれる。高円寺で有志舎という出版社を営んでいる永滝稔さんだ。

「狩野さんは昔、二日酔いで店を開けないこともありましたよね」。永滝さんが話を向ける。

「そう――今日みたいな日はきっと、昔だったら店開けてなかったと思うんです」と狩野さん。「普段だったら材料から作る料理が浮かぶんですけど、今日は買い物に行ってもボーッとしてて、全然浮かばなくて。昔の自分だったら、店を休んでたでしょうね」

「あづま通りに店があったころは、『あれ、今日は営業しているはずなのに』っていうのが年中でしたよね。でも、お客さんはそれで怒らないんですよ。『ああ、きっと狩野さんはまた二日酔いなんだろうな』と。あるいは、店を開けてる最中に、あれ、狩野さんいないなと思ったら、銭湯に行ってすっきりした顔で帰ってきて。でも、それで怒る人は誰もいなくて、『なんだ、銭湯行ってたのか』って笑われるっていう」

 今の狩野さんは、そんなふうに突然店を休むことも、営業中に銭湯に行くこともなくなった。では、狩野さんはまともな人間になったんだと言ってよいのかと考えると、わからなくなる。世間が言うところのまともな人間はきっと、「レトルトカレーを売り出す」と言い出さないだろうし、「缶詰工場を立ち上げる」と言い出さないだろう。

「今じゃ考えらんないけど、古本屋ってのは荒っぽい商売だったんだよな」。前回、「岡島書店」の岡島さんがそう語っていたことを思い出す。紙を処分するタテバで珍しい本を見つけてきて、その売り上げで飲み歩いていた古本屋さんたち。古い『改造』や『中央公論』にエロっぽい雑誌の表紙をくっつけて縁日で売っていたという、岡島さんの父・一郎さん。その荒っぽさは、「古本酒場」を――それもブックカフェという業態が浸透していなかった1998年の段階で――始めることにもどこか通底する。そう考えると、狩野さんがYouTuberの動画を見ながら仕事をしていたことも、ごく自然なことに思えてくる。荒っぽさというのは、「イノベーティブ」とも言い換えられる。

「今日はもう、休みなんですね。全然人が歩いていない」。店の外に目を遣りながら、狩野さんがそうつぶやく。開店と同時に満席となったけれど、お客さんが入れ替わることはなく、そのまま閉店を迎える。帰り道、中央線に揺られていると、もうすぐ新宿だというところで靖国通りが見えた。歌舞伎町のネオンは煌々と輝いているけれど、人影はまばらで、今が年の瀬だということを忘れそうになる。

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