第19回 葛西善蔵の口述をした嘉村礒多 鑑賞篇2

哀しき父 椎の若葉 (講談社文芸文庫)
『哀しき父 椎の若葉 (講談社文芸文庫)』
葛西 善蔵
講談社
1,134円(税込)
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▼葛西善蔵、大正文学の鬼

 高見順「昭和文学盛衰史」(文春文庫・絶版)の冒頭、徳田秋聲の記念会で使い走りとして、屈託を抱えながら右往左往する男が活写されている。その男こそ葛西善蔵その人である。
 僕が葛西善蔵を知ったのは、文学的晩学のせいで、非常に恥ずかしいことなのだが、拙著「フリーという生き方」(岩波ジュニア新書)を評した先輩が、まるで葛西の「子を連れて」だねと口にしたことに発する。誰だそいつはということで、さっそく本屋を探すと講談社文芸文庫にぶつかった。「椎の若葉」なんて題名をつける作者に、なんだかポエジーを感じつつ読むと、ポエジーはポエジーでも人生煉獄のポエムであることに気がついた。
 葛西は青森の産で、太宰治の先輩格だ。当の太宰とは資質を異にしている。葛西も太宰も表向きは赤裸々ではある。けれど、葛西の場合は小説作法が丸太をぶん回すような、小手先の技を廃したもので、赤裸々という言い古された嫌な言葉で評するのが勿体ないものだ。なんというか丸裸、破れかぶれ、コンチクショウ精神が漲っている。
 同人「奇蹟」の仲間である相馬泰三や谷崎精二、広津和郎をコテンパンに描いておきながら、素知らぬ顔で仲間づきあいをしていたという。谷崎精二が葛西へ送ったお茶缶がベコッと凹んでいたことで、意趣が会ってのことなのだと文句をいう作があるのだが、事実はそうではないようだ。けれど、それはそのまま。谷崎も赦している。書くと逸れてしまうのでここまでにするが、「奇蹟」の同人や周辺にいた宇野浩二など面白い話題が多い。バトルロワイアル的文学集団であったんだろう。
 この葛西は食うや食わずで子どもを抱え、妻を金策に青森へ帰し、仲間に無心し、文章は一日二枚も上がれば祝杯だというペース。なんとも編集者氏にとっては難しい御仁である。短編作を書き、それをいま通読すると私小説というカテゴリーの豊潤さを感じる。それは内的な視点がフィクショナルに事実を歪め、厳しくも詩的なものだ。ぜひ、未読の方は挑戦してほしい。太宰的な甘さのないシニカルかつスタティック、ストイシズムに満ちた葛西ワールドは価値あるものだから。

■鬼の口述係、嘉村礒多

 葛西善蔵は先ほど書いたように二枚で祝杯の作家である。始終小説のことを考えているようだが、生活に倦み、居所を変える。それで書けるようならいい話で、書けないのだから注文する側はヒヤヒヤする。葛西が病を得、過度の飲酒も重なった後期の作には口述筆記者がついた。そのひとりが嘉村礒多である。
 嘉村は山口県のひと。現在では昭和初期の文芸復興のなかで私小説を貫いた夭折の小説家として記憶されている。「途上」を読むと、葛西善蔵などと違い、モダニズム的なものは希薄で、どちらかと言えば泥臭い。尾崎一雄と比較すると、泥臭いのに近寄りがたい。「土」を発表した長塚節のような雰囲気(長塚の作よりも面白い。作家のもつイメージとしてだ)。嘉村は葛西に師事したようなもので、遅々として進まぬ原稿に粘り強く付き合った。
 僕はここで嘉村をインタビュアーとして捉えてみたい。小説の筆記者ではあるが、口述は相手あってのものだと思う。その相手によっては作は中途で終わる場合もあるだろうし、インスパイアを与えて立派なものにもなるだろう。嘉村が後者の手柄を得たはずだ。ましてや告白的私小説であるから、インタビューと考えても多少は許されるはずだろうから。
 それを考えるうえで、「奇蹟」でさんざん葛西にこきおろされた谷崎精二によるポルトレエを引きつつインタビュアーとしての嘉村礒多の姿を妄想してみたい。

■谷崎精二による葛西と嘉村

 谷崎は著書「葛西善蔵と広津和郎」(春秋社)の葛西の項目で酔って放談し、それを筆記に取らせて一流雑誌に掲載されていることを咎めている。くだを交えた語りの飄逸味を認めつつも、文壇や読者に与える影響を危惧してのものだ。
 だが、「酔狂者の告白」「弱者」「われと遊ぶ子」の三作は認めている。作品中に「彼の好きな愚痴」が入っていても「抑制することを忘れない」でいるという。嘉村礒多によると、せっかく途中まで出来上がった口述原稿を翌朝、葛西が見つけると、全部捨ててしまうので持って帰っていたそうだ。
 この口述作業を谷崎は「いやいやながら口述」したものだと書き、しかしながら発表せねばならない身ゆえ仕方がないこととと言う。そして口述作品を小説というものではなく一種の「即興詩」であると位置づける。僕はここでハッとする。
 いわゆるインタビューは優れたドキュメンタル形式をとった「戯曲」「シナリオ」だと亡くなった井上ひさしさんに聞いたことを思い出したのだ。また、これも物故して久しい前田陽一監督、脚本家の田村孟さんは「シナリオの優れたものはポエムだ」と断定した。同様のことを水木洋子に関してのインタビューで橋本治さんも言っていたように記憶する。その価値観でいけばだ、谷崎が葛西口述作に押した即興詩というものと通じているではないか。昨今のインタビューに「詩情」はあるだろうか。それはまた別の話か。
 即興詩を支えた嘉村礒多とは葛西の「抑制」と「放談」「愚痴」を暗々裏にコントロールしなくてはならかった立場だった。小説においてストイックな姿勢を望む葛西は、いっぽうで「己が気が違う」ことに異常なほど恐れていた。酒と生活の困窮、心身の疲弊によって暴れ、愚痴を吐いたかと思うと真面目に小説道へ向う末期の葛西は独りでは到底、小説を完成させられなかっただろう。

■「酔狂者の独白」を読む

 インタビューもまた葛西が求めた「抑制」が必要である。放談と抑制のバランスをもって良きインタビューが完成する。

「誰しも栄えたく、明るく健全な生涯を持ちたいというのは、自然な感情であって、その本能とでも云う可きか、その自然な感情のままに、不利な境遇、不可抗的な事情に向って、喘ぎつ腕きつ、青少年時代のよき力を消耗してきたのではないかしら。僕なんかは、今、現前に、そういった感情を持たされるものだ。語るべく、過去は暗ら過ぎ、現在は苦し過ぎ、そして、明日のことを考えることが出来得ようか。自分は、おかしなことを云い方をするようだが、また出鱈目ばかし云っているのだから、ことわりめいたことを云う必要はないのだが、実際、自分は自分の才能、健康、――そういったものでは、決して恵まれない人間だと思ったことはない。むしろ、自信を以って居る方だ。だもんだから、そういう後天的といっては何なんだけれども、青年後の良いとか悪いとかいうことについては、自分としては当然責任を持てる」
        (「哀しき父・椎の若葉」  
         講談社文芸文庫所収
           「酔狂者の告白」)

 この発言を谷崎精二は素直な告白と認めている。いっぽうで、嘉村礒多は真逆であったと書く。

「この点、彼と嘉村礒多は異なっている。嘉村は生来、自分が才能乏しい人間だと思っていた。少なくとも思い込もうとしていた」
       (「葛西善蔵と広津和郎」)

 葛西の健康的破滅を目の当たりにしつつ、自分の才に疑問を持ち、文学を志す嘉村の姿からは、普通人の魅力が香ってくる。その俯き加減の嘉村は、葛西が辛酸をなめた大正十四年春から昭和二年までの世田谷での暮らし、酩酊と暴行と怒号の日々を克明に写しとったのだろう。おそらく、筆記の場でも我儘三昧の葛西のこと、嘉村はじっと尊敬する小説家のために耐え、それを喜びに変えていたに違いない。嘉村の小説は粘着質の視線とマゾヒズム、そして薄ら寒いユーモアの混合体だ。ユーモアは下から仰ぎ見る者の怜悧な観察から生じる。
「僕なんかダメですから、でもね、ああいうことを才能ある人はやるからな。いやとても僕なんかは出来ないんですよ。身内に迷惑をかけて平気の平左を装うなんてねえ」
 僕は嘉村がそう口にしつつ、自分の筆記を眺めている姿を妄想する。
 この「酔狂者の告白」は女性遍歴と己の文学彷徨、点描スケッチがないまぜになった、酔っぱらいのあみだくじ的短編に仕上がっている。二葉亭の明晰な告白とはおおよそかけ離れたもので、谷崎は葛西の姪である佐々木とも子に関する記述が出鱈目だと指摘する。そして、総評価としてこう書く。

「葛西のペンから直接書き綴られたなら、もっと緊縮した形体を備えた名編になったことだろう。いろいろの夾雑物が晩年の口述作品の価値を低めていることは確かである」
       (「葛西善蔵と広津和郎」)

 果たしてそうだろうか。僕は「酔狂者の告白」も「弱者」「われと遊ぶ子」が初期・中期の作に劣ると思えないのだ。むしろ、伸びやかさがあって好きだ。小説はストイシズムによってのみ価値が高まるだけのものではない。僕は「哀しき父」や「蠢く者」よりも、晩年の「夾雑物」の多い作品を買う。そこには葛西が溜め込んだ鬱屈とリアルタイムな人生の流出が垣間見えるからだ。それを豊潤と言いたい。

■インタビュアー嘉村礒多の意味

 では嘉村礒多はどうなのか。
 彼とて、自分の口述が失敗作であったとは思っていないだろう。密かな自負心を持つ、自虐的作家は、内心「自分と葛西先生だったからこそ引き出せた作だ」と感じていたに違いない。引っ込み思案と上昇志向がないまぜになった難しい彼のこと。自分の特性が葛西を刺激したとは気がついていたはずだ。
 葛西は基本的にサディズムな対応をする。繊細を粗暴で武装しているのだが、矛先は同じような内的人間に向かう。同じく筆記者であった牧野信一には感じなかったと思う。牧野は坂口安吾が描くように、繊細だが硬い一本の鉄線のような心の人物だ。このような者には酒は飲むが胸襟を開くほどではなかったはずだ。
 だが、嘉村は田舎者で(牧野は神奈川だ。都会性もあるので葛西とは文化圏が違う)、葛西同様に求道的な男である。自分の才能を疑っている。虐め甲斐がある。それでいて粘りがある。愛人のおせいとは違い、歯向かうこともない。しかもだ、嘉村は嬉々として我儘に従っているふしがある。これはプレイである。サディズムとマゾヒズムがガチっと噛み合ったのだ。
 僕はインタビューとは仰ぎ見るようにという意味のことを書いた。インタビュアーはインタビューイーにとって嬲り者である。嬲られてなんぼ、引き出していくためには、随喜の涙を惜しんではならない。そういう性格の仕事である。ゆえに嘉村礒多は葛西にとっての究極のインタビュアーであったと言えるだろう。相手を仰ぎ見、完成まで寄り添う。
 僕が嘉村礒多という私小説作家に見る、別の側面は上のようなものである。