第18回 インタビューを味わい考える 鑑賞篇1

■二葉亭四迷聞書のことから

 ここからは、数あるインタビュー本やインタビュアーに的を絞って、文藝評論ならぬ、インタビュー評論を行なってみたい。
 僕が扱おうと思うインタビュー、インタビュアーは明治期から現代まで。時代性も考えたうえで通鑑出来ればいい。そもそも日本のインタビューというのはどういうものであったか、どれが正統でどういうものが異端なのか。なにが残るものであったのか、価値は文学的なものか、資料的なものか、語り口の面白さなのか。そういった諸々を考えていくと、インタビューの有用性や文学性、はたまた笑劇性など、キメラ的な魅力が伝わるのではないだろうか? 僕自身のためにも考えていきたい。
 とはいえ、学者ではないので僕の趣味的な切り口でスタートさせてもらいたい。まずは二葉亭四迷のことから。
 言文一致体の小説「浮雲」で衝撃のデビューを果たした二葉亭四迷。山田美妙も独自の「です、ます」調文体によって、当時の玄人衆に少なからぬ影響を与えたようだが、日本文学史、まあ高校生レベルの文学常識では二葉亭四迷のほうが「試験に出るひと」として広く知られている。彼の言文一致体はツルゲーネフ翻訳のほうが「浮雲」第一部より活き活きとしていて、国木田独歩や島崎藤村、正宗白鳥などを感動させたという。
 新書版のコジャレた岩波版全集をパラパラとめくると、なるほど「浮雲」第一部はなんだか奇妙な日本語(だからと言って、いまの日本語文体が清く正しいとは思っていないけど)だ。

 千早振神無月も最早跡二日の余波となった
廿八日の午後三時頃に神田見附の内より塗渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出でゝ来るのは孰れも顋を気にし給ふ方々(以下略)
       (二葉亭四迷「浮雲」冒頭)

 坪内逍遥と相談した二葉亭が「円朝の落語のような」と話題に登ったようだけど、それ相応の結果が生まれている。描写は上のような感じで、喋りは今でも読める口語体だ。漢語的格調と落語的下世話が入り交じっている印象だ。二葉亭は「新しい文学の言葉」の探検者だといえる。こと「言葉」だけに、彼は日常的な喋り口調に対して繊細かつ大胆なアプローチを翻訳や小説においてなしたように受け取れる。
 その二葉亭四迷が「語る」ものが数篇ある。
インタビューに応えたものとして面白いのは「予が半生の懺悔」だろう。

 私の文学上の経歴――なんていっても、別に光彩のあることもないから、話すんなら、寧いっそ私の昔からの思想の変遷とでもいうことにしよう。いわば、半生の懺悔ざんげ談だね......いや、この方が罪滅しになって結句いいかも知れん。

 と、語り始める二葉亭。これを初めて読んだ時、僕は語り手の息遣いが聞こえるような名文だなあと感心した。初出は雑誌「文章世界」であるから、その編集者が基本はまとめたものに違いない。この頃の「文章世界」の編集・発行人は田山花袋である。編集氏の名前は文学史上で明らかになっているはずだが、不勉強で追いついていない。だが、二葉亭の訳業に影響を受けた作家が編集を務める雑誌に発表されたということが興味深い。二葉亭は自然主義文学には余り好意を寄せていず、揶揄も入った「平凡」を発表しているのだが。

▼素晴らしいの一言の面白さ

 それはさておき、二葉亭の半生の懺悔に戻ろう。ここで面白いと感じるのが幾つかある。
 1 内容のユーモア
 2 語り口の軽妙さ
 3 二葉亭の心理の動き

 この三つに代表される。まず、1は通読してもらえれば了解できるところだけども、以下のような応答など代表的だろう。

 之は甚ひどい進退維谷(ジレンマ)だ。実際的プラクチカルと理想的アイディアルとの衝突だ。で、そのジレンマを頭で解く事は出来ぬが、併し一方生活上の必要は益迫って来るので、よんどころなくも『浮雲』を作こしらえて金を取らなきゃならんこととなった。で、自分の理想からいえば、不埒な不埒な人間となって、銭を取りは取ったが、どうも自分ながら情ない、愛想の尽きた下らない人間だと熟々つくづく自覚する。そこで苦悶の極、自おのずから放った声が、くたばって仕舞しめえ(二葉亭四迷)!

 ここには3も含まれる。二葉亭は「文学は男子一生の仕事にあらず」という考えの持ち主だ(挫折による韜晦かもしれない)。その彼がいったんは賭けた文学業で味わった苦さを大真面目に語ることで、それが彼の号にしたという点をズバッとつかみ出した箇所だといえる。
 まったく、こういう屈折した内面をスルリと発言させるなんて、どう引き出したのだろうか。多くは二葉亭の後からの加筆であるかもしれない。だが、ママ発言を引き出したのならば、よほどこの文士の胸襟にツイと飛び込める聞き手であったのだろう。
 また口調の問題であるが、これも巧い処理をしている。整え上手と言うか。

 こいつ今の間うちにどうにか禦ふせいで置かなきゃいかんわい......それにはロシア語が一番に必要だ。と、まあ、こんな考からして外国語学校の露語科に入学することとなった。

 が、こうなると、自分で働いて金を取らなきゃならん。そこであの『浮雲』も書いたんだ。

 はじめの引用での「いかんわい」から「と、まあ」と話題を変じる場所。そして次の引用での「金を取らなきゃならん」というあけすけな話を繰り出す間合。硬質な語り口のなかに、こういった日常の口調を差し挟むことで読者をくつろがせる。こういう芸当は、いまのインタビューでも少なくなったと思う。ダメだった学生時代の思い出、金の話などナマくさいところがかえって人間味を与えていく。人間=二葉亭四迷を演出する原稿整理だといえるではないか。

▼構成の卓抜さ

 この短い聞書は「半生の懺悔」と表するだけに、オーラル・ヒストリーを扱っている。だが「私の履歴書」のように、ポツポツ語っていく時系列を並べただけでは終わっていない。二葉亭四迷とは何者か、という聞き手の意図が明確に現れているものだ。だから、中身は表層的事件の流れを追いつつも、内面に食い入るようになっている。

【前段】
 ロシア語と出会い↓当時の世相↓語学から文学へ↓二葉亭のダブルバインド(文学熱と壮士的感情)↓社会主義と文学・二葉亭の世界観構築
【中段】
ロシア文学の日本文学への移植という企て↓言文一致体の苦心↓二葉亭の哲学↓文学での幻滅
【後段】
「浮雲」中断以降の空白期↓女性経験↓そこから生まれた内省↓人生の彷徨↓ダブルバインド心理を抱えたまま、文学者であることを否定

 ざっとこういった三段構成である。行動・事件と内面心理を交互に語り、明治という立身出世と文化創造の時代をひとりの奇妙な文学者によって説明づけてしまっている。二葉亭というひとのなかに、儒教的思想と社会主義が混ざりあい、実人生を錯乱させていることに、読者は気がつく。だが、語る本人はあくまでも「懺悔」でありつつ、矛盾だらけの己に気がついていない。気がついてないので救いを求めて、「一層奮闘する事が出来るようになるので、私は、奮闘さえすれば何となく生き甲斐があるような心持がするんだ」などと口にする。相矛盾するものを抱えて生きる、それが少しでも出来る人間こそ芸術家であるという警句が思い起こされる。
 こういう短いもので、ここまで掘り下げた聞書を僕は知らない。ひとり語りで構成しているが、質疑応答式になっている起こし原稿を読みたくなってしまう。

......つまる所、こんな煮え切らぬ感情があるから、苦しい境涯に居たのは事実だ。が、これは「厭世」と名くべきものじゃ無かろうと思う。

 こういうことを言われ、僕だったら「なるほど、今日は立ち入ったことを聞いて申し訳ありませんでした。ありがとうございます」と〆てしまうかもしれない。この聞き手は違う。執拗である。意地悪かもしれない。この告白が二葉亭の苦衷を引き出すトリガーであると心得ている。なぜなら、すぐ後にこの発言が続くからだ。

 其時の苦悶の一端を話そうか。――当時、最も博く読まれた基督教の一雑誌があった。この雑誌では例の基督教的に何でも断言して了う。たとえば、此世は神様が作ったのだとか、やれ何だとか、平気で「断言」して憚らない。その態度が私の癪しゃくに触る。......よくも考えないで生意気が云えたもんだ。儚はかない自分、はかない制限リミテッドされた頭脳ヘッドで、よくも己惚うぬぼれて、あんな断言が出来たものだ、と斯う思うと、賤しいとも浅猿あさましいとも云いようなく腹が立つ。

 このような自己批判を引き出して、聞き手はどのような顔をしていなければならないのか、僕は知らない。俯いてはいけないだろう。
「いやあ先生、それはそれは」でもないだろう。おそらく、考えるだに恐ろしいが、二葉亭を黙って見つめて、たまに唸ったりしていたに違いない。相槌で引き出せる内容には限界がある。相槌は語り手を心やすくし、メートルをあげるが、苦しい話には舵をとらせない話術だ。シビアな話題を引き出すときは、きっかけの一言と沈黙しかない。
 この恐るべき聞き手は苦衷を引き出す際にただ一言、「それはどういうことですか」と口にし、後は黙していたのだろう。そこから二葉亭のやや錯乱じみた人生哲学と彷徨についての語りを引き出した。
 そしてそれが歴史的な聞書として、いまに残っているのだ。