第23回 鋭角な飄逸さ、吉行淳之介 鑑賞篇6

■稀代のインタビュアーにして名ホスト

 前回の野坂昭如の先輩として登場した吉行淳之介。ダダイスト詩人であった吉行エイスケの息子で、安岡章太郎らと共に左翼系とは別の道を拓いた戦後文学の旗手である。僕はどういうわけか、北杜夫経由で吉行文学を大学中退後に触れることが出来た。エロを求めて「夕暮れまで」「砂の上の植物群」(新潮社)などを読み、いつの間にかエロは忘れてほぼすべてを耽読した。吉行文学からヘンリー・ミラーへ移行していくという流れが出来て、「こういうのも文学なのね」と狭い認識しか持たない自分にとって、勉強になったものだ。小説は湿潤な感じ。童貞だった僕は実物を知らないくせに「女陰な感じ」と感想を記している。どういうつもりだったんだろう。
 創作とは別に吉行淳之介の対談集にもハマった。多種多様なゲスト相手に飄々と喋る吉行は「かっこいい」男に感じた。北杜夫相手に「軽薄とか笑いとか、自分が暗くないとうまくいかない」という趣旨の話をしたものなど、根が暗い自分が励まされたと大錯覚して読んだ。女優相手では余裕綽々、枯淡の色気を醸す。馬鹿話も大いにやるのだが、僕が触れた九〇年代当時にはいない語り口のホストだった。
 それから年月が経つ。自分が編集者として関わったはじめの本が和田誠さんの市川崑作品ファンに訊くという中身で、ド素人である僕は仕事のヒントを得ようと吉行淳之介の対談集を読み返した。何も知らない一読者という立場は相変わらずだが、仕事にせねばならない強迫観念のおかげで吉行対談の巧みさに気がついた。まず、導入部がいい。

(フランキー)堺 先輩(二人は麻布中学の同窓生)、どうも遅くなりまして......。
吉行 まあ、こちらへどうぞ。
堺 ところで、今夜はどういうことですか。
吉行 お互いに紳士ですからね(笑)。品のいいような、悪いような話をしましょう。
堺 わかりました。
吉行 ドラムは最近たたいてる?
堺 その話はちょっとしたいですね。これはね。音楽と演劇みたいなことをいうとなんか堅くなるけど、もっとやわらかくいうと......。
吉行 いいよ、いいよ。堅いところもあるという(笑)......。
堺 音楽は感覚的なもので、芝居は知的な計算の上に成り立っている。両方やっていると、ドラムの感覚が芝居に影響し、芝居の計算がドラムに影響し、両々相まってふくらんでくるような気がする。片っぽうだけだと、たとえば映画「ヨーイ、スタート」......「カット」。終わった瞬間に、みるみるストレスが積み重なるんです。ああもしたかった。こうもしたかったと。そういうとき、ドラムをたたくと、その滓みたいなものがスーッと消えてじつにさわやかになる。
吉行 ドラム以外にストレス解消法は......。
堺 (ある時間ニコーッと笑って)......オシマイ。
       (「浮世草子」集英社文庫)

 つまり吉行対談はさりげないのである。まるで吉行の部屋へ対談者がフラッと訪れたような、そんな調子で始まる。または、次のようにサクッと始まる場合もある。

吉行 ずいぶん悪女にお会いになっておられるようですね。やっぱり悪女タイプがお好きなんですか。
北原(武夫) ほんとうの悪女ってのは、嫉妬深くて、意地が悪くて、虚栄心が強くて、自分本位で、身もふたもないんですよ。ただ、悪女的要素を持った女が好きなんです。吉行君はそんな女にあった経験はないですか。
             (引用同書)

 作家である北原武夫へこの後「ないです」とスパっと応えて、相性の問題と女性が相手によって自分をさらけ出す面が変わることを語る。この歯切れの良い導入部は、ゆるゆると自室で語り出したところをオミットし、まるで撮影カメラが談笑中途で回り始めたという印象を残す。原稿整理の巧みさのなせる技だ。緩急自在の語り口は、導入から発揮され、雪だるま式に内容が豊富になり、すうっと終わる。この終わり方も素晴らしい。オペラ歌手の藤原義江との幕切れはこうだ。

藤原 ぼくは女性にウソついていいと思うんです。ただし、ダマしちゃいけない。ダマされてもダマしちゃいけない。だから、ぼくは死んでも地獄に行きたくない。ぼくは死んだら竜宮城へ行く。そこで女性と恋を語る。
吉行 よし、ぼくもきょうは竜宮城へ行こう。ちょっと握手をさせて下さい。ご利益をつけて出かけよう(笑)。
             (引用同書)

 こういった洒落た感じで終わったり、次のディック・ミネとのラストは期待通りであったりする。

ミネ 大きい(引用者注:男根のこと。ディック・ミネは巨根で名を馳せていた。だけじゃないけどね)といわれたことはあっても、怒られたことはない。
吉行 喜ばれたことしかないですか。
ミネ いっぺん、それだけを目当てに来た女がいましてね。いろいろ噂を聞いてたけど、それほどでもないわね、といわれたことがある。
吉行 期待が大きすぎたんだな(笑)。
ミネ ひとまわいかふたまわりは大きいかもしれないけど、馬ほどじゃない(笑)。ぼくはべつに自慢はしないけど、親がよくこういう満足なものをつくってくれたと感謝してますよ。

 いや、期待通りなんだけども、このフラットさは凄いと思うのだが、読者の方々、どうだろう? 下ネタはドカーンといくのが普通だと今様のバラエティに毒された者は感じるかもしれない。その逆を行くのがディック・ミネとのラストだ。怒られたこともないとか、期待が大きすぎたとか、あっさり語り、着地点が親への感謝だ。抑制された表現で、爆笑を誘う好例といっていい。
 事程左様に、吉行淳之介とは戦後が生んだ稀代のインタビュアーであり、ホストであると、僕は断言する。

■吉行座談の巧妙さ

 察するに吉行淳之介は対談前の準備の周到さ、対談におけるもてなしの上手さ、原稿整理の巧みさという三つの点で傑出しているのだ。対談前の準備ともてなしについては、後段に譲る。
 と、いうのも吉行が原稿整理の任にあった長部日出雄さんに直に語ったところでは、神経が行き届き、徹底的に気を遣っていたという。他の関係者から「吉行さんは対談後、ひとりになると大変に疲労していたように見えた」と仄聞したこともある。仕事として「話を聞く」という行為の心理的過酷さを証明するものだ。このことはインタビューの「術」を考える上で大事だと思うので、この段では触れない。まずは原稿化における巧妙さを考えてみよう。
 僕の手元にある、今回のテキストである文庫版「浮世草子」から対談は引用する。様々な吉行対談本があるなかで、最もコンパクトでよくまとまっていると思うから、この本を使う。
 脚本作法に序破急というのがある。対談やインタビュー原稿でも構成が大事だと何度も述べた。基本は脚本と同じで序破急や起承転結の構成をとる。
 しかし、それに則り過ぎると予定調和に陥りやすい。というか、インタビューなどが流布し、親しまれた現代において確実に陥る問題であり、あまりに当たり前なので問題にもされない。つまり、予定調和を良しとする認識が媒体の編集者たちにはあるということだ。僕も慣例に則らない構成を立てると「緩急と結論を明確に」と注意を受ける。分かりやすさ、は大事なのだ。だが分かりやすさだけで「面白い」かどうかは断言できないと思う。
 その証拠に、吉行対談は構成の序破急をたびたび無視したものがあり、だからといって難解でもなく、却って会話の魅力に富んだ印象を与えてくれる。実例を挙げてみよう。
 ディック・ミネの項目で全文引用できればいいのだが、それはかなわないので、要約してみる。

1 取っ掛かりはミネと吉行の繋がり。吉行の叔父とミネが親しいということ。ミネの父が帝大系統以外は学校じゃないという堅物で、その反発から歌手になった。自然と女性とも親しくなったという告白。
2 時代とともにセックスの考えや流行が変わるように見えて実は不易流行である話。戦中、吉行の叔父と練兵場で女学生とイタした話。セックスの価値について。
3 女性のほうが性的には男より欲望が強いという話。ミネのセックスの黄金期、十九歳で回数は最高9回半だが、まだまだセックスはいける。
4 ミネの巨根伝説について。

 文庫の頁にして七頁。四〇〇字詰め原稿用紙にして約九枚。戦争中の学生の価値観や戦後の軽佻浮薄な性文化への洞察などが詰め込まれている。通常、この枚数ではまとめ難いはずで、猛烈に濃縮しなければ完成原稿に持ち込めない。J・G・バラードの「コンデンス・ノヴェル」という超濃縮短編小説があるのでそれに倣えば、吉行対談は「コンデンス・インタビュー」と名づけていい。これだけギュッと中身を詰めておきつつ、ノンシャランな空気を醸すのはどういう技なのか。
 殿山泰司との項目を読むと、ハッとするところがあった。さりげない調子でコンデンス・インタビューをやってのける秘密は、奇術のトリックと同じく、平凡なものだ。もったいぶらずに書けば「聞き手である吉行の発言によって濃縮した注釈、誘導を行っている」ということだ。手順を解題すれば次のようになる。

1 飲み物や飯の類を勧めるジャブ。
2 最初のネタ振りで対談者が答えた内容を受けて長めの応答を書く。
3 この応答の反応から更に一歩進めた応答を吉行自身がする。

 この三段階の繰り返し(絶妙に変奏しているので気取られない)なのだ。対談者の応答が短くてもいい。受けのほうがしっかりキャッチして膨らませていけばいいのだ。

殿山 ダメですね。だから、このごろは女のひとを見てもあまり興味がないんです。なんだかきたならしい感じがする。
吉行 きたならしいという感覚はおもしろいな。非常に具体的に思い浮かべちゃうんだね、構造とか、分泌物を。銭湯で子どもが「こわいよォ、こわいよォ」って泣いてたんだって。ヒョッと見たら、すぐ前に女の人が立っていて。ちょうど子どもの前にアレがあって「こわいよォ、こわいよォ」(笑)。この感じ、わかるね。アレはこわいよ。

 と、こういう具合にある挿話を語り、膨らませる。手腕も見事、挿話も絶妙でなければ成立しがたい。インタビューという事柄に絞ると、対談者の語りを基本的にインタビュアーはいじらない。この原則を守りながら、コンデンスな内容に仕上げるのは、インタビュアーが率先して中身を濃くする手しかないのだ。インタビュー全般から言えば、小説家である吉行が聞き手であることに負った、特殊な方法であるとも言える。その一方で、インタビュアー主導で濃いものを作れるヒントが吉行対談にあるのも事実だ。

■インタビュアーの疲労について

 インタビューは疲れる。話を訊くだけだろ、舐めんなよと怒られるかもしれないが、どっこい疲れるのだから仕方がない。僕は数回インタビューを行い気心もしれた相手(伊集院光さんやおさかなポストで有名な山崎充哲さん、師匠の新藤兼人など)でも、訊く前には下痢、訊いた後は脱力感と食欲不振になる。じっさい窶れたと同行のカメラマンに指摘されることも屡々だ。同様のことを吉行淳之介は、前の章で取り上げた野坂昭如に告白している。準備段階のことは語らないが、ホストとしての役割で疲労を覚えるようなのだ。
 コンデンス・インタビューを行うには、九枚ぶんの会話では絶対に足りない。濃縮するに足る材料を引き出すには、正規の対談時間外でも聞き耳を立てているはずだ。そうでないと受けの文章が全くの創作では、対談者がゲラを読んだ際に難色を示すはずだ。語られたような事(と、相手が思えることが大事)を材料に受けを書く。そのために払う時間は二時間は必要だろう。語りながら、ここは膨らませると計算もする。話題豊富なホスト役と緻密なインタビュアーを同時にこなした吉行淳之介の苦労は尋常ではないと思う。
 準備段階に関しては、以前に川崎長太郎相手の対談を読んで「これは斬り合いだ」と感じた。川崎長太郎は奥さん同伴で好々爺然と吉行の前に現れる。ところが川崎は匕首を懐に忍ばせていた。小説家・吉行の本音を引き出そうと、父親エイスケに関して述べ、吉行が私小説であるのかないのか切り出すのだ。吉行もまた川崎に対して小説の肝は何かを搦手で迫ろうとする。晩年の川崎が意外なほど脂っけのある語りだったので、僕は驚いた(お金がないので古書店に売り払ったので手元になく、朧な記憶で綴ったので間違いがあるならお詫びする。確かちくま文庫で再編集された対談集にあるはずだ)。双方痛み分けのような結果だったが、吉行が川崎のために相当準備してきたことがわかる対談だった。
 これを読んで事前の準備も周到なはずだと感じた。「浮世草子」のような一見軽めのものでも、例えばディック・ミネの連載エッセイとかまで目配りしている。俳優なら最新の仕事をチェックする。けれど吉行の準備というのは、勝負という野暮な言葉で表わされるような姿勢ではないだろう。招く相手の仕事を知っておくのがマナーだ、という態度だ。つまりはホストとして当然の事をするということ。紳士である。と、同時に読者というものを念頭に置いて「聞き所」を事前に考え、ライヴで組み立てなおす、プロのインタビュアーも全うしようとする。吉行淳之介は恐ろしい仕事師だと僕は思う。小説家としてもどこか同じような二重性を抱えている気もするが、それは別の話か。
 訊く、書く、捌くのインタビュアーはザラに居るが、ゲストを愉しませ、読者を唸らせ、創作の苦労を気づかせない芸を持つのは、古今において、吉行淳之介の他にいないのではないだろうか。