第22回 野坂昭如、偽装尋問人 鑑賞篇5

▼オトコマエな作家

 野坂昭如も三島由紀夫と並ぶ「派手」な作家である。『火垂るの墓』(新潮文庫)などの執筆活動以外に歌(「マリリン・モンロー・ノーリターン」など)やタレント活動、選挙出馬も行う多彩さが売りだった。彼もまた対談ホストを受け持つ企画を持っていた。
 長身痩躯で二枚目だ。しかも黒眼鏡。三木鶏郎一派のひとりでコマーシャルソング作詞を手がけた前歴、敗戦後の浮浪児生活もまたひときわ目立つ特徴となっていた。作家・野坂昭如は独特の文体、テーマ選びで文壇でも異才のひとと印象づけていた。
 僕は『騒動師たち』と『骨餓身峠死人葛』(岩波現代文庫など)が好きで、高校時代に読み返したりした。読んだきっかけはアニメーション『火垂るの墓』ではない。アレは筋書きだけ聞いて、もう苦手で、テレビ放映時もブラウン管の前から逃げ出すほどだった。後年、原作を読むとドライな筆致でアニメーションとの差がずいぶんあるなと感じたものだ。それはそうと、きっかけはズバリ、野坂昭如の若い頃の写真がオトコマエだったからである。作家っぽくない。鮎川誠的ロック野郎な感じだったからだ。だからその後の町田康にはパチ感(今はそうじゃないけど)を感じて読まなかった程だ。とっても格好良かった。
 今回、その野坂昭如がホストを務めた対談集『清談俗語』(朝日新聞社)を取り上げたい。基本的な野坂節はここで聞けるから、ランダムに選んでみた。

■『清談俗語』の野坂昭如

 野坂昭如が「週刊朝日」誌上で行なっていたコーナーをまとめた『清談俗語』にはいろんな顔ぶれが並んでいる。五木寛之、田辺聖子、石原慎太郎、福田赳夫、中曽根康弘......変わり種では「プロレタリア一銭軍記」で話題になった揚野浩やKKベストセラーズの岩瀬順三がいたりする。航空自衛隊の空幕長出である源田実も。発行年代が七〇年安保から三島自決、連合赤軍事件後の1974年であるし、〈そのような時代〉なんだろうと思える。
 野坂昭如と言うと、シラフで真面目なことを語れないひとという印象がある。「朝まで生テレビ!」でのとっ散らかり方など観ていた僕としては「インタビューなんて出来ないんじゃないの」と考えながら読んだものだ。ところがどっこい、いたってマトモなのである。そうとうに準備しているフシもある。三島由紀夫もそうだったが、野坂もいきなり本題に食らいつく。

野坂 福田さんは自民党内でタカ派といわれるようですね。
福田 タカどころか、ハトのほうだよ。タカ派だなんて新聞が書くだけでね。

 と、福田赳夫にのっけから訊くのだが、見をかわされると、内容をガラッと変える。ここが三島由紀夫にはないところ。野坂は福田赳夫へ「ご趣味は、なんですか」と転じる。けれどまたすぐに「なぜこんなに物価が上がっていくのか。かりに福田さんが、ご自分だったらこうする、というご意見があるならば、伺いたいと思います」と入っていく。この前に自分の家庭の話、キャベツの値上がりのことを言うのだけど、そういう、庶民感覚を前に出したすっとぼけが持ち味だ。
 大島渚へポカッとやったあの印象が強いのだけど、野坂昭如は偽装的な聞き手である。石原慎太郎へのインタビューだと、石原より右寄りの発言をポンポン出す。

野坂 ぼくの考えをいうと、いまの自衛隊なんて、外国との軍事力と比較の上で考えると、あってなきにひとしい。軍備なんて中途半端なことをやったってしょうがないんで、極端なことをいえば、なくしてしまうか、核装備をするか。イチかバチかという日本人的発想かもわからないけれども、むかし軍国少年だったぼくは、そう考えるんです。

野坂 ぼくのあの程度(筆者注・自衛隊の重火器などを指す)のものは、持っても無意味であると考えるんです。

 野坂は「丸腰でいいじゃないか」と持論を言わず、逆説的に「核装備」を提案する。これに当時の石原慎太郎は、核装備が時代的にそぐわないと反対する。彼が核保有を唱えている現在から見えると奇妙なやり取りが成立するのだ。もっとも、核の平和利用を積極的に進める発言は相変わらずなのだが。野坂は石原がまるで左派的考えがあるような発言を引き出していく。一種の誘導尋問のプロのようだ。企業への締め付けを厳しくしろ、農村を助けて自給率を上げろと言う野坂の発言に福田は「農村はね、わたしは国が援助しなけりゃやっていけないと思っとるんです」と返す。

野坂 どんどん援助すればいいんです。
福田 どんどんはできない。できないちゅうのはなね、国の財政ちゅうものがあるからだが、ですね。それより農村の生産性を上げる。それを政府が助けてやる。(以下略) 

 右のような偽装的な発言(挑発ではない。あくまで持論をぶっているように相手に信じさせるところがあるのだ)は作家相手でも変わらない。

野坂 ぼくの神戸を見る目は、神戸感傷旅行みたいな感じが強くてね、ある意味では、パリよりももっと旅行者的にしか、神戸を見てないかもしれないんです。

 神戸に生活して四年目になる田辺聖子に対して、旅行者を演じてみせる。しかし、あくまで偽装なので、早々に正体を明かしてしまうこともある。その前に、この旅行者を装った結果に引き出した田辺聖子の言葉。

田辺 わたし、神戸へ来てね、いちばん感じたのは、子どもたちの言葉に敬語がないのね。大阪弁は「......はる」をつけるのが敬語でしょ。「先生が言うてはる」とかいうけどね、神戸では「言うとった」「しとった」。漁師言葉だから荒っぽいのね。
 でも神戸は住みやすいですよ。若い人たち、たくさんいますし、若い人向けの店が多いけど、そんな中に中年層がまざっていて、あんまり違和感がないんですね。
 大阪はすごく熱気がギラギラしてて、われわれ中年者はついていけないところがあるんですけどね、神戸はいいですよ。だから、京都で学問して、大阪でおカネもうけて、神戸で使うというのが、阪神人の理想なんです。

 と、何気ない神戸と大阪話を展開させておいて、関西圏の風土と生活の愉しみ方をあっさりと引き出してしまうのである。

■偽装の聞き手と練達者の対話

 しかし、この偽装尋問者にも壁が立ちはだかる。それは吉行淳之介である。偽装が効かないこの相手は冒頭から違う。

吉行 きょうはね、ぼくは気がラクだなあ。野坂と何度も対談したけど、全部ぼくがホストだった。楽しくお酒が飲める。(笑い)
野坂 ぼくはまた、きのうから妙に気が重くって、どうしてだろうと思ってました。
吉行 いいもんだね、ゲストって。ホストをやってると、食ってる料理の味がわからないね。微妙な味はわからない。

 僕は「そうだったんだやっぱりな」と吉行の発言で思う。次の鑑賞篇で考察する吉行淳之介だが、どんなにノンシャランな対談でも、彼の訊き方・応答にはあるトーンの緊張感が継続していて、こんなキツいことをしていて疲れないのかと心配したほどだった。
 瑣末なことだが「微妙な」味はホントにわからない。美味い、不味いは分かるんだけども、インタビューで飲んだり食べたりしたものの印象は覚えていないものだ。ゲストだったひとに、その時のケーキの味を言われたことがあったが、たった数日前なのに僕は答えられなかった。ケーキすら食べたことを失念していた。インタビューとは対話内容以外を忘れさせる、記憶喪失装置なのかと感じる。
 吉行との話題は野坂に委ねられ、困りながらまず四十の中だるみの話を野坂は選択する。
 
吉行 あれは二年くらいで済みます。でも、あんた、そんな質問する立場じゃない。もう四十をいくつも越したんだから。
野坂 四十を越して、まだたるんでるというのは、もうダメですか。
吉行 ダメだね。もう精神的に生きるしかないよ。(大いに笑う)

 いきなり吉行に翻弄され、困ってしまう。仕方なしに野坂は痴漢話を振ってその場を逃げる。これを受けて吉行は手など使わずに痴漢する名人級、超能力的人物がいると話をして場を救ってあげるのだ。

野坂 近眼の男がお嬢さんとピンポンやってたら、お嬢さんのガーターが落ちるんですね。近眼の男は腕時計が落ちたかと思って、あわてて拾ってあげると、まあ、この人、スケベエって怒られる。(後略)
吉行 ちょっと待ってください。それは非常に難しい問題ですよ。かなり分析していかなくちゃ。......あんた、ヘンに深刻な顔になったね。(笑い)

 このように野坂が話題を出すと、それにおっかぶせて困らせる。そして話題を困らせた当人が広げてやるという事態が現出する。

吉行 こんな会話をしてると、ほんとうの老年は怒るよ。ぼくは谷崎潤一郎の書いたような老人、手足が不自由になったり、舌が回らなくなったりしても、性欲だけは強いという、ああいうじじいになりたいね。どうも自信はないけど。

 などのリップサービスをし、最終的にこの対談をまとめてしまうのだ。この熟達の話者相手に白旗を上げた状態の野坂だが、実はやはり偽装していたのだろう。そう、生まれながらのトークホストと言っていい吉行淳之介を迎えて、話を聞き出そうとしても無理だ。無理なら自分のコーナーを明け渡して、己の性的悩み相談会にしてしまえ、と。キックボクシングもやっただけに野坂は巧い戦い方をした。
 生まれながらの聞き出し上手はいる。まともにやると自分のことを喋らされ、インタビューにならない。そういう場合は、徹底的に自分のことを語り、相手に応じさせ、それを再構成するしかない。野坂は吉行に対してそれをやった。以後他の本で、小沢昭一や永六輔など相手に喋るときも、野坂は城を明け渡して、ゲストにホストをやらせて凌ぐ対応をすることになる。相手がどう出るかを感じ取って融通無碍に対応すること。偽装するだけではない野坂のインタビュー方法は有効だ。