第2回 坂本香料に、ミキサードリンクの起源を聞きにいく 〈前編〉

3.「梅割り」のおこり

 おりしも、大正7(1918)年にはじまった米騒動のために、米を原料にしない酒が待望されていました。大正10(1921)年、理化学研究所が、アルコール濃度を落としたホワイトリカーに、ぶどう糖、水あめ、コハク酸やグルタミン酸ソーダなどの合成調味料を混ぜるだけの、合成酒(理研酒)の開発に成功。日本酒を米から醸造・熟成する必要がなくなった、画期的な発明といわれました。

 第一次大戦の終結とともに再びダブついたアルコールは、新式焼酎だけでなく、合成酒や、後に述べる模造・混成ウイスキーの原料にも使われたのです。

 ちなみに、戦争の影響ではじまったイミテーション酒は、戦後どころか現在にいたるまでアルコール添加という形式で続いています。ホワイトリカーは清酒や国産ウイスキーから、甘味ワインやデンキブラン、甲類焼酎、いま人気のビール風アルコール飲料、酎ハイ、サワーまで、あらゆる酒に混ぜられ、日本の酒文化を大きく変えてしまいました。今では、アルコール添加されていない酒は鋭いキレがなく、物足りないと感じてしまうほどに、私達の舌が慣らされてしまっています。

kud203-2.jpg
kud203-1.jpg
梅割り
(Photo by Shibasaki)
 庶民がストレートでホワイトリカーを飲むとき、口当りやエチル臭をやわらげ、しかも量を増やし原価も落とせる一石二鳥のアイデアが「梅割り」「ブドウ割り」でした。もちろん、梅やブドウといっても、果汁の入らない合成シロップです。今回、坂本香料に見せていただいた資料の中に、次のような記録を見つけました。

 「焼酎を割って飲むということは、既に大正時代から中小清涼飲料業者が「梅割り」「ぶどう割り」等として、焼酎を割る飲料を提供していたのであります」(全国清涼飲料工業組合連合会・全国清涼飲料協同組合連合会「しょうちゅう(焼酎)割り用飲料の分野に関する要望書」昭和59年4月28日)

 堤野会長の回想では「梅割り、ブドウ割りのシロップは、下谷竜泉寺(台東区竜泉)の天羽飲料で製造されたのがはしりではないか」とのこと。今はなき『ダカーポ』誌(2005年6月15日号)の取材によれば、天羽飲料は大正5(1916)年に洋酒問屋としてスタートし、天羽は大正末期にウメやブドウの割り液を開発、ヒットしたとあります。

 梅割り、ブドウ割りは、ホワイトリカーの普及とともに誕生したことがわかりました。したがって、割り材のルーツは大正期の中小清涼飲料メーカーにあるといえるでしょう。

« 前のページ | 次のページ »