第2回 坂本香料に、ミキサードリンクの起源を聞きにいく 〈前編〉

4.敗戦と「梅割り」の復活

 戦時中は、アルコール生産のほとんどが、軍用に振り向けられます。アルコールは、日中戦争以後、不足がちのガソリンの代用品として、航空燃料用に増産されます。この、ガソリンやメチル(木精)が混ぜられた変成アルコールが、ヤミ市に流れました。

 穂積忠彦・著『呑んべえが語る酒学入門』によると「ガソリン入りのアルコールは、水でうすめるとガソリンが上に浮いてくる。あたためながら火をつけると、ガソリンが燃えてほぼ消える。かくして出来た酒はバクダンと呼ばれた」

 鈴木博・前掲書によると、「燃料用アルコールを水で割っただけの「酒」が戦後の闇市を席巻した。この「酒」こそバクダンにほかならず、メチル中毒禍をもたらし、世の呑兵衛どもを恐怖のどん底にたたき落とした元凶であった」

 メチルが混ざったままの「バクダン」を飲むと、少量なら視神経をやられて失明、多量だと死にいたります。小説家の武田麟太郎ほか、多数の被害者が出ました。『焼酎の事典』によると、昭和21(1946)年のメチル中毒者は2453名で、その75%強の人が死亡したとあります。

 旧軍の物資が細ってくると、次に登場したのは「カストリ」です。『アサヒグラフ』昭和22年6月18日号「カストリ全盛時代」によれば「昨年(1946年)の秋ごろから突如として現われたこの飲料。値段の割に利きがよいのと中毒はないというのですっかり人気が出た」

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カストリ
(「朝日歴史写真ライブラリー 戦争と庶民1940-1949 第4巻」朝日新聞社より )
 これは前出の酒かすを蒸留する粕取り焼酎とは全く別物で、手製の密造酒のこと。穂積忠彦の前掲書によれば、朝鮮半島出身の人々が戦後、都市近郊のコミュニティで、ドブロクを自家製単式蒸留機にかけた密造焼酎をつくり、ヤミ市に流したそうです。東京では「深川、足立、世田谷、杉並、蒲田など十指に余る密造地帯があって、月間製造量3百石」(前出・『焼酎礼讃』)とされます。

 この、バクダンとカストリの時代に、質の悪い焼酎を飲みやすくするため、梅割り、ブドウ割りが復活します。堤野会長によると、作る側も多様だったようです。

 「天羽さんがひとり舞台でやっていたところに、戦後、三桜工業(現・自動車部品メーカー)という軍の仕事を失った電気メーカーが参入しました。梅割りブドウ割りのシロップは、清涼飲料メーカーでない、地方の素人のかたもやっていたんです。それから原料がなかったお酒の会社も。そのくらい爆発的に出ていました。ガラナで有名な北海道の株式会社小原さん、ここも梅割りブドウ割りが出発点なんです。都内ですと天羽さん、神田食品(研究所)さんが中心となって業界を引っ張っておられましたね」

 消費する側はどうだったか。「浅草の馬券売り場のあたりで、梅割り、ブドウ割りがずいぶん出ていたように記憶しています。新橋や新宿でも、ありました。みんな屋台でした」とのこと。

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正ちゃん
(台東区浅草2-7-13)
 戦後ひょうたん池のほとりで屋台を出し、現在は馬券場裏に店を構える『正ちゃん』2代目主人の高島文雄さんに取材したところ、当時はやはり焼酎の梅割り、ブドウ割りがメインで、炭酸割りは後になってから、という証言が得られました。

 同様の証言は、文献にも見つかります。「(新宿の)しょんべん横丁で一番飲まれていたのは梅割りだったようだ。梅割りはもっとひどい品質のカストリ・バクダンの時代に、舌を刺すような味をごまかすために」あった。(津村喬『焼酎偏愛』)

 「屋台ののれんをくぐると、そこには焼酎の一升びんと梅割り用の梅液(梅のエッセンスと酸味料でにおいと味をつけた甘酸っぱいシロップ)と、ブドウ割り用のブドウ液(同じくブドウの人造シロップ)があった」(穂積忠彦『ほろ酔いの美学』)

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