第2回 坂本香料に、ミキサードリンクの起源を聞きにいく 〈前編〉

5.官許の悪酒「チュー」

 1949年になると、酒類の販売統制と原料甘藷の統制が撤廃され、ようやく自由競争の時代に入ります。工場でまともに生産された甲類焼酎が出回り、「第二次焼酎ブーム」が到来。この年株式上場を果たした宝酒造は、半期3億1000万円の法人所得をあげ、8割の株式配当を行い、世間を驚かせました。甲類の生産量は1955年まで微増を続けます。

 もっとも、大嶋幸治・著『問題の酒 本物の酒』によると、昭和20年代当時の甲類焼酎の評判は散々だったということです。ニコヨン(1949年、東京都の失業対策事業で日雇い労働の定額日給を100円2枚と10円4枚の240円に決めたことに由来する言葉)の時代、「ビールは1瓶120円、日本酒の2級酒は一升瓶で約570円したのに対し、甲類は一升300~400円。1合が30~40円で飲めたため、『貧乏人のシンボル』的なお酒だった」

 『週刊朝日』の「ロータリー」というコラム記事(1951年6月9日号)によれば、「官許の悪酒「チュー」をして如何に飲み易くするか? ということこそ現代酒徒が日夜脳ショウをしぼるところ。サイダーに割る。ブドウ酒をまぜてみる。オレンジ粉をブチ込む。ドブロクとかきまぜ、いわゆるドブ割----(そして)「梅ワリ」...この素、単なるシロップにして一升280円也。...御丁寧にプラム・ジュースと銘打ってあるが大方----香料、薬品、サッカリンをかきまぜたやつ。...このイカモノを十対一の割でチューに割る。チューと同じ値段で売るから薄めただけ確実に利益。官許悪酒のアルコール臭も消え口当りが良くなるから客がヤタラに飲む」

 焼酎の悪いイメージが、よく伝わってきます。昭和30年代、物資が豊かになり、清酒やビール、そしてウイスキーが流通すると、敗戦直後、あれほど渇望した焼酎から、多くの人は離れていきました。

 酒税法のおかげで、「乙類」と規定された九州の本格焼酎がまともに評価されるのは、ずっと後、「第三次焼酎ブーム」の1970年代後半を待たねばなりません。甲類焼酎がサワー類の伴侶として爆発的人気を得るのも70年代末から80年代にかけてであり、焼酎の「冬の時代」は長く続いたのです。

(前篇 了)

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