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4月16日(月)

吉野万理子『ドラマデイズ』(角川書店)の中に、ヒロインが鎌倉名物の「鳩サブレー」で有名な豊島屋本店にいく場面が出てくる。私は、その「鳩サブレー」が鎌倉名物であることも知らなかったのだが、そこでは豊島屋オリジナル商品で、本店限定発売のボールペンを売っているという。ボールペンの上に飾りがついていて、それが陶器の白い鳩。その部分は取り外すことが出来る。ようするに、ボールペンと白い鳩にわかれ、その鳩を後ろに少し引っ張ってから手を離すと、鳩には車輪がついているから、ミニカーみたいに、びゅびゅ~と走っていくのである。商品名は「ハトカー」。                                  
小説の中にはさまざまな小道具が登場するから、気にしている暇はないのだが、その少し先に社の人間から、「このボールペン、面白い。どこで売ってるの」と声をかけられたり、あるいはもっと先に「鎌倉を二人で散策して、ハトカーを買ったあの頃から変わっていない」という文章が出てくるので、妙に印象に残るのである。
本屋大賞のパーティの夜に、ずっと以前に本の雑誌でアルバイトしていたH君と会ったとき、このハトカーの話をしたのは、H君の実家が鎌倉で雑貨店を経営していて、彼がその後を継いだからである。つまりH君は鎌倉の住人だ。「ハトカーって知ってる?」と尋ねると、豊島屋はもちろん知っていても、彼はハトカーまでは知らなかった。
それだけの話なのだが、数日たってからそのハトカーをH君が送ってくれたのである。包みが届いたので何だろうと思ったら、「小鳩豆楽マグネット」とか、鳩のストラップとかが入っていて、「ハトカー」ももちろんありました。持ってみると意外に重い。もう一つ、走るシャープペン「流鏑馬」というのもあり、こちらはシャープペンの先に、矢を持った鳩が乗っている馬がついている。その馬を取り外して、少し後ろに引っ張ると馬が走り出す仕組みだ。H君が豊島屋本店に行って、買ってくれたようだ。
実はH君と会ったとき、そういえば鎌倉の鳩サブレーの店で鳩のおもちゃが付いた特製ボールペンを売っているんだよ、そういう話を最近なにかの小説で読んだんだ。何だっけなあという話をしただけで、それがどの小説だったのか、その時点で私にはわからなかった。ハトカーの印象は強くても、書名までは覚えていなかったのである。私がそんなことを覚えているわけがない。いや、自慢しているわけじゃないんだけど。で、H君から「ハトカー」が届き、豊島屋本店の人に尋ねても、うちの店がどんな小説に出てきたのかわからないと言っていましたとあったので、これは調べなければなと思ったのである。
吉田伸子にメールすると「それは『ドラマデイズ』です!」とすぐさま返事。すごいなあ、すぐにわかるんだ。ふーん。で、書棚からその本を取り出して、この日記を書くために読み返したのである。
ボールペンやシャープペンを使う機会はめったにないのだが、原稿を書きながら、ちょっとつまるとそのボールペンの先についているハトカーを外して、机の上でびゅっと走らせたりしているのである。いや、それだけの話なんだけど。

4月12日(木)

 杉江の日記を読んでいたら、赤坂のランダムウォークで「帰らない男たちフェア」をやっていると出ていた。何なんだその「帰らない男たち」って、と思ったら、そこに私の『笹塚日記』も並んでいるというからびっくり。壇一雄、ケルアック、西村賢太らの作品と『笹塚日記』が並ぶのでは、杉江が爆笑するのも無理はない。

 拙著をフェアの一冊に選んでくれたランダムウォークには足を向けて寝ることが出来ないが、しかし私、「帰らない」のではないのだ。杉江は「帰らない男」ではなく、「帰れない男」もしくは「帰る機会を失った男」だと書いていたが、そうでもない。

「帰らない」でも「帰れない」でも、どちらにしても、彷徨というニュアンスがある。前者には強い意思が、後者には流されていくニュアンスがあるものの、彷徨というイメージでは共通している。ところが私の場合、彷徨というニュアンスはまったくない。

 私、「帰らない」と決めていたわけではない。「帰れない」わけでもなかった。笹塚のビルの4階でずっと本を読んでいると、動くのが面倒になるのだ。同じところにずっといたほうが読書ははかどるのである。電車の中でも本は読めるけれど、駅まで歩いたり、切符を買ったりするのは面倒くさい。で、はっと気がつくと5年。いや、その前の、社に泊り込んでいた20年を入れれば25年があっという間に過ぎていた。ただ、それだけである。

 だから、彷徨のまったく逆、むしろ定住型といっていい。手の届くところにたくさんの本があり、原稿を書く環境が整っていれば、そこにずっといたいのである。移動するのは面倒なのだ。それがたまたま会社であったり、社のビルの最上階だっただけだ。私にすれば、「動かない男」であっただけ、という思いがある。家人にしてみれば、たしかに「帰ってこない男」ではあっただろうから、その言い方でも間違いではないのだが。

 したがって町田暮らしが始まると、今度はそこから動くのが面倒になってくる。人の性格はそんなに簡単には変わらない。自宅から歩いて5分のところにある仕事場に行くと、もうそこにずっといたいのである。手の届くところに本はたくさんあるし、原稿を書く環境は整っているし、メールのやりとりも出来るなら、他に行く必要はない。新宿や神田に出かけていくのが面倒くさくなるのだ。ようするに、本に囲まれていさえすれば、笹塚でも町田でも、どこでもいいのだ。つまり、「帰らない男」が自宅に帰ったのではなく、動くのが面倒な人間がその居場所を笹塚から町田に変えただけなのである。

 笹塚を離れて、社員諸君と無駄話も出来なくなったことはたしかに淋しいが、そのくらいは仕方のないことだ。男の子なんだから我慢しなければならない。以前なら新刊を探しに、新宿や神田にすぐ出かけていったけれど、それが遠くなったことは不便でもある。そういう変化は確実にあり、以前のほうがよかったよなあと思わないでもないが、まあそれも仕方ない。

 困るのは、スポーツ新聞も週末以外には買わなくなったので、それに自宅のテレビはサッカーしかやっていないので、世の中で何が起きているか、わからないことだ。いや、以前もそうだったんだけど。笹塚にいたときは杉江がこまめに新刊の情報を教えてくれてとてもありがたかったが、こちらの仕事場にいると、どんな新刊が出ているのかわからないのがいちばん困る。週に一度は仕方なく、新宿や神田に出かけていくが、どこの書店にも新刊が山のように積まれていて、いやあ都会はすごいなあとため息が出てくる。

 きのうは吉川英治文学賞のパーティで、出席するつもりだったのだが、仕事が押して欠席。行きたかったなあ。そうか。以前よりも業界のパーティに積極的に出席するつもりになっているのは、やっぱり町田に引っ込んで淋しくなっているからなのだろうか。

 でも、たったいま、待ちに待ったゲラ2本が送られてきて、それをこれから読むのである。きっと傑作に違いない、と思っただけで胸が躍ってくる。いやあ、きっとすごいぜ。とまあ、今日も町田の1日が始まるのである。

4月6日(金)

 きのうの本屋大賞のパーティは大混雑で、会場で会う予定だった編集者の方に会えず。ずっと以前に本の雑誌でアルバイトしていたH君と会場近くのラウンジで会う。彼も四十六歳になったという。遅い春がめぐってきて、H君はこの春めでたく結婚するのだ。お相手の方を紹介される。

 この日は、リチャード、モーガン『ブロークン・エンジェル』(アスペクト)の刊行記念打ち上げが青山一丁目の某レストランであり、というよりも本屋大賞が信濃町の明治記念館だったので、アスペクトのN氏が、明治記念館から移動に便利な青山一丁目の店にしてくれたのかもしれないが、そちらに急ぐ。

 その本の巻末に解説を書いた関係で、打ち上げの会に私も呼ばれたわけだが、訳者の田口俊樹氏とは競馬友達でもあるから、酒もおいしい。N氏の同僚と田口俊樹氏の昔の教え子も同席して、その店の2階でさまざまな話をしながらグラスを傾けていたら、ふと見ると、新潮社のT中N夫が立っている。「なんで、ここにいるんですか」「お前こそ、どうしてここにいるんだよ」。T中N夫は、ついさっきまで、明治記念館の本屋大賞のパーティにいたのである。いや、私もいたんだけど。でもその会場をあとにして、まったく別の店にきたから、まさかそこで旧知の人と会うとは思ってもいなかった。

 本屋大賞を受賞した佐藤多佳子さんを囲む会が、その店の1階で開かれていたとは知らなかった。T中N夫はトイレを探して、私たちの席のそばに迷い込み、それで時ならぬ遭遇をしたのだった。さっそく1階に降りていくと、佐藤多佳子さんがいて、筑摩書房のM田T夫氏や講談社のK氏、さらに多くの書店員氏らがいる。

 で、そちらの席について、佐藤多佳子さんが帰られてからも話し込み、おいしい酒を飲んだのだった。最近の小説について、某文学賞について、ああだこうだと話していると時間はあっという間に過ぎていって、とても楽しい夜だった。

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