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5月28日(月)

 ダービーが終わると、もう夏競馬の始まりだなと思う。実際は、春競馬があと数週残っているのだが、春の祭典が終わるとなんだか一区切りついたような気がするのだ。それにしても、週末はあっという間に終わってしまった。

 ダービーの前々日に、武蔵美の通信教育のスクーリングの授業が年に一回あり、その授業を受け持つようになってもう5年ほどになる。毎年、S教授から1ヵ月ほど前に連絡がくるのだが、そうするとそろそろダービーなのかと思うようになっている。

 武蔵美短大の生活デザイン学科の非常勤講師になったのはもう20年以上前のことだ。最初の10年は国分寺の学校まで行っていた。月に一度、土曜の午後の授業を受け持ったのだが、ちょうど競馬を休んでいたころだ。その間、一年だけ大教室で講義したことがあるが、後ろのほうの生徒がべちゃくちゃ話して気になったことを覚えている。それに懲りて翌年からまた小教室の授業に戻してもらったが、ようするにS教授の担当のコマに、月に一度だけ私がゲスト講義者に呼ばれたということだ。その関係がずっと続いている。

 競馬を再開してからは土曜に体が空かなくなったので、授業は木曜にしてもらった。最後の7〜8年は、専攻科の生徒5〜6人を相手にするゼミのようなものの担当になったので、毎週木曜に本の雑誌社まできてもらい、奥の応接室で授業をした。この間は、街に飛び出してさまざまなレポートを作成してくるという課題を出したので、なかなか面白かった。そのころの成果は、本の雑誌に「活字探検隊報告」として掲載してある。

 武蔵美短大が閉校になり、S教授が通信教育の責任者となったので、年に一度だけスクーリングの授業に行くようになったのは5年ほど前からだ。最初の2年は吉祥寺まで行っていたが、その教室が新宿に移って、ここ3年は大変に便利になった。S教授の定年まであと2年は私もつきあうことになっている。

 郵便物がたまっていますよと杉江からメールがきたので、新宿まで出ていくのなら授業の前に寄ってみようと先週の金曜日、本の雑誌社に足を運んだ。スーツ姿の私を見て、「なんですかその恰好は」と杉江。「スクーリングの授業なんだよ」と言うと、「あっ、僕、去年連れていかれました」。途端に思い出した。昨年のこの日、新宿に出る前に1階に降りると、ちょうど営業に出ようとしていた杉江とばったり会い、出版流通の最前線にいる彼に少し話してもらえば面白いなとひらめき、営業の前にちょっとつきあえよと連れて行ったのである。

 で、数十分、日頃感じていることを彼に話してもらったのだが、そのことをすっかり忘れていた。君も忙しいだろうに、ホントにすまない。「じゃあ、今年も来てくれる?」「今日はだめです」。そうだよな。

 しかし彼に来てもらえばよかったなと思ったのは、用意していたレジメを最初の45分で全部話してしまったときだ。私も一応はレジメを用意していくのである。スクーリングの授業は午後1時45分から3時半までが第1部。10分の休憩のあと、五時半までが第2部。ところが私、早口なのである。第1部のために用意していたレジメを全部消化してふと時計を見ると、まだ2時半。おいおい、もう全部喋っちゃったぞ。あと1時間もあるぞ。

 ずいぶん前、埼玉の公民館から講演の依頼があったときも同じようなことがあった。2時間の依頼なのに、最初の30分で用意していたレジメを全部消化してしまったのである。あのときは焦った。すみません、ちょっと休憩させてくださいと頼んで控室に戻り、あわてて後半のレジメを作ったことがある。

 まあこの日もなんとか悪戦苦闘してスクーリングの授業を終え、外に出ると通勤帰りの人の波。これから長い週末が始まるんだなとそのときは少しだけ胸が弾んだものだが、気がつくとあっという間に週末が終わっていて、今日は月曜日なのである。何があったんだこの週末?

5月14日(月)

 きのうは渋谷のロッキング・オンでサイト誌の対談。大森望・豊崎由美『文学賞メッタ斬り! 2007年版 受賞作はありません編』(パルコ)が机の上に置いてあったので(例のシリーズ第3弾だ)、「あれ、これ、オレに送ってくれてないの?」と大森望に尋ねると、「送ったはずだけどなあ」。でも少し前に書店で見かけたんだけど、まだ届いてないよと言うと、サイト誌のTさんが「じゃあ、これをどうぞ」。それを手に井の頭線で明大前に出て、京王線に乗り換えて笹塚へ。ずっと読んでいく。笹塚駅から本の雑誌社までも歩きながら読む。

 明大前の下りホームが広くなっていて、しかも途中に出口が出来ていたり、笹塚10号坂商店街のパン屋さんが中華屋さんになっていたりと、へーっ、いろいろ変わっているんだなと思ったものの、『文学賞メッタ斬り!』を読むのに忙しく、ゆっくりそれらの変化を観察している暇がない。

 実は私、大森望の本を全部読んでいる。彼とは好みがまったく異なるので、彼が選んで翻訳した小説はわからないことが多いのだが、エッセイというか書評集というか、その手のものは全部読んでいる。これまでいちばん面白かったのは、『特盛! SF翻訳講座』(研究社)だ。

 この『文学賞メッタ斬り! 2007年版 受賞作はありません編』も、純文学に触れたところはそちら方面に無関心の私にはよくわからないのだが、それでも面白いのは、この二人に芸があるからだろう。だから読み始めるとやめられなくなる。

 本の雑誌社に行くと、思ったよりも郵便物が溜まってない。私の住所が変更したことにそろそろ気がついてくれたのでしょうか。浜田と雑談していたら杉江が帰社してきて、そのうちに浜本を戻ってきた。みんな、忙しそうだ。いいなあそういうの。

 また『文学賞メッタ斬り! 2007年版 受賞作はありません編』を読みながら笹塚駅まで戻り、新宿に出て、小田急線に乗る。ちょうど夕方のラッシュにぶつかったので、電車はすごい混雑だ。私、ラッシュの電車に乗るのは20年ぶりくらい。すごいんですね。なんとか吊り革につかまる位置を確保して、片手で本をめくり、ずっと読んでいく。新百合ヶ丘で各駅に乗り換え、玉川学園前で降りると、あと20ページ。そこから家までは暗い道が続くので歩いて読むのは不可能だ。じゃあ、ここで読んでいこうと駅のベンチに座って最後の20ページを読む。

 結局、渋谷→笹塚→新宿→玉川学園で読了してしまったが、一冊の本を作るには多大な労力がかかっているだろうに、こんなに短い時間で読んでしまって、ホントに申し訳ない。まあ、それだけ面白かったということだから、いいか。

5月10日(木)

 昨日は久々に新宿に出た。文春の某雑誌編集部に勤務するK嬢に喫茶店でレクチャー。彼女が担当することになった特集について、基礎知識を話すものの、よく聞いてみると全然違う角度から特集を組むらしい。役に立たない話を延々として、ホントに申し訳ない。

 そのあとは割烹中嶋へ。新潮文庫『14歳の本棚』が全3巻で完結し、その打ち上げ飲み会だ。S氏とK氏とM嬢。食事のあとは犀門で遅くまで呑む。楽しい酒だ。

 ところで、中央競馬は東京競馬場で年間5開催行われる。1開催が8日間なので(今年から少しだけ変則になったのだが、そういう細かなことにはここで触れないことにする)、年間で40日と思っていただければいい。この間、2〜3日は行かないことがあるが、大半の日は東京競馬場に行く。

 中山競馬場でも年間5開催行われるが、中山は遠いので本場に行くのは半分のみ。あとはエクセル伊勢佐木とかの場外や、あるいは東京競馬場に行く。開催していない東京競馬場でも馬券を売っているのである。中山開催時に東京競馬場に行くのは半分の20日くらいだろう。

 残りの3開催は夏競馬だ。毎年3回(つまり6日間)は現地に行くので、残りの18日間は場外で馬券を買うことになる。PATで買うこともあるので、この間、東京競馬場に赴くのはだいたい12日間くらい。つまり、38+20+12で、年間70日は東京競馬場に通っていることになる。

 ようするに、開催していても、開催していなくても、東京競馬場に行っているのだが、私と同じような人が多いから、たとえ開催していなくても、いつも東京競馬場は混んでいる。昔のようなブームは過ぎたので、ひところよりは空いているが、それでもあちこちで怒号が飛び交い、馬券が舞い、そういう中に身を置くと、いつもほっとするものを覚えるのである。

 一昨日、生まれて初めて平日の東京競馬場に行った。土曜の朝5時半から「週刊フジテレビ批評」という番組があり、その収録に呼ばれたのである。競馬番組をテーマにする回のゲストというわけだ。

 フジテレビの競馬中継のスタジオが9階にあり、そこで収録したのだが、下のコースを見下ろすと、誰もいない競馬場が静かにひろがっていて、緑の芝がとても綺麗だった。下の階に降りていくと、当たり前なのだが、誰一人として歩いている人もなく、これが競馬場のスタンドとは信じられないくらい静かだった。年間70日は東京競馬場に行くとはいっても、それは週末だけで、平日に行ったことはないから、驚いてしまった。いつもはこんなに静まり返っているのか。

 東京競馬場は7年かかった改修工事が終わり、この4月にグランドオープンしたばかりなのだが、その立派なスタンドは、客の姿がないとこれが競馬場とは思えないほど絢爛豪華で、劇場かホテルを歩いているような気分なのである。ここで毎週、悲喜こもごものドラマが繰り広げられているのだと思うと、なんだか不思議な気持ちだった。

 今回の収録分は今週末、12日の朝5時半から放映されるという。早朝なので誰も見ていないと思うけれど、ブルーのシャツを着たデブが私です。

5月7日(月)

 上橋菜穂子『精霊の守り人』の冒頭近くに、新ヨゴ皇国の第二皇子チャグムについて、星読博士のシュガが「あれの性は水のはずだ」と呟くシーンがある。そうか、水なんだと途端にこの少年に親近感を持つ。というのは私、「火」なんだそうだ。だからいちばん相性のいいのは「水」で、このチャグムと私はとても相性がいいことになる。

 四柱推命は、生まれた年、月、日、時間によって、生まれながらの運勢を判断するものだが、年、月、日で運勢を占うのが算命学。いや、つい先日教えられたことをここに書いているだけだが。その算命学で占った私の運勢表をNさんから貰ったのである。

 Nさんは漢方薬の会社に勤務する人で、その社のPR誌にコラムを書いている関係で年に数回会う。これまでは笹塚を訪ねてくれたのだが、つい先日、わざわざ町田にきてくれた。で、喫茶店で会ったのだが、「目黒さんの運勢を占ってみました」とその表をくれたのである。

 説明を聞いてもよくわからないことが多く、わかったのは来年と再来年は天中殺に入るので引っ越しとか、そういうことはしないほうがいいということと、頑固なマイペース型であること、火を持っているので水を持っている人と相性がいい、という三点だった。

 不思議なのはその表には百二十歳までの運勢が載っていること。生きるのか百二十歳まで。たぶん、そういうことではないんだろうが、表の見方がまだよくわからない。

 昨年の春、盛岡のオーロパークに行ったとき、日曜の最終レースでT君が枠複5−8を当てたことを思い出す。8枠には人気馬が入っていたからわかるとしても、5枠は人気薄である。レースが終わってから、どうして5枠を買ったのか聞いてみると、競馬雑誌の占い欄に、T君のその週のラッキーカラーが黄色と書いてあったのだという。黄色というのは5枠なんですね。それでマイナスを一気に取り戻したんだから、いやはや。

 T君は普段、運勢欄はまったく見ない。たまたま最終レースまで負け続けて、すがる気持ちでその運勢欄を思い出したのだろう。信じる者は救われる、のである。年が明けてからT君は厄年に突入して、ずっと絶不調が続いている。厄年のときはギャンブルなどに勝たないほうがいいよと会うたびに慰めているのだが、本人は納得してない様子。いや、ホントなんだから。私の後輩に、たった2段の階段を踏み外して、顔から地面に激突し、歯を追って血だらけになった男がいるが、あれも彼の厄年だった。

 ところが私、厄年でもないのにずっと絶不調で、運勢表を手にNさんに聞いてしまった。「あの、競馬で勝つにはどうしたらいいのか、出てませんか」。冗談ではなく、真剣な質問だったのだが、「そういうのは」とNさんは困った表情だった。無理かそういうの。 まあ、チャグムと相性がいいことはわかったので、いいとしよう。2007年のゴールデンウィークは、こうして「守り人」シリーズ全10巻読了とともに終わったのである。

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