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6月26日(火)

 それにしても客商売の人はすごい。先月、池上冬樹に連れられて新宿の酒場に行き、10数人で呑んで帰ろうとしたら、そこの店主が「目黒さん、10年ほど前に一度来ましたよね」とそのときに一緒だった人の名前まで言うのである。つまり私はその店に10年ほど前に一度だけ連れられて行ったことがあるのだが、そういう客のことまで覚えているのだからびっくり。そういえば、太田トクヤの店で働いていたI氏がずいぶん前に、「一度来た客のことはすべて覚えている」と言ったことがある。すごいよなあ。

 昨日はまた午前2時まで呑んでしまった。先月から某MM誌で座談会をやっていて、昨日はその第2回目。出席者は、私と池上冬樹、シンポ教授と羽田誌津子の四人。終わってから某H書房のK嬢とY氏、N嬢とT氏で打ち上げ。新宿の池林房に移動して、そこに祥伝社のY氏や、本の雑誌の浜田もやってきて、飲み続ける。翌日が日本推理作家協会賞の受賞式だから、今日はこのへんでお開きにしようというわけで午前2時に散会したが、みなさん酒が強い。一晩寝ても私はまだ酒が残っていて、二日酔いだ。先月は翌日の夕方まで酒が残っていて、仕事にならなかったが、今月もピンチ。今週は締め切りがつまっているのだが、大丈夫か。

 午後2時に、玉川学園の喫茶店へ。「週刊フジTV批評」にまた出演することになり、その打ち合わせ。今度は競馬ではなく、本について。収録は13日、放送は21日だという。例によって、本と読書について、好き勝手にだあーっと喋る。しかしこんなにあっちに飛んだりこっちに飛んだりする話で、台本が無事出来るのか。

 仕事場に戻って読書。酒が残っているので気分が悪いが、本を開くと少しずつその気分が癒されていく。TBSラジオのH氏より電話。今週のテキスト決め。夕方までひたすら読み続ける。日本推理作家協会の授賞式にも出たかったのだが、こんなに締め切りがつまっているのでは無理というものだ。最近は人恋しくて、こういう機会に都会に出て、いろんな人といろんな話をしたいのだが、いいんだもう。晩飯までひたすら読み続ける。

6月14日(木)

 月曜日に探していた新刊とは、アメリカ古典大衆小説コレクションの一冊、オーエン・ウィスター『ヴアージニアン』(平石貴樹訳/松柏社)だ。これは20世紀初頭に書かれたもので、ウェスタン小説の古典とされている。吉野仁の日記を読んでいたら、この本が出たと書いてあったので、あわてて探しに行ったのである。

 松柏社の「アメリカ古典大衆小説コレクション」は、その創刊に狂喜した叢書である。こういう企画を待っていたのである。しかもそのラインアップに『ヴアージニアン』が入っているとは嬉しい。ところがこの叢書は、2003年に最初の2巻が刊行されたかと思うと、次の配本はなんと3年後の昨年だった。『ボロ着のディック』と『酒場での十夜』が刊行されたのは昨年の3月である。おいおい、3年おきなのかよ。このペースでは完結するまで何年かかるんだ。こういうのは確実に刊行してくれればそれだけでありがたいので、遅くなってもいいのだが、書店に行くたびにアメリカ文学コーナーを覗いても、次の配本は影もかたちもなく、やっぱりあと3年待たなければならないのかとうなだれて帰途に着くのが習慣になっていた。オレが生きているうちに完結するんだろうか。

 それが出たというのだから、これは大変と気が焦るのも当然である。で、飯田橋の書店を覗いてから、新宿の紀伊國屋南店と本店、ジュンク堂をまわったのである。ところがまったく『ヴアージニアン』はないのだ。ロバート・B・パーカー『アパルーサの決闘』(山本博訳/早川書房)がちょうど社に届いたばかりだったので、ウェスタンのブームがきて、みんながもう買っちゃったんじゃないかとまで思った。『アパルーサの決闘』は『ガンマンの伝説』に続くウェスタン小説なのである。それまで人気のなかったジャンルに突然火がつくということはあるよな。

 この日は時間がなく、神田にまわるのは後日にしようと帰ってきたが、念のために吉野仁の日記をまた読み返すと、出たとはどこにも書いていないことに気づいた。「どれだけ待ち続けたことか」と書いてあるだけだ。買ったとか、書店で見た、とは書いていない。松柏社のホームページに飛んでみると、7月上旬発売ときちんと書いてある。吉野仁は、その松柏社の刊行案内を見て、「どれだけ待ち続けたことか」と書いたんですね。私の早とちりであった。

 実は私、その『ヴアージニアン』を読んでいる。この小説は過去に翻訳されたことがあるのだ。『冒険小説論』を書いていたとき、ウェスタンの古典とされているこの小説をどうしても読まなければならず、原書を買ってきたものの語学力に自信のない私には読めず、困っていたときによしだまさし氏が翻訳本を貸してくれたのである。だからそのときに読んでいる。にもかかわらず、松柏社の『ヴアージニアン』を欲しいのは、「アメリカ古典大衆小説コレクション」を揃えたいことと、新訳でまた読みたいからでもある。そのときにお借りした本は、出版協同から出た翻訳本だったような気がするが、実はまだその本をよしだ氏に返却していない。

 あれからずっと気になってはいるのだが、引っ越しを2度したのでどこにあるのかわからなくなっている。絶対にどこかにはある。その確信はある。紛失していないし、お借りした本だからもちろん処分もしていない。実は昨年購入した「アメリカ古典大衆小説コレクション」の『ボロ着のディック』と『酒場での十夜』も、どこの書棚にあるのか、皆目見当がつかないのだ。どこに行ったんだ。こういうことはよしだ氏に直接謝罪すべきことなのかもしれないが、いい機会なのでこの場でお詫びしたい。あなたにお借りした本は間違いなくどこかにはあるのです。でもどこにあるのかわからないのです。ホントに申し訳ありません。時間を見つけて捜し出しますので、なにとぞご容赦を。

6月12日(火)

 郵便物が溜まってますよ、と杉江からメールを貰ったので、きのうは久しぶりに本の雑誌社に行った。「目黒さん、こないだ飲み屋で私のこと、ヘンなふうに言ったでしょ」といきなり浜田が話しかけてくる。えっ、覚えてないんだけど、何か言ったかなあ。それにどうして筒抜けなんだ?「でね、聞いてくださいよ。今日は休刊日?って聞いたんですよ。そうしたら、杉ぴょんが、お前が呑もうが呑むまいが、オレは関係ないって」。つまり杉江の耳には「休肝日」って聞こえたわけですね。本の雑誌社は相変わらず穏やかなようである。

 新宿のコインロッカーに荷物を置いてから飯田橋へ。まだ時間があったので、書店で本を物色。高島俊男『座右の名文』(文春新書)が目にとまる。私はこの人のファンなのだが、即購入したのはまえがきを立ち読みしたら、数年前に本の雑誌に書いた「私のオールタイムベストテン」がきっかけとなってこの本が生まれたと書いてあったからでもある。その「私のオールタイムベストテン」では、実質的に十人のうち最初の二人の話をしただけで紙幅いっぱいになってしまい、それを読んだ文春の編集者が、十人全部についてもうすこしゆっくり話をして本一冊にしましょうと言ってきたのだという。そういう経緯の本なら読まなければならない。

 高島俊男さんの本を最初に読んだのは『水滸伝と日本人』で、それ一発でファンになってしまった。それ以来、大半の本を読んでいると思う。『座右の名文』の中に、essayは現在の日本語のエッセイとは違って、研究者や知識人がなんらかのテーマをもうけて一般知識人むけにわかりやすく興味深く書いた文章、小論文とでもいうようなものだ、というくだりが出てくるが、この言葉を借りれば、高島俊男さんの文章こそ、まさしくessayなのである。

 たとえば本書の冒頭、新井白石の項に、『折りたく柴の記』は日本最初の自伝だったというくだりがある。それ以前には第三者の書く伝記はあっても、自分で伝記を書く習慣はなかったという。ではなぜ、新井白石は自分で伝記を書いたのか。白石は将軍の家庭教師にとどまらず、政治顧問として外交、財政、司法と広範囲な活躍をしたが、家宣、家継が死んだあと、江戸城から追われ、不遇の晩年を過ごしたからだと高島さんは書いている。自分が徳川幕府のために、あるいは日本の国のためにこういう立派な有益な仕事をした、こんな業績をのこしたという記述が全体の三分の二以上を占めているのは、誰も自分のことを書いてくれないだろうから、だったら自分で書くしかないということだったらしい。いまの新宿あたり(当時は畑ばかり)に居をかまえるも訪ねてくる者は誰もいず、淋しい晩年だったようだ。『折りたく柴の記』はそういう日々の中で書かれたのである。

 あるいは津田左右吉の項では早稲田に関する記述が興味深い。明治時代の中学校は四月に始まって三月におわる。高等学校と大学は、九月から七月が一年度で、理想に燃える若者は地方の中学を三月に出ると、誰もがすぐ東京に出て、しばらく予備校に通って勉強し、七月の高等学校の入学試験をうけて、合格すると九月から一年生になる。

 面白いのはこの先だ。商売上手な早稲田は、この学校制度をうまく利用して入学生をつのったというのである。

 「四月から一年生にしてやるから、まず早稲田に入れ。そうすれば八月までのあいだに一年分の授業をするから、同級生が高等学校の1年生になる九月には、うちでは二年生になれますよ、というわけである。一年もうけるわけだ。三月に中学を出た者は、半年後にはもうはや二年生になれる。そういう売り文句で、お客さんを集めた」

 書かれてあることもこのように興味深いが、高島さんの文章はわかりやすいので、ついつい読みふけってしまう。遅い昼食を食べながら読み続け、所用を終えて新宿に戻る電車の中でも読み、とうとう車中で読了してしまった。

 新宿の紀伊國屋書店南店に行き、新刊を探索し、目当てのものがなかったので数冊購入してからジュンク堂にまわるがここにもなく、仕方なくこの日は帰ってきたが、探していた新刊が何だったのかについては、またの機会にする。

 あ、そうだ。自宅に戻って書棚を見たら、『座右の名文』があったことも書いておかなければならない。送っていただいたことをすっかり失念していたのだった。書店で手に取ったとき、どこかで見たことのある本だなあと思っていたのだが、まさか自分の書棚にあったとは。

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