9月20日(木)

 携帯電話の裏側のフタのようなものが気がつくと取れていて、いくら探しても見つからない。仕方ないので町田のドコモショップに行く。

「ここが取れちゃって見つからないんだけど、この部分だけを買うって出来るの? 幾らくらい?」

 と店員氏に尋ねると、

「400円ですね。在庫があるかどうか見てきますので、しばらくお待ちください」

 と奥に消えていく。400円とは安い。ところが戻ってくると、

「それは古い機種なので、もう部品の在庫はないみたいですね」

 おやおや。仕方ないので機種変更することにした。いまのやつは三年前に東京競馬場の帰りに突然府中のドコモショップに飛び込んで機種変したものだ。そろそろ替え時かも。しかし、それではこちらへ、と窓口に案内されて、ふと不吉な予感がよぎった。

 というのは、数年前、笹塚駅前の某銀行で、何かを申し込むことになり(何だっけなあ)、その説明を窓口で受けたら、係の女性が何を言っているのか、さっぱり理解できなかったことがあるからだ。

 困ったのは、「ちょっと待ってください。こういう場合はどうなりますか」とこちらが聞きたいことを尋ねても、さきほどと同じ説明を繰り返すだけ。その説明でわからなかったから再度尋ねているんで、それなのに同じ説明をするとは信じられない。それではマニュアルに書いてあることを読んでいるに等しい。

 そのとき思い出したのは、WEB本の雑誌を立ち上げたときの打ち合わせだった。そのころはまだ発行人だったので、私も打ち合わせに立ち会ったのだが、WEBのデザインと管理をする会社の青年の説明を聞いても、何がなんだかさっぱりわからなかった。浜本の顔を見ると彼も理解できないようで、困ってしまった。これでは前途多難である。WEB本の雑誌なんて、やっぱり無理だったのか。

 するとそのとき、WEBデザイン会社の青年が、私と浜本の表情を見て、まったく違う説明を始めたのである。専門用語を使わずに、私たちにも理解できるような表現で、私たちがいちばん知りたかったことを説明してくれたのである。

 この青年は頭がいい、と思わず感服してしまった。私と浜本の表情を見て、パソコンの知識がまったくないと判断したのだろう。そういう相手に専門用語を駆使しても意味はない。瞬間的にそう判断したものと思われる。迷わずにすぐ、違う説明を開始したところに、この青年の柔軟性と頭の良さがある。

 この青年に比べ、笹塚駅前の某銀行の窓口嬢は、目の前の客が理解していないということがわからず、いや、どうしてこんなことが理解できないのかという表情を浮かべ、上から目線で同じ説明を繰り返すのである。客と同じ視線になることが出来ないのである。現場の最前線でばりばり仕事をしているつもりになっているのかもしれないが、それではだめなんだぜお嬢さん。

 それを注意するほど親切ではないので、結局そのときは、また出直しますと引き上げてきたのだが、だから年寄りは困るんだという彼女の表情に、実はちょっとだけ傷ついた。で、町田のドコモショップで窓口に案内されたとき、また同じようなことがあったらイヤだな、と思ったのである。

 幸いにも私に理解できる範囲の説明だったので、それは杞憂だったけれど、帰宅していざ操作しようとすると、具体的な操作がわからないことだらけ。それまで使っていたものとは違う会社の機種なので、基本的な操作がわからないのだ。特にメールの打ち方がわからない。濁点はどこを押せばいいんだ! いろいろ触っているうちに、トップ画面にヘンなマークが出て、その消し方がわからないし、やっぱり私、困った年寄り?

 携帯メールは競馬場にいるときしか使わず、その相手も仙台にいる馬友だけだから、彼に直接言えばいいのだが、しばらくの間、予想が送れないかもしれないけれど、そこんとこよろしく。

9月18日(火)

 最近は週に一度しか外出しない。なんだか雨の日が多く、こうなると面倒になるのだ。雨の日は家でおとなしく本を読んでいたい。先週は珍しく、週に二度、外出したが、最初は水曜日。次が金曜日。金曜は久しぶりに晴れたので、たまっている郵便物を取りに本の雑誌社まで行ったのだが、ここは水曜の話。サタデーウェイティングバーというFM番組の収録だ。この番組はもう十五年も続いていて、私はこの十年ほど、出ている。とはいっても、収録は年に一度。そこで5〜6本とって、テーマにあった週に放送されるという仕組み。いや、一度も聞いたことがないのでよくは知らないのだが。

 その番組を制作している某プロダクションのスタジオが昔は恵比寿にあったので、笹塚から通ったが、そのスタジオが最近、大井町線の九品仏に引っ越し。笹塚からなら遠くなるが、私も町田に引っ越したので、意外と近い。町田から横浜線で長津田へ、そこで田園都市線に乗り換えて二子玉川へ。そこで大井町線に乗り換えという手順だが、九品仏までは四十五分。二度乗り換えのわりには近い。

 その九品仏に降りた途端に、年に一度じゃなくて今年はもう二度目の収録だと気がついたが、駅を降りるとすぐに淨真寺というお寺があり、もっと昔のことを思い出した。まだ『本の雑誌』を始める前、椎名と北アフリカに行こうと約束して、せっせと貯金していたのに椎名の都合で行けなくなり、せっかく貯金したんだからとインドに行ったことがあった。どこかの大学の先生が引率して、名所旧跡をまわるツアーだ。暮れから正月にかけて2週間、北インドをまわるツアーだったが、帰国後に8ミリ映写会があった。参加者の一人が8ミリで撮ったフィルムを希望者が集まって観るという会で、そのとき、この九品仏近くのお寺にきたのだ。ということは、この淨真寺だったのか。8ミリで撮ってくれた人がお寺に務めるお坊さんで、そこで上映会もお寺で行ったのだが、私の記憶に間違いがなければ、そのお寺は九品仏から歩いてすぐのお寺だった。

 どうして今年の春に、この駅に降りたときには思い出さなかったのか不思議だが、九品仏という駅名を見た途端に、古い記憶が蘇ってきた。淨真寺以外にも、この駅の近くにお寺さんがあるのかもしれないから、断言は出来ないのだが、なんだかこのお寺さんのような気がする。もう三五年前の話なので、すべては漠とした記憶の彼方にあるが、そうだ、思い出した。その上映会が終わったあと、私は少しだけ気落ちして駅に戻ったのだ。彼女が来るかなと思ったのにその姿がなかったからだ。「『ふたりのロッテ』と草森紳一」というエッセイを、私は『本の雑誌』の1993年9月号に書いているが(現在は、角川文庫『酒と家庭は読書の敵だ』に収録)、若かった私に、エーリッヒ・ケストナー『ふたりのロッテ』をすすめてくれたのが、彼女である。当時はまだ大学に通っていた。彼女もインド・ツアー参加者の一人で、8ミリ上映会にやってくるかなと思っていたのに、その日、彼女はやってこなかった。だから、少しだけ気落ちして駅まで戻った。その日のことを突然思い出す。今なら、宮本輝『流転の海』の主人公松坂熊吾のように、「なにがどうあろうと、たいしたことはありゃせん」と思うところだが、そんな些細なことに感情が揺れ動いていたころの話である。

9月7日(金)

多摩に住んでいる友人から誘われて、きのう、彼の家の近所にあるスパに行った。台風が関東に接近していて、その日の夜半には直撃するという日だったので、がらがらかと思ったら、予想していたよりも客がいる。その大半は老人と中年女性だったが、こんな雨の中をやってくる客がいるとは意外だった。

そのスパは高台にあるので、風呂に入ると、晴れた日なら新宿から八王子までが一望できるらしい。見晴らしのいい風呂なのである。もっともこの日は雨だったので、全体的に曇っていたから、何にも見えず。風呂の外では、上のほうから膨大な水(湯?)がどどーっと流れ落ちていたので、すごいなこの温泉、と言うと、「あれは雨水だよ」と友人。ふーん。

実は私、温泉が苦手である。旅打ちに行くときも「温泉に泊まろうよ」という競馬友達の言に首を振り、いつもビジネスホテルにしているくらいだ。それにだいたい、温泉は競馬場から遠い。近くのビジネスホテルに泊まるのがいちばんいい。いつだったか、福島競馬場に行ったとき、飯坂温泉の宿を競馬友達が素早く予約したので反対できず、仕方なくそこの宿に泊まることにしたが、予約した本人の到着が遅く、仕方なく何度も風呂に入っているうちに、のぼせてしまったことがある。この日も、15分もはいっていると、もうだめで、あとは二階の中華レストランでビール。

温泉が苦手なのにスパに行ったのは、彼としばらく逢っていなかったからだ。彼は近くの大学で教えている身で、ただいま夏休みなのである。私はずっと夏休みのようなもんだから、こうして平日の午後、スパで会えるのは嬉しい。古い友人と逢うのはいい。余計な話もせず、揺れる木々を見ながらビールを飲み、数時間でスパをあとにした。別れ際に、中国帰りの彼が、お土産にTシャツをくれた。北京オリンピックのTシャツだという。もう売ってるようだ。しかしXXLだというのだ。お前なあ、私がいくらデブでも、XXLはないだろ。「いや、中国のは小さいから」。本当かなあ。家に帰ってから、そのTシャツを出してみると、本当にぴったり。私がXXLの人間にはなったのではない。中国のTシャツのサイズは小さい、ということを強調しておく。