WEB本の雑誌

« 2002年2月 | 2002年3月 | 2002年4月 »

3月29日(金)

 帰宅途中、乗換駅の南浦和駅にちょうど到着したところで、僕のほとんど鳴らない携帯電話が鳴り出した。タイミングが良いなと思いつつ、着信画面を確認すると、実家からであった。その時点で僕はある覚悟をし、そして怖々通話ボタンを押した。

「お母さんだけど…」
いつもの威勢はどこへいってしまったのかと思うほど、沈んだ声だった。そして声になるうちに用件を伝えようと一気に話し、電話は一方的に切れた。
「小鉄が死んじゃった。」


 数ヶ月前から、間もなく「その日」が訪れることはわかっていた。心の準備もしていたし、なるべく多く会っておこうと毎週実家に帰ってもいた。医者にも友達にも、20年も生きる猫がいるかと言われ、もう大往生だとも言われていた。何度も何度も「大往生」という言葉で納得しようとした。それにいくらか人生経験も積んだし、悲しみには強くなっていると考えていた。

 それなのに、駅のホームで自然と涙が溢れ、拭っても拭っても涙はこぼれ落ちた。周りの人達が不思議にそうに僕を見つめ、思わず僕は大きな声で「小鉄が死んじゃったんだよ」と叫びそうになった。

 大雨の降るなか実家に向かって車を飛ばした。陽気なロックをカーステレオに突っ込み、ボリュームを上げてみたけれど、落ち込んだ気持ちが浮上することはなかった。いくらワイパーを動かしても、視界は通らない。曇っていたのは、僕の目だった。よく無事に実家に着いたなと、今、思う。


 実家の玄関をあけ、飛び込むようにいつも小鉄が寝ていた和室に入った。
 日に日にやせ細った身体を丸め、大好きなバスケットのなかで毛布にくるまれ、目をつぶり、そしてまるで寝ているかのような安らかな死を、小鉄は受け入れていた。先週までと何ら変わりがないように思えたが、もういくら声をかけても、撫でてみても起きる気配はない。

 死に絶えた小鉄の身体に僕の涙がこぼれ落ちた。今までだったら、そんなくちゃくちゃな顔の僕を不思議そうに見つめ、そしてざらざら舌で、なめてくれたのに、もう小鉄が顔を上げることはなかった。

「お母さんが仕事から帰ってきたら死んでたの。ここ2週間、ほとんどご飯も食べられなかったし、2階にも上がって来れなくなっていたから、一緒にここで寝てたのよ。もう悲しくて悲しくて、お母さん一緒に死にたいよ…」涙ながらに母親は語った。僕は、死んでしまった小鉄を撫でながら、「おめえが、死んだって仕方ないだろう」と答えるのが精一杯だった。

 小鉄はやっぱり僕らの家族だった。僕や兄にとっては、遅れてきた弟であり、母親にとっては、いつまでも自立していかない可愛い可愛い最後に残された息子だった。そして父親にとっても、口答えしない息子であり、誰にとっても無二の親友であった。

「お父さんさあ、会社を独立してしばらく、金のこと仕事のことを考えるとつらくてつらくて仕方なかったんだ。でもそんなこと誰にも言えないし、もちろん息子達には話せないだろう。そんなとき帰ってくると玄関にちょこんと座って小鉄が待っていてくれて、もうそれだけで、心が癒されたよ。みんなが寝てから小鉄を撫でて、その日あったことを酒を飲みながら話していたんだ。」

 それは家族全員にとって同じことだった。母親だって、父親の独立でかけられた苦労を小鉄に話し、日に日にグレて心を開かなくなった僕のことを愚痴っていた。兄や僕だって、ツライことや楽しかったことを小鉄に話し、部決でレギュラーになれたときは、小鉄を抱きかかえて喜んだ。小鉄はまるで神父さんのように毎晩順番に部屋を徘徊し、それぞれの言葉に耳を傾けてくれたのだ。

 その小鉄が、死んでしまった。

 母親は何度も何度も僕に向かって、
「ねえ、本当に死んでるの? まだ暖かいんじゃない? ねぇ動くんじゃない?」と言った。
 しかし、小鉄はもう息もしていなければ、鼓動も聞こえない。そしてジワジワと硬直し始めた身体は、枯れ枝のように堅くなっていた。


 土曜日、庭に深い穴を掘った。
 小鉄を埋め、花と大好きだったかまぼこを添えた。
 そして最後に深く深く、感謝の言葉をかけた。

「20年間、ほんとにありがとう。」

 誰もそこから動けなかった。

3月28日(木)

 朝、出社してみると、僕の机の上に3枚のCDが置かれていた。それは
『WISH YOU WERE HERE』PINK FLOYD
『AS DECADE OF HITS(1969-1979)』THE ALLMAN BROTHERS BAND
『HARD RAIN』BOB DYLAN
であった。きっと発行人の浜本の物だろう。

 僕の机は、社内で一番窓際にある。その配置に意味があるのかどうかはちょっとわからないが、とにかくその窓際にCDプレイヤーが置いてあるため、誰かが何かの曲を聴きたいときは僕の机に座ることとなる。金子は先端の音楽を聴き、浜田はセンチメンタルな音楽を好む。

 浜本は仕事に息詰まると、自分が青春時代に聴いていたであろう音楽をかける。昨日は『本の雑誌』5月号の下版前日というこで、かなり切羽詰まった様子だった。きっと徹夜仕事になったのだろう。

 僕は、机の上に置いてあった3枚のCDを見つめながら、果たして一体、深夜に浜本はどんな気持ちでこれらの歌を聴いていたのかを想像した。

 たぶん楽しかった学生時代を想いだし、そして今のつらさを忘れようとしたのではないか。浜本にしてみれば、出世欲もないまま、何気なく仕事をしているうちに、いつの間にか勤めていた出版社の発行人になってしまったのだ。発行人というのは普通の会社でいえば、社長である。責任は山のように増え、そのプレッシャーは計り知れない。そして我が社には、椎名と目黒という大きな壁がある。だからこそ読者の期待も大きい。浜本は前発行人目黒という壁に何度もぶつかり跳ね返され、また立ち上がって挑むしかないのだ。

 浜本が発行人となるとき、僕たちはそれぞれ呼び出された。
「あのさ、僕の下で働いてくれる? 目黒さんや椎名さんみたいに魅力もないし、給料も今までどおり悪いけど…」
と自信なさげな顔で質問されたのだ。
「何を言っているんですか。やりますよ、やります。僕らにしか出来ない『本の雑誌』を作りましょうよ」
と僕は答えたのだ。いつも僕は口だけなんだけど…。

 朝からそんな日のことを思い出してしまった。ガンバレ!浜本!

3月27日(水)

 不意の再会ほど驚くことはないし、またその相手が常々どうしているか気になっていた相手なら、これほど喜ばしいこともない。そんな幸運な瞬間が、本日の営業で訪れた。

 それは吉祥寺のP書店さんを訪問したときのことだった。文芸担当のNさんがお休みだったため、ぶらぶらと棚を徘徊していた。そして文庫の棚に辿り着いたときだった。作業をしている書店員さんにそっと会釈をしようかと思ったが、その棚の差し方に見覚えがあった。本の持ち方というか、棚への入れ方というか、そういうものに書店員さんの癖がでる。

 あれ?と考えていたら、その書店員さんが顔を上げた。その顔を確認し、僕は息を飲んだ。なんと目の前にいる書店員さんが、かつて笹塚K書店にいたTさんだったのだ。そう、本の雑誌にも一度登場願った「オレ棚」のTさんである。思わず迷惑を顧みず、大きな声で呼びかけてしまった。

「いや~、本の雑誌社に直接挨拶に伺おうと思っていたんですよ」
で始まった再会の言葉。結局そのままこの間の空白を埋めるかのように30分近くも喋り通してしまった。Tさん、いろいろな業界へ転職を繰り返したもののどうもしっくり来なかったとのことで、最終的に一番大好きな本の世界へ逆戻りしてしまったと笑う。僕はとにかくTさんに再会できたことがうれしくて、「もう辞めないで下さい」と釘を刺す。これからまたTさんの棚が見られるのかと考えただけで楽しくなってしまった。

「期待してますよ」と声をかけると
「まだ、入って間もないので難しいですけど、徐々に面白いフェアやなんか組んで行こうと思ってます」とその意気込みを語ってくれた。

 Tさんとお会い出来なくなって以来の2年間。仕事を辞めなくて良かったなあとしみじみ感じた。あとは、同じ笹塚店にいらっしゃって、今は本部で仕事をされているSさんが売場に戻って来てくれる日を、ただただ祈るばかり。

3月26日(火)

 本日は新規店2店を見学がてら営業に出かける。その2店とは、下北沢のS書店と渋谷のK書店である。まずは下北沢から。

 駅前の大丸ピーコックの3FにできたS書店。入ってまず驚いたのが、平台ではなく棚だった。なんと一番目につくであろうエスカレータ前の棚が心理・宗教・歴史書などといったいわゆる人文書だったのだ。たいてい書店さんのメインの棚というのは、雑誌あるいは話題の文芸書かビジネス書で構成されていることが多いので、これにはちょっとビックリ。もしかしてこの近くにそちら方面に強い学校でもあるのだろうか?

 疑問を持ちつつ、店内をひと回り。下北沢らしく演劇の棚が多く取られていたり、また学参もかなりの棚数になっている。ああ、コミックとゲームのコーナも大きいな。ぐるぐる棚を見ているうちにもうひとつ大きなことに気づく。それは、やけにお客さんの年齢層が高いということだ。

 このお店が出店されると聞いたとき、多くの関係者が下北沢=若者が集う場所というイメージを持ったと思う。だから売れ筋も渋谷や新宿などにあるP書店やA書店に似てくるのではないかと、僕は考えていた。もちろんそれは一部で正解で、この日も駅前に多くの若者がたむろっていた。

 ところが、いざオープンした店内にいるのは、妙に年齢層が高いお客さん。たぶんビルのテナント(1Fはスーパー)の関係なんだろうと思いつつ、既に高田馬場店でお世話になっていた担当のTさんに話を伺う。

「そうなんですよ、予想以上に年齢層が高くて、オープン数日の売れ方を見ていると渋い本を買っていかれるお客さんが多いですね。夕方になると下でお買い物をして、ネギや大根をビニール袋に下げたお客さんがいっぱい来るんです」

 うーん、もしかすると、もしかして、ここS書店さんは、基本的に地元のお客さんが主になるのではないか。下北沢と言っても駅前を離れれば完全な住宅街。多くの住民が住んでいるのは間違いなく、なるほど、なるほどとひとり合点した。

 きっとこのS書店さんはこれからどんどんそのニーズに合わせ、商品構成を変えていくのだろう。Tさんがどんな棚に変えていくのか楽しみに思いつつ、次なる新規店渋谷のK書店へ移動する。


 京王井の頭線渋谷駅の真下にオープンしたK書店さん。こちらは改札口周辺で、イベントコンパニオンを使っての大々的なアピール。これはかなり力の入れようだ。駅からすぐのお店に入るといきなりこちらでも驚く。

 このK書店さん、1Fが狭く、地下が広いという変わった店舗なのだが、その狭い方の1Fが映画専門の棚になっているではないか! 映画関係の書籍はもちろん、パンフやビデオなどもドーンと置いてある。これはちょっと面白い展開になるのではないか。

 ワクワクしながら下へ降りていくと、今日オープンがウソのような落ちつき。あっ、これはお客さんがいないというわけではなく、棚や平台に乗っている本がしっかりセレクトされているということ。たいていお店のオープン時期というのはバタバタしてしまって、新刊の補充が追いつかなかったり、埋め合わせの本が平台に乗っていたりするものなのだけれど、こちらは余程手を入れた様子で、ずーっと前からオープンしていたお店のようなしっかりした状態なのだ。

 顔見知りの営業マンがいたので、そのことを話すと同感だった様子で、「すごいですよね」の感嘆のお言葉。さすが、業界屈指の凄腕書店員Aさんがいらっしゃるお店ですねと僕も頷く。

 客層は他の渋谷の書店さんに比べると男性客が多いような気がした。これは渋谷の書店さんがしっかり住み分けできるかもしれない良い傾向か…。

 そしてこのK書店さんで何よりも驚いたのが、接客の良さである。「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」の基本はもちろん、本が見つからないお客さんに対し、しっかり丁寧な言葉で棚前まで案内している。そして最後にこう言葉をかけていた。「もしまた何かご不明な点がございましたら、お声をおかけ下さい」と。それが決してマニュアル言葉ではなく、心から出てきた言葉のように僕は感じた。これだけしっかり接客していたら、きっとリピーターが増えるだろう。

 担当のAさんに挨拶しようと思ったが、オープン初日であまりに忙しそうなので、そのままお店を後にした。2店とも今後どのような展開をしていくのか、非常に楽しみだ。

3月25日(月)

 山下書店社長山下重之氏がお亡くなりになり、浜本とふたりその葬儀に参列。

 僕は冠婚葬祭の立ち居振る舞いでその人の人生経験の豊富さがわかる…と考えているのだけれど、僕自身は完全にまだまだといった感じだ。ご焼香の順番を待ちながら、前の人のやり方を真似しなければとそのことばかり気になってしまう。ところがその前の人というのが発行人の浜本で、どうも浜本もこういう場に慣れていない様子でキョロキョロしているのだ。手本がこれでは困るのだとイライラしているうちに、僕の番となり、やっぱりぎこちないご焼香になってしまった。きっと周りの人にそんなぎこちなさが伝わっているはずで、恥ずかしい。

 こんなことばかり気にしていたので、しっかりとご冥福をお祈りすることができず、情けない限り。何だか、ここまでの文章自体もこういうときに使用される正しい日本語になっていないようで、さらに恥の上塗りをしているような気がする。まあ、誤魔化しようない現実だから仕方ないだろう。

 さて、山下書店さんというのは、本の雑誌社にとって恩人的な書店さんである。顧問目黒の名著『本の雑誌風雲録』のなかでは触れられていないが、酒席で聞いた話によると、この社長さんにはとてつもないほどお世話になったそうなのだ。それはこんな話だった。

「あのね、まだ『本の雑誌』を作り出してすぐの頃、新宿の山下書店に営業に行ったんだ。そしたら、担当者がたまたま知っていてくれて、どうにか置きたいって話になったの。でも、その頃はまだ<直>雑誌だったから、置くということは書店さんにとって経理的な面倒が一杯出てくるんだよ。毎号毎号精算して現金で支払っていくわけだから。それでも、店員さんは置きたいって言ってくれて、社長に相談してみましょうって、社長さんを呼んで来てくれたわけ。そんで、じっと僕と店員さんの話を聞いていた社長が最後に言うのさ、『置こう』って。すごいうれしくて10冊にしますか? 20冊くらいにしますか?って質問したんだけど、そしたらさ、全支店分って言うんで驚いちゃったんだ。」

 そんな話を聞いていたので、僕は山下社長に初めてお会いしたとき深々とお辞儀をした。すると社長さんは独特のダミ声で
「目黒くんや椎名くんの下でいっぱい勉強しなさい。そして頑張りなさい」と声をかけてくれた。その頃、まだ、僕は本の雑誌社に入社して間もない頃で不安だらけだったから、この言葉はものすごく心の響いた。

 その後はほとんどお会いすることが出来なかったけれど、山下書店さんの各店を訪問しているうちに、そのオーラを存分に感じるられることが出来た。

 たいていお店や企業というものは、支店を出していくうちに、何となく経営者の心意気が届かなくなるものだ。ところが、この山下書店さんはどのお店を訪問しても同じカラーが漂っている。それは、本が好きだということ、本をしっかり売ろうということ、そしてそんなことを含めもっと大切な、書店人としてのプライドを持って働いているということだった。こんな息づかいが、店員さん誰もから感じられるお店はそうそうないと思う。

 各店の担当者さんに山下社長の話を聞いてみると、ちょっとうるさくて大変なんですよなんてニュアンスな愚痴も聞こえて来るが、その根底に流れている社長さんへの大きな想いがこちらにも伝わってくるほどで、そんな話を聞くのが僕は大好きだった。こんなに血の通った会社があるのか…とときには涙を流すほど心温まる話もあった。

 そうそう、大事なことを忘れていた。

 書店さんは現在POSシステムを導入するお店が増えている。それは、売上や在庫管理を容易にするシステムであるが、ひとつの弊害としてそれに頼ってしまって人が育たなくなる可能性を秘めている。そのことを危惧していた山下社長は、断固として導入を拒んでいた。このことだけでも、その書店人としての姿勢が伝わるのではないだろうか。

 僕が見聞きした山下社長のイメージは、まさに書店職人であり、そして最後まで現役を貫いた立派な書店人である。山下書店の現在の社員の方々にも、その血は脈々と流れ続けていると僕は感じている。

 深く深くご冥福をお祈り致します。

3月22日(金)

 引越のためお休みを頂くが、夜、卒業助っ人の送別会があり、それには絶対参加しようと考えていた。

 ところが、引越代をケチり、フリー便というのにしたのが失敗の元。遅れに遅れ午後4時から始まった搬出の結果、すべての荷物が新しい部屋に入り終わったのが、夜の9時に。送別会会場の池林房電話をしてみると、そろそろ1次会が終わる頃だという。ああ、大失態。

 吉田さん、宇津野さん、中村さん、送別会に一番お世話になったのが僕なのに参加できなくてごめんね。

 これから社会人となり、いろいろと大変だろうけれど、学生時代には体験できないほど面白いことや楽しいこともいっぱいあるから頑張ってね。どうしても、ツライときが来たら、本の雑誌社に連絡してね。ここにはもっとツライけれど、楽しく働いているバカどもがいっぱいいるから。今度は同じ立場でお酒を飲もう。

 とにかく、長い間、ありがとう。

3月20日(水)

 夜、とある出版社の方からお誘い頂いた飲み会に出席する。
 それはJ出版社の営業Kさんの退職と、その後任Mさんの送別会&歓迎会のようなものだった。僕自身Kさんと数度しかお会いしたことがなく、またMさんとはまったく面識がなかった。だから本当に出席しても良いのか、ちょっと気が引けていた。

 当日、その場にやってきたメンバーを見てさらに腰が引ける。なんとY書店系列の多くの文芸担当者がズラズラと並んでいるのだ。それぞれ各店でお会いしているとはいえ、仕事以外のつき合いなんてまったくない。もちろん飲み会で同席したことすらないのだ。どうしたらいいんだ…とちょっと逃げ出したい気持ちになる。

 そしてその周りを囲む10社近くの出版営業マン。それがほとんど仕事の枠を越えた人間関係を築いていて、書店さん、営業マンともにとても砕けたフランクな場になっているのだ。なかにはお子さんを連れてきた書店員さんもいるほどで、話を聞けば、かつてから横浜をテリトリーとする営業が集まり、このような会が催されていたとか。思わずそんな敏腕営業マンに脱帽し、尊敬の眼差しを向けてしまった。すごいもんだ。

 こういう集まりにせっかく出席できたのだから、それぞれに挨拶をし、顔を売るのがきっと営業マン本来の姿なのだろう。しかし、そうは思いつつも、何だか腰が動かない。そういうことを嫌らしく感じてしまう自分もいて、しばし自問自答の戦いをしていた。こちらは情けないダメ営業マンだ。

 すると厚木店でお世話になっているSさんが逆に近寄って来てくれて
「杉江さんと飲んだことなかったですよね、今日は杉江さんとサッカーの話と本の話を存分にしようと思って」と優しい言葉をかけてくださる。Sさんがサンフレッチェサポだということを先月訪問した際に聞いていたが、そんな深い話はしたことがなかった。

 その後は、もう顔を売るなんてことはすっかり忘れてしまって一段とダメ営業マン化していく。なぜなら僕が唯一話せる話題のふたつ、サッカーと本の話で良いならいくらでも盛り上がれるのだ。Sさんが話すレッズの弱点には素直に頷き、それぞれのお薦め本を手帳にメモし合う。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、特に浦和までの帰路が遠い僕は一足先に失礼せざるえない。結局、顔は売れなかったなあと心のなかで反省していたところ、Sさんから一言頂く。

「こんなに本の話ができて、うれしかったですよ」

 僕にとって、これ以上の誉め言葉は、きっとないだろう。営業としてはダメだろうけれど、まあ、それでも良いやと開き直って、ニコニコしながら、夜でもまったく人出の絶えない繁華街を抜け、横浜駅へ向かった。

3月19日(火)

 事務の浜田にケツを叩かれ、遅れていた書店さん向けDM『本の雑誌通信』を製作。あっという間に、A4両面分を作り上げ「オレって天才でしょう?」と自慢してみるが、「それだったらあと一週間早く作ってください」と怒られる。確かにその通りだけれど、「でも少し天才でしょ?」としつこく食い下がると、「ハイ、ハイ、天才です、だからとっとと営業に行って下さい」とあっさりあしらわれてしまった。うーん、最近会社の人達は誰も僕を相手にしてくれない。やっぱり嫌われているようなのだ。まあ、僕も会社が嫌いだからこれでおあいこだろうけれど。

 とにかくその後、浜田に言われたとおりすぐさま営業に出かけ、渋谷から山手線各駅停車の旅路。こちらでは、とても暖かく迎えられ、うれしいかぎり。やっぱり書店営業は楽しい。

「絶対会社なんかにいてやるか!」と想いを深めつつ、どうにか一年中直行直帰だけで仕事が進まないか考える。しかしそれではさすがにサラリーマンじゃないよなと思い直す。せめて週に一度くらいの出社で済まないものか…。でも、もしそうしたら、一段と僕が社員であるという認識が薄くなってしまいそうで怖い。ただでさえ、「あれ? いたの?」なんて言われてしまう状況なのだ。

 あっちを取ればこっちを失い、こっちを取ればあっちを失う。サラリーマン生活というのは、想像以上に難しい。いつまで続けられるんだろうか…。

3月18日(月)

 どうしても外せない私用があって、午前中お休みを頂く。実は今週末に引越を控えていて、その打ち合わせや用意でとても忙しい。引っ越しする理由は、しごく簡単で現在住んでいるアパートから、昨年新設された埼玉スタジアムへ通うのにちょっと遠いからだ。今度はもう少し埼玉スタジアムよりで、駒場スタジアムとの延長線上に住もうという発想。あれやこれやと探しながら計測してみた結果、今度住む場所は、駒場スタジアムへ自転車で10分、埼玉スタジアムへは20分という最高の立地。こんな幸せな場所はない。ちなみに駅までは徒歩30分。通勤なんてどうでもいい。

 午後から出社し、ほんやタウンさんへ『恋愛のススメ』の事前予約分を納品に向かう。編集の金子とふたりで持っていこうかと考えていたが、あまりの重さのため助っ人の吉田さんも連れて行く。それでも重い。けれど、こういう疲れは営業マンにとって最高に幸せな疲れ。ご注文頂いた皆様、ありがとうございました。

 ほんやタウン担当のKさんやYさんも予想以上の反響に喜んでくれ「またこういう機会があったらお願いします」と言ってくれた。とてもうれしい、が、調子に乗って、この『炎の営業日誌』のオンデマンド出版というのはどうですか?と提案してみると、「あの、ウエちゃんの第2弾はいつ頃?」と誤魔化されてしまった。こちらはとても悲しい反応…。

 その後は、池袋へ移動し、A書店、L書店、J書店さんと順に訪問。A書店さんでは先月担当Kさんが辞めてしまったので、新担当Mさんにご挨拶。そのMさん、社内用のPHSが何度も鳴り、問い合わせの山。あまりに忙しそうなので、颯爽と退却する。

 続いてL書店のYさんを訪問するが、こちらでも社内用PHSが鳴る。思わず、誰かが僕の営業を邪魔しているんじゃないかと勘ぐってしまったが、もちろんそんな訳はなく、他フロアから本の問い合わせだった。

 僕が書店員だった頃(約10年前)は、問い合わせが入ると大声で担当者を呼んだり、内線を駆使していたっけ。あれはあれで大変だったんだよなと思い出す。それにしても、この時代の進歩は書店員さんにとって幸せなのか、不幸せなのかちょっとわからない。まあ、売り逃しは減るからいいかなとも思うけれど…。

 問い合わせを終えたYさんが「杉江くん、もし何か連絡があったら、これに電話してくれればダイレクトに繋がるから」と電話番号を教えてくれた。これはもしかすると営業マンにとってとても便利な道具なのかもしれないと一瞬考えるが、やっぱり僕はしっかり会って話がしたいな。

3月15日(金)

 『恋愛のススメ』の見本を持って取次店を廻る。御茶ノ水N社の仕入窓口に着いてビックリたまげる。なんと同じような見本出し(新刊交渉)の列がズラリ。いつもだったら多くても10人程度なのに、今日はその倍20人以上が待っているではないか!

 とにかく銀行の窓口のように番号札を取り、しばし待つ。N社の仕入の方々もスピーディーに対応し、どんどん進んでいく。が、次から次へと新しい出版社がやってきて、列が短くなることはない。うーん、こんな光景は今まで見たことがなかったぞ。

 N社をどうにか終え、飯田橋へ移動し、今度はT社。

 おお、こちらもスゴイ…。仕入窓口のスペースから順番待ちの人々があふれ出しているではないか。一体どうしたんだ?

 順番待ちをしながら考えていると、あることに気づいた。そうか、年度末の決算時期を前に各出版社は多量の新刊を発売するのだ。その今年度中ギリギリの搬入受付が、今日あたりなのだろう。

 3月の新刊点数は例年異様に多いと聞く。特に給料日明けを狙った25日前後がピークとなる。それは売れる時期でもあるが、もうひとつ、出版社の売上〆日付近でもある。

 書店さんには捌ききれないほどの新刊が届き、そして、返品となる。返品になる本の一部は、一度も店頭に並べられない、いわゆる、即返である。こんな状況下に、『恋愛のススメ』を発売するのはとてもツライ。大量な送品を前に、一日で変えていかざるえない新刊平台に残れるのか大いに心配だ。

 とにかく悪いのは書店さんではない。このことだけはハッキリしている。書店さんは即返や、数日での返品を喜んでしているわけではない。そうせざるえないからしているだけで、返品処理をしながら、本当はもっと長く売りたいけどと悲しんでいるのだ。販売スペースも販売量も超えた新刊点数の前に、そんなすべての感情を押し殺しているのだ。ちなみに返品を処理するために時間は奪われ、仕事が一向に進まないという。

 本当に、いつまでこんな悪しき習慣を出版社は続けていくのだろうか。いったいどうしたらいいんだろうか?

 書店の皆様、来週はスゴイ量の新刊が送られてくると思います。お身体には、お気をつけ下さい、とお伝えすること以外、僕に出来ることはない…。

3月14日(木)

 N出版社のUさんからとある書店の店長さんを囲んで飲みましょうと連絡が入り、夜の渋谷へ。そういえば、先月バレンタインデーに飲み会をセッティングして大ブーイングを受けたが、本日はホワイトデーだ。こういういわゆるイベント日に飲み会をセッティングする人間が他にもいることがわかり、うれしい限り。

 それにしても、
「書店さんと飲み会に行ってきます」
と会社を出ようとしたところ、いきなり浜本が大声で
「誰?」と聞くではないか。
「○○書店の○○さんですけど。」と素直に答えたら、
「お前、ホワイトデーに二人で飲むんじゃないだろうなあ」とよくわからない不信感。
「N出版社とかS出版社とか営業がいっぱい来るんですよ」
「怪しいなあ」としつこく眉をひそめる。
いったい何なんだ、このおっさんは…。

 さてその飲み会。もちろん二人でなく、7人もの出版営業が店長さんを囲んでいた。ほとんどの方が初顔合わせなので、それぞれ名刺交換をする。その顔ぶれを見つつ、僕はある嫌な予感がした。

 その嫌な予感を確認すべく、一人ずつ年齢を確認していく。すると昭和40年代生まれは僕ともう一人だけだった。他の方々はみんな50年代なのだ。恐る恐る「あの~、40何年ですか?」と最後の質問。その答えは「48年です」だった…。

 今まで多くの飲み会に参加してきた。いつも僕は下っ端の方で、周りを囲む多くの諸先輩方にいろいろと教わってきたのだ。それが普通だと思っていた。それが…。それが…。今日の飲み会では、僕が一番年齢が「上」なのだ。

 強烈なパンチだった。知らないうちに、僕もそういう位置に来てしまっていたのだ、という現実に初めて気づかされた。もし今名刺交換をしている人と同じ会社だったら、僕は先輩として働いている可能性が高い。

 僕は働きだしてから、今まで一度も部下や後輩を持ったことがない。だからいつも当たり前のように一番下だと考えていた。もう、そういう年齢じゃないんだ…。普通の会社だったら、きっともう部下が何人かいるかもしれないんだ。

 何だかわからないけれど、このままでいいのかわからなくなってしまい、帰りの電車のなかでぼんやりしてしまった。

3月13日(水)

 印刷会社から『恋愛のススメ』のネット注文分がいち早く届く予定で、その到着を社内に残ってしばし待つ。納品次第、著者にサインをしてもらい、ほんやタウンさんに届けなくてはならないのだ。このような予約特典販売は初の試みだったが、予想以上の反響に浜本と二人驚いてしまった。

<ちなみにあの予約ページに書かれていた3月19日というのは、問屋さんへの搬入日であって、発売日ではありません。予約して頂いた方々に書店さんから連絡が入るのは、数日後になると思いますので、予めご了承下さい。>

 午後2時過ぎ、あっさりとしたキレイな装丁の『恋愛のススメ』が届く。単行本編集の金子に「いい仕事しましたね」と本を手渡すと、「あっれ~?」と大きな叫び声をあげ、ドタバタと机の上をひっくり返し始めるではないか。どうした? どうした? ISBNコードも間違っていないし、定価の記述もOKだし…。何か?

 顔面蒼白の金子は、やっと見つけた書類を広げ、
「うわー最悪、PPが指定と違うよ…」と言ったまま絶句してしまう。PPとは、カバーの紙に薄いビニールのコーティングをすることで、装丁家の多田さんからの指定はピカピカの仕上げになるようなものであったらしいのだ。手元にある『恋愛のススメ』を見ると確かに少し曇ったPPが貼られている。

 大騒ぎしている金子をしり目に、営業の僕はつい納期のことばかり考えてしまう。
「そんなの何だっていいんじゃないんですか? とりあえず搬入に間に合えばいいんですから」と発言したところ、
「杉江君は全然わかってないよ、装丁は、装丁家の作品なんだよ、それが指示通りにあがっていないというのは、ものすごく大きな問題で、それをそのまま商品として流通させるなんて、とんでもないことなんだよ!」と烈火の如く怒られてしまった。

 確かに金子の言い分はその通りなのかもしれないので、素直に謝る。しかし、営業マンとして納期変更が出来ないことだけはハッキリ伝えた。営業と編集の小さな戦い。

 その後、印刷会社とのやりとりにより、ミスの原因はわかった。こちらのミスではなく、印刷会社のミスだった。いやそんな犯人探しはどうでもよくて、納期までにカバーを刷り直し、初版分すべてに掛け替えても間に合うことになったのだ。一安心。

 搬入日の雨は売れるというジンクスを何度もこの日誌で書いてきたが、実はもうひとつ大きなジンクスがある。それは「ミスのあった本は売れる!」ということだ。今まで何点かコードの記述ミスであったり、スリップの印刷ミスなどがあった。そんな本は今まで全部を予想を越えて売れてきたのだ。

 これでもし19日が雨だったら、『恋愛のススメ』の未来は決まった同然だ。雨よ、降れぇ!!

3月12日(火)

 大手町のK書店さんを訪問。すると、文芸書の棚で今までの担当者とは違う書店員さんが棚差しをしていた。もしや担当替えかと思いつつ、ご挨拶。すると、やはりそのもしやで、もっとつらいのは今まで担当だったMさんが退職してしまっていたということだ。ああ…。

 退職されたMさんは、とても元気でハキハキした書店員さんだった。裏表のないスッキリした対応で、いつも面白い話を聞かせてもらっていた。最後にあったのは1月の中旬か…。お別れの挨拶も、今までのお礼も伝えられなかった。悲しい…。

 新担当のEさんの話によると、元々結婚などの諸事情により近々退職予定だったが、体調を崩してしまって、時期が早まったとか。こういう話を、根ほり葉ほり詳しく聞くことが僕には出来ない。何だか他人にプライベートな部分に踏み込むのは失礼なような気がして仕方がない。

 だから、ある程度話を聞いた段階で「書店さんの仕事はとても大変ですから、Eさんも体調には気を付けて下さいね。身体が一番大事ですから、あんまり無理しないで下さいね。」とご忠告。いきなり初対面でそんな心配をする営業マンをEさんは不思議そうに見つめ、笑顔で「ありがとうございます」と答えてくれた。

 ところが、お店を出て数歩歩いたところで僕は思わず赤面してしまう。自分で自分は見えないけれど、顔が火照っていくのがわかった。先ほどの会話でキーワードは「結婚」「退職」「体調不良」である。ちなみに前任のMさんは女性だ。ならば、この3つの言葉で連想されるのは、もしかしたら「妊娠」なのではないかということに気づいたからだ。

 もしそうだとしたら、僕はとんでもない会話をしていたことになる。新任のEさんも若い女性で、そのEさんに向かって僕はやたらに「体調には気を付けて下さい」と連呼していたのだ。これに推測を当てはめるならば、僕は「妊娠しないように気を付けて下さい」と言っていたことと同じではないか! 笑っていたのはそのせいだったのかもしれない…。事実はわからないけれど、もしそうだったとしたら、とにかく恥ずかしい。

 営業は瞬間、瞬間の戦いである。相手の反応や表情を確かめつつ、流れていく会話から状況を判断していかなければならない。何気ない一言が注文を5にしたり10にしたり、あるいはそれ以上にしたりする。いや、そんな注文部数なんてある意味どうでもよくて、担当者と意志の疎通ができなければ、人間関係だってうまく築けやしない。

 そのためには、もう少し頭の回転を早くしないとダメだ。今日の失敗が失敗でないことを祈る。

3月11日(月)

 『本の雑誌』4月号搬入日。先月は発行人浜本と松村がいるときに納品になったため手伝ってもらった。しかし、今月は早い時間に到着してしまって、僕と事務の浜田、経理の小林の3人で手運び。30冊梱包をそれぞれ4つずつ抱え、階段を13段上がるのはとにかくキツイ。どうしてこんな設計をしたんだろう?と不満を口にするが、間借りしている身だから仕方ない。
 さすがに汗は垂らしておりませんので、読者の皆様ご安心下さい。

 その後、御茶ノ水の茗渓堂さんとすぐ近くにある晶文社の島田さんへ見本を届ける。島田さんには今号の目玉座談会「出版界構造改革法案9箇条を作る」に登場して頂いたのだ。

 初めて訪問した晶文社さんは、出版物同様、伝統を感じるとても味のある建物で、思わず感動してしまった。半地下の営業部を訪問すると、見本本やファイル、そして事務机がたくさん(僕にとってはだけど)並んでいて、まさに営業「部」!

 顔見知りの営業ウーマンMさんがいらっしゃったので、『本の雑誌』をお渡しつつ、社内を眺めさせてもらう。所狭しと並んだ机を前に「ここがTさん、ここはO君で…」と説明され、僕がどれだけ孤独に仕事をしているのかがわかる。こういう情景を見せつけられると、とても淋しくなる。部下でも上司でも同僚でもなんでもいいから、誰かと一緒に営業部を作りたい。浜本や金子など編集部の悪口を言いながら、じゃあどう売るの?なんて打ち合わせ。いいなあ。

 でも、たぶんそうなったら、そうなったで、僕みたいなわがままは、また人間関係で疲れるんだろうな。結局、ないものねだりしているだけなんだよなと思いつつ、秋葉原S書店さんへ向かった。

3月9日(土)『炎のサッカー日誌 2002.02』

 明けましておめでとうございます、という挨拶はサッカーバカにとって、ホーム開幕戦を迎えた日の言葉である。昨年暮れに、惜しくも天皇杯準決勝で敗れて以来、どこかでもらって数日後のしぼんだ風船のような気持ちで日々を過ごしてきた。今日、またその風船に新鮮な空気が送り込まれ、サッカー漬けの毎日が始まろうとしている。まさに「明けましておめでとうございます」といった気分なのだ。

 観戦仲間のKさんと埼玉スタジアムの開門待ちの列で待ち合わせ。Kさんとは年末の天皇杯以来の久しぶりの対面となる。サッカー以外ほとんど顔会わせない不思議な間柄だ。そのKさんは午前10時から列に加わっていて、僕は細々とした用事を済ませてからだったので午後1時の到着。どうもすみませんと詫びつつ、ビールで乾杯! 本日の試合のキックオフは、夜の7時でまだ6時間ほどかかる。ちなみに埼玉スタジアムの6万人を越える集客力だと、さすがにレッズも満員にできるわけではない。だから、わざわざこのようにして並ばなくても席は確保出来るのだ。

 ならば、「なぜ並ぶのか?」と人々は聞くだろう。それは僕が僕自身に一番聞きたいことなのだ…。理由は、いまだよくわからない。

 暖かな陽気のなか、しばしの昼寝。そして4時に開門を迎える。ゴール裏のなかなかの場所を確保するがKさんの一言が重い。「やっぱり駒場じゃないとまだホームって気がしないなぁ」 思わず深く同意する。ワールドカップ仕様の埼玉スタジアムには立ち見席がない。おまけにゴール裏には屋根もない。僕らレッズバカにはちょっと淋しいスタジアムなのだ。まあ、ピッチが近いから許すか。いや、その分アクセスが非常に悪いから差し引き0かマイナスか…。

 キックオフ少し前に、今年からシーズンチケットを購入してしまった大バカ還暦夫婦、父と母がやってくる。母親は僕が誕生日に買ってやったレッズのジャンパーを着ている。「ここで着ると目立たないからいいけど、先週旅行で湯河原に着て行ったら若い子に指をさされたわ」と少しだけ照れつつも誇らしげに話す。ちなみに兄貴は今年からブルジョアの仲間入り、指定席の年間チケットを購入。ヒドイ奴だ…。

 試合については何も書きたくない。2試合連続、敵チームの退場による数的有利の戦いなのにあえなく敗戦してしまったのだ。まだまだ、苦行は始まったばかりのようである。

3月8日(金)

 今月の新刊、吉田伸子著『恋愛のススメ』の事前注文分短冊を持って取次店を廻る。

 御茶ノ水N社のエレベーターに乗り込もうとしたところ、降りてきた人と何気なく目が合う。うん?と僕のスカスカの脳味噌が動きだし、「どこかで会った顔だ」と反応が出る。相手も眉間にシワを寄せ、何か思いだしている様である。

 一瞬の間のうち、互いに「おお~」と嬌声をあげる。彼女は僕が東京駅Y書店でバイトしていたときのバイト仲間Dさんだった。約10年ぶりの再会だ。聞けば、大学卒業後、海外に井戸を掘りに行く協力隊に参加し、その後、コンピュータ系の出版社に就職。数年勤めた後、常々働きたいと考えていた出版社C社へ押し売りのようにして転職していったという。本日は僕同様、見本出しのためN社を訪れた後だった。

 どうも同じ穴の狢のようで、「まったくあのときの本屋バイトで、この業界に見切りをつければ良かったのに…」と苦笑しつつ、名刺交換をし、再会を約束して別れる。

 続いて飯田橋へ移動し、T社を訪問。担当のMさんに短冊を渡す。仕入の奥にいる小・中学校の同窓生Fさんに挨拶。ここに来ると過去の悪行を話されるので甚だ恥ずかしい。

 T社を出たところで、前から自転車に乗ってくる人とぶつかりそうになる。顔を上げると、何と前の会社の上司Hさんではないか! 数年ぶりの再会だ。(すでにHさんもその会社を退職していて、違う出版社に勤務している)Hさんは僕に仕事のやり方を教えてくれた師匠なので、ずっと会いたいと願っていたが、なかなか互いのタイミングが合わず時が過ぎていた。

 それにしても、なぜに自転車?と質問すると「オレのところは小さいから注文分を自分で取次店に届けなきゃいけないんだよ。」と荷台に積んであったダンボールを叩く。そう、出版社は取次店から集品のある出版社と届けの出版社に分れているのだ。本の雑誌社はもちろんチビ会社だからHさんの会社同様、届けの出版社である。一応それでも倉庫業者に依頼しているので僕が自転車で運ぶということはない。それにしてもなぜにこんな待遇が違うんだろうか?

 夕方会社に戻って、浜本と、重松清著『流星ワゴン』(講談社)について話す。目の前にちょうど今読み始めたところの浜田がいたため、おっさん二人、給湯室でコソコソ話。

 この『流星ワゴン』は、先週顧問の目黒が突然1階に降りてきて「浜本と杉江は絶対に泣く!」と宣言していった課題図書だった。浜本もすぐに読み終えたようで、互いの感想を述べ合う。

 僕の感想は、あの結末に疑問を感じたのとなぜに主人公カズの選択肢が生か死で、離婚が入っていないのかということ。また<サイテーでサイアクな現実>もそれほど最低で最悪とも思えず、あんな風に壊れてしまった家庭に固執する理由がよくわからないと感想を述べた。

 すると浜本は浜本なりの解釈を教えてくれ、なるほどそう言われてみれば、確かにそうだという気がしてくる。さすが編集者! 本に対する感じ方は人様々で、特に我が社のような偏屈ばかりだとその違いが面白い。

 そのやりとりを脇で聞いていた本雑編集の松村に「杉江さん、目黒さんの推薦本に、いつも納得できないって言うなら、それは読書の方向性が違うってことですから、わたしみたいに初めから読まない方がいいんじゃないですか」と鋭く突っ込まれる。確かにそうなんだけど、昨年の『翼はいつまでも』みたいな大涙本もあるし、それにあの身体とあの顔で、「杉江と浜本は絶対に泣くから読んでみな!」とマンツーマンで推薦されてしまっては、読むしかないでしょう…。

 それにしても今日はやけに懐かしい人々に出会った。これは週末何かとてつもない不幸が僕に降りかかるんじゃないかと不安を覚えつつ、家に帰る。

3月7日(木)

 ある書店さんを訪問し、店長さんと話していた。するといきなり「ブー、ブー、ブー」と強い音が鳴り響く。「ちょっとごめん!」と言って店長さんが店外に走り出す。そこでやっと僕は先ほどの音が、出入り口に取り付けられている万引き発見ブザーの音だと気づいた。

 しばらくすると店長さんが制服を来た学生を引き連れて戻って来た。いつもの柔和な顔をどこへ行ってしまったのかと思うほどの怒りに満ちた形相だった。今まで営業中に、万引きを捕まえるその瞬間に立ち会ったことはなかった。何だか一瞬の出来事に僕は思わず呆然と立ちつくしてしまった。

 「まず学生証を出しなさい」と店長さんはキッパリ言った。「ありません」ととぼけ、どうにかこの場を逃れようとする学生。しかし店長さんは場慣れしているのか「じゃあ、警察に電話をするから」とすぐに受話器を取り上げ、110番を押す。学生は、その言い訳や誤魔化しの許されないスピーディーな処置にあっけにとられ呆然としているようであった。生まれて初めて自分たちのルールではなく、社会のルールに触れたようなそんな顔だった。

 警察が到着するまでの時間、二人はバックヤードに籠もった。
「身分もはっきりしない学生が万引きして、ああ、そうですかと釈放すると思っているのか? 君は自分がしたことの罪の大きさをわかっているのか?」という言葉が漏れ聞こえたが、その後は、まったく静かになってしまった。たぶん店長さんは無反応な学生に何を言っても仕方がないと、すべてを警察に任せることにしたのだろう。

 レジの女性しかいない店内で、もしこのバックヤードで何かが起こってしまったら大変だと思い、僕は役立たずなボディーガード替わりに店内に残った。5分ほどすると、警察官がふたりやって来てバックヤードに入っていく。店長さんは事情説明で時間がかかるだろうと、僕はお店の外に出て、次のお店へと歩いていった。何だか嫌な後味が残った。きっと店長さんはもっと嫌な気分で今日を終えるのだろう。

 会社に戻ってから挨拶も出来ずお店を後にしたことを謝ろうと電話を入れた。
「警察が来て、調べてみたら中学生だったんだよ。それも私立の名の通ったところなんだ。それでね、2ヶ月前にも捕まっているんだって…。親、かわいそうだね。」

 その学生の親と同じくらいの年齢であろう店長さんは、そんな優しい言葉をこぼした。「でもね、万引きは立派な犯罪だからね、ちゃんと対処してルールを教えないとね。」とも話す。「ほんとにお疲れさまでした」と言って僕は電話を切った。それにしても、後味が悪い。

3月6日(水)

 昨日。仕事を終えてから久しぶりに友人と待ち合わせし、酒を飲んだ。ひとりは高校時代からの親友シモ、もうひとりは専門学校で知り合った相棒とおる。二人は互いに接点はないものの、僕の部屋で出会い、そして親交を深めていき、今では親友となっている。

 実家の僕の部屋はいわゆるたまり場だった。毎日3、4人、多いときには10数人が部屋にたむろし、白い煙と麻雀パイがぶつかり合う乾いた音がいつも飛び交っていた。例え、僕が不在でも、母親は彼らを家にあげていた。「そのうち帰ってくるから、部屋で遊んでなさい」それが母親のいつもの言葉だった。

 大学に進学した友達より先に働きだしていた僕は、確かに「そのうち」家に帰り、主が不在でも盛り上がっている部屋に飛び込んでいった。慣れない仕事の疲れも、友達と笑っているうちに消えていった。ときたま誰もいない日はホッとするような安堵感を感じつつも、寂しさを拭えなかった。

 その部屋に集まるのは、僕の小学校、中学校、高校などの友達。そしてその友達のそれぞれの友達。あの年代だから、そのまますぐ友達になれたのか、それともそれぞれの友を選ぶ基準が似ていたからなのかは、よくわからない。けれど学校の枠を越えた関係が僕の部屋で作られていったのは確かだ。そして今でもその関係は続いている。

 あるとき、不意に母親に聞いたことがあった。高校生で煙草を吸い、酒を飲み、そして麻雀をしていた僕らをなぜ怒ったり追い出したりしなかったのか?と。母親はあっけらかんとしてこんな風に答えた。
「あんたら、確かに悪さはしていたけれど、遊びに来た子はみんなちゃんとお母さんの目を見て、挨拶をして上がっていったのよ。それで大丈夫だって思った。それと女の子は全然来なかったし、そういう意味では安心していたね。あとは、あの玄関からあふれ出す汚くて大きな靴の山ね。あれが、なんかお母さんは好きだったのよね。そうそう、関係ない墓参りについてきた子もいたわねぇ、なんかみんなうちの子みたいな気がしていたよ。」

 僕が実家を出て暮らし始めたとき、自然と僕の部屋はたまり場ではなくなっていく。さすがに主が完全にいなくなった部屋には来づらいのだろう。そして、友達と顔を会わせる機会はぐんと減っていった。

 僕が今一番欲しいと願っているもののひとつは、あのときと同じようなたまり場だ。いつも、誰かがいて、そして何でも話せる安心感溢れるあんな場所が欲しい。でも、きっと、もう一生手に入れることはできないだろうことはわかっている。みんなそれぞれ忙しい年代に入ってしまったのだから。

 数ヶ月に一度くらいしか友達と会えない。会社帰りに会ったとしても、誰もが帰りの時間と明日の仕事を気にしている。何だか淋しすぎる。

3月5日(火)

 柏、新松戸、松戸、綾瀬、千駄木と常磐・千代田線ラインを営業。

 柏のS書店さんでは元気印のMさんと営業のやり方と絵本の話などをし、その後W書店0さんを訪問するが会議中であいにくの不在。残念無念と思いつつ新松戸へ移動する。

 S書店Tさんと店内改装されたその雰囲気の感想と千葉から神保町の神田村まで仕入れに行かれていることに思わず感動し、松戸のR書店Kさんとは初対面なのでご挨拶。そして、綾瀬のY書店Tさんとは20年以上前の本の雑誌の話など。

 夕刻、千駄木の0書店さんに辿り着く。お店の前の通りはそれほど人通りがあるわけでもないのに、次から次へとお客さんが店内に吸い込まれていく。それを見ていて「そうだったんだ!」とあることを思いつく。

 それは、本屋さんというのは、基本的に誘われるようにして吸い込まれる場所だったのではないかということ。この本を買うんだという目的があるときよりも、何となくそこに本屋さんがあって、フラフラと店内に入ってしまうようなそんな場所だったんじゃないか。そのなかで何か面白そうな本を見つけ購入することが一番の喜びだったはずで、いつの間にかそんな喜びを体験する機会が減っていたことを0書店さんに吸い込まれていくお客さんを見ながら感じていた。

 0さんと話している間に年輩のお客さんが文庫と単行本を織り交ぜ10冊以上買われていった。これは冷静に考えてみると、とんでもないスゴイことなのではないか。大型書店の豊富な在庫量ならそれくらい欲しい本を見つけられることは当たり前かもしれないが、ここはたった20坪の町の本屋さんなのだ。うーん、マスコミに何度も取材され、その広告効果は確かにあるんだろうけど、その虚名だけでは、これだけのお客さんを満足させることはできないはず。

 0さんはとても謙虚な人柄で「結局、棚を作ると言っても自分の知っている範囲でしかできないんですよ、だからもっと自分の幅を広げないとと思ってます。変化がないんじゃ、お客さんに愛想尽かされてしまいますから、勉強しようという意識がすごく出てきましたね」ととても印象的な言葉を話す。そしてその謙虚さが、もしかしたらこの活気を生む一つの原動力なのかもしれないと思った。

3月4日(月)

 横浜を訪問したところ、春の暖かさに誘われたのか、出版営業マンの山。入れ替わり立ち替わり書店員さんの前に現れる。これでは書店さん本来の仕事なんて一向に進まないだろうと心配しつつも、このまま帰社するわけにもいかず、とにかくスピーディな営業を心がける。

 そういえば『本の雑誌』3月号の編集後記で浜本が同じような状況の書店さんを訪れ、観察した感想を書いていたっけ。その感想は、男性営業マンがおおむね書店員さんの忙しさを感じず、仕事と関係ない話をして長っ尻なのに比べ、女性営業マンは状況を把握し、さっそうとしていたということ。そして僕の営業を見たことはないが、さっそうとしていることを願いたいと結んでいた。

 では、僕の営業スタイルは、浜本が願う「さっそう」系なのだろうか? 自分自身のことを客観的に判断することは出来ないけれど、どう考えても「さっそう」とはしていない気がする。浜本が見た男性営業マン諸氏と何ら変わらず、ダラダラと書店さんと話し込んでしまうこともあるし、その内容は仕事と直接関係ないことだって多い。一応それでも状況判断はしているつもりだが、お互い話が興に乗ってしまうと、どうにもならない。うーん、困った。

 一応あの編集後記を読んで以来「さっそう」系を目指しているが、異様にスピーディに営業を切り上げ、お店を後にしようとすると「今日は何だか忙しそうですね、ちょっと相談したいことがあったんですけどまた今度にしますね」なんて言われてしまうこともある。これは状況判断の誤りなのか、僕がいまさら「さっそう」系を目指すこと自体が無理なことのか、よくわからない。

 本日も横浜のM書店やY書店で、うしろに営業マンが並んでいるにも関わらず、妙に書店員さんと盛り上がってしまい結局長っ尻に。多分書店員さんは僕と話した分、残業することになってしまうのだろう…。

 いったいどんな営業マンが一番良いんだろうか、僕はどんな営業マンになれば良いのかとちょっと悩んでいる。

3月3日(日)「炎のサッカー日誌 2002.01」

 待ちに待ったJリーグの開幕戦なのに、僕は野暮用で見に行くことができない。こんな野暮用で観戦をあきらめるようになるなんて、ほんと僕は大人になってしまったんだと悲しみで一杯になる。

 先週いつも一緒に観戦しているK社のOさんから電話をもらい、
「実は行けないんですよ、用事があって」と話したところ
「なに?杉江さん、そんなときこそ行くもんでしょ!」と見下されてしまったのだ。
 うーん、悲しい。

 しかし、テレビで観戦した限り、試合内容の方が悲しかった。何度も何度もテレビのリモコンを敷いておいた布団に投げつけ、枕を蹴飛ばした。何が気に入らないって、とにかくFW以外、誰も攻める気がないことがどうにも我慢できない。パスを渡したら、そいつを追い越して前にいく。それによって数的優位が作れるんじゃないか。なぜに選手はピッチに立っているのか? ゴールを決めるため、そして勝つためじゃないのか!と奥歯を噛みしめながらテレビを見つめた。そこには去年とほとんど同じ流れのレッズが映っていた。生観戦していないので、強く言えないが…。

 今年から我が浦和レッズは元日本代表監督オフトが指揮している。そう報道されたとき僕は激しく落胆した。別に僕はオフトに恨みがあるとか、何か嫌悪感を抱いているというわけではない。実績で言えば過去浦和レッズを指揮してきた歴代監督の中で1、2を争う実績を持っているのであろうし、代表監督も含め、いくつかのJチームで手腕を振るい日本での経験もあるのだろう。でも正直ガックリした。

 ドーハの悲劇で日本中が悲しみを味わった94米W杯アジア予選。その最中、スモールフィールド、アイコンタクト、トライアングルと新聞誌上あるいはテレビで連呼されたその指導スタイルはどれもこれもサッカーの基本だ。もちろんそのとき日本ではその基本が出来ていなかったのだからオフトの指導は正しかったと思う。

 代表監督のスタイルは、そのままその国のクラブサッカーへ消化される。現在代表監督のトルシエが薦める「フラット3」を現在模倣し、そして改良しているJクラブも多い。そしてそれはJリーグに留まらず、僕らアマチュアがやるへっぽこサッカーにも影響を与える。試合前「バックはフラットでコンパクトにね!」なんて口だけは立派に話していたりするもので、オフトが代表監督だった頃、僕らは「アイコンタクト」などという言葉を連発し、プレイしてきたのである。それほど代表チームの戦術は影響力があるのだ。

 しかしオフトが日本代表監督をしてから約10年の月日が経っているのだ。もちろんオフト自身にその間の上積みはあるだろう。けれど、浦和レッズが一番彼に期待しているのは、その基本の導入と約束事の徹底だという。

 ならばこの9年は何だったのか? 朝から並び、夏は汗をダラダラ流し、冬場は凍えるほど冷え込む。そんななか試合が始めれば、声が枯れ、ノドが切れるまで応援して来たこれまでの9年間は、何のためにあったのか? オフトの就任=浦和レッズがこの9年間の過ちを認めてしまったとして理解し、そして激しく落胆したのだ。浦和レッズには今までオフトが提言する基本すらなかったのかと…。まあ、それでも過ちを認めずに続けられるのよりマシだけれど。

 そんなオフトを雇ってでも我が浦和レッズは基本を徹底し、再出発するしかないのだ…。ならばサポーターも我慢するしかないのであろう。オフト自身も今年は7位が目標だと言っているらしいし、長期的なビジョンで指導していくとも話しているらしい。

 開幕前に7位目標!というチームを僕はどう応援して良いのかよくわからない。テレビを見ながらこれでも我慢しなきゃいけないの?と首を傾げ、そしてその先に本当に優勝があるの?と思わず疑ってしまう。結局いつも通り信じるしかないのか…。またもや苦行の一年が始まったのである。

3月1日(金)

 とある書店さんを訪問し、店長さんに「最近、売れ行きどうですか?」と質問すると店長さんは店内を見回し、雑誌棚についている多くのお客さんを見ながら「まったくなあ…。立ち読みばっかりで売上は下がる一方。」と苦笑する。ついお客さんに聞こえてしまうんではないかと僕は冷や冷やしつつ、小さな声で「そうですね。」と受け答えする。しかし店長さんは一層声を大きくし「情報の万引きっていうのもあると思うんだよね」とキッパリ話す。こちらは一段と身が縮こまる想いがしたが、立ち読みのお客さんは聞こえているはずなのにどこ吹く風で、雑誌をペラペラ。これではつい嘆きたくなる店長さんの気持ちもよくわかる。

 それにしても本当に立ち読みがヒドイ。都内の大型書店を夕方訪れると、女性誌や情報誌の棚の周りには2重、3重の人だかり。つい気になってしばらくそんなお客さんを観察しているが、一誌読みおえた後はまて別の一誌をと、だいたい3、4誌ペラペラ眺めて結局何も買わずに帰っていくことが多い。下手をすると携帯電話に情報だけ書き写していく不届きな者までいる。これでは本当に買う気のあるお客さんが近寄れないではないか。

 かつては平積みにされている雑誌の一番上の在庫は表紙がボロボロなんてことが多かったけれど、いまでは2、3冊下までそんなことになっていることも多い。そういえば、ある書店さんでそんな光景を見ながら「ヒドイもんですねぇ」と不満を語ったところ、「注意でもしてごらん、いきなり『どうせ返品できるんでしょ!』なんて逆ギレされたりするんだから。」とあきらめ顔で話されたことがあったっけ。

 ここまで来ると、立ち読みは売上につながる機会ではなく、売上を損失している機会としか思えなくなってくる。ならば一層のこと、雑誌や書籍もコミック同様ビニールがけしてしまえばいいんじゃないか。もちろん現在のコミックのやり方では書店さんの負担になってしまうから、出版社からの出荷段階で全部包んでしまって。そして完全に立ち読みをシャットアウトする。もし購入するかしないか中身を確認して考えたいお客さんはカウンターで開封してもらうという方法を導入するべきなんじゃないかと。

 いくつかの書店さんでこの案を話したところ、「うーん、ここまで売上が悪いと、せめて立ち読みでも店内にお客さんがいるって方がマシな気もするんだよなあ。」と苦笑されてしまった。確かに全てにビニールパックをしてしまったら書店さんから人影が消えるかもしれない…。

« 2002年2月 | 2002年3月 | 2002年4月 »