3月29日(金)
帰宅途中、乗換駅の南浦和駅にちょうど到着したところで、僕のほとんど鳴らない携帯電話が鳴り出した。タイミングが良いなと思いつつ、着信画面を確認すると、実家からであった。その時点で僕はある覚悟をし、そして怖々通話ボタンを押した。
「お母さんだけど…」
いつもの威勢はどこへいってしまったのかと思うほど、沈んだ声だった。そして声になるうちに用件を伝えようと一気に話し、電話は一方的に切れた。
「小鉄が死んじゃった。」
数ヶ月前から、間もなく「その日」が訪れることはわかっていた。心の準備もしていたし、なるべく多く会っておこうと毎週実家に帰ってもいた。医者にも友達にも、20年も生きる猫がいるかと言われ、もう大往生だとも言われていた。何度も何度も「大往生」という言葉で納得しようとした。それにいくらか人生経験も積んだし、悲しみには強くなっていると考えていた。
それなのに、駅のホームで自然と涙が溢れ、拭っても拭っても涙はこぼれ落ちた。周りの人達が不思議にそうに僕を見つめ、思わず僕は大きな声で「小鉄が死んじゃったんだよ」と叫びそうになった。
大雨の降るなか実家に向かって車を飛ばした。陽気なロックをカーステレオに突っ込み、ボリュームを上げてみたけれど、落ち込んだ気持ちが浮上することはなかった。いくらワイパーを動かしても、視界は通らない。曇っていたのは、僕の目だった。よく無事に実家に着いたなと、今、思う。
実家の玄関をあけ、飛び込むようにいつも小鉄が寝ていた和室に入った。
日に日にやせ細った身体を丸め、大好きなバスケットのなかで毛布にくるまれ、目をつぶり、そしてまるで寝ているかのような安らかな死を、小鉄は受け入れていた。先週までと何ら変わりがないように思えたが、もういくら声をかけても、撫でてみても起きる気配はない。
死に絶えた小鉄の身体に僕の涙がこぼれ落ちた。今までだったら、そんなくちゃくちゃな顔の僕を不思議そうに見つめ、そしてざらざら舌で、なめてくれたのに、もう小鉄が顔を上げることはなかった。
「お母さんが仕事から帰ってきたら死んでたの。ここ2週間、ほとんどご飯も食べられなかったし、2階にも上がって来れなくなっていたから、一緒にここで寝てたのよ。もう悲しくて悲しくて、お母さん一緒に死にたいよ…」涙ながらに母親は語った。僕は、死んでしまった小鉄を撫でながら、「おめえが、死んだって仕方ないだろう」と答えるのが精一杯だった。
小鉄はやっぱり僕らの家族だった。僕や兄にとっては、遅れてきた弟であり、母親にとっては、いつまでも自立していかない可愛い可愛い最後に残された息子だった。そして父親にとっても、口答えしない息子であり、誰にとっても無二の親友であった。
「お父さんさあ、会社を独立してしばらく、金のこと仕事のことを考えるとつらくてつらくて仕方なかったんだ。でもそんなこと誰にも言えないし、もちろん息子達には話せないだろう。そんなとき帰ってくると玄関にちょこんと座って小鉄が待っていてくれて、もうそれだけで、心が癒されたよ。みんなが寝てから小鉄を撫でて、その日あったことを酒を飲みながら話していたんだ。」
それは家族全員にとって同じことだった。母親だって、父親の独立でかけられた苦労を小鉄に話し、日に日にグレて心を開かなくなった僕のことを愚痴っていた。兄や僕だって、ツライことや楽しかったことを小鉄に話し、部決でレギュラーになれたときは、小鉄を抱きかかえて喜んだ。小鉄はまるで神父さんのように毎晩順番に部屋を徘徊し、それぞれの言葉に耳を傾けてくれたのだ。
その小鉄が、死んでしまった。
母親は何度も何度も僕に向かって、
「ねえ、本当に死んでるの? まだ暖かいんじゃない? ねぇ動くんじゃない?」と言った。
しかし、小鉄はもう息もしていなければ、鼓動も聞こえない。そしてジワジワと硬直し始めた身体は、枯れ枝のように堅くなっていた。
土曜日、庭に深い穴を掘った。
小鉄を埋め、花と大好きだったかまぼこを添えた。
そして最後に深く深く、感謝の言葉をかけた。
「20年間、ほんとにありがとう。」
誰もそこから動けなかった。