WEB本の雑誌

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4月26日(金)

 先日、自宅でぼんやり読んでいない方の、いわゆる未読の本を並べている本棚を眺めていたら、ここのところ完全にハマっている「半村良」の文字が目に飛び込んでくる。半村良氏を知ったのは、先日の長老みさわさんのアドバイス以来で、『かかし長屋』(集英社文庫)を読み、その後購入した本もすべてこの勢いで読了しているから、未読の棚に並んでいるのはおかしい。

 すでに読んでしまった本を間違えて置いたのかと考えたが、キレイに新刊案内などが挟まっていてまったく読んだ形跡がない。しばらく装丁を眺め、記憶の底をさらっていると、ハッと思い出す。

 僕は扶桑社文庫の昭和ミステリ秘宝と銘打った復刊シリーズが好きなのだ。もちろん僕は深いミステリ読者ではないから、そのラインナップがどれほど名作でみんなに待ちこがれられていたかは知らない。けれど、あの手触りの良いカバーと装丁が大好きで、ついつい目に付くと買っていたのだ。そのほとんどが未読の本棚に並んでいるけれど…。

 僕がこの日未読の本棚で発見した半村良氏の著作はその昭和ミステリ秘宝シリーズで復刊された『どぶどろ』であった。おまけに思い出してみるなら、この本を買ったのは飯田橋の深夜プラス1で、そのとき店長の浅沼さんにこう言われたのだ。「宮部みゆきの教科書だよ。これを読まずに何を読む!」と。

 その日、寝床に就き『どぶどろ』を読み出した。7編の短篇が1編の中篇に受け継がれ最終的に大きな流れとなって全体が長篇をなすという一風変わった手法の市井時代小説である。その短編部分を読み出したときに、もうこの本が僕にとって大事な1冊になることに気づき、あわてて布団の中から這いだした。そう、僕の始まったばかりの30代を生きていくための1冊になりえそうな予感がし、朝方読み終えたときにそれは確信に変わった。人生のすべてが詰まっているような、味わい深い内容で、僕は絶対何度も何度もこの『どぶどろ』読み返すことになるだろう。

 あらすじに関しては、巻末にある宮部みゆき氏の解説を是非お読み頂きたい。こんなに愛のあふれた解説を僕は読んだことがないし、僕の中途半端な紹介のせいでこの本を手に取るのを控えられてしまったら、これほど勿体ないことはないからだ。

 そして、今、あらためて長老みさわさんに感謝している。たぶんあのアドバイスがなければ、『かかし長屋』も『どぶどろ』もそして他の半村作品を読む機会がなかったと思う。あったとしてもまだずっと先だったような気がするのだ。

 今、半村作品を読めた感動とともに、こんな不思議な本の繋がりに僕はもっともっと深く感動している。

 やっぱり「本」は良い。


追記)ゴールデンウィークの10連休はとりませんが、とりあえずこの10日間は日記をお休み致します。

4月25日(木)

 夜、書店さんや出版営業マンが集まる飲み会に参加する。総勢16名の大所帯。興味深いのは何件かの異なる書店に勤める書店員さんが、その枠を取り払って酒を酌み交わしているということで、僕はかねがねこういう集まりを開きたいと考えていた。しかしそれがいつまでも思案のなかだけに留まっていただけに、思わず幹事営業マンS出版社のTさんに尊敬の眼差しを送ってしまった。

 ただ、いつもこのような会に参加したとき気をつけるようにしていることがあって、それはこの業界が異様に人のつながりが強いということ。一度酒席などで顔を会わせるとついつい営業の際に甘えてしまうようになってしまうのだ。仕事とプライベートをしっかり分けていないと、書店さんと営業の関係があやふやになってしまい、緊張感のないつき合いになってしまうことも多い。それでもそれが互いの商売にとって良い方に進めばいいけれど、悪い方に進んでしまうとただただ迷惑をかける営業になってしまうような気がするのだ。

 もちろん僕も人として書店員さんとつき合えることを願っている。訪問した際プライベートなことを切り出され「実は、息子がさ…」なんて言われると涙が出てしまうほどうれしい。しかし、それだけになってしまうのはもっと恐ろしい。対等であるのは難しいけれど、本に関して言い合える間柄でいたい。だから僕は、「その本はうちにはいらない」と言われてもうれしく感じることがある。この書店員さんはしっかり自分の目利きでセレクトしてくれているんだと…。

 そんなことを考えつつ、酒を飲んでいたら、周りの営業マンはそんなことを当たり前のようにうまくバランスを取っているようだ。改めて感心してしまった。

4月24日(水)

 5月20日搬入の新刊『弟の家には本棚がない』吉野朔実著の営業のため、日頃はお伺いしていないコミック売場に顔を出している。初対面のため名刺交換から始まる営業は、僕のような人見知りの営業マンにとってはちょっと緊張させられる瞬間だけれど、そこでしっかり話ができるといつも以上に満足感を得られる。

 元を正せば前著『お母さんは「赤毛のアン」が大好き』の営業活動中渋谷のP書店のYさんに言われたことが引き金でコミック売場を廻るようになったのだ。

「杉江くんのところは商売っけがないよね…というか、なさ過ぎるよ。だって吉野さんの作品だったらもちろんこの内容的には文芸書で売れるけど、やっぱりマンガ畑の作家でしょう。だったらコミック売場にも持って行かなきゃ。担当だって全部見られるわけじゃないから、特に本の雑誌社みたいにコミックを出していないところから出てくると抜け落ちちゃうんだよ。お客さんも探すだろうけど、コミック売場になければ帰っていく人もいると思うんだよね。もったいないよ。」

 たしかにそうなのだ。本の雑誌社は異様に商売っけがない。たぶんYさんの言葉を目黒や浜本に聞かせたら「えー、コミック売場に置いてくれる?! だってうちの本だよ」なんて根本的に自信のないような言葉を吐かれるのだろう。いや、そもそも同じ本をいろんな売場に置こうという発想自体浮かばない可能性が高い。

 その深い意味でのポリシーは、椎名や目黒を見ていて何となく僕にもわかる。しかし営業としては何だか物足りないし、そこまで遠慮しなくても書店さんが置こうと言ってくれるなら置いた方がいいし、それはお客さんにとっても非常に良いことなんじゃないかと思う。

 Yさんの言葉を受け止め、今回、時間の許す限りコミックコーナーに足を向けている。寡作な吉野さんの作品は非常に喜ばれるし、何人もの人に「わたし前の2冊買ってますよ」と声をかけられた。こうなると「商売っけを出す」というより、そもそも営業の方向性を間違っていたような気もしてくる。うーん、今まで僕は何をしていたんだ?

4月23日(火)

 昨日銀座のA書店を訪問したら、ちょっと変わった本がベスト10入りしていて、ビックリ。早速担当のOさんに話を伺うと
「ああ、あれね。今、日本語の本が売れているんでそれに絡めてフェアで積んでいるのよ。それが動きが良くてね」と話す。

 それにしても、奥付を確認したら発行は昨年の7月だ。すでに半年以上が過ぎていて、それが今改めてベストに入る勢いで売れるということは、Oさんの目のつけどころが良かったとしか言いようがない。確かにその本、今の流れなら売れる…と思わされる内容なのだ。うーん、ここに既刊書をドーンと持ってくるあたりは、さすがだ。

 そして今日、新宿の紀伊國屋書店南店を訪問したところ、かなりのスペースを使って「75周年記念 書店員が選んだ本」というフェアを行っていた。既刊、新刊、売れ行きに関係なく、「泣ける」「笑える」「戦う」「知る」などカテゴリーを分け、それぞれ担当者が読んで面白かった本を手書きのポップ付きで並べているのだ。これは素晴らしいフェアだと仕事を忘れ、じっくり見入ってしまう。

 最近、営業をしながら感じているのは、これから書店員さんの力がどんどん売場で発揮される時代になるのではないかということ。これだけ本が溢れ、読者が何を読んで良いのかわからないといった状況で、じゃあ、誰が本を推薦するのかと言ったら、一番お客さんと身近に接する書店員さんになるのではないか。

 新聞書評も『本の雑誌』も、それ自体を読まない人には意味がない。結局、何か読みたいけれど何を読もうと思いつつ書店さんを訪れるお客さんにとって、書店員さんの言葉や平台の並べ方は絶大な効果を見せるだろう。

 何だかこの出版不況で、何でも売れる時代から、何を売りたいのか問われる時代となり、だからこそ面白い状況になっていくような気がしてならない。

 そして出版社は、そんな書店員さんのアンテナに引っかかり、読みたい、読んで面白かった、だからこれを売りたいと思わせる本を作っていかなければならないだろうと考えている。

 本屋さんに対して、ある種あきらめを感じている読者の方も多いかもしれない。けれど、みなさんのマイナスな印象を覆すほど、今、現場にいる書店員さん達は、本を愛し、そして売ることに幸せを感じ、今よりもっと良いお店にしよう奮闘している。

 なかなか見えて来ないことだけれど、僕は現実に多くの書店を廻り、書店員さんと話し、そのことを実感している。こんなにやる気のある人達が多い業界は、もしかすると他にないんじゃないかと思うほどだ。僕はその端っこで仕事ができることを誇りにしている。

4月22日(月)

 夕刻、営業を終え会社に戻ると、単行本編集の金子が僕の席に座ってふんぞり返っていた。そのふんぞり返り具合は相当なもので、胸が天井を向き、足は床に着いておらず宙に浮いているではないか。いったい何をそんなに威張っているのだろうか?

「オレさあ、淋しいわけよ」

 唐突に訳のわからないことを言い出すのは金子の癖だ。そうすれば人が話を聞こうとするのを知っているからなのだろうか? 煙草に火をつけ、話を進めるよう促すと、金子はタラリと垂れた前髪を掻き上げながら話を続けた。

「オレね、前に『お母さんは「赤毛のアン」が大好き』を作ったときに10時間以上かかった作業があるわけさ。それがね、今回の『弟の家には本棚がない』では3時間で終わったんだよ。誰かこんな優秀のオレを誉めてくれてもいいでしょ!!」

 なるほど少しは誰かに誉められたいというのは人間の性だろう。僕もかねがねそのことを淋しく思っていた。先日僕は、なんと書店さんの店頭ワゴンを獲得し、どーんと販促をかけられることなったのだ。これは一大事と、まるでグリコのマークか、ゴールを決めたゴン中山のように両手を広げ会社に凱旋帰社したが、誰も誉めてくれなく、それどころかまるでバカを見るような冷たい顔をされてしまったのだ。その夜は、一人ふてくされて酒を飲んだ。

「うん、うん。金子さん良くわかりますよ、その気持ち」
「…でしょう。それなのに、今日は本の雑誌編集部はみんな下版で印刷会社に詰めているし、仕方ないからD印刷会社のKさんに自慢しようと思って電話したら、いねぇんでやんの。張り合いないから、スギエッチの椅子に座ってハマちゃんと小林さんに威張っていたんだよね、ああ、淋しい会社だ」

 金子はいつもひとりで黙々と仕事をしていて、著者の喜びや読者の好評以外、ほとんど自己満足の世界に近い。そんな姿を見ているだけに何か慰めの言葉をかけてあげないと、つい嫌気を起こして会社を辞めてしまうんじゃないかと考える。

「でもね、金子さん。これがもし大きな会社でもっとシステマチックだったら、きっとその10時間が3時間になって空いた時間に、もっと仕事を押しつけられますよ。それよか良いんじゃないですか」
「……。まあ、そうだろうね」

 結局、誰にも威張れず、金子は淋しげに自分の机に戻っていった。

4月19日(金)

 ふっと気になってカレンダーを眺めていたら、そうか来週はゴールデンウィークなのかと気づいた。本の雑誌社はなんと4月27日(土)から5月6日(月)までの超大型10連休になっている。普通自分の勤めている会社が10連休だったら小躍りして喜ぶよな…と考えつつ、僕は逆に憂鬱な気分になっていく。

 どう考えても5月20日搬入予定の新刊『弟の家には本棚がない』の営業活動が終わらないのだ。営業ルートと事前注文の〆日までの日数を両手の指を使って考えてみるが、いくら数え直しても足りない物は足りない。元々フルに月22日間働いたとしても営業日数が足りないのだからそれも当たり前。

 そういえば、本の雑誌社に入社するとき、Tさんにこう言われたのを思い出す。
「うちはですね、給料が少ない分、年末の休暇とGWの休暇は長いんです」

 なるほどそういう利点があるのかとその時まだ純真な心を持っていた僕は喜んだ。そして確かに毎年、年末年始やGWになるとカレンダーの赤印と関係なくドーンと連休にしてくれる。しかしTさんは前言の言葉に続けて小さな声でこうも言ったのだ。

「仕事が終わればなんですけどね…」

 そうなのだ。その時まさか自分がその仕事の終わらない方に入るとは思っていなかった。出版社なんだからきっと編集部が忙しいだろうと高をくくっていたのだ。ならば長い休暇を利用して僕はとっとと海外へサッカーを見に行こう…なんて考えていた。

 ところが一年目のGWを迎えたとき、僕の目の前には山のように仕事が積まれていた。元来責任感なんて言葉を知らない僕も、さすがに営業ひとりの会社では逃げる訳にもいかなくなった。海外サッカー三昧どころか世間の休みである赤印の日ですら本屋さんを廻ることとなっていく。

 そもそも根本的に考えてみると、休みを決めるのは発行人で、発行人が所属するのは本の雑誌編集部。その編集部の都合に合わせて連休を決めるわけで、編集部はそのスケジュールに合わせ著者やライターに〆切を提示すれば事が済むのであろう。まあ、本人達もかなり無理をしているのは間違いないのだが…。

 しかししかし。悲しいことに営業マンや営業事務や経理は、基本的に相手の都合にあわせて動く仕事である。部決や支払いや請求書の作成などすべて取引先に合わせスケジュールを組んでいき、特に忙しい月末に長期を休みを振り分けられても困るのだ。

 結局今年も10連休を謳歌できるのはほんの少数で、事務の浜田や経理の小林はバラバラと出社することとなっている。

 ちなみに僕の営業という仕事は、編集部がほっと一息ついた頃からが勝負なのである。ということは海外サッカーどころか、この10連休がいったい何連休になるのか? せめて赤印の日だけは休みたいと願っているが本当に休めるのか今のところ皆目検討がつかない。

 とにかく休み獲得のため来週は馬車馬のように営業しなければならない。ニンジンがぶら下がれば、駄馬も走るというもので、きっと狂ったように僕は営業をするだろう。もしかして発行人はそこまで考えて休みを決めているのかも知れない…。

 ちなみにTさんが話した「給料が少ない分、年末年始とGWの休暇は長い」というのには、大きな落とし穴があって、実は本の雑誌社には夏休みがなかったのだ…。


追記)休みのことで、ブツブツ不平を言っていたらなんと松村も金子もバラバラ出社するという。ということは結局みんな仕事をしていて、ならばいったい何のための10連休なんだろう?

4月18日(木)

 先日、当欄で宮部みゆき著『あかんべえ』(PHP研究所)の感想を書いたところ、長老みさわさんのHP味噌蔵(http://member.nifty.ne.jp/misogura/)にて半村良氏を薦められた。

 僕は他のことはほとんど人の言うことを聞かないけれど、本に関しては割と素直に聞くようにしている。じゃないと読書の世界が広がらない。

 というわけで、早速お薦めの『かかし長屋』(集英社文庫)を読んだ。てっきり市井の人々の人情物だと思って読み始めたところ、これはまあ確かに半分はそうなんだろうけれど、残りの半分はもっともっと深い小説で驚いてしまった。そのことに気づき、あわてて埼京線のなかで姿勢を正し、じっくりと読む。

 時は江戸、場所は浅草三好町。そこに人格者である和尚さんが建てた2棟10軒の長屋がある。住んでいるのは大工・左官・飴売り・畳屋・扇職人など様々だが、共通点は誰もが極貧でその日の生活にも困る者達だった。

 そもそも和尚さんがこの長屋を建てたのには理由があって、極貧生活者達に貧者としての生きた方を教えようとしものだったのだ。下を見ずに上を見ること。上といっても金ではなく生き方であること。それ以下の生活に落とさせないため、まず身奇麗にすることを進めた。徐々にその効果は現れ、貧者であることには変わらないけれど、住民は何かしら誇りを持つようになっていく。

 みさわさん、この後、どう紹介したらいいのでしょうか? 玉の輿に乗って結婚していく娘の話もあるし、泥棒の話もある。おまけに最後は浪人と戦ったりするけれど、何だかそれがそれほど重要な部分とは思えないんです。もっともっと深い流れがあるような気がして、でもうまく言葉にできません。というか言葉にしてしまうとあまりに陳腐な言葉になってしまうような気がするのです。だからといって別に小難しい話でもなく、やっぱり本を紹介するのは難しいです。

 この本を読み終わって気づいたのは、いつの間にか僕はこういう市井物というか、一般の普通な人達の話が好きになっていたということだ。かつてはヒーローやもっと高い位置から見下ろすような小説が好きだった。例えば村上龍の『愛と幻想のファシズム』などで、あの強者の理論にものすごく憧れていた。きっとその頃そんなヒーローになれると思っていたんだろう。

 けれど時間が過ぎ去り、僕自身が強者ではなく弱者であり、またこの先何物にもなれないと薄々気づきだしたとき、自分と変わらない生活をしている人達が主人公の小説が好きになっていった。たぶんその過渡期は、4年ほど前に唐突にハマった山口瞳氏の著作だったと思う。

 ちなみに『かかし長屋』の最後がカッコイイ。僕は小説結末文章対決というのがあったら是非これを推薦したいと思った。

「走る走る、和尚が走る。和尚は走ってもいい気分らしい。」

 この訳の分からない文章がなぜ良いのか知りたい方は、是非、読んでみてください。現在多くの書店さんで半村良氏の追悼フェアをやっているので探しやすいと思います。それから、長老みさわさんありがとうございました。ただいま他の半村作品にも飛び込んでおります。

4月17日(水)

 昨日一日営業を休んだのが功を奏したのか、気分が一転。俄然やる気が出てきて、書店さんを廻りたくてウズウズしてしまう。いやはや、いったいこの変わり身は何なんだ?

 いつだかこの日誌で田園都市線の書店さんは、やたら学参コーナーが広いと書いたことがあるけれど、この日営業に向かった京王線もちょっと変わっている。

 聖蹟桜ヶ丘のK書店のS店長さんも、府中のK書店のHさんもどちらも「うちはお客さんの年齢層が高いから…」と話すのだ。確かにその傾向は売れ行きにも現れていて、ベテラン作家や時代物が着実に売れている。そんな年輩のお客さんのありがたいところは、しっかり棚から本を買ってくれることだそうで、その分やりがいがあるらしい。

 そんな話を伺ったので調布へ移動する電車のなかでちょっと乗降客を観察してみた。しかし、特別、電車に乗っている人は年齢層が高いわけでもなく、逆にかなり高校生や大学生といった若い人の姿が目に付く。うーん…。

 しかししかし、またもや調布のS書店Sさんを訪問すると「もううちは完全に中高年以上のお客さんが多いのよ」と話すではないか。その客層にあわせレジ前の平台もちょっと変わった文庫フェアをやっている。どうも出版社主導のフェアをやるとまったく反応がでないので、完全にピンポイントな本を自分たちでセレクトし、毎月展開しているとか。

 それにしてもどうして京王線はこんな客層になるのか? 若い人は新宿や渋谷で購入しているということだろうか? うーん、不思議だ。

4月16日(火)

 あまりに不調なので、営業を休み、一日中社内に残る。溜まっていたデスクワークを片づけ、DMを作ったり、6月号の編集後記を書いたりしているうちに、あっという間に時間が過ぎていく。何だか働いている気がしない。

 夕方、事務の浜田と経理の小林が、突然万歳三唱をしだした。いったい何が起こったのかと聞いてみると3月末からずーっと取りかかっていた決算資料の作成が終わったとのこと。おお、それはそれはお疲れさまでしたとパチバチ拍手。

 僕は営業であるけれど、このような事務作業はいっさい浜田に任せている。いや任させているというか、数字に弱い僕が手を出すとどんどんドツボにはまっていくので、手を出すな!と言われているのだ。

 ここ数週間、毎日遅くまで浜田は残業していて、いつも6時過ぎに彼女の携帯が鳴り「ごめんまだ帰れそうにない」と悲しそうに答えているのを見ていた。そんななか僕は手伝えることもなく帰宅していて、何だか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 お疲れさまです、浜ちゃん。

4月15日(月)

 ここ数週間、ずっと調子が悪い。それは体調ではなく、気持ちの問題だ。何をしていても気がのらず、どうもツライ。

 いくつか原因として思い当たるフシもある。

 まずは愛猫小鉄の死であり、それを心から悲しむ時間が僕自身になかったことだ。とにかく落ち込んだ母や父を励ますことが先決で、自分の気持ちをひた隠し、空元気な言葉を投げかけているのに疲れてしまったようだ。

 それに営業という仕事がら、どんなに落ち込んでいても、人前でそういう顔も出来ず、いつもと同じように振る舞わざる得ない。そんな2重の感情の状況で、知らぬ間に疲労が溜まっているのかも知れない。

 それ以外では、同年代の人々がこの春かなり多く出版業界を辞めていってしまったことだ。年上や年下の方が辞めて行かれるのと違って、同い年の人に新たな決断を下されてしまうと、ついつい、自分はこれで良いのだろうかと考え込んでしまう。

 他に「何かが」あるわけでもないのに、このままでいることに異様に不安を感じてしまう。

 季節の問題なのかもしれないが、気持ちで動くタイプの僕としてはツライ日々が続いている。そしてそんな自分にまた気分が悪くなり、不快感が増す。まさに悪循環だ。こんな鬱陶しい日々から、早く抜け出したいものだ。

4月14日(日) 炎のサッカー日誌 2002.04

 負けたくないのはサッカーだけでなく、応援もだった。北の大地に出来たこのベガルタ仙台、いまやしっかり根付いて多くの熱狂的サポに声援を受けている。通常ホームで使用される仙台スタジアムは、いまや毎度満員で、チケット確保も大変だとか。応援に関しては誰にも負けない自信がある我らレッズサポとして、いつもは地方まで足をのばすことのない腰砕けサポーターの僕も、ついつい「PRIDE OF URAWA」を見せたくて駆けつけてしまったではないか。

 朝からズラリと並んだ新設宮城スタジアム。本日のチケットもほぼ完売だとかで、大変な人出。しかし、まだW杯向けの工事をしているようで、所々ベニヤ板で囲まれている。これで約2ヶ月後の開幕に間に合うのだろうかと考えながらスタジアムを一周。

 ホーム側に並んだ人達が着ているユニフォームが目に映える。ベガルタ仙台は黄色がホームのカラーなのだ。これはいったい何を象徴した色なんだろうかと頭を捻ると、ちょうどある物が目についた。それは公園の芝に生えた、たんぽぽだった。その鮮やかな黄色と、ベガルタの黄色は同じだったのだ。もしかしてこの黄色?

 開場と同時にどっと人がなだれ込み、その黄色に囲まれた我がレッズ。こんなにも敵地であることを感じさせられるチームはそうそうないだろうが、しかし。どうもベガルタサポ、優しい印象なのだ。こちらは、「おんどりゃ、ぶった押してやるぜ!」と意気込み、眉間にシワを寄せているというのに、なんと試合開始前に一般人の結婚式をグランドで行っているではないか。何だか拍子抜けというか、肩すかしを食らった気分。そうか、そういえば、黄色は幸せの象徴だ。そんな映画があったはず。サッカーにかける気持ちは土地それぞれ違うのだろう。

 それにハーフタイムには、幸せ家族のフリーシュートコーナもあり、何だか家族を置いて出てきた身にはつらい一撃。一緒に観戦しているOさんがポツリ。「和みだねぇ」

 もちろん、そんな幸せな雰囲気に惑わせれることなく、レッズサポは大声を張り上げいつもの大コール。負けたくねぇ、負けるわけにはいかねぇ、絶対勝つぜ!と気持ちを盛り上げ、選手にもそれが通じたのか、ファイトある試合が繰り広げられた。

 僕は年に数回本気で祈ることがある。1999年11月27日(J2降格決定日)や2000年11月19日(J1昇格決定日)など。それは神様や仏様に祈るわけでなく、レッズのエンブレムに向かって祈るのだ。この日、同点のまま延長に入ったとき僕は深く深く祈った。今日はどうしても勝たせてくださいと。

 必死の願いが通じたのか、延長前半12分、大将福田のVゴール。興奮、歓喜、涙と感情が総動員で寄せてくる。

 いつまでも、いつまでも宮城スタジアムに浦和コールが鳴り響いていた。仙台サポの中には、そんな僕らを笑顔で見つめている人もいた。本当にこの土地のサポーターはどこまでも優しく、幸せの象徴なのかもしれないと思った。

4月13日(土) 炎の出張日誌

 ついにこの日がやってきた。何度も夢見た出張だ。それも僕にとっては未開の地<杜の都>仙台だ。いったいどんな本屋さんがあるのか、考えただけで胸が膨らむ。

 しかし、ここには大きな落とし穴があって、なんと出張経費は自分持ち。いわゆる自費なのである。こんなヒドイ会社、他にあるんだろうか? これって会社なんだろうか?
「おかしいんじゃないですか!」と浜本に詰め寄ったのは先週のことで、その答えは一言。
「だって、お前、サッカーで行くんだろ。」
「……。」

 というわけで観戦仲間のKさんやOさんと車に乗って、東北道をひた走る。埼玉から仙台までたった4時間。新幹線なら2時間だ。ふと考えたのは、これって日帰りで行ける距離ってことかということ。

 例えば、大宮駅で8時に新幹線を乗ったとしたら、仙台に10時着。昼過ぎまで市内の書店さんを廻って、その後、上りの新幹線を途中下車しつつ、郡山や宇都宮を廻れば、ある意味一日の営業ルートになるのではないか。<東北その1>という営業ルートが、通常の営業として完成するのではないか。

 そういえば、前の会社のとき、日帰り名古屋出張というのをやって死にそうになったことを思い出す。あのとき考えたのは、労働時間と疲労が比例するのではなく、移動距離と疲労が比例するんじゃないかということだった。

 うーん、<東北その1>はどうだろうか…。

 さて、仙台に着いて早速市営地下鉄に乗り込む。目指すは、この誰も知らない土地で唯一知っている書店員IさんとCさんがいらっしゃる長町南のK書店。IさんとはDMゃFAXで注文のやりとりをしていて、いやそんなことよりもIさん熱狂的ベガルタサポなのだ。いつも注文書の脇に熱いサッカー談義を書き送ってくれていて、これは会わずにいられない。

 そしてそのIさんと同僚のCさん。Cさんとは何度かとある書店員さんが作っているHPでやりとりしたことがあって、その時、互いに孤高の文芸作家・丸山健二のファンと知り、驚いたことがあったのだ。それは丸山健二のファンが僕以外にいることを初めて知った瞬間だった。いやはや、こんなうれしいことはない。

 見知らぬ駅を降り、そして直結された大きなショッピングモールに入る。K書店さんはこの中にあるのだ。どんなお店なのか期待が膨らむ。知らない本屋さんに入るこの高揚感。これはまずいつもの営業ではなかなか感じられない喜びだ。エスカレーターを上りながら、心臓がドキドキし、額に汗が垂れる。

 そして、辿り着き、店内を見てビックリ。凄まじい熱気というか、お客さんが山のようにいるではないか。こんなに混んでいる書店さん、久しぶりに見たような気がする…。

 ぶらぶらと棚を見た後、レジに並ぶ書店員さんの名札を確認していると、おお、Iさんを発見。あわてて挨拶。初めてのはずなのに、初めてでないような、何だか不思議な感じだった。おまけに仕事の話をすっかり忘れてサッカーの話ばかりしてしまう。

 それにしてもあまりに忙しそうで申し訳ない気持ちになってしまう。Iさんが言うには完全な土日型なのだそうだけれど、それにしてもすごい混雑。それなのに、店長のNさんまでご紹介してくれ、その優しさに涙が出そうになってしまった。よくよく考えてみたら、僕はスーツすら来ておらず、普段着のままなのだ…。

 その後Cさんにもお会いでき、丸山健二の話で盛り上がり、すっかり満足してK書店さんを後にした。

 しかし何だかとても名残惜しい。このお店、また来たい。もちろん人の優しさだけでなく、棚もしっかり充実しているし、まったく地方の書店さんとは思えない品揃えなのだ。仙台駅へ戻る地下鉄の中で、訪問できた喜びよりも、もう来ることが出来ない悲しみに胸がしめつけられてしまった。結局その後、仙台市内の書店さんを廻ったが、こちらは見学だけ…。本当の出張に行きたい。

4月12日(金)

 僕は宮部みゆきの新作をいつも楽しみにしている読者だけど、その著作のなかで時代物は何となく遠慮していた。なんと今まで1冊も読んだことがないのだ。それには深い理由はまったくなく、何となく敬遠していたのだ。先月『あかんべえ』(PHP研究所)が出たとき、まったく読もうという意識がわかなかった。なぜだかよくわからない。

 こういう読者は結構いるようで、書店さんで『あかんべえ』の売れ行きを聞いてもやっぱり『火車』や『理由』や『模倣犯』のような現代ミステリーに比べると渋いらしい。もちろん、他の著者の時代物に比べたら売れているのだけれど、きっと僕と同じようにあまり深い理由もなく、「時代物」というだけで敬遠している人が多いのだろう。

 ところが、『本の雑誌』5月号の目玉企画「宮部みゆきが選ぶオールタイムベスト10」についての問い合わせを楽天ブックスの(瑞)さんから頂いた際、『あかんべぇ』がすごく面白いと言うではないか。その後(瑞)さんの読書日記をチェックすると泣けたとも書かれている。これは涙物の大好きな僕としては読まないわけにはいかないと初めて宮部・時代物に取り組んだのである。

 捨て子から這い上がり立派な庖丁人となって賄い屋を築いた七兵衛。その夢は料理屋になることだったが、それを自分では叶えることが出来ず、その夢を息子のように可愛がっていた弟子の太一郎に継がせる。太一郎も七兵衛同様孤児からの這い上がりだ。

 そしてその太一郎が料理屋を構え、さあ新たな門出だと順風満帆に開業しようとしたところ、なんとその初めてのお客さんの前に現れたのは、刀を持ったお化けだったのである。振り回される刀にお店のなかは大騒ぎとなり、いきなりお店は開店休業状態へ追い込まれてしまうのだ。

 しかし問題のお化け本体を見ることができたのは、太一郎の娘おりんだけで、おりんはそれ以外のお化けも家にいることを知り、徐々にお化けと親密になっていく。なぜこんなにもたくさんのお化けがいるのか? なぜ成仏せずにこの世をさまよっているのか? おりんがその謎を探るというのがざっとしたあらすじ。

 確かに江戸時代を舞台としているから「時代物」なのであろうし、お化けがでてくるのであるから「ホラー物」でもあるのだろう。また、お化けの謎を探るミステリーの部分もあり、おりんを中心とした七兵衛やその妻おさき、太一郎とその妻多恵などを巡る家族物語でもある。1冊で4度美味しいとはこのことか。

 しかしそんなことよりも、大きなテーマである人間の正と邪や、宮部みゆきが描くキャラクター構築がとにかく素晴らしいのだ。おじいさんはおじいさん、子供は子供としっかりと書き分け、どちらに対しも感情移入ができる。

 それに僕はぬいぐるみとかキャラクターものにあまり興味はないけれど、ここに出てくるお化けの携帯ストラップがあったら絶対に買いたいと思わされた。とにかく、どいつもこいつもキャラが立っているのだ。あっという間に読了し、もしかしたら『模倣犯』よりも楽しんだかもしれない。

 僕は生魚が食べられず、だから寿司も刺身もまったく食えないので人から「日本人として半分は生きる喜びを失っている」と言われることが多い。けれど宮部みゆきの読者で、今までの僕のように時代物を読んでいない人がいたとしたら「宮部読者として半分の楽しみを失っている」と言えるのではないか。是非、そんな方々、手に取ってみてください。

4月11日(木)

 横浜のM書店Yさんを訪れたら開口一番「3月末は杉江さんの日記どおり、新刊がすごかったわぁ~」と言われる。そりゃ、あの取次店さんでの仕入窓口の列なら、大変だったことでしょうと笑ったら、とても笑える状況ではなかったらしい。Yさん、朝7時から出社して、夜は11時まで、延々1週間休みなく働き続けたとのこと。それでもすべての仕事を消化することができず、今になってやっと一息ついたと話していた。

「もう絶対、わたしは本に殺される」とキレた頭で考えつつ新刊を並べていたらしい。いやはや、本当にいい加減この悪しき習慣について、出版社は考えた方がいいんじゃないか。たぶんあの3月末、大量に書店さんへ送られた本は、今頃半分近くは返品として出版社へ向かっているのだ。そこには返品率という数字しか出てこないけれど、Yさんのような日本中全書店員さんの大変な手間と輸送コストがかかっているのだ。これはかなりのロスだと思う。

 この業界の不思議なところは、誰も売れると思っていない物が世に出てくるということで、いったいこんな商売は他にあるのだろうか? 原価計算も何もなく、闇雲に本が出版されているような気がしてならない。それが出版文化といわれるものなのだろうか。正直言って、営業の僕にはよくわからない。

 ただ難しいのは、誰も売れると思っていない本が突然売れたりするところにあって、その夢をつい追いかけてしまいどんどん本を出してみるという発想になっているような気がするのだ。まるで宝くじを買うような気持ちで…。しかし現実に宝くじだけで生活している人がいないように、やっぱりそれでは成り立たないものだろう。

 Yさんが最後に付け足した言葉が心に残る。
「本が売れない、売れないって言うけれど、なんかこんなことをやっている出版業界が売れないようにしているような気がするんだけど」

 確かにそんな気が僕もしている。

4月10日(水)

 『本の雑誌』5月号の搬入日。今月は特大号でページ増のため、通常よりも結束が重い。しかし、道が混んでいたのか、製本所からの到着が遅くなり、そのお陰でいつもは納品後に出社してくる浜本と松村にも手伝わせることが出来た。そうだ、自分で作った本は自分で運ぶべきなのだ。1冊の重みを知ることは編集者にとって大事なことだろうと脇で眺めていたところ、「杉江!手を抜くな!」と怒られる始末。ああ。

 受け入れを終え、一息つく間もなく、僕は御茶ノ水・茗渓堂さんへ直納。中央線に揺られながら、出来たばかりの本の雑誌を読む。いちおうゲラの段階で読んでいるのだが、それはほとんど流し読みにして、イチ読者どしてちゃんと製本されてからしっかり読むようにしているのだ。すると「発作的座談会スペシャル 最強のおかずはこれだ!」の稿で、思わず吹き出してしまった。初めはどうにか肩をガクガクする程度で我慢できていたのだが、木村晋介氏が妙に椎名にからむところで、もう我慢の限界と大爆笑。やっぱりこれは電車のなかで読んではいけないものだった。

 営業で廻っていてよく聞かれるのがこの発作的座談会のこと。「あれって本当は編集部の方で作っているんでしょ? まさか沢野さんってあんなとぼけたこと言いませんよね?」と言った真実への問い合わせなのだ。あのバカバカしさに思わずそんな疑問を持ってしまわれるその気持ちはよくわかる。僕もかつてはそんな風に考えていたのだ。

 ところがところが、僕もこの発作的座談会の収録に立ち会うようになり、正真正銘あのバカバカしさの対談を、目の前で繰り広げられているのを見て唖然としてしまったのだ。まったく「作り」などなく、もし「作り」というならば、あまりにバカバカし過ぎて、世間様の手前4人が本当のバカだと思われるのがかわいそうで、そこをカットするくらいだ。「本当にあんな会話をしているんですよ、困っちゃいますよね」といつもそんな風に答えている。

 なぜ困るのか? 読者のみなさんはただ単に著者としてこの4人を見ているであろうが、実は僕にとってはみんな会社の上司であり、取締役や顧問なのである。僕はいつもいつも立ち会いの最初のうち一緒になって笑っているけれど、段々その顔が引きつりだし、最後には不安と絶望のどん底落ち込む。こんな会社にいていいのかと。

 みなさんも会社の上司が、例えば仕事の後の一杯で「おかずは何が一番最強か?」や「ストーブとコタツはどっちがエライか?」なんてことを本気で話あっていたら、その会社にいることに不安を持つのではないだろうか? 僕は『沢野字の謎』の収録にはすべて立ち会っていたのだが、「匿名手帳よーし」と「階段のあかりをつけたら妻がいた」で大騒ぎしている4人の陰で、絶対辞表を書こうと考えていた。

 しかし、そう言いながらも何かツライことがあったら、『本の雑誌風雲録』か『発作的座談会』を読むようにしているのも事実。結局、同じ穴の狢ということなのだろうか? 何だか本の雑誌社にいるとどんどん自分が壊れていくようで恐い。

4月9日(火)

 直行で取次店さんを廻る。『岸和田少年愚連隊 完結篇』事前注文分の短冊を渡す。何だかこの日はホッとする。やっとこれで1冊新刊の営業活動が終わったのだといった、ある種達成感が湧く。

 しかし、訪問できなかった書店さんがあったり、目標まで達成していなかった場合は、逆にうしろめたい気分に襲われたりするもの。100%思い通りにこの日を迎えることはほとんどないので、いつもちょっと残念な気持ちが残る。ああすれば良かった、こうすれば良かったとひとつひとつ思い浮かべて後悔してしまうのだ。

 しかし、すでに次の新刊である吉野朔実著『弟の家には本棚がない』の営業活動もシンクロして始まっており、また既刊分や売行き良好書の営業もしなければならない。常に何かに追われているようで恐ろしい。たぶんどんな仕事も同じなんだろうなあと考えながら、当HP『ほんや横丁』でお世話になっている東京ランダムウォーク六本木店を訪問しようと市ヶ谷から南北線に乗り込んだ。

 六本木1丁目で降り、地上に出る。ところがどこをどう歩いて、どちら方面に向かったら東京ランダムウォークに着くのかわからない。あれ?おかっしいなあ、何回も来たはずなのにどうしてだ。そういえば、いつも六本木駅から坂を下ってお店を訪問し、その後ここから電車に乗り市ヶ谷に向かっていたのだ。今日はいつもと逆だから見慣れないのかもしれないと周辺をうろつく。しかし、それにしてはまったく見たことのない建物ばかり。おかしい、おかしいと考えているうちに駅の場所すらわからなくなってしまった。

 会社に電話を入れ、事務の浜田に泣きついた。
「あのさ、迷子になっちゃったんだけど」
「えっ?」
「渡辺さんのお店に行きたいんだけど、どこだかわからないんだよ」
「えっ、杉江さんは今どこにいるんですか?」
と言いながらガサゴソと地図を開く音がした。

「で、杉江さんが今いるところは?」
「それがわかっていれば、電話しないでしょ。さっき、六本木1丁目の駅から出たんだけど、それからうろついて今どこだかわからないんだよ」
「じゃあ、私にもわかりませんよ。角を3回同じ方向に曲がれば元の位置に戻るはずですよ」
と電話を切られてしまった。恥を忍んで電話したというのに…。

 東京はとても冷たいところだ。30過ぎの男が涙目でうろついているのに誰も声をかけてくれない。そもそもこの辺を歩いている人に「東京ランダムウォークはどこですか?」と聞いて通じるのだろうか? うーん、どうしたら良いんだと適当に歩き回っていると、営団地下鉄のマークを発見する。おかしい、あれだけ歩いてまた「六本木1丁目」の表示ではないか…。

 こうなったらもう営業をあきらめて会社に戻ろうと思った。路線図を確かめると隣駅の「麻布十番」で大江戸線に乗り換えられることがわかった。ならばそれで新宿に出よう。

 しかし麻布十番で乗り換えようとしたところ、おかしな現象が起こった。僕はこの場所を見た記憶があるような気がするのだ。改札も、通路も、デジャブにしてはやけに強い印象が残っているではないか。休日はサッカー場以外ほとんど出かけないから絶対こんな場所に来たことがないはずだし、おまけにお洒落なスポットで酒が飲める柄でもない。うーん、どんな記憶なんだろうか、とりあえず外に出てみようと地上に上がったところで僕は思わず大声を上げてしまった。

「あっ!!!」

 皆様、東京ランダムウォーク六本木店は、決して六本木1丁目駅ではありません。六本木駅もしくは麻布十番駅が最寄り駅になっております。

 こんな頼りない営業は、きっと本の雑誌社くらいしか雇ってくれないだろう。

4月8日(月)

 営業を終え会社に戻ると単行本編集の金子がニヤニヤしながら近寄ってきた。
「今日埼玉県の川口に行ったんだよ」

 日頃ほとんど社内にいても無言でMacに向かっている金子が、こんな元気に話しかけてしてくることはない。とりあえずこちらの仕事の手を休めて聞くことにした。するといきなりこんな文句が…。

「スギエッチさぁ、よくあんな田舎に住んでいられるよ。すごかったよ~、川口…。お店も何もないし、工場だらけだし。恐い町だねぇ」と。

 思わず地元をバカにされたので、カッとなる。
「何を言っているんですか! 川口駅前にはそごうもあるし、丸井もありますよ。お店だってすごい商店街だし、本屋だって書泉さんがドカーンとあるんですよ。いったいどこを見てきたんですか?」
「『岸和田』の刷り出しで川口に行ったんだよ。なんかすごい所だったよ。その印刷会社は24時間機械を回しているらしいんだけど、そんなことができるのも、あんな殺風景な土地だからだよ。それに遠い、遠い。あそこはすごい遠い」
としつこく地図まで引っぱり出してくるではないか。川口は東京から川をひとつ越えたところで、僕が住んでいる浦和より東京に近い。そこを遠いと言われても僕としては困る。

 この道を通って、ここで曲がってと説明する金子の指先を見つめると、そこは川口市といっても中心街ではなく、どちらかというと陸の孤島と言われていた鳩ヶ谷に近い場所だった。確かにその辺りはすごいかも…と車を走らせているときの景色を僕は思い出していた。すると再度追い打ちをかけるように金子が言う。

「スギエッチさあ、いったい会社まで何時間かかるの」
「えっ、家からだと1時間30分くらいですけど…」
「ほんと? そんなところから通っているの? 信じられないなあ…」

 おかしい、おかしい。絶対におかしい。1時間30分なんて平均的な通勤時間じゃないのか? 仕事を始めてから、僕はいつでもそれくらい時間がかかっていたし、書店さんで話を聞いても2時間近くかけて通っている人はざらである。

 いやそれ以上に本の雑誌社のメンバーはおかしいのだ。みんながみんな、埼玉を田舎と言ってバカにするのだ。本人達はもっともっと遠く離れた地方から東京に出てきたくせにだ。発行人の浜本は函館で、本誌編集の松村は滋賀。営業事務の浜田はなんと愛媛である。そして本日散々埼玉をバカにしている金子だって、愛知のはずれ。唯一東京生まれの東京育ちは経理の小林だけで、どう考えてもこのなかで2番目に都会っ子なのは、埼玉の僕じゃないのか? それなのに今はみんな都内に住んでいるからといって僕をバカにするのだ。社内連絡網を見ながら「03」地域でないのは僕だけだと言って笑うのだ。

 ムキになって金子に反論していると、奥から浜本の声が聞こえた。
「杉江くんね、そうやって反論するところが、田舎者なんだよ」

 ……。

4月7日(日)『炎のサッカー日誌 2002.03』

 今年になって一度も笑っていなかった。いや普通に微笑み程度なら笑っていたかもしれないが、心の底から笑ったことはなかった。なぜならレッズが一度も勝っていないからだ。Jリーグ02シーズンが開幕してここまで4試合。我が浦和レッズは0勝3敗1分なのだ。これで笑えという方が無理な話。僕にとって、幸せは常にレッズのそばにあり、なぜか不幸はそれ以外のところにも転がっている。うーん。

 今日こそは、と思いつつ毎度毎度の列並び。朝6時に来ていた観戦仲間のKさんと合流し、ホーム駒場を眺めながら乾杯。この酒がこの世で2番目にうまい。もちろん1番目は勝利後の祝杯だ。

 Kさんに連れられてとある販売ブースへ。そこには山のように本が積まれていて、何かと思って手に取ると『浦和レッズ10年史』(ベースボールマガジン社)であった。素晴らしい本ではないか。思わず3000円を払い早速購入。ああ、こういう本を僕は作りたかったんだよ…と悲しみと喜び半分で中を見る。ミスターレッズ福田のインタビューがあり、神様ギドのインタビューもある。おまけに過去在籍したメンバー全員の名鑑もついているし、全試合のデータもある。こんな素晴らしい本はないだろう。今年度のベストには絶対押し込んでやろうと決意する。

 試合開始前には、本年から年間シートを購入してしまった恐るべき還暦サポーター、父親と母親も合流し、ブルジョワ兄貴も指定席へ。ほんとにサッカー場以外で家族が集まることがない。こういうこともやっぱり家庭崩壊なのだろうか。

 あっけなく先制点を取られたときには、かなり悲観的な気分になったが、その後は今年初の浦和レッズ祭り。オレの廻りをサッカーボールが回っていると考えているわがまま小僧エメルソンが、何をどう改心したのか、素晴らしい動きを見せ、ハットトリック。おまけに、ただいま一番レッズでサッカーができることを幸せに思っている(であろう)トゥットもゴールを決め、4対1の大勝利。ゴールの度にKさんやOさんと抱き合い、今日は4度も抱擁してしまったではないか。

 これだからレッズサポを辞められない。我らバカどもは、今週末に仙台に乗り込むのだ! 果たして東北道の向こうに幸せが待っているのか、それとも不幸が待っているのか。この時点では誰も知らないが、知らない方が良いこともあるといのはわかっている。

 ちなみに父親と母親は、本日の勝利でペットロス症候群から晴れて抜け出せたようだ。悩みのある方、是非、駒場へ。

4月5日(金)

 西武池袋線を営業していたところ、事務の浜田から携帯に電話が入る。この電話に出なければ僕は幸せな一日を遅れたはずなのに、ついつい通話ボタンを押してしまい、今後に続く最悪な一日がスタートした。

「杉江さん、ちょっとお願いがあるんですが…」
と浜田は言い淀みつつも、僕の返事を待たずに要件を切り出した。
「編集部が深夜プラス1に本の注文をしていて、ちょっとそれをついでに取ってきて欲しいんですけど」

 「ついで」といっても僕が今いるのは東京郊外で、どう考えても「ついで」ではない。おまけに本日夜、僕は書店さんとの飲み会があり直帰する予定だったのだ。

「でも、オレ、今日会社に戻らないんだけど」
若干不満のニュアンスを含ませて応対すると
「あっ、いいんです、受け取って月曜日に持ってきてくれれば」
と切り替えされる。どうしても取ってきて欲しいらしいのだ。ならば、その飲み会も飯田橋であるから確かに「ついで」になるかと考え直す。しかし一瞬嫌な予感がしたので、その「量」を確かめた。

「あのさ、何? どれくらい?」
「えーっと、えーっと、2000円くらいです」
と浜田は答えた。本の量を聞いているのに、その値段を答えるのはおかしいんじゃないか。どうして何冊と答えないのか少しだけ疑問に感じたが、まあ2000円なら文庫で4冊、単行本なら2冊が限度だろうと、渋々了解したのであった。

 営業を早めに切り上げ、飯田橋駅にたどり着いたのが5時過ぎ。深夜プラス1の浅沼さんから本を受け取り、近辺を営業して、ちょうど飲み会の待ち合わせ時間6時。なんてぴったりな行動なんだろうと一人悦に入りつつ、深夜プラス1へ。

「すいません、編集部の注文を受け取りに来たんですが」
と声をかけると、いきなり浅沼さんは写真集やエロ本を取り上げ出す。お決まりの冗談に、「いい加減にしてください」と突っ込みを入れると、ハハハと笑いながら今度は分厚い少年漫画誌を詰め込み出す。今日はやけにしつこいなと思いつつ、
「浅沼さん、わかりましたから、本当の注文をください」
と再度突っ込みをいれたところ、
「いや、杉江君、本当にこれが編集部の注文なんだよ」

 深夜プラス1を出たときには、僕の両手に大きな紙袋がふたつ。あの分厚い少年漫画誌が計8冊も入っているのだ。値段は確かに2000円ちょっと。両手はブルブルと震えていた。それは本の重さ以上に怒りの震えであった。

 こんなものを一度持ち帰って出社しろというのか? ただでさえ重いのに、この後酒を飲んでまともに帰れる訳がない。酔っぱらった僕が、どこかに捨てる可能性は大。もし、万が一持ち帰ったとしても翌月曜日にこんなものを持って超満員の埼京線に乗る自信もない。しかし会社に戻っている時間はない。6時の約束はもうすぐなのだ。おまけにこんなものを持ってこの後、営業を続けることも出来ない。思わず飯田橋の駅前で、一歩進んでまた戻りの繰り返し。どうしたら良いんだと呆然と立ちつくす。

 結局、僕は一旦会社に戻ることにした。飲み会の相手には1時間ほど遅れますとお伝えして…。

 総武線の中で、怒りがこみ上げてくる。初めからわかっていたのになぜ言わなかったのか? 本の量を聞いたときになぜ内容を言わなかったのか? 全部が全部不満である。ここ数年、僕は会社で怒ったり叱ったりすることを控えていた。それは、小さな会社で誰かが声を荒らげると、全体に影響することを感じたからだ。その時以来僕は、ムードメーカーになろうと決意し、一切小言を言うのを辞めていた。しかし今日は我慢できない。これは絶対に怒るべきだと考えていると、足は自然と速くなる。

 容疑者その1 事務の浜田
 彼女は、助っ人の仕事を管理している。本日編集部からあがったこの受け取りの仕事を助っ人が少なかったため、僕に依頼したのだろう。それはまあ許す。しかし、内容を知っていながらそのことを告げなかった罪は重い。

 容疑者その2 編集の松村
 この仕事を出した張本人。浜田のミスでない可能性があるとしたら、松村が浜田に内容をしっかり伝えなかったということ。こちらの罪は浜田以上に重い。

 容疑者その3 全員
 たまには杉江をおちょくってやろうと社内中で発案。この場合、僕はただちに辞表を叩きつけよう!

 さて、どう始末してやろうかと考えつつ、笹塚10号通りを歩いていた。いや、ほんとのところは、そんな深く考える余裕なんてまるでなく、ただただこみ上げてくる怒りを静めるので精一杯であった。

 会社のドアを乱暴に開け、「どういうことだ!」とふたりの容疑者を睨んだ。すると<容疑者1>浜田は「あれ?杉江さん直帰じゃないんですか? どっか具合でも悪くなったんですか」と凄まじいおとぼけをかますではないか。「これだよ!」と証拠物件を机の上に投げ出すと、浜田もビックリ!
「えっ、こんなにあったんですか!」と僕が深夜プラス1の浅沼さんの前でした顔と同じ顔をするではないか。元々浜田は演技が下手なだけに、これは犯人ではないとこちらもピンと来た。お前はウソをついていない。では次なる<容疑者2>松村の仕業か?

 すると松村、僕の大声と大魔人のような顔に驚き、あわてて奥から飛び出してきた。僕をはめた割には焦っているのがわかる。しかし松村は日頃著者という一筋縄ではいかない人達の相手をしているだけに油断はできない。

「すみません、すみません、あれこんなに大きいんですか? 『少年ジャンプ』って…。いや知りませんでした、ほんとにすみません」

 ついその言葉を聞いて、思わず弱い口調になってしまう。
「えっ、松村さん『ジャンプ』知らないの?」
「えっ、あっ、はい。わたしコミック誌全然知らないんです。いや他にも知らないことがいっぱいあって、ほんとわたしはダメなんです。どうもすみません」

 いや、そんなことは聞いていないんだというほど、あれも知らないこれも知らないと発言するではないか。確かに松村は炭疽菌を知らなかったけれど、まさか『ジャンプ』を知らないとは…。しかしその言葉はウソではなかった。浜本も金子も朝から不在で、ということは、犯人は誰もいなくなってしまった…。

 僕はこの怒りをどこに下ろしたら良いのかわからなくなってしまった。被害者はいるのに、犯人がいないのではどうすることもできない。それどころが異様に怒っている僕がまるでおかしな人のように浮いている。ああ、どうしてこうなってしまったのか。悶絶の苦しみのなか、再度飲み会の飯田橋へ向って走った。

 ああ、チクショー!!!

4月4日(木)

 『岸和田少年愚連隊 完結篇』の事前注文〆切が近づいているため駆け足で千葉方面を営業。僕はこのシリーズの一番初めの巻を、その頃まったく『本の雑誌』というものを知らずに何げなく購入した記憶がある。そして電車の中で読み出し、一気にはまってしまったのだ。ウソともホントとも取れるかなり危険なケンカ。関西ならではの笑い。そして友情。何だか自分の学生時代にちょっとだけ似ていて、最高だった。本の雑誌社に入社して、一番うれしかったことのひとつは、自分がその『岸和田少年愚連隊』シリーズの営業ができるということだった。

 ここ半年近く、新人や無名の書き手の本が多く、営業としてはちょっとキツかった。書店員さんに著者の紹介から始めなければならないし、内容も伝えなくてはならない。どれくらい売れるか互いにわからず、それを探りつつ営業をしていた。そんな書き手の本を、しっかり売るためには、どうしたら良いか?ということを考えながら。

 それもこれも発行人の浜本が昨年初めに「今年は新しい人の本をいっぱい出したい」と決意を表したからで、まあ、会社としてもそういうこともした方が良いんだろうと僕も頑張ってきたのだ。

 その点、この『岸和田少年愚連隊 完結篇』はとても楽。過去のデータもあるし、書店員さんも知ってくれている。訪問してチラシを見せればすぐに部数が出てくるので、あっという間に終わってしまい、ほとんど僕がいる意味はない。まあ「完結編」ということで、既刊分をあわせて営業するくらい。

 しかし、何だか物足りないというか、淋しさを感じたのも事実。装丁やレイアウトも前作があるためそんなに変化も付けられない。うーん、やっぱり新しいことをやるというは苦労にプラスしてその分喜びもあるものなのだな…と常磐線揺られながら考えていた。

4月3日(水)

 二子玉川のK書店を訪問しようと田園都市線に乗り込んだところ、ハッと気づいたら大きく乗り過ごしてしまっていた。すっかり春の陽気に誘われ、眠り込んでしまったのだ。<良い営業>を目指すつもりが、まったくその逆へ。

 目を覚ました次の駅が青葉台。ちょうど書店戦争勃発を叫ばれている町だったので、見学がてら下車することに。なぜ見学なのかというと、これもここに書くには恥ずかし過ぎる状況なのだけれど、ただいま僕は名刺のストックが空なのだ。昨日そのことに気づいて慌てて印刷会社に発注したものの、現在まったくの0。だから初対面の書店員さんにご挨拶できないのだ。営業マンは名刺さえ持っていれば、どこにでも飛び込んでいけるけれど、これでは勝負にならない。<良い営業>どころか、<営業>と呼べない悲惨な状態なのだ。ああ情けなさ過ぎる。

 初めて降り立った青葉台。思わず街のデカさに度肝を抜かれる。これはとても郊外と呼ぶような街ではない。地方都市だったら充分県庁所在地と言えるほど発達しているではないか。それに、ターミナル駅でもないのに、なぜか異様に人出が多い。若い人から子供連れの主婦、それにお年寄りも。ここは確かに商圏が大きそうだ。

 僕は生まれも育ちも埼玉なので、東京圏から電車で30分以上も離れた町というと、何となく閑散とした町を想像してしまう。ところが青葉台は立派な街で、埼玉でこれほどの街といえば、大宮くらいしか思い浮かばない。うーん、これが東武と東急の力の違いというものなのか?

 驚きつつ、キョロキョロと田舎者化し、まずはH書店を訪問。すると、いきなり声をかけられ、誰かと思ったらミステリ版元T社の営業ウーマンSさんだった。実は昨日、埼玉方面の営業に出かけていて、浦和の道端でこのSさんに声をかけられたばかりなのだ。連日営業の場で会うなんて恐るべき偶然。

 Sさんは自社のフェアに合わせて手製の看板を作り、その設置のためにH書店さんを訪問していたのと、昨日に引き続き新入社員S君と担当の引継とのこと。こちらは名刺もないまま、ウロウロとしているダメ営業マンで、思わず恥ずかしくなって逃げ出すようにH書店さんを後にしてB書店さんを見学。

 それにしても、田園都市線の書店さんは、なぜにこんなに学参の展開が大きいのだろうか? H書店さんもB書店さんも、たまブラーザのY書店さんも二子玉川のK書店さんもすごい棚数だ。他の地域の書店さんではわりと縮小傾向にある分野だから不思議だ。この沿線はやっぱりイメージ通り教育熱心な土地柄なのだろうか? うーん、これも東急と東武の違いなのか?

4月2日(火)

 とある書店さんと「良い営業」についてメールでやりとりをしていたら、こんな返事を頂いた。(本人に掲載了承済み)

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私が思う、よい営業さんの条件。
1、店でお客様や店員に気配りができる方。
2、自社の売れない本をちゃんと教えてくださる方。
3、他店や他出版社の情報をもってきてくださる方。

悪い営業さん。
1、売れもしないフェアをゴリ押しする方。
2、うそをつく、またはごまかす方。
(減数になるなら正直に言ってほしいのですよ!)
(電話で居留守もやめてほしいのですよ!聞こえてるって!)

要するに、誠実さですよね。
それが信用につながるのですよ。

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 なるほどと頷きつつ、ふと疑問が湧く。

 それは<悪い営業の条件>で、居留守を使うというもの。まさか営業マンが居留守を使うなんてあるのか?と首を捻ってしまった。わざわざ書店さんが電話をしてくるということは、何か用があるわけで、例えば注文であったり、返品であったり、フェアの相談であったり、どれもこれも基本の仕事だろう。

 ところがいくつかの書店さんで確認をしてみると、かなりの方が居留守の被害にあっている。特に名の通った出版社に多いようで(まあ、そういうところ以外あまり電話をすることもないから特に名があがるのだと思うけれど)書店さんが初めからあきらめている出版社もあったほど。まあ、担当営業マンの不在すべてが居留守ではないと思うけれど、頼んでおいた折り返しの電話が掛かってこないというのも多いらしい。いったいこの業界の営業って何なのだろうと考え込んでしまった。

 書店さんが話すには、「きっと注文を取ったのにかなり減数して出荷したとか、注文をいつまでも保留にしているとか後ろめたいことがあるんじゃないの」などといった理由が思い当たるらしいが、それにしてもまた営業として接点を持つわけだから、いつまでも逃げていられるもんじゃないでしょう。

 こんな営業を相手にしている書店さんはつくづく大変だろう…。僕は<良い営業の条件>を満たせるよう頑張ろう。

4月1日(月)

 S出版社営業ウーマンのSさんから先日とある連絡を頂いた。それは、中部地方へ出張に行った際、僕を知っている書店さんがいらっしゃったという報告だった。いったいどうして僕のネタが出たのだろうか? 前の週にSさんと飲んでいたからなのか? いや、そんなことよりも、一度もお伺いしたことのない地方の書店さんで話題が出たことに驚いてしまった。

 せっかくありがたいご報告を頂いたので、これはとにかく何か連絡をしなければと、出来たばかりのDM『本の雑誌通信』と新刊案内をお送りしていた。

 本日、営業から戻ると一本の電話が入った。それはまぎれもなく、そのご紹介して頂いたS書店のNさんからで「どうも初めまして…」と言いつつ、僕はものすごく照れてしまう。どうしようもないほどの照れ屋なので、いきなり会話で始まる初対面の電話というのが苦手なのだ。

 うーん、これじゃ営業マンとして失格だなあと思っていると、Nさんに「炎の営業日誌読んでいるんですよ」と言われてしまう。この時点で完全に舞い上がってしまい、僕は、より一層しどろもどろ状態に陥り、ほとんど自分でも何を言っているのかもわからない。「名古屋出張の際には是非お伺いさせて頂きます」と何度何度も呟いている始末。

 電話を切って吹き出した汗を拭っていると、事務の浜田が大爆笑。
「杉江さんが弱っているのを初めて見ましたよ、いやー、楽しい楽しい」
 
 愛猫小鉄が死んで塞ぎ込んでいた気持ちが、Nさんの電話のお陰でちょっと明るく照らされた。こんな日常の楽しさが続いて、ゆっくりゆっくりと僕も元気になっていけることだろう。

 ありがとうございます、Nさん。
 とにかく名古屋に出張に行った際は、お伺いさせて頂きます。

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