WEB本の雑誌

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6月28日(金)

 ここのところ大書店の人事異動が盛んで、営業マンとしてはツライ時期が続いている。ツライというのは、何も別れの悲しみといった感情的なものだけでなく、仕事としても結構ツライのだ。

 緊張の名刺交換から何年間かに渡って書店員さんとの関係を作り、それを棚へ反映させていく。出来れば一方的な営業マンとしてではない存在になりたいので、書店員さんと棚が良くなること、売上が良くなることを考えて意見を交換し、そんななかでジワジワと信頼関係が出来上がればベストだと思っている。いざという新刊で大きく展開してもらったり、フェアで勝負をしてもらったりと、長い目で見れば自社本の売上に還元されていくだろう…と。

 そんな関係が人事異動であっけなく消えてしまう。また一からやり直しか…とちょっとうなだれつつ、名刺交換を続けていた。

 しかし、今現在、信頼関係を築けている書店員さんも、元を正せばこの名刺交換から始まったのだ。「これから」の可能性がたくさん転がっているということだ。上を向いて歩こう。

6月27日(木)

 去年卒業していった助っ人達がやって来て、久しぶりに飲み会へ。それぞれ一年分成長し、立派な社会人になっているかと思ったが、意外とそうでもなく1年前と同じように生意気なことばかり言ってきやがる。「人はそうそう成長しないんだなぁ」と呟いたら、「杉江さんは一人で老け込んで行きますね」とまたまた暴言を吐かれる始末。……。

 よくよく考えてみると、最近ほとんど学生達と飲んだり、遊んだりしていなかった。前は月に1度か2度、その日会社をうろついている学生を集め、酒を飲んだり、ビリヤードをしたりして夜遅くまで遊んでいたのだ。それが「本の雑誌」の伝統だと考えていたし、また仕事を離れて気楽に飲める楽しい時間でもあった。

 それが、いつの間にか学生達とは社内でほんの少し顔を会わせるだけの関係になってしまっていた。理由はよくわからないがいくつか思い当たるフシもある。

 まず、男子学生がいなくなってしまったこと。別に作為的に男の子を入れていない訳ではないのだが、結局続かずに辞めていってしまったりして、現在助っ人の全員が女子学生なのだ。こうなると30オヤジは、ちょっと飲みに行きたい気分でも声をかけずらい。

 それと僕が本の雑誌社に入社したときの年令が26歳で、そのときは学生と年令が近かった。だから話題には事欠かないし、熱い議論なんていうのも恥ずかしげもなく出来た。しかし今は最大年齢差12歳。この差は、お互い会話するにしても噛み合わずツライところだろう。

 そんな理由をいつだかブツブツ顧問目黒に話していたら、なんと目黒は『本の雑誌風雲録』(角川文庫)で描いている助っ人との濃密な時間を過ごしていた頃、すでに35歳を越えていたというではないか。いったい何を話していたのか不思議なのだが、それは当人も覚えていないらしい…。

 来月からは現在募集している新人助っ人学生がやってくるという。年齢差は毎年離れていく一方だが、彼ら彼女らは何を求めてこんなちっぽけな会社にアルバイトに来るのだろうか。若き頃の目黒と助っ人学生のような濃密な関係も求めているのだろうか…。

6月26日(水) 炎のサッカー日誌 ワールドカップ篇その3

 唐突に誘われ、唐突に早退し、埼玉スタジアムへ。
 しかし会社の誰もが驚かず、「いってらっしゃ~い」と優しく送り出してくれる。「仕事よりもサッカーが大事」と周囲の人に理解してもらうまでかなり苦労したが、ここまで来ればもう安心。心おきなくワールドカップ準決勝を堪能できるというもの。

 実は夜8時30分のキックオフだから、早退しなくても本当は間に合う。でもやっぱりサッカーを観るのにスーツじゃ堅苦しいし、試合後の余韻以上に、僕は始まるまでの緊張感と期待感が入り交じったどこか惚けた時間が好きなのだ。同行者と会話しながらも気がそぞろ、スタジアムに何か動きが起こればすぐにそちらに視線を飛ばしてしまう。そんな時の流れが僕は何よりが大好きだ。

 このために引っ越した我が家から、自転車に乗って埼玉スタジアムへ。駅前にはシャトルバスを待つ列が何列も出来ていた。人からみたら大変くだらないことだけれど、僕の胸には優越感がこみ上げる。浦和レッズの試合は、なるべく酒を飲まずしらふで観戦しているけれど、ワールドカップでは、あまりにも周りが興奮していて、しかもその興奮がちょっと異質で、こちらがしらふだとちょっと気恥ずかしくなってしまう。「踊る阿呆に見る阿呆、どうせ阿呆なら踊らにゃ損損」とばかりに、途中コンビニで缶ビールを買い、そいつを飲みながら自転車を走らせた。

 通常の駐輪場は閉鎖されているため、スタジアムから距離のある場所を指定された。不平を垂れつつ歩いていると、目の前を見たことのある人がこちらに向かってくる。おお! ハウンドドックのボーカル大友康平ではないか! 学生時代非常に憧れていて、CDはすべて買い、ライブにも足げく通い、今でもミーハー的会ってみたい人ナンバー2にリストアップされているその本人! 信じられない遭遇に思わず興奮の握手。しかし何も言えないのが僕の弱点であり、それは営業マンとしても押しがないダメさの素。それでもとびっきりうれしい数秒間だった。

 ブラジル対トルコ戦。始まるまではサッカーキッズの頃から魅了されていたブラジルに興味を抱いていたが、時間の経過とともにトルコの素晴らしいサッカーに心を奪われていく。ボールをピタリと止めるトラップ。そこからのドリブル。短いパス、長いパス。敵と1対1になったときの鋭い切り返し。前線を追い越すフリーランニング。個人技術と組織力が絶妙に融合されていて、そのなかにキラリと光る選手が突破やスルーパスを試みる。ハサンとエムレベロゾールは僕好みの選手だ。同行の友人がポツリと漏らす。「ハジがいたときのルーマニアに似ている」。

 僕と友人はトルコのサッカーの素晴らしさに魅了され、数多くあったチャンスに声をあげてしまいそうになる。しかし周りは浅草サンバカーニバル状態なので、声は出せない。唇を噛みつつ、何度も立ち上がりそうになる腰を下げ、必死に我慢しつつもトルコを応援していた。

 結局唯一トルコに足りなかったのはシュート力で、それだけが頼りのブラジルに敗北してしまった。しかし、僕のこのトルコサッカーへの感動は静まりそうにない。そして恐ろしい予感もする。浦和レッズを応援するために浦和に引越をしてしまった僕が次ぎに何をするのか。自転車に乗りながら、グルグルと頭の中が動き出す。

 家に帰って僕は、高々と宣言した。
「トルコに行くぞ!」

6月25日(火)

 この業界はとても不思議な業界で、注文品の行方不明なんてことがしばしば起こる。
 本の雑誌社にも「○日に注文した分がまだ未着なんです」と書店さんから連絡が入る。ビックリするほど時間が経過してしまっていて、あわてて注文の控えと納品伝票をチェックするが、間違いなく出荷していることが証明されるだけで、その本がいったいどこへ消えてしまったのかはわからない。書店さんと互いに電話口で頭を抱え、結局、再納品という手段を取ることに。

 今日も、ある書店さんで超!売行良好書の注文分の未着が話題になった。しかしそれは客注品とか棚回転分などといった単冊の注文品ではなく、なんと100冊のまとまった注文分なのだ。店頭では現在品切れで、あればあるだけ売れるまさに売上の柱。驚きつつ、事情を聞くと、担当者は怒り心頭で「出版社は出荷している、取次店は短冊不明のなしのつぶてなんだよ」と話される。いやはや100冊がなくなるなんて、とても事故とは思えない。

 そういえば、その本…。先週お伺いした他の書店さんでも未着が問題になっていた。こういう話題があがる度に、いろんな噂が沸き立つ。しかし、それがワールドカップの審判疑惑や田中真紀子の不正問題同様、決して明るみにはならないだろう。

6月24日(月)

 新宿K書店さんへ直納後、新宿を廻り、先日の続きで渋谷へ。
 南口のY書店を訪問したところ、担当のTさんが新刊棚の前でぼんやりしている。すぐさま「どうしたんですか?」と思わず声をかけそうになるが、その表情を見て一瞬足が止まった。何だかとても幸せそうな顔をしていたのだ。

 しばらく様子を伺っていると、その理由がわかった。Tさんの前には本日入荷したであろう新刊がまだ置き場が決まらず積まれていて、どうもその平積み場所を探しているようなのだ。まさに書店員冥利に尽きる、至福な時間であろう。僕は一度お店を後にして、再度訪問することにした。

6月21日(金)

「全身からだが痛い」
と謎の言葉を残し、浜田が突然の病欠。15分ほど心配してみたが、よくよく考えてみると今日はブラジル対イングランドという最高の対決ではないか。そういえばすっかりミーハーな浜田はW杯が始まって以来、オーウェンの切り抜きを机に貼りつけている。これが仮病を使ってテレビ観戦くらいなら許すけれど、もし静岡に向かって生観戦なんてことだったら絶対に許せない。怪しい、怪しすぎる。

 午前中、その浜田の分の事務仕事を片づけようと思ったが、まったく理解不能。適当にあしらっていたら、M倉庫のSさんから逆に教えられる始末。結局、余計なことをすると浜田の仕事が増えそうなので、本来の仕事である営業に向かうことにした。

 ただでさえ、30歳のおっさんには気分の悪い街渋谷なのに、夏を思わせる暑さでより一層イラついてしまう。早足で歩き、書店さんに飛び込み、クーラーに当たり汗がひくのを待つ。こういう日はなるべく担当者の方が食事に出ていて「15分後に戻ります」なんて言ってくれると幸せなんだけどと考えていたが、世の中そんな甘いこともなく、いや仕事としては絶好調で書店員さんとしっかり会えてしまった…。

 今、渋谷でこっそり面白い書店は、実はY書店さんなんじゃないかと棚を見ながら考えていた。坪数で言ったら駅近郊の中では小さな部類に入るが、その小ささを逆に活かして、セレクトショップ化しているのだ。棚一段をちょうどミニフェアにしているようで、新刊も既刊もあるいは単行本と文庫の区別もなく並んでいたりする。そんな感想を担当のOさんに伝えると、「いや~、毎日もっと出来るんじゃないか、もっと出来るんじゃないか考えているんですよ」と熱い意気込みで答えられ、思わず感動。

 その後A書店さんへ向かい、先日の新元良一氏&柴田元幸氏のトークショーの後処理。展示用の本を大量に持ち、汗をカキカキ、会社に戻った。

6月20日(木)

 ベスト16が出揃ってW杯も束の間の休息。決勝戦を除いて、ここからのベスト8、ベスト4が一番激しい戦いが見られるというのに、「ワールドカップも終わっちゃって…」なんて挨拶が飛び交うとは、サッカーバカにはとても信じられない世の中だ。

 ただこの二日間に選手同様、僕も身体を休めようと考えていたのに、昨日は浮き球の納会、今日は木村晋介法律事務所設立20周年記念パーティーと立て続けに飲み会が入ってしまう。

 おまけに浮き球の飲み会では、ここ1年まったく参加していないことを酔っぱらいの集団に叱責され、背中をバチンバチン叩かれてしまった。家に帰り、妙に背中がヒリヒリするなと鏡に映してみると真っ赤なモミジのみみず腫れ。最悪。

 そして昨日。パーティーの後、目黒、浜本、松村、吉田母子の本の雑誌組で池林房に流れた。すると突然、今まで読んでいることすら僕に伝えてこなかった目黒が、この『炎の営業日誌』をやり玉に挙げ、いきなりドラえもんがジャイアンに変身したかのような厳しい言葉を吐き出し始める。隣に座っていた浜本も突如スネオ君化し「そうだよジャイアンの言うとおりだよ」の一点張り。こうなったら唯一味方になってくれるはずの静ちゃんこと松村を涙目で見つめるが、その松村…。そっぽを向いて、僕の大嫌いな湯葉入りグラタンとやらを黙々と食べているではないか。完全にのび太化した僕はただただ黙って目黒の小言を聞いていた。

 キレイ事、熱血の空回り、書き込み過ぎ、最後には「表現者の自覚の欠如」なんていうのまで飛び出した。確かに言われていることはどれもごもっともな意見、というか僕が気にしている部分をピンポイントで直撃してくることばかりであまりにツライ。それに助っ人学生から「虚言者」と言われることはあっても、表現者なんて誰からも呼ばれたことは今まで一度もなく、またそんなものになりたいと思ったこともないのに何だかツライ。

 そして、いくつか反論を試みようと思ったが、声にならず消えていく。そもそも、どうしてこの人達は、2年近くに渡って、単なる営業マンが、手当もなく、誰よりも多く書き続けている…ということを誉めようとしないのか、思わず根本的な人格を疑いたくなってしまった。何事にも順序というものがあるのではないか。

 しかしどれもこれも言葉に出来ず、編集者というのはこういう狂気な人達なのだろうとあきらめ、ビールから強い酒にオーダーを変えた…。

6月19日(水)

 Mと会うのは12年ぶりだった。12年前に会ったのは高校の卒業式だった。Mは高校の同窓生で、卒業式以来会っていないということからわかるようにそれほど親しい仲ではなかった。ただ、隣のクラスにいて体育の時間が一緒だったことと、共通の友人が何人かいただけで、廊下や教室で顔を会わせればボソボソと会話する程度だった。僕もMも高校ではいわゆる問題を抱えた生徒で、お互いほとんど学校に顔を出さなかったから、会う機会自体も少なかったのだろう。

 そのMから突然電話がかかってきたのが昨年の暮れ。すっかり忘れていたような奴から連絡があると、そのほとんどが宗教の勧誘であったり、マルチビジネスの誘いであったりすることがあまりに多く、僕はちょっと用心しならMの話を聞いていた。

「タッシの結婚式の二次会でスカケンに会ったんだよ」
「あれ? オレは呼ばれなかったけど」
「呼ばれるわけねぇだろ、杉江はタッシとケンカしていたんだから」
「でもお前は呼ばれるんだろ?」
「オレは誰からも愛されるんだよ」

 Mの声は、記憶の底にある高校時代のままだった。その声を聞いて一気に高校時代のことを思い出していた。落書きだらけの机、その中にたまった連絡事項の書かれた藁半紙、ボロボロのサンダル、学食から漂う匂い、忘れた頃に学校に通いクラスメートから冷ややかな視線で見つめられる感触。すべてが一気に僕の心に流れ出していた。そしてMの話は本題に入っていった。

「そんでね、スカケンに聞いたんだよ。杉江がサッカーをやってるって」
「ああ、インチキなチームだけど続けてるよ」
「あのさ、今週末に試合があるんだけど、オレのチーム、メンバーが集まらないんだ。来てくれねぇかなぁ」

 用心していた内容とはあまりにかけ離れた話題でビックリしてしまった。しかし、僕は二つ返事で了解し、その週末Mと12年ぶりに会い、サッカーを楽しんだ。それ以来、月イチでMのチームでプレイし続けている。


 先日Mから電話があった。今月の試合日程の連絡だった。Mは用件を済ますとワールドカップのチケットが手に入らないことをひとしきり嘆いた。仕方なく韓国まで行く気で、休みを取ったら、今度はネットが繋がらなくなり、やっと繋がった時には、すでに見たい試合が売り切れになってしまっていたと。僕は日本戦を見られた幸運を話し、日頃の行いの違いだと笑って答えた。

 その連絡があった翌日、僕のところにワールドカップのチケットが転がり込んできた。いろんな人に余ったら連絡を下さいと頼んでいた成果なのか、妙に大会が始まってからチケットを回り出していた。今度はブラジル対ベルギーの試合だった。本気のセレソンを生で観る機会なんてそうそうあるものではないから、もちろん僕は行こうと思った。しかし、その試合は平日の神戸だった。行きたい人がいっぱいいるワールドカップに3度も行くことに罪悪感もあった。一番切実な問題は、これでも一応家庭持ちのため、自由になる金は微々たるもの。交通費、宿泊費、チケット代を考えると、とてもわがままを通せる金額ではないことがわかった。

 Mの顔が思い浮かんだ。ただ、Mにも生活があるだろうと思った。そしてそのとき僕は気づいた。12年ぶりに会って、すでに5回くらいサッカーを一緒にしているのに、実はMの卒業後に過ぎた12年間、今現在の仕事や私生活をまったく聞いていなかったのだ。何だかそういうことを聞くのも野暮ったいし、Mも僕に何も聞かなかったから、いつもサッカーをするだけで別れていたのだ。

 なんとなく罪悪感を持ちながらMに電話をした。
「あのさ、ワールドカップのチケットが手に入ったんだけど」
「ウソ? マジ? 行くよ」
「でもさ、平日の神戸だよ」
「オールオッケー! 全然平気。頼む! オレに譲ってくれ」

 その試合は今週の月曜日にあった。それから何度も連絡を取ろうと思ったが、何となく躊躇してしまった。金の無駄だった、時間の無駄だった、Mが楽しめたのか不安だったからで、僕が譲ったせいで何かMに悪いことが起きてなければと恐れていたからだ。

 昨日の晩遅くMから電話があった。
「杉江、ありがとう、本当にありがとう。滅茶苦茶楽しんだよ。ブラジル最高だよ、オレ、ブラジルのユニフォームを買って、サンバを踊りまくちゃったよ」
 僕はMが心底喜んでくれていることにすっと心が晴れていく。Mはまだ興奮したまま話し続ける。
「あのさ、オレ達のチームのユニフォーム新しくしようぜ。もちろんブラジル代表のユニフォーム。オレはもう買ってあるから、お前らだけ買えよ。もちろん、オレは9番だけどね」
「この前アイルランドのユニフォームにするって言ってなかった」
「月曜日で変わったの、ハハハ。そんでね、おみやげ買ってきたよ、お前が好きなポルトガルのジャージ」
「別にいいのにそんなことしなくても」
「大丈夫、バッタモンだから。インチキ臭い外人から安くかったんだ。今度試合の時に渡すわ。ほんと杉江ありがとう」

 Mとの電話を切った後、しばらく新宿駅に佇んでいた。
 Mが喜んでくれたことはともかく、何よりもMがそのことをわざわざ僕に伝えて来てくれたのが嬉しかった。

 久しぶりに、本当に久しぶりに新しい友が出来た想いだった。そして今度Mに会ったら酒を飲みながら、互いの12年間を語り合おうと考えていた。

6月18日(火)

 サッカーが上手くなる、あるいはチームが強くなるための、一番の基本は戦術やシステムではなく、ミスを減らすことだと思う。サッカーというスポーツの仕組みが、手を拘束し、自由に使うことが困難な足でやる競技なのだから、ミスするのが当然なのだが、そのミスを減らすことが強くなっていくための道だと考えている。そして中田や小野のようなミスの少ない選手がスターとなり、そんな選手が集まるチームが勝ち進んでいくものだろう。

 本日の日本代表は、決定的なミスの上で失点を犯し、ある意味墓穴を掘ってしまった印象が拭いきれない。その後、攻めに攻め何度もトルコのゴールを脅かしたものの、トルコは決定的なミスをすることなくしのがれてしまった。1対0という最小得点差であるが、これが今の日本代表の実力であり、今後はこういったミスを一段と減らすトレーニングをしていくしかないのだ。

 それにしても、なんてもったいないことをしちまったんだ…。今後、日本が過酷なアジア予選を抜け出しワールドカップに出場でき、なおかつ今回のようなホームアドバンテージもなく、また1次リーグの組み合わせに恵まれることなく、リーグ突破できる可能性がどれほど高いものなのか。僕にはそれほど高いものとは思えないのだ。

 そう考えると、ベスト8まで行くチャンス、あるいはもっと上に向かうチャンスは、今回非常に高かったのではないか。開催国のノルマと言われるベスト16を越え、ベスト8まで辿り着ければ、日本代表の強さがもっともっと目に付くはずだったのだ。ああ、悔しすぎる。

 でもでも。4年前にこれほど頼もしい日本代表になるとは考えられなかったし、8年前はバックアップの選手が見つけられないほど人材なんな状態だったはず。それに昔に比べて選手達の技術は一段とグレードアップし、冒頭に書いたミスが減ってきているのも間違いない。まだまだ日本サッカーは、これからなのだ!

 日本代表を強くする方法で、一番重要なものは…。
 それは自国のリーグ、Jリーグを見に行くことだろう。

 選手達の日常はJであり、そこで進歩、上達しない限り、代表チームが強くなることは考えられない。入場者が増えれば、下手なプレーは出来ないと選手達の緊張感が増し、また給料もアップし、子供達はいろんな意味でプロサッカー選手になることを夢見るだろう。そのなかには中田を超える逸材が生まれる可能性も高い。こんな輪廻転生が代表チームの実力を決めていくことを忘れてはならない。

 中田英寿は、98年にフランスW杯の出場を決めたとき、テレビのインタビューをめずらしく受け、こう答えたのだ。
「この後は、Jリーグをよろしく」
 あの時も、今回のような熱狂を呼び起こしていたが、しかし、その後Jリーグの観客動員はさほど変わっていないようだ。

 選手達はベスト16という大事な約束を守ってくれたのだから、今度は僕たちが5年越しの約束を守る番だろう。

 今回サッカーに興味を持ったみなさん。
 Jリーグを見にスタジアムへ行きましょう!

6月17日(月)

 当日記の5月31日(金)記述にて、『岸和田少年愚連隊』の幻冬舎文庫版の在庫が品切れになっていると申してしまいましたが、こちらは、まったく僕の間違いであり、事実確認の誤りです。

 本日、幻冬舎の営業部から、しっかり在庫があるとのこと、ご連絡が頂きました。

 幻冬舎の皆様、その他関係者の皆様、読者の皆様、そして著者の中場さん、申し訳ございませんでした。深くお詫び致します。

6月14日(金)

「まさか大阪に出張じゃないですよね?」という書店さんからの電話が何本か入る。いやはや、さすがに幸運に恵まれここまで日本代表戦2試合は見たものの、3戦全部ゲットするほどの運はない。それほど恐ろしい強運に恵まれてしまっては、この後の人生すべて落ち目下がり目になりそうで、そっちの方が恐い。

 午前中に仕事を済ませるため、渋谷のK書店さんへ直納に向かう。渋谷の街中にはすでにブルーのユニフォームを着込んだ若者が溢れており、TV観戦出来る飲み屋を探しているようだ。

 その逆に書店さんは、どちらのお店に行っても閑古鳥。僕も10年近く営業をやっているが、こんなにガラガラな売場を見たことはない。「もう今日は完全にあきらめてます、いや6月はアウトです」とため息交じりのあきらめ顔で話される。

 午後2時に会社へ戻り、2階のテレビを設置する。本の雑誌社では通常テレビを見る習慣がないので、埃の固まりがくっついたテレビ本体を倉庫の奥から引っぱり出すしかない。買ってきたアンテナを取り付けてみるが、あんまり映りが良くない。まあ、仕方ない。

 3時を過ぎると、続々と2階に人が集まる。事務の浜田、経理の小林、助っ人の中川。それに椎名事務所の面々も降りて来て、なぜか4年前に卒業していった元助っ人ノブ君までやってくるではないか。

「サラリーマンのくせに、お前はいったい何をしているのか?」と問いただすと
「こんなときに働いている場合ではないと早退してきたんですよ、ここなら絶対杉江さんが見ていると思って…。予想通りでしたけど」と笑われる。

 こういうのも教育の賜というのだろうかと考えていると君が代が聞こえて来て、その後は試合開始のホイッスルとともに悲鳴、絶叫、歓喜。あまりにうるさ過ぎて、W杯なんて関係なく働いている編集部から苦情を頂く始末。

 それにしてもW杯の決勝トーナメント進出の扉をこじ開けたのが、森島であり、その森島は日本のプロサッカーリーグ2部(J2)の選手なのだ。このJの底力がある限り、日本代表の未来も明るいだろう。

6月13日(木)

 直納で、とある書店さんを訪問。
 すると「ちょっと話があるんですけど、実は今月いっぱいで…」と担当者さん。予想通りその後は退職の話題だった。

「だんだん書店員の業務が変わって来ちゃって…。棚をいじって、接客をして、営業さんとお話をしてそれでまた棚を作ってというのが仕事だと思っていたんですが、社員は奥でもっと違う管理の仕事って感じなって来ているんですよね。それだとね…。」

 こうなると確かに職人的書店員さんは仕事に対してのモチベーションも下がってしまうだろう。退職という決断も仕方ないのか…。いや、こんなに優秀な人材が続々と去っていく業界の行く末はどうなるのだろうか…。いろんなことが頭の中を駆けめぐりつつ、目の前のKさんともうお会いすることが出来なくなるのかと思うと悲しみが襲ってくる。

「またどっか、じっくり売ることのできる書店があって、そこに入れれば戻ってくるかもしれません。そのときはよろしくお願いします」とKさんが最後に話す。

 本当にどこかでまたお会いできれば幸いなのだが、本当に戻ってきて良い業界なのか、最近僕は疑問を感じているので「是非に!」とは大きな声で答えられなかった。そのことも異様に悲しい。

6月12日(水)

 今月の新刊『ヒーローたちの荒野』池上冬樹著の事前注文短冊を持って取次店さんを廻る。それのしてもこの装丁…。カッコ良すぎないか? いったい金子はどうしたんだ?と思わず心配になってしまうほどの出来。

 その後は通常営業に戻るが、どちらの書店さんを訪問しても、嘆きの言葉の連続。
「日本戦の日は、通常の3分の2以下」
「日本戦以外も夜は家に帰ってしまうのか、お客さんがいない」
「4、5月が前年をクリアして確かに底打ち感があったけど、6月でそのプラス分がぶっとんだ」
「今月はまず10%落ちは覚悟」

 予想以上にW杯の影響が出ているようで、その言葉どおり売場は閑散としている。期待のサッカー本も、ベッカムの写真集『ベッカム―すべては美しく勝つために』(PHP研究所)以外は苦戦しているらしく、売れ行き良好なのは雑誌とテレビガイドだけだとか。こうなると在庫を減らし、目減りした売上を確保していかないと返品をどかどか作る書店さんもチラホラ。恐ろしい限り。

 出版社も、この状況を見通していたのか、6月の新刊を回避しているようで取次店の仕入窓口もガラガラだった。担当者に話を聞くと、「確かに今月は少ないですね」との答え。いやはや、まさかW杯のせいで倒産するような会社はないだろうな?

 そんななか希望的な観測もチラホラ。
「ほとんどチケットも手に入らないし、みんなお金は使ってないと思うんですよ。家でビール飲みながら観戦しても、今なら発泡酒も安いし。その分持ち越して、来月はボーナス月だし、今月何も買っていない分、購買欲が盛り上がれば7月は爆発してくれると思うんですよ」

 いったい7月はどうなるのか? おっ、我が社新刊はウエちゃんの2巻目ではないか! どうなるウエちゃん?

6月11日(火)

 書店と一口で言っても、その立地によって苦労は相当違うようで、本日お伺いしたデパート内の書店さんもまた一種独特な苦労があるそうなのだ。

 その書店さんはある老舗デパートに入っているのだが、デパートならではの服装や言葉遣いなど接客への注意はもちろん、売場の効率化や商品構成にも口を出されることもあるとか。

 男性社員が腕まくりをしていた、Yシャツのボタンの一番上が開いていたなど、お客さんが事細かに見つけ、それを本人に指摘するのではなく、お客様相談室に持ち込まれてしまったり、また、デパート側の販売部が自分の好きな本を多面に展開してみてはと忠告をしてきたりと。思わずその話を聞きながら、自分の首元を確かめると、いつも通りボタンを外していた。とても僕には勤められない職場だと理解する。

 それ以外でも、いわゆる外商関係の超お得意様というのがいて、この方々の顔と名前をしっかり覚えておかなければならないとか、クレームでへそを曲げられ、玄関先で土下座したことがあるとか、大口の図書券購入の個別袋詰めなど、その苦労はちょっと普通の書店では考えられないもの。

 そういえば、いつだか訪問した別のデパート店でも苦労話を聞いたことがある。何だかそのデパートはポイントカードだか優待チケットがあって、僕にはまったく仕組みが理解できなかったのだが、何だか月末に図書券を購入し、ポイントをつけ、その図書券はチケットショップに売りに行くと、いくらかの利益が出るとかで、その日は延々そんなお客さんの相手をしていると嘆いていた。

 「お客様は神様」思想の最たるものがこのデパートという器なのであろうが、何だか話を聞いているだけでこちらがやりきれなくなってしまう。所詮、売り手も買い手も人であり、お互い気持ちよく一日を過ごせればいいはずなのに…。前に一度書いたことがあるかもしれないが、全国民に一日書店員(接客業)を体験する機会というのを設けてみても良いのではないか。

 僕は書店で働いていたとき、接客業のつらさを嫌というほど知った。そこはビジネス街にある書店だったのでお客さんの多くがいわゆるサラリーマンで、ストレスを溜め込んだ人が多いのか、そのはけ口として女性店員にあたる人がたくさんいた。

 僕はそんな情けない人達を見て反面教師として考えるようにし、物を買うときに「ありがとうございました」と逆に声をかけるようにしている。

 本を買ってくれて、ありがとう。本を売ってくれて、ありがとう。そんな言葉が聞かれるようになったら書店員さんの表情ももっともっと明るくなるだろう。

6月10日(月)

 日本代表がW杯で初勝利を挙げ、それから一晩が明けた。

 僕は興奮がまったく醒めず、眠れぬ一夜を過ごした。いや、少しだけウトウトしたときに、夢を見て、その夢は柳沢が僕にラストパスをくれる夢だった。稲本同様足を振り抜けばゴールが奪えるはずなのに、突然重くなってしまった足はびくともせず、ボールが目の前を通り過ぎていってしまった。そこでハッと目が覚めた。その後は何度も見たビデオをまた再生していた。

 どうしてこんな素晴らしい日にも関わらずなぜ仕事があるのだろうか? 国民の休日としても良いくらいだし、それが不可能ならせめて個人の休日にしようかと考える。しかし本日は『本の雑誌』7月号の搬入日で休むどころではないことを思い出す。人生の哀しみを感じつつ、キオスクでスポーツ新聞を購入。埼京線のなかで読み込んでいるうちに、知らず知らずに涙が流れ出してしまった。勝利の実感が胸の奥からジワジワと沸き起こる。

 昨夜、横浜国際競技場からの帰りの京浜東北線は異様な雰囲気だった。一駅一駅停まる度にどこかで集団観戦していたであろう若者達が乗り込んできて、ニッポンコールを絶叫していた。ブルーのユニフォームを着込んだ一団が、ホームに座り込んでいる駅もあったし、上野駅では逆方向の電車を待っているアイルランドサポーターがいて、日本人にハイタッチをくり返していた。

 そんな姿を見ながら僕はあることを夢見ていた。それは我が愛する浦和レッズがJリーグで優勝するシーンだった。きっとその日がやってきたら、浦和の街全体がこのような風景になり、そしてニッポンコールの変わりに、浦和レッズの様々なコールがそこかしこで叫ばれるのであろう。もちろん僕もその輪のなかに加わり、観戦仲間のKさんやOさんと肩を組み、伊勢丹の前を闊歩する。今回のような全国的な騒ぎにはならないが、浦和レッズを愛し苦労してきたサポーターにとって人生最良の一日になるのは間違いない。

 ところが、夢心地で会社に着き、ネットを繋げてビックリ。直情的に怒りが爆発してしまう。
 
 それは昨夜の日本代表戦を我が聖地・駒場スタジアムでパブリック・ビューイングしていたときに起こった出来事だ。そこに集まった人のなかにどうしようもない大バカ者が多数いたらしく、あろうことかグラウンドに飛び降りた輩がいるという。それも聖地のなかで一番神聖なる地、ピッチ内を駆け回り、花火まで持ち出したというではないか。

 その場に居合わせていなかったのでハッキリものを言えないのが悔しいが、記事や各種掲示板を読む限り、いつもレッズ戦に来ているサポーターとはまるで違う人達が大勢駒場にやって来たらしい。いやそんなことは当たり前で、サッカーを愛していれば、あの四角く白線が引かれ青々とした芝が生えそろっている場所がどれだけ大切な場所なのか誰だってわかるだろう。

 日本の勝利がうれしいから?
 いったいどれだけ「本気」でその日を待ち望んでいたの?
 

 整理券の配布では多くの怪我人が出、おまけにスタジアム周辺及びグランド内(!)にゴミが散乱しているという。今日もそのゴミを拾いに行っている真のサポーターがいるが、それはどこのマスコミも報道しない。

 信じられない。こんなことになるなんて信じられない。W杯が始まってからずっとずっとこの狂乱に違和感を感じていた。サッカー本のお薦めをこのHPで発表して欲しいと言われ、そのリストを作りながら、なぜこの企画が、レッズがJ1に昇格したときに依頼されなかったのか不満を感じていた。それでも、お祭りごとで、この機会にサッカーの楽しみを知り、Jリーグに繋がることを考え、盛り上げることだけを書き続けてきた。

 しかし、我が愛する駒場スタジアムを汚されてしまっては、もう堪えきれない。そもそもサッカーなんて日本で、そんな人気があるスポーツじゃなかったはずだ。

 ワールドカップを生で見られて、脳天気に喜んでいた自分があまりに浅はかで悲しい。
 愛する駒場スタジアムが汚されるくらいなら、ワールドカップなんて辞めてくれ!

6月9日(日)炎のサッカー日誌 ワールドカップ篇その2

 稲本がゴールを決めた後、限りなく永遠に感じた40分間。
 僕は、まるで死ぬ間際に見ると言われる人生の走馬燈のように、サッカー人生を思い出していた。

 釜本の強烈なシュートを目にしたのは小学生のときだった。日本人離れした顔つきの奥寺のポスターを部屋に貼り付けたのも小学生のときだった。木村和司のフリーキックを国立で見て、本当にボールがあんなに曲がるんだと知ったのは中学生のときだった。それから水沼、都並、カズ、ラモス、福田、井原、堀池、前園、岡野、城…。今まで日本代表で活躍した選手が僕の頭のなかで浮かんでは消えていく。

 哀しい思い出も蘇る。メキシコW杯アジア予選で韓国に負け、ついに望みを絶たれたとき。アメリカW杯アジア予選では、近所中から悲鳴があがったドーハのロスタイム。フランスW杯予選の国立では山口の芸術的なゴールの後、選手交代に失敗し、一気に韓国に攻め立てられ逆転された。

 その延長線上にいるのが、今、僕の目の前で必死にボールをクリアーしている選手達だ。経験が積み重ねられ発展し勝利は目前に迫っていた。あれらの悲劇がまた起こらないことを祈るしかできず、そのソワソワした気持ちを隠すために「ニッポンコール」を叫んだ。それでも時間はあまりにゆっくりと流れていった。

 隣で見ている兄貴は、何度も何度も腕時計を確かめ「あと20分」「あと15分」と叫んでいた。しかし、それ以降は時計を見ることすら出来ず、ただただ固唾を飲んでピッチを見つめていた。

 そして中田がロシア選手にアタックし、終了のホイッスルが鳴った。

 7万人近い観衆の歓喜は、夜の一部を切り取り、まるで太陽が目前に現れたようなものだった。僕は、その熱に溶けながら、兄貴と抱き合い、堅い握手をし、ピッチにいる選手達に拍手と声援を贈り続けた。

 僕は、この日を絶対に忘れない。
 サッカーを愛し続け、すべてを費やしてきた人生を誇りに感じた夜を…。
 
 日本代表に。
 そしてすべてのJリーガーとサッカー選手に。
 ありがとうと伝えたい。

6月7日(金)

「本の雑誌」が「本の雑誌」たる所以に気づいた。それはこの編集部の恐ろしさだ。世間がこれほどワールドカップ熱に犯されているというのに、発行人の浜本を始め、松村、金子ともまったく興味を持たず、いつもと変わりなく仕事をしている。それも、いつも以上に静かなくらいで、信じられないことに、サッカーの「サの字」どころか、今この日本で何が行われているのかもわかっていないようだ。

 日本の初戦6月4日。編集の松村に今日は何の日だか知っている?と質問したら、「ああ、虫歯の日ですよね」とあっさり返されるほど。この編集部だからこそ、こんな雑誌になるのだろう。

 それにしても、最近誰も会社の人達が僕と口を聞いてくれない。話しかけても冷たい対応で、別にサッカーの話ではなく仕事の話を振っているのに、まったく相手にしてくれない。まあ、元々嫌われているからある程度はそんな対応をされても我慢できるのだが、あまりにヒドイ仕打ちに悲しくなる。いったいどうしてなんだろう?と考えてみたところ思い当たる点がひとつ。

 どうもここ数日、この日誌でワールドカップのことしか書いていないため、僕が本当に何も仕事をしていないと感じているようなのだ。きっと僕が会社に出社後すぐさま出かけ、そのままどこかの喫茶店にしけこんでいると考えているのだ。それでみんな一段と冷たくなっているのだろう。

 いやはや、これはかなりヒドイ誤解で、実は僕、日本代表に負けてはならず、そして一生懸命仕事をすれば願いが叶うとばかりに、いつも以上に頑張って仕事をしているのだ。まあ、僕が働いていないと思っているのは、何も編集部だけでなく、訪問する書店さんも一緒のことで、この1週間、書店さんに顔を出すだけで驚かれ「どうして働いているんですか?」と聞かれる始末。いやいや、僕も少しは大人になっているんです…。

 本日は横浜を訪問。M書店Yさんの公休日を勘違いしていて会えずに終わったのは残念だが、同じサッカーファンのY書店Oさんにはワールドカップ公式パンフを渡せ一安心。E書店のKさんが退職していたのに驚き悲しみ、日常はいつもと同様に過ぎている。

 この祭り、早く終わってくれないか。すでに5日近くほとんど不眠で、それでもなぜか異様に元気。このままでは、間違いなく7月にぶっ倒れるだろう。まあ、それでも良いか…。

6月6日(木)

「杉江くん年いくつ?」
「えっ、今年で31歳ですけど」
「やっぱりそれくらいの年頃の人が棚を作らなきゃダメだよね…」

 川口のS書店Aさんを訪問するといきなりそんなことを言われた。どうしたのかと思って話を聞くと
「僕はね、杉江くんよりちょうど20歳上なんだけど、最近の書店の棚づくりにすごい抵抗を感じるんだ。仕掛け…って言われているけど、棚一面、同じ本で埋めて圧倒的なボリューム感で売っていくでしょう。確かにそれで売れるんだけど、なんか押しつけがましさを感じるんだよね。だから若い人が棚を作った方がいいと思うんだ」

 今、こういった嘆きを呟く書店員さんは非常に多い。Aさんが作る棚はいわゆる正しい書棚だで、ジャンル・著者名・出版社などでしっかり括り、1冊1冊背表紙で売る棚だ。そのなかにはピリリと効いた本が山のように詰まっているだが、なかなか棚をじっくり見てくれるお客さんは少ない。

 最近は、背表紙でなく、表紙で売る本屋さんが増えている。その棚は「これを買え!」と叫んでいるような攻撃的な棚であり、そのほとんどがパブリシティと絡めた本でいっぱいだ。書店員さんの、それも経験を積んだ書店員さんにとっては、悲しい現実であり、果てしない徒労感だろう。

 お客さんがお店を作り、お店がお客さんを作ると言われる。是非、時間があるときには、ゆっくりと本屋さんの棚を回って欲しい。どこかにその書店員さんの個性が光っていて、それに気づいたとき、その本屋さんをもっと愛せるだろうから。Aさん、まだまだ頑張りましょう。

6月5日(水) 炎のサッカー日誌 ワールドカップ篇 その1

 奇跡が起きた。奇跡が起きた。夢のような奇跡が起きた。

 昨日の日記を更新し、家に帰ろうかと思ったが、何だかどうせテレビで見るならどこで見ても一緒だと考え直し、半ばヤケクソ気味に営業をこなしていたのだ。

 夕刻5時、笹塚駅に戻り、会社のテレビが映るのか確認しようと電話を入れたところ、なんと、僕の手元にワールドカップ日本対ベルギーのチケットが舞い降りて来たのだ。それもこれも事務の浜田のおかげ。なんだかまともに聞いていなかったのだが、彼女の友人に急な仕事が飛び込み、どうしても行けなくなってしまったとか。いやはやとんでもない贈り物だ。

 僕が唯一信じている神様、そう浦和レッズのエンブレムに宿るサッカーの神様が最後の最後になって僕に向かって微笑みを投げかけてくれたのだ。
 信じて良かった。信じ続けて良かった。

 枚数は2枚。もちろん手柄を立てた浜田と行くのだ。それなのに僕とまるで違う育て方をされてきた彼女は、電話の向こうで泣き言をいう。
「杉江さん、でも会社は6時までなんです…」
 僕はとっさに吠えていた。
「浜ちゃん、走れ! 会社なんてどうでもいい!!! クビになるなら二人ともクビだ!!!」

 それから二人で駆けに駆けた。多分昨日の稲本以上に走りまくった。浜田は電車のなかで意味もなく先頭に向かって走った。僕の頭のなかの計算ではこれなら前半30分過ぎには辿り着くだろうと答えが出ていた。それでも堪えきれず、走りまくった。

 笹塚、新宿、赤羽、赤羽岩淵、浦和美園。
 埼玉スタジアムは…。
 いやワールドカップはすぐそこだ。


 そして素晴らしい興奮、絶大なる熱狂、心臓停止寸前の絶望、爆裂する歓喜に、僕たちは包み込まれた。耳鳴り、地鳴り、絶叫。すべてが僕らの目の前で起こった。浜田と二人カラカラに乾いた喉から絞り出すように「もう死んでも良いな!」と怒鳴り合い、そして叫んだ。

「ニッポン、ニッポン、ニッポン」

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 試合終了後、余韻に浸りながら、浜田と別れ、僕はひとり歩いて家に帰った。1時間なんてあっという間だった。沿道には日本代表のバスを待つ人々が溢れていた。熱狂はここにもあった。

 ベルギーと引き分け。さあ、これで我らが日本代表のいるH組は、わからなくなった。
 日曜日。いざ、横国出撃だぁ!!!

6月4日(火)

 僕の家は、武蔵野線東浦和駅というところにあるのだが、ここはW杯が開催されている埼玉スタジアムへ向かうバスの発着場になっている。

 今朝、会社に向かうためその駅に着くと、日本代表のユニフォームを着込んだ幸せ満点生観戦者がすでにうろついているではないか。彼ら彼女らは、まだバスが出ていない時間帯のため、颯爽とタクシーへ乗り込んでいく。僕は、他の通勤者同様、自動改札へ飲み込まれていく。まさに天国と地獄の分かれ目だ。こんな悲劇がこの世にあっていいのか? 夜になればまた僕の家の上空をヘリコプターが飛来するというのにだ。

 本日、いつもより一段と早く出社したのには理由があって、最後の望みネットでの当日券購入を試みるためだ。事務の浜田にも業務命令として「午前中は仕事をするな! FIFAへのアクセスを試みろ!」と伝えた。

 ちなみに僕の住んでいる場所から約100メートルほど行ったところに国道が通っている。その国道は浦和のホテルに泊まった日本代表メンバーが、埼玉スタジアムに向かうために通る道である。昨夕、我がサッカーにまったく興味のない妻と娘は、買い物に行った際、たまたまそのバスを目撃し、トルシエに手を振ったと報告を受けた。どうして僕はこんなにサッカーを愛しているのに、幸運の女神に出会えないのであろうかと、昨夜は徹夜でネットと格闘しながら深酒をしたのであった。


 午前11時35分。ついにFIFAのHPに繋がる。そしてあのテレビで紹介されていた日本と韓国の地図が目の前に現れるではないか。

「浜田よ。お前は良くやった。しっかり昇給するよう社長に直談判してやろう」と入社以来最高の賛辞を言い渡す。

 しかし。日本代表対ベルギー代表のチケットを示す部分で黄色いボタンがチカチカしているではないか。

「浜田よ、黄色はなんぞや?」
「杉江さん……。入手不可のランプだそうです……。」

 深いため息とともに、本日の営業部の業務は自主的に終了。サヨナラ。

6月3日(月)

 週末のW杯三昧でお腹がいっぱい。ドイツ対サウジアラビアを除いて、かなり拮抗した面白い展開に非常に満足。ここまで見た感じ、フランスよりもアルゼンチンが一歩リードしているような気がするし、イングランドの決勝トーナメント進出は怪しい気がする…。

 それにしてもサウジは酷すぎる。これだったら日本が出られなくなる可能性が増えても良いから、アジア枠を減らすべき。とてもW杯に出場するレベルではないだろう。

 その対戦相手ドイツ。この人達は、いったいどんなヘディング練習をしているのだろうか? あれほど強烈なヘディングを打てるなんて考えられない。もしかして頭蓋骨に「じゃりん子チエ」に出てきた鉄板埋没人間のように何かを入れているんじゃないか。ヘディングだけでやるサッカーが生まれたら絶対ドイツが優勝するだろうと思わず唸ってしまった。

 W杯が開幕するまで、どうせ我が愛する浦和レッズは出てないし、チケットも全然手に入らないし、どうでもいいやと考えていたが、こんな試合を見せられては燃えずにいられない。もう仕事なんてどうでも良いし、この日記を書く時間も見つけられるのか不安である。とにかく、働いている場合ではないということが週末でよくわかった。目指すは電気屋かテレビのある喫茶店だぁ!

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