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11月14日(水) 炎のアジアチャンピオン!

 ACL決勝に進出したチームの県民はその試合日は休日とする。

 そんな法案を勝手に作成し、埼玉スタジアムへ駆けつける。ところがそこにはすでに人人人。いや赤人赤人赤人。いつもの休日の試合よりもよほど素早い出足で、そのなかには僕も含めて大人がたくさんいる。冒頭に書いた法律が本当に施行されているのではなかろうか。

 スタジアムに入場すると、とても大手通信会社に勤めているとは思えない時間にスタジアムに到着していたオダッチが呟く。

「なんかさぁ、去年のJリーグ優勝の最終戦ほどは緊張していないよね」

そう言いながらも缶ビールを口の開いてない方から飲もうとしたり、サッカー専門新聞「エルゴラッソ」の同じところを何度もめくったりしていた。

 僕が着くと同時にS出版のニックがやってくる。ニックは片手に持ったカツ弁当を掲げ「これ食べると負けないんですよ」と笑う。「験担ぎなんかすんなよ」と突っこんだが、僕はパンツから時計やカバン、靴下に至るまですべて勝率の高いもので身を固めてきていた。その服装を選ぶのに昨夜1時間近くかけていたのだ。

 ゴール裏に陣取るが、もはや通路も人、人、人。その隙間を縫って小柄な母親が顔を出した。「お母さんさあ、寿命があと5年だとしたら、2年くらい短くなっていいから、今日優勝したい」その計算でいくと70歳で死ぬことになるのだが、確かに浦和レッズがアジアチャンピオンになるのを目の前で見られたら、もはやこの世に思い残すこともないだろう。葬式は紅白黒のレッズカラーの幕をかけ、音楽はWe are Diamondsで送り出してあげよう。お墓は埼玉スタジアムの近くに立てよう。サッカーボールのかたちの墓石でいいか。

 キックオフ!

 セパハンがボールを持つと、後ろで応援しているネット書店B社のY社長が怒鳴る。「なめんなよてめーら。ぶっ殺すぞ!」死んでもこの人の部下にはなりたくない。

 前半22分。ロブソン・ポンテのパスが絶妙なコースで走り出した永井雄一郎に繋がる。永井は我が妻の友人が勤めるスポーツジムに数年前から通い出したようだが、去年までは「試合に出られないんだ」と愚痴っていたらしい。しかし今年は、天皇杯の決勝に、Jリーグ開幕戦、天王山のガンバ大阪戦と大事なところでゴールを決めてきた。試合に出たい! 活躍したい! 彼が初めて切実にそう願い、そして努力した結果が、アジア優勝に近づく先取点を生んだ。

 そのときK取次店のAさんが言葉にならない雄叫びをあげた。「あごぎぐへぺぽびひゃー」。Aさんの突き上げた腕からは、この闘いのために彫られた勝利の女神のタトゥーが見え隠れしていた。

 後半、満身創痍の阿部がゴールを決めると、アジアチャンピオンの栄冠はすぐそこになった。そしてロスタイムがホイッスルが鳴ると、埼玉スタジアムは絶叫で爆発した。爆発のなかからコールが聞こえてくる。「浦和レッズ、カンピオン 世界に輝け! レッズ!」

 隣で観戦していたN出版の浦ちゃんは、「凄すぎて実感がわかない」と鳥肌を立てていた。そのまた隣で観戦していたS書店に勤める奥さんは「これで増刊号がいっぱい売れる」と笑っていた。

 試合が終わるとぶっ殺すぞ社長が「明日の朝はサイトの一面真っ赤にすんだ! 社員に言ってあるんだけどよ、あいつらアジアチャンピオンになることの意味がわかってねーんだよ。」やっぱりこの人の下で働きたいかも…とちょっとだけ思い直した。

 埼玉スタジアムを出たところの売店でビールを買う。アル中のKさんが乾杯の音頭を取る。「オイッ!」この日のために、この人が費やした酒と時間は、並大抵のものではない。

 そして僕は、後半途中からずーっと涙が止まらなかった。しかしその涙は今まで15年間に流してきた涙とはひと味違った。喜怒哀楽の涙ではなかった。畏怖の涙であり、敬愛の涙であった。

 2007年11月14日。
 浦和レッズの選手が、僕らを越えた。

 浦和レッズ! カンピオン! 世界に輝け! レッズ!