【今週はこれを読め! エンタメ編】サポーターたちのシーズン最終節〜津村記久子『ディス・イズ・ザ・デイ』

文=松井ゆかり

  • ディス・イズ・ザ・デイ
  • 『ディス・イズ・ザ・デイ』
    津村記久子
    朝日新聞出版
    1,640円(税込)
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 人がスポーツを観戦する理由にはいろいろある。そのスポーツが好き、地元のチームを応援したい、自分の勤め先がスポンサーである、などなど...。"スポーツは見るものではなく、自分でやるもの"という考え方も根強くあるだろうが、それが叶わない場合も往々にしてあるし(例えば大相撲などのようにどちらかの性別にしかまだ門戸が開かれていないスポーツがあったり、身体的なことで運動を制限されている人もいたりするから)、何よりそのスポーツに秀でた選手たちのプレイを見ることそのものが楽しかったりする。

 個人的にはスポーツ観戦が好きでサッカーについてはどちらかというと海外のチームの試合をよく観るが、Jリーグが提唱した(まあ、Jリーグが最初に打ち立てたわけではなくサッカーという競技自体がどこの国でもそういう考え方でやっていたのかもしれないけれども、広く日本人一般に知らしめたという意味で)、"サポーターは12人目の選手"という考え方は画期的だったと思う。ここまでスポーツ観戦やサッカーについて書き連ねてきたのは、本書の内容と密接に関係している。『ディス・イズ・ザ・デイ』では、サッカー2部リーグ22チーム(架空のチームだが)のサポーターたちが、シーズン最終節をどのように迎えどんな思いで過ごしたかが綴られているのだ。

 津村作品の中ではかなり多くのキャラクターが出てくる小説だと思うが、ひとりひとりに事情があり、家族や友だちを思う気持ちがあり、サッカーに対する思いがあることが丁寧に描写されている。全22チームの最終節の試合風景ということは、11試合について描かれているわけだが、片方のチーム(とそのサポーターたち)だけに肩入れすることなく温かい視線がむけられていることにほっとする。彼らは決して聖人君子というわけではない。しかし、"こういう風に他人のことを思いやれる人間になりたい"と思わせてくれる存在なのだ。

 現実の生活においては、つらいことや理不尽なトラブルに遭遇することも多い。本書においても、恋人が何も言わずに姿を消したり、会社で高圧的な同僚に嫌味を言われ続けたり、離婚した元妻に引き取られていった娘とどうやって接していいかわからなかったり、という主人公たちが登場する。これがハリウッド映画などであれば、逆境にある人々の人生は往々にして華麗なる変貌を遂げるだろう。しかしながら、主人公たちの状況は劇的に好転するとまではいえない。第7話「権現様の弟、旅に出る」の主人公・荘介(会社で高圧的な同僚に嫌味を言われ続けているキャラだ)の例を挙げてみる。荘介は、岩手・盛岡在住の会社員。サッカーにはほとんど興味がなかったのだが、地元である遠野FCと姫路FCとの開幕戦で文化交流として行う神楽に参加してくれと幼なじみの司朗から声がかかる。もともと小学5年から高校3年まで神楽の経験者で、祖父も優れた舞い手だったといったいきさつもあって、荘介は司朗の頼みを引き受け姫路へと向かった。それがきっかけとなって、荘介や司朗は遠野FCのサポーターとなったのだった。さて、私もまったく神楽という舞楽には詳しくないのだが、岩手の方では神楽舞の獅子頭を権現様と呼ぶらしい。職場でのストレスが日に日に募っていた荘介は、司朗の家の床の間にいる権現様にそっくりな獅子頭を衝動的にネット通販で購入した。司朗の家の権現様は安政の大獄の頃に作られた由緒正しいもので舞台以外には持ち出し禁止なのだが、ネットで買った方(荘介たちは「権現様の弟」と名づけた)は試合観戦の際にスタジアムに連れ出されるようになり、その様子がテレビやネットでちょっとした話題となる。「遠野の獅子舞に頭を嚙まれると、すっごくいいことがあるわけではないけど、いろいろとけっこうましになるらしい」という噂とともに。この「ちょっとまし」という感覚が、津村記久子という作家の素晴らしさだと思う。物事が「ちょっとまし」になればずいぶん楽になるのだ、人生って。

 どの短編も心を打つが、特に好きだと思ったのは、第9話「おばあちゃんの好きな選手」。長らく疎遠になっていた孫と父方の祖母の物語だ。もし私に孫ができることがあったら、こんな祖母になりたいと強く思う。なぜおばあちゃんがひいきの選手を応援するようになったのかを知って思わず大泣き。本書の中だけでも他者との距離感が絶妙だと思わせるキャラは多いが、主人公・周治のおばあちゃん(いや、周治本人もだな)は最高! この小説に限った話ではなく、津村作品の登場人物たちにはどれだけいろんなことを教わってきただろうかと改めて思わずにいられない。

 そうそう、スポーツを題材にしている以上、競技に関する記述のクオリティが気になる読者もおられるだろう。その点でも、津村記久子はぬかりない。サポーターにとって最終節は特別な試合であるし、それがリーグ昇格や残留に関わる戦いならばなおさらだが、手に汗握る試合風景には実際のサッカー好きをも納得させる内容になっていると思う。サッカーに興味のない人に対しては言葉を尽くしてもなかなかその魅力をわかってもらえないものだけれども、本書を読んでもらったら心を動かす人も多そうだ。さして興味のない登場人物の目からもサッカーについてフラットに語られている部分もあるのが、また素敵。

(松井ゆかり)

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