【今週はこれを読め! エンタメ編】素敵シニアライフに隠された秘密〜井上荒野『よその島』

文=松井ゆかり

 この小説に関しては、若い人と年配の人とではかなり感想が違ってくるのではないかと思う。若者にとっては、本書で描かれる老いというものがまだまだ対岸の火事のようにしか感じられないケースが多いだろう(高齢の家族が身近に存在するような場合は、また別だと思うが)。一方、老化現象進行中な私のような者にとっては、そろそろ他人事とは思えないシチュエーションの連続だった(主人公のひとり、碇谷芳朗が不動産屋の店員に「ご高齢のかた」と呼ばれてびっくりする場面が印象的)。

 語り手は3人。前述の芳朗と妻の蕗子、そして彼らの友人・野呂晴夫。彼らは都会を離れ、3人で共同生活をするために島に移り住んだのである。芳朗の古美術商の仕事はインターネットで在庫品を販売する程度の規模に縮小したし、小説家の野呂も廃業するつもり。生活に余裕のある彼らであればこそ可能となった、素敵シニアライフの始まりだ。しかし、各々の心の中まで穏やかとはいえない。例えば芳朗は、物語の冒頭ですでに妻の手を「殺人者の手」であるとして思いをめぐらせたりしているのだから。

 蕗子による殺人の記憶については、おいおい夫婦の回想により明らかになってくる。どうやら昔亡くなったのは、芳朗の愛人だったようだ。そして野呂も、ふたりに対して隠し事がある様子。島への移住にあたって雇い入れた家政婦・仙崎みゆかとその息子・宙太が彼らと住居をともにするのだが、野呂とみゆかには碇谷夫妻の知らない因縁があるらしい。うわべは平穏な生活が続いているようにみえるけれども、読者は彼らの間に絶えず張り詰めた空気を感じ取ることになる。果たして、芳朗の愛人の死の真相は? 野呂は何を隠しているのか?

 ...と、ミステリー・サスペンス的な趣向でも、読者を大いに引きつける。ただ、たぶんガチのミステリー好きならば、わりと早い段階で真相にたどり着けそう。アリバイ崩しや緻密なトリックといった、推理小説の醍醐味といえる大仕掛けを期待するような読者向きではないかも。本書の魅力はもっと違うところに、登場人物たちの心理的な駆け引きにあると思う。

 加齢とともにいうことをきかなくなる身体、衰える気力。でも平均寿命を考えたら、そこからもまだしばらく人生は続いていくものと考えた方がいいだろう。余生といえども、けっこう長い。そのときにどんな風に永らえるか。結局人間は、どこまで行っても完全にひとりで生きることはほぼ不可能なのだなと改めて思い知らされた。

 主人公たちがすごいと思うのは、相手に対して寛容なところだ。いくらお互い様な部分があるにせよ、こんなに親切になれるものだろうか? 昨今、すぐにキレる老人の存在は多く指摘されているというのに。それはそれとして、いくら蕗子が自分は図太くて「どうでもいいこと」がひとよりも多いという自己認識であったとしても、やっぱり芳朗はいろいろと身勝手だったと思うけど。

 読み終えて、端正なフランス映画を観たような気分になった(内面に渦巻く感情なども含めて)。若さに大きな価値があるとする風潮は厳然として存在するとはいえ、素敵に歳をとることだって可能なのだ。人生が決して後戻りすることのできない列車のようなものだとすれば、そもそも生きること自体が前向きな行為ともいえよう。蕗子が「行き止まり」と感じた島で、彼らが最終的にどのような道を選んだのか、ぜひお読みになって確かめていただきたい。

 というか、著者の井上荒野さんご自身が、フランス人女優のような素敵さではないか! あと10年たったら、井上さんがいまの蕗子くらいで、私がいまの井上さんとだいたい同じくらいの年齢になる。井上さんは蕗子のようにエレガントでいらっしゃるだろうけど、私は追いつける気がしない(というか、いまも背中すら見えていないが)。

(松井ゆかり)

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