【今週はこれを読め! ミステリー編】女王ウォルターズの魅力が詰まった中篇集『養鶏場の殺人/火口箱』

文=杉江松恋

  • 養鶏場の殺人/火口箱 (創元推理文庫)
  • 『養鶏場の殺人/火口箱 (創元推理文庫)』
    ミネット・ウォルターズ,成川 裕子
    東京創元社
    2,009円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 ミネット・ウォルターズはおっかない。

 そういう先入観を持っている人は多いのではないだろうか。なにしろデビュー作『氷の家』と第2作『女彫刻家』しか翻訳がない頃から日本では「ミステリーの新女王」なんて称号を奉られていたし、その贈り名にふさわしく英米のメジャーな賞は総なめにしているし、作品も「旧」女王のアガサ・クリスティーおばさんみたいにふんわりした感じじゃなくて怖いひとがいっぱい出てくる印象があるし(でも、本当に怖いのは優しい顔をして平気で人を殺すアガサおばさんのほうなのだけど)、第4長篇『昏い部屋』のように相当なミステリー読みでも頭をひねって読まないといけない作品はあるし。

 要はちょっと通好みな雰囲気があるのですね。それで「新女王」の呼び名が一人歩きしてしまっていた。

 でも、実はウォルターズには親しみやすい部分も多いのである。第6長篇『破壊者』を手にとってもらえればわかるのだが、彼女の作品にはロマンス小説の要素がある。この作品には「最初は反目し合っていた男女がそのうちに相手の違う面を見つけて惹かれあうようになる」という恋愛小説定番の展開が盛り込まれている。もちろん、独自のとてもひねくれたプロットに変換されてはいるのだけど。ウォルターズはロマンス小説誌の編集者をしていたことがあって、そのときのノウハウが創作にも活かされているのである。

 たとえばウォルターズ作品では、登場人物に対して読者が抱く第一印象がそのまま最後まで持ち越されることは少ない。話が進展していくうちに、それぞれの違った面が見えてくるからである。これなどは「最初は反目し合っていた〜」式の図式を応用した人物描写のやり方だ。

 また、女性が無理解な世界の中で孤軍奮闘する作品として読むと、とてもおもしろい。私がウォルターズ作品でいちばん好きな第7長篇の『蛇の形』は、ある女性の人間像が男どもによって「こうである」と決めつけられてしまったために彼女をめぐる悲劇が見過ごされてしまうという話であり、そのことを悔やむ女性がずっと後になって真相を突き止めようとする。彼女は、真実を知るために自分の夫さえも突き放し、文字通り孤立無援で敵意溢れる街に戻ってくる。その姿は痺れるほどかっこいいのである。

 ちょっと読んでみたくなるでしょう。

 というわけでミネット・ウォルターズ初の中篇集『養鶏場の殺人/火口箱』(以上すべて創元推理文庫)だ。巻頭の「はじめに」にある通り、収録作2篇ともに「人々を読書に誘う」ことを目的とする媒体からの依頼で書かれたものであり、内容には難解なところはひとつもない。だからといってウォルターズは手を抜くようなことをせず、自分が持つ技法を中篇の長さに詰め込んでいる。つまり彼女の魅力が凝縮された作品集なのである。ぜひウォルターズ初心者だけではなく、翻訳ミステリーをあまり読んだことがないという人にもぜひとも読んでもらいたい。

 収録作のうち「養鶏場の殺人」は、実際に起きた変死事件を題材として、結婚に積極的な娘と良すぎるほどに人が良い青年が出会った悲劇を描くサスペンス小説だ。二人の間で交わされた書簡を挿入しながら物語を行い、作者は不可避の結末へと読者を連れていく。1920年代という時代設定、当時の倫理観が小説に基盤を与えているのだが、古臭く感じられる部分は皆無なのでご安心を。

 これ、読み味が何かに似ているかと思ったが、あれだな、ロイ・ヴィカーズ〈迷宮課事件簿〉シリーズだな。〈迷宮課事件簿〉とは、些細なことが原因で殺人の罪を犯してしまった人々を描く倒叙ミステリーの連作集なのだが、あの「やってしまった」感が非常に「養鶏場の殺人」とよく似ている。

 もう1作の「火口箱」は、閉鎖的な共同体の中で事件が起きるというウォルターズ得意の舞台設定を用いた作品だ。恐ろしいほどに技巧的で、特に読者の目を不要な動きのほうにそらさせるミスリーディングが冴えている。もちろんどれが偽の手がかりなのかは書けないが、真相がわかってから読み返すと登場人物の印象が一変して見えるのが素晴らしい。あることが原因で登場人物たちの間には共同体が崩壊すれすれになるほどの緊張が高まる。そうした事態は本筋の事件捜査からは副次的な要素に見えるが、実はそうではなく、全体を構成する不可欠のピースであることが最後には判る趣向なのである。どこにも無駄がなく、箱根名物のからくり細工のようにすべての部品が利用されている。その徹底ぶりが素晴らしいのである。

 あともう一つ書いておくと、これはマザーグース・ミステリーでもある。なんの歌かは書かないが、あるマザーグースから全体が構成されているのだ。こういう作品を読むと、もうウォルターズが「新」女王でいいじゃん、と言いたくなってしまう。「旧」女王のクリスティーも、マザーグースは好きだったしね。

(杉江松恋)

« 前の記事杉江松恋TOPバックナンバー次の記事 »