【今週はこれを読め! ミステリー編】死と生が表裏一体の短篇集『丸い地球のどこかの曲がり角で』

文=杉江松恋

  • 丸い地球のどこかの曲がり角で
  • 『丸い地球のどこかの曲がり角で』
    ローレン・グロフ,光野多惠子
    河出書房新社
    3,300円(税込)
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 滅びの唄が聴こえる。

 今回紹介するのは、ジャンルに属する作品とは言えないが、ミステリー・ファンが読んだらとりこになることは間違いない一冊である。ローレン・グロフ『丸い地球のどこかの曲がり角で』(河出書房新社)だ。

 11篇を収めた作品集で、表題作はこんな物語である。主人公のジュードは、フロリダ州の中央部にある、大小の爬虫類が群れ棲む沼のほとりの、クラッカーハウスで生まれた。クラッカーは貧しい白人を指す蔑称として使われる言葉だが、これはそうではなく、高い天井と家の四囲に巡らせたテラスが特徴的な建築様式のことである。父は大学の教員で、爬虫類と両生類の研究をしており、家にもそれらの生き物があちこちに入りこんでいた。窓の下枠にはホルマリン漬けのガラガラヘビが鎮座ましましており、浴槽には父親が持ち込んだ一メートルもあるアルビノのミシシッピワニがいたこともあった。それを知らずに浴室に入った母親はジュードの妹を流産してしまう。

 父親は自分の生き方を変えず、家族にもそれに従うことを強いた。それに倦みつかれた母親は父親が従軍するとジュードを連れて海岸の町へ移り、文学書を売る本屋を営むようになる。だが、やがて父親は復員し、再び沼の家に住むことを余儀なくされた。母親は息子を連れて逃げようとするが、暗闇から悪魔のように現れた父親によってジュードのみが連れ戻されてしまう。以降は沼の家で、蛇に心を捉われた男と誰に対しても心を閉ざした息子の二人だけが暮らすようになる。ジュードは数学の分野に才能を見出す。自分の内奥で数式と向かい合うことがすべての彼にとって、世界は狭く完結したものだ。

 ジュードの住む世界は、物理的にはどんどん狭くなっていく。父から受け継いだ土地を、少しずつ大学へと売却していくからだ。最後にはそれまでの世界をぎゅっと濃縮したような沼のみが残る。ある日、妻が不在にした間にジュードはその沼でボートのオールを流されてしまい、照りつける陽光の下で衰弱死しそうになる。沼には危険な生物がいて、泳いで戻ることはできない。

 どの短篇でも生とごく近いところに存在する死、あるいは迫りくる滅びの予兆が描かれる。沼にただ一人取り残されたジュードは、それまでにないほど死に近づくことで、自分がそれまで知らなかった世界のありように気づくことになるのである。本書の原題はFloridaで、フロリダという場所自体が全篇を貫くモチーフになっている。自分の影が足元に刻み込まれ、永久に消えなくなるかと思われるほどに激しい陽光、シャワーカーテンの間を通り抜けるかのようにまとわりつく湿気、ジュードの父を魅了したような生物たちといった諸相が各篇で描かれる。

 中には「愛の神のために、神の愛のために」のように、登場人物がフロリダを離れ、大西洋の向こう側であるフランスで過ごす日々を描いた作品もある。それぞれの理由から運命の終わりを感じ取っている四人の男女を、大人の思惑とは無関係な幼子の視点を交えて描いた一篇だ。回避できない終わりに向けて彼らがじりじりと進んでいることが明らかになる瞬間、そこから逃れてきたはずの耐え難いフロリダの暑さがフラッシュバックする効果的な演出がある。「サルバドル」もフロリダで母親を介護する日々に倦んだ女性が、バカンスで訪れたブラジルで精一杯羽目を外そうとするが、待ち望んだ美しいものとは対照的な、醜い男の視線に囚われる。襲来する嵐によって、男の営む食料雑貨店に逃げ込まなければならなくなる後半部の、緊迫感が実にいい。

 この作品と併せ読んでいただきたいのは「ハリケーンの目」である。巨大なハリケーンが訪れ、周囲の住民がみな非難したにもかかわらず、主人公の女性だけは家でワインを飲んで過ごすことを選ぶ。嵐による終末を待ち受ける彼女の前に、かつての懐かしい人々が亡霊となって現れるのである。ゴーストストーリーとしても読め、死と生が表裏一体となったこの短篇集を代表するような一篇だ。

 このほか、大学教員への道を歩んでいたにもかかわらず、貧困によってそこからはじき出され、ホームレスとして生きることになった女性が視点人物の「天国と地獄」は、アメリカの現状を描くと同時に、ゆるやかな死へ続く時間を描いた物語でもある。諦念に満ちた語りは絶望の感情をいたずらに煽り立てるのではなく、開き直ったユーモアと、底を打って浮かび上がるような感覚をも味わわせてくれる。冒頭の「亡霊たちと抜け殻たち」は、懐かしいユーモア・スケッチ風味もある。街を歩く主人公の視点から建物の中で暮らす人々を綴った、都会小説である。

 死と隣り合わせの感覚である、官能描写にも印象的なものが多い。環境問題を憂慮して喧伝するあまり親友からも去られてしまった主人公を描く「フラワー・ハンターズ」では、庭にできた陥没穴から彼女が不可逆の破滅を幻視してしまうのだが、水に関する魅力的な描写がある。主人公は雨の中、わざわざレインコートを着て陥没穴を見にいく。


----ふと気づくと、雨が髪をつたってレインコートの襟首から流れこんでいた。そこから軽々と肩を乗りこえ、左の乳房の上を通ってみぞおちに達し、へそに入って、さらに右の股関節あたりに広がっている。
 目のさめる思いがした。よく切れるナイフの冷たい刃先を肌に当てられたようだった。


 このように切っ先鋭い表現が随所で楽しめる短篇集だ。最初に書いたようにまったくミステリーではないのだが、収録先の特徴を〈奇妙な味〉と表現してもおかしくはないのではないかと思う。読み逃すにはあまりに惜しい一冊である。ぜひ手に取っていただきたい。

(杉江松恋)

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