第103回:前田司郎さん

作家の読書道 第103回:前田司郎さん

劇団「五反田団」を主宰し、劇作家、演出家、俳優として活躍する一方で、09年には『夏の水の半魚人』で三島由紀夫賞も受賞し、小説家としても注目されている前田司郎さん。実は、幼い頃から志していたのは小説家。どんな経緯を辿って現在に至るのか、そして大学生の頃に出合った、それまでの本の読み方、選び方を変えた1冊とは。

その4「芝居に興味を持つ」 (4/7)

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――19歳のときに劇団「五反田団」を旗揚げされたそうですが、そのきっかけは。

前田:高校1年のときにはじめて、渋谷のジァンジァンで小劇場の芝居を観て、こんな世界があるんだと思ったんです。当時は1万円くらい払って観る劇団四季や歌舞伎なんかが演劇だと思っていて。でも実は2000円くらいで見れる芝居があって、しかもいい大人が必死になってやっている。そこから芝居を観はじめました。その頃も小説を書こうとは思っていたんですが、孤独だったんです。内緒にしていたし、書く作業も孤独だし。演劇だったら友達ができるんじゃないかと思って、それで高校から演劇を始めました。
学校に演劇部がなかったから、舞台芸術学院という専門学校みたいなところに行きました。昼は高校に行って、夜通っていました。周りの人も面白いし、いちばん年下だったからチヤホヤしてもらって(笑)。そのときも書く側になりたかったんですが、戯曲を書く学校はないし、俳優は恥ずかしいけれどまあやってみようかなと思って。入ってから戯曲を書けばいいやと思っていました。

――じゃあ、当時から戯曲も小説も書いていたんですね。

前田:戯曲は最初から最後まで書くことができたんです。それで調子をつかんだというか。芝居のほうが、何か月か後に本番があるから最後まで書かないといけない状況だったので、それで書くと意外と書ける。劇団を旗揚げして戯曲を書いていくうちに最後まで書く自信がついて、じゃあ小説も書けるかなと思って、大学在学中から芝居がヒマなときにちょこちょこと書き始めて、何年かかけて200枚くらいまで小説を書いていたんです。
その後『群像』の編集者の方に、「小説家以外の人に30枚くらいの小説を書かせるコーナーがあるので書いてみないか」って言っていただいて、30枚の短編を書きました。でも僕の番になる前にそのコーナーがなくなってしまって(笑)。一応書いたんだったら見せてくださいということで「書きかけなんですけど長編もあります」といって短編と書きかけの長編を読んでいただいて、その長編が紆余曲折を経て「群像」に掲載されました。

――それが『愛でもない青春でもない旅立たない』だったんですね。小説は最後まで書けなかったけれど戯曲は書けた、というのは締め切りがある、ということが大きな違いだったんですか。

前田:舞台芸術学院に通っているときに、先輩たちに読んでもらおうと思って自分で締め切りを設定したので。人に見せるとか、発表する場があるとか、期限が決まっているということは大きいと思います。実は小説も、文集に書いたもの以外で他に一編、最後まで書けた掌編がありました。でもそれを『鳩よ!』のコンクールに出したら箸にも棒にもかからなくて、その賞を取った人の作品を呼んだら全然面白くなくて、もう信じない! と思っていったん小説から離れた時期もありましたね。

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