第173回:西崎憲さん

作家の読書道 第173回:西崎憲さん

作家、翻訳家、アンソロジスト、ミュージシャンと、さまざまな顔を持つ西崎憲さん。昨年は日本翻訳大賞を立ち上げ、今年は文芸ムック『たべるのがおそい』を創刊など、活動の場をどんどん広げていく西崎さんの原点はどこにある? その読書遍歴はもちろん、各分野に踏み出したきっかけもあわせておうかがいしました。

その2「東京に出てミュージシャンに」 (2/6)

  • 怪奇小説傑作集 1 英米編 1 [新版] (創元推理文庫)
  • 『怪奇小説傑作集 1 英米編 1 [新版] (創元推理文庫)』
    アルジャーノン・ブラックウッド,ブルワー・リットン,ヘンリー・ジェイムズ,M・R・ジェイムズ,W・W・ジェイコブズ,アーサー・マッケン,E・F・ベンスン,W・F・ハーヴィー,J・S・レ・ファニュ
    東京創元社
    1,015円(税込)
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  • 四人の申し分なき重罪人 (ミステリーの本棚)
  • 『四人の申し分なき重罪人 (ミステリーの本棚)』
    ギルバート・キース チェスタトン
    国書刊行会
    2,700円(税込)
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  • 思考の紋章学 (河出文庫)
  • 『思考の紋章学 (河出文庫)』
    澁澤 龍彦
    河出書房新社
    6,365円(税込)
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  • 夢の宇宙誌 〔新装版〕 (河出文庫)
  • 『夢の宇宙誌 〔新装版〕 (河出文庫)』
    澁澤 龍彦
    河出書房新社
    18,022円(税込)
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――何のお仕事をされていたんですか。

西崎:今度なくなってしまう、中野のサンプラザでホテルの客室係をやりました。そこに掃除係の早稲田の学生がいて、その人が「ドラマーを紹介してあげる」って言ってくれて、やってきたのが落合さんという、いま博報堂で偉くなっている人です(笑)。それでちょこちょこっと東京の初のバンドをやりました。
サンプラザがよかったのは、雇用促進事業団という国関係の団体の施設なので、図書館があったこと。蔵書は1万冊くらいだと思うんですけれど、意外にいい本が揃っていました。そこで生涯最高に読みましたね。1日3冊とかのペース。幻想文学、怪奇幻想、純文学、思想哲学などもありました。

――働いてバンドをやりながら、よくそんなに読めましたね。

西崎:その時は集中力があったんでしょうか。サンプラザの小さな図書館のおかげではずみがついて、それからとにかく読んで、25歳くらいの時に読むものがなくなっちゃった、と思ったんです。そんなはずはないんですけれど。ミステリーとSFと、あと日本と海外のめぼしい小説はすべて読み終わった、と思ったんですよ。

――え、読み終わるなんてことがあるなんて。

西崎:自分にとってめぼしいもので、読みたいものに限ってですよ。ある日、町の小さな書店に行って、「ああ、もう全部読み終わっちゃったなあ。これから何を読めばいいんだろうな」って思って。狭い本屋でしたが東京創元社の棚があって、100冊くらいあったのかな。そのなかに『怪奇小説傑作集』があったんですよ。全5巻のシリーズで、そこにあったのはたしか第2巻でした。それまでは別に怖い話ってなんか胡散臭いなと思ったりもして読まなかったんですが、もう読むものがないので「じゃあ怖いものでも読んでみようかな」となって、すぐに大当たりとは思わなかったんですけれど、じわじわときて。怪奇と幻想というものに目を見開かされました。誘ってくれた、という感じです。自分の基本のひとつになりました。

――どの作品とか、どの作家がよかった、というのはありますか。

西崎:『怪奇小説傑作集』の第1巻が、本当に怪奇作家のベスト・オブ・ベストなんですよ。そのなかでも印象に残ったのはウィリアム・フライアー・ハーヴィーの「炎天」、E・F・ベンスンの「いも虫」、ウィリアム・ワイマーク・ジェイコブズ「猿の手」。第3巻のディケンズ「信号手」も印象に残っていますね。現実と非現実はそこまで区別しなくてもいい、ということがよく分かりました。
どういうことかというと、ある不思議なことがあるとして、それは本当に不思議な現象なのか、心理的な現象なのかというのが問題になりますよね。でも持論みたいな話になりますが、幽霊でもデマでもUFOでも行動に何かしらの影響や効果があったら、それはもう現実ではないかと考えるようになりました。リアルなものとファンタスティックなものとをあまり区別しなくなったんです。でも小説の世界ではまだ結構、厳然として区別があるなとは感じていますが。

――なるほど。ところで、ミステリーやSFで好きな作家は誰だったんですか。

西崎:結局若い頃にいちばん好きだったのはチェスタトン。『ポンド氏の逆説』と『詩人と狂人たち』とか。今はもう絶版なんですが、今度新訳が出るそうです。のちに自分でも『四人の申し分なき重罪人』を訳しました。SFだとサミュエル・ディレイニーとハーラン・エリスン。そうそう、影響を与えられたという点では、怪奇小説の翻訳家の平井呈一さん。

――先駆けみたいな存在ですよね。平井さんの訳文は、今読むと非常に古めかしいというか。

西崎:当時でも古かったという。だいたい怪奇小説の場合は、その時代より3~40年前くらい前の文体で訳すとちょうどいい感じになるんですよ。岡本綺堂のように21世紀の今でも通用するような、異様な新しさを持った文章を書く作家もいますけれど。
平井さんは『怪奇小説傑作集』の第1巻を訳していますよね。あれは割とフラットな感じで訳しているんですけれど、でも癖が強い人なので、あの講談みたいな文章は苦手だという人もいます。「無風状態だ」みたいな原文だった時に、「風はひとたらしもなく」って訳すんですよ。一滴もないっていう。でもそれは怪談においてはすごく特殊な効果を持つ訳ですね。いちばんいいのは、ラフカディオ・ハーンの全集の訳なんですけれど、あれは今絶版じゃないかな。『恐怖の愉しみ』1、2巻も今読めないですよね。牧神出版から出ている『こわい話 気味のわるい話』の文庫化だったと思うんですけれど。まあ平井呈一は徹底的に趣味人ですよね。師弟関係として平井呈一さん、紀田順一郎さん、荒俣宏さんというラインがあって、そのお三方にはものすごく影響を受けていますね。文章上の影響ではなくて、好みとか、嗜好の点で。

――紀田順一郎さん、荒俣宏さんも博覧強記なお二人ですが、どのあたりの作品がお好きだったのでしょう。

西崎:紀田順一郎さんはM・R・ジェイムズという人の翻訳と、あと一般向けのものですごく好きなのが『日本の書物』。『日本の書物』と『世界の書物』を出しているんですけれど、その『日本の書物』がとても印象に残っています。荒俣さんは、僕の考える荒俣宏初期三部作というのがありますね。『別世界通信』『理科系の文学誌』『大博物学時代』。やっぱり博覧強記なところに打たれました。
それから雑誌の「幻想文学」それにも非常にいろいろと教えてもらいました。それが20代くらい。あとは、私の世代は澁澤龍彦を読んでいたので、私も読みました。『思考の紋章学』は澁澤さんがはじめて日本の文化を扱ったものですよね。その前だと、『夢の宇宙誌』が白眉かなあ。小説では『高丘親王航海記』もちょっと指針になったかな。でもあれには不満もあるんです。エッセイのように書いてしまうんで、もう少し濃密なほうがいいなと思って。でも描写に執着がないのが澁澤さんの持ち味でもありますよね。それと塚本邦雄さんには詩歌の基本的なところを教えてもらった感じですね。詩歌の入門書はどれもすごいです。短歌に関しては『定型幻視論』あたりかな。

――なるほど。さて、その後、西崎さんは音楽家として広げ、おニャン子クラブのうしろゆびさされ組の曲を作ったりされつつ、翻訳の仕事を始めますよね。

西崎:そうそう、28歳くらいの時にそれの作曲をやって。当時、幻想文学好きの人たちが集まるサークルがあって、そこで翻訳者の中野善夫さんも一緒だったんです。中野さんが「コッパードっていう作家の翻訳の同人誌を作りましょう」って。でも僕はその頃、英語が全然駄目だったんです。「taught」とかを見て「あ、これってteachの過去形か。そういえば過去形というものがあったな」と思うくらいのレベルでした。それで、一文に5回くらい辞書を引いて、たぶん間違いだらけだろうけれど、翻訳したんです。でも結局その同人誌は出なかったんです。中野さんが自分の分を訳さなかったんで。

  • 怪奇小説の世紀 第3巻 夜の怪
  • 『怪奇小説の世紀 第3巻 夜の怪』
    西崎 憲
    国書刊行会
    2,516円(税込)
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――えー。

西崎:でもそれが、国書刊行会に持ち込みにいくネタになりました。藤原編集室の藤原さんがまだ国書刊行会にいて、ちょうど自分の企画を出せるような時期になってきていた。それで、はじめて持っていった企画が形になるという、ありえないくらいの幸運に恵まれたんです。あとになって、「3か月後でも、3か月前でも、たぶんこの企画通りませんでした」と言われたことがあります。翻訳に関しては幸運、幸運の連続。そうして国書刊行会で全3巻のアンソロジー『怪奇小説の世紀』を出して、その後筑摩書房から『英国短編小説の愉しみ』という全3巻のアンソロジーを出して。それでもう名刺ができたような感じで、少しずつほかから声がかかるようになりました。ニッチだったのがよかったんでしょう。幻想怪奇の世界は狭いので、競争相手がいなかった(笑)。これがミステリーだったら、たぶんうまくいかなかった。

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