第173回:西崎憲さん

作家の読書道 第173回:西崎憲さん

作家、翻訳家、アンソロジスト、ミュージシャンと、さまざまな顔を持つ西崎憲さん。昨年は日本翻訳大賞を立ち上げ、今年は文芸ムック『たべるのがおそい』を創刊など、活動の場をどんどん広げていく西崎さんの原点はどこにある? その読書遍歴はもちろん、各分野に踏み出したきっかけもあわせておうかがいしました。

その3「翻訳の愉しみ」 (3/6)

――でも初歩レベルの英語力から、よく短期間でそこまでいきましたね。

西崎:今から見ると、その頃の訳は全然駄目ですよ。間違えそうなところは全部間違えていたでしょうね、おそらく。とにかく最初の数年くらいは何度辞書を引いても新しい単語が出てくるよなって思っていました。引いても引いても引いても知らない単語ばっかりで、一体何億語あるんだろう、って。でも、さすがに何億語はなかったですよ。小説に使う言葉って3万語くらいなのかな。

――未邦訳の作品はどうやって探していたんですか。

西崎:それはマニアなので、イギリス、アメリカの書店にカタログを送ってもらう訳ですよ、郵送で。カタログを元に注文の手紙を書くわけです。電話でやりとりしたのは数えるほどで、あとは手紙でした。大変でした。

――じゃあ時間がかかりますね。

西崎:本が手に入るまでにはやくて1か月半くらいかかりましたね。またそれが楽しみで。小学生の頃と一緒なんですよ。東京から本が届くというのが、イギリスから本が届く、というのに替わっただけで。だから、やっぱり本に対する執着は強いですよね。今みたいにamazonで翌日に届いたりしないので、それだけ大事なもの、手に入りにくいものでした。とにかくカタログが来るのが楽しみで、むさぼるように読みました。カタログが届いた時と、本が届いた時の高揚感はすごかったですね。
イギリスのファンタジーセンターというところから本を買っている人が日本人で一握りいて、そのうちの7~8人は知り合いだったんじゃないかと思います。ある時、カタログを見て「どうしてもこの本がほしい」と思ったことがあって。手紙でやりとりしていたら時間がかかるから先に誰かに買われてしまうと思い、英語が話せないのに電話したんです。なんとか話を通じさせて「わかった、日本のニシザキだな」と言われて注文できたんですけれど、その30分後くらいに今本渉さんという翻訳家が電話してきて「西崎さん、さっきイギリスに電話したでしょ」って言われて。今本君が向こうに電話したら「先ほどミスターニシザキという日本の紳士からすでに連絡ありました」と言われたって(笑)。それは何の本だったのかな...。たしかL・T・C・ロルト。超マイナーな、無名な作家です。ロルトの短編集って復刻されたんですけれど、1000冊くらいしか刷られてないんじゃないかな。

――翻訳されるのは短篇が多いですよね。

西崎:怪奇小説はやっぱり短篇が多いですね。怖いものを暗示されるから「一体なんだろう」と怖くなるのであって、怖い対象が登場するともうそれはモンスターなり猛獣みたいな存在となって、話がそれと闘う冒険小説みたいになってしまう。長篇は暗示的な怖さを持続させるのが難しいんですよね。だからできたとしても中編が限界かなと思っています。

――その頃は、国内小説よりも英米の小説の原書を読むほうが多かったわけですよね。

西崎:明らかにそっちのほうが多かった時期はありますね。英語を読むことに関しては、自分で感動したことがふたつあります。ひとつが、仕事が終わって「ああ疲れたな、何か本を読んで寝るか」と無意識のうちに寝室に持っていった本が、英語の本だったんですよ。「あ、俺、本当に英語が読めるようになったんだな」って思いました。日本語の本を手にとって左から開けようとしたことも多かったです(笑)。
もうひとつは、ある時にカラオケに行ったら、洋楽を歌う人がいたので画面の歌詞を見ていたら、意味が分かるんですよ。それにびっくりして。そんなふうになるなんて、全然予測していなかったんです。これは便利だなと思いました。

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