第174回:彩瀬まるさん

作家の読書道 第174回:彩瀬まるさん

2010年に「女による女のためのR‐18文学賞」読者賞を受賞、2013年に長篇小説『あのひとは蜘蛛を潰せない』で単行本デビューを果たした彩瀬まるさん。確かな筆致や心の機微をすくいとる作品世界が高く評価される一方、被災体験をつづった貴重なノンフィクション『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』も話題に。海外で幼少期を過ごし、中2から壮大なファンタジーを書いていたという彼女の読書遍歴は?

その4「大学時代に好きだった日本人作家たち」 (4/7)

  • 両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム (新潮文庫)
  • 『両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム (新潮文庫)』
    寺山 修司
    新潮社
    637円(税込)
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  • あゝ、荒野 (角川文庫)
  • 『あゝ、荒野 (角川文庫)』
    寺山 修司,鈴木 成一
    KADOKAWA
    691円(税込)
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――さて、上智大学の新聞学科に進学されるわけですが、学部はどのように決めたのですか。

彩瀬:私は乱れ撃ちで受験して、受かったのがここだったんです。たまたまなんですけれど、うちの父も上智の新聞学科出身です。メディア志望の人が多くて、「ジャーナリズムって何よ」というところからその歴史だったりを勉強して。報道することとは何かのイメージをつけてしまうことではないかと個別の事案を検証したり、放送倫理というのはどうやって確保するのかというのをアメリカの例や日本の例を挙げて調べていったり...というのをやっていました。でも、おおむね、のどかな学部でした。

――その頃に読んだ本は。

彩瀬:京極夏彦さん。

――本当に分厚い本や長いシリーズが好きなんですね(笑)。

彩瀬:結果的にそうですよね(笑)。私、読むのがすごく速いんですよ。だから電車移動の時に薄い本だともたないんです。で、大学時代は京極夏彦さんも入ってきたし、辺見庸さんも入ってきますね。浅田次郎さんや村上春樹さんも相変わらず読んでいて、そこに寺山修司とか、川上弘美さんや江國香織さんも入ってくる。王道どころを押さえているって感じですけれど。
 京極さんは『魍魎の匣』が好きでした。人が区切られて匣に入れられて持ち運ばれるっていうのは、なんだろう、やっぱり奇妙な気持ちになりますよね。辺見庸さんはめちゃくちゃ文章がきれい。今読んでも病的にきれいだなって思うんです。
 辺見庸さんは著作が多いんですよね。『もの食う人々』が面白くてその後に何冊か読む中ですごく引っかかってきたのが『眼の探索』。このなかに新年にまつわる話があって。人が静まり返った夜に町を歩いていたら、浮浪者っぽい男が椿の花を食っている。男の口からボロボロ赤い花びらが落ちているというだけで私はぎょっとして読んだんですけれど、それを見ながら辺見さんは「確かに年末だし、世間の人間は幸せな者が多いし、あんたが行き詰っているのは分かるけれど、だからって花なんか食うなよ」と思うんです。思いながら、同情的なまなざしでその男を見ている。そしてついそれを口にしてしまう。すると、その男が石をぎりりとこするような声で「おめでとね。あけまして、おめでとね」と言うんですよ。私だったらそれを見たら臆するし、共感というか、労わるような心情はたぶん湧かないと思ったんですね。でも辺見さんの「だからって椿なんか食うなよ」っていう姿勢が、当時それを読んでいた大学生の私とあまりに違うことに衝撃を受けて、で、またその文章が美しくて、ボロボロボロボロ赤い椿がその男の口から出てくるのが伝わってきて、その一篇が好きで何回も読んでいました。書き写した憶えもあります。
江國香織さんの『落下する夕方』は、結婚間近だった彼氏からある日突然他の女性に惚れたといって別れを切り出されますが、その彼氏は相手の女性に振り向いてもらえないんですよね。で、なぜか彼氏のことを鼻にもひっかけない若い女と主人公が同居生活を始めるという話で、「恋はいつか冷める」ということだったり、眼の前で自分の好きな人が他の女に心変わりをしてその女を夢中で追いかけているという描写がきつくてまた良かった。
 川上弘美さんは全部読んだし全部好きなんです。短編集『おめでとう』の表題作なんかは、人類が滅んだ後、東京タワーの見える場所に主人公たちが住んでていて、新しい年が来たと言って「おめでとう」「おめでとう」って言いあっているんです。その言葉もそんなに根付かないまま。「私たちは忘れないようにしよう」と言っているけれど、忘れているんですよ。すごく散文的なんですけれど、日常的に使っている言葉がもう意味を失ってこだまになっている感じがすごく素敵で印象に残っています。

――挙げたお名前のなかで唯一、寺山修司はちょっと時代が前ですよね。このきっかけは。

彩瀬:ちょっと小説好きの人たちの間で流行っている印象があったんですよ。本屋でも普通に置かれていたし、立ち読みか何かで見かけた時にすごく文章が特殊だなと思って、それで文庫を買ったんだと思います。寺山修司のアフォリズムをまとめた『両手いっぱいの言葉』を読んでいました。寺山修司自身の著作では、小説の『あゝ、荒野』。大学生活の真ん中か後半に読んで、すごく好きになりました。

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