第174回:彩瀬まるさん

作家の読書道 第174回:彩瀬まるさん

2010年に「女による女のためのR‐18文学賞」読者賞を受賞、2013年に長篇小説『あのひとは蜘蛛を潰せない』で単行本デビューを果たした彩瀬まるさん。確かな筆致や心の機微をすくいとる作品世界が高く評価される一方、被災体験をつづった貴重なノンフィクション『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』も話題に。海外で幼少期を過ごし、中2から壮大なファンタジーを書いていたという彼女の読書遍歴は?

その5「作家デビューにいたるまで」 (5/7)

――その大学3年で小説家になりたいと思ったのは、どんなきっかけだったのですか。

彩瀬:就活が視野に入ってきて、就職したらその仕事をずっとやらなくてはいけないというのはなんとなく分かっていて。私は母親がとうに亡くなっていたし、自分も母が亡くなった42歳で死ぬかもしれないと思ったんですね。寿命が早く終わるかもしれないし、それが大して珍しいことでもないんだって思ってたから、なるべく好きなことに時間を使っていける人生がいいなと考えた時に、小説家もいいなあと思って投稿を始めました。

――あ、すぐに投稿生活を始めたわけですか。

彩瀬:そうです。R-18文学賞(女による女のためのR-18文学賞)も30枚くらいから応募できるので、わりとすぐ書けるんですよ。その前にすばる文学賞で3次選考まで行ったりもしました。大学3年生の時から、すばる文学賞、R-18文学賞、その他にもう一本、年3回くらい応募していた気がします。

――中高生の頃に書いたのは壮大な異世界ファンタジーでしたが、すばる文学賞は純文学系ですよね。

彩瀬:はじめは結構ファンタジーチックなものも書きました。南国っぽい島の大きな家で、たまたま両親が死亡して一人になった女の子が死んだお母さんを庭に埋葬するんですが、家の権利者だったおじいさんが失踪したために期限が来たら家を街に返納しなくてはいけなくて、一生懸命お金を稼いでお母さんの埋まっている家を買い取ろうとする話とか。あ、これは確か「文學界」に出して一次も通してもらえなかった。純文学などのジャンルはよく分かっていなかったです。純文学の新人賞のほうが規定枚数が少ないから、結果的に純文学の賞に応募していました。

――卒業して一回就職されていますよね。

彩瀬:民間の会社に就職しています。小売業の会社に入ったんですが、R‐18文学賞の最終選考に2回残っていたので、未練が強くて。このまま就職して投稿を止めてしまいたくないなと思って、投稿を続けていたらデビューが決まりました。

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――2010年に「花も眩む」という短篇で読者賞を受賞されて。でも短篇だから急に単行本は出ないですよね。その後2013年に長篇『あのひとは蜘蛛を潰せない』が出るわけですが、その前の11年にノンフィクション『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』を出されて。

彩瀬:単行本1冊目を長篇にしようという話はわりと早くから出ていたんです。短篇集や連作短篇集よりも長篇を出したほうが業界でも名刺代わりになるから、頑張って書こうっていう話になって、プロットを煮詰めていっていました。でもやっぱりちゃんとゴールを決めながら長い話を書くことはやったことがなかったので、だいぶ時間がかかってしまって。その間に「小説新潮」に短篇を載せてもらったりもしたんですけれど、結局1作目がまとまるより先に、東日本大震災で被災して、そのことを書いたものが本になりました。

――あの3月11日、福島で列車に乗っていたという。

彩瀬:たまたま沿岸部の常磐線に乗っていて、ホームに停車していたら地震が来て、電車が動かなくなって避難して、隣町に歩こうと思ったら津波警報が出て津波がやってきて逃げて...。5日経って関東に戻ってきた時に、被災前にメールをやりとりしていた編集者に「無事に帰ってきました」というメールを送ったら、翌日くらいに、関東圏には沿岸部の情報が入ってきていないから、よければルポを書いてくれないかと依頼をいただいて。それで書くことになりました。たしか締め切りがめっちゃきつくて、1週間くらいで書いているんですよ。

――気持ちが全然落ち着かない時だろうに、よくあんなふうに冷静に、客観性を持って書けましたよね。

彩瀬:仕事として依頼がきたから書かなきゃ、って。「現地の情報がない」と言われて、確かに何がどれだけ必要なのかとか、現地のダメージの度合いがあんまり伝わっていない状況だったから、それこそ上智の新聞学科で培ったマスコミ的な意識で、書くべきだって思って書いていました。

――その1年後くらいに『あのひとは蜘蛛を潰せない』が出ます。デビューした実感を得たのって、どのタイミングだったんでしょう。

彩瀬:『暗い夜、星を数えて』の時はやっぱり、自分の作品という感じがしませんでした。だって、目の前にあったことをなるべく正しく書くことをやったので、私の想像力が関与する余地はまったくないし、それは絶対に入れてはいけないものだったので。あくまでもタスクというような意識が強かったです。だからはじめて本を出した作家さんが感じる恥ずかしさや怯えを感じたのは『あのひとは蜘蛛を潰せない』の時だったと思います。『暗い夜~』の時はそれよりも、社会的に大丈夫だろうかとか、これを出すことで傷つく人はいないだろうかとか、理不尽な抜粋をされて誤った情報のソースになったりしないだろうかといった、別の心配があって。『あのひとは~』の時にやっと作家になった感じがしました。

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