第174回:彩瀬まるさん

作家の読書道 第174回:彩瀬まるさん

2010年に「女による女のためのR‐18文学賞」読者賞を受賞、2013年に長篇小説『あのひとは蜘蛛を潰せない』で単行本デビューを果たした彩瀬まるさん。確かな筆致や心の機微をすくいとる作品世界が高く評価される一方、被災体験をつづった貴重なノンフィクション『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』も話題に。海外で幼少期を過ごし、中2から壮大なファンタジーを書いていたという彼女の読書遍歴は?

その6「好きな海外作品、気になる翻訳家」 (6/7)

  • オリーヴ・キタリッジの生活 (ハヤカワepi文庫)
  • 『オリーヴ・キタリッジの生活 (ハヤカワepi文庫)』
    エリザベス ストラウト
    早川書房
    1,015円(税込)
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  • ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)
  • 『ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)』
    コーマック・マッカーシー
    早川書房
    590円(税込)
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  • タイガーズ・ワイフ (新潮クレスト・ブックス)
  • 『タイガーズ・ワイフ (新潮クレスト・ブックス)』
    テア オブレヒト
    新潮社
    2,376円(税込)
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――プロの小説家になってから、本の読み方は変わったと思いますか。

彩瀬:変わったと思います。投稿時代はやっぱり読者だったかな。本は面白くて当たり前というか。自分の琴線に引っかからない本は、本として二流である、みたいな意識がありました。そういう高慢な気持ちって絶対あるじゃないですか(笑)。でも、作家になって読み返すと、書いた人が難しいことをやっているなってすごく分かる。自分の好み以外のところで、作りこんでいる箇所とか、どれだけ手を尽くされているかみたいな判断基準が出てきました。それまでは自分の好き嫌いや、自分の波長に合う合わないだけで本をジャッジしていた節があります。

――手を尽くしているなとしみじみ思った作品ってどういうものでしょうか。

彩瀬:デビュー前後くらいから、ピューリッツァー賞中心に結構、海外ものを読み始めて。
エリザベス・ストラウトの『オリーヴ・キタリッジの生活』とコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』あたりから、やっと海外文学が「あ、読める」という感じになりました。それまではエンデみたいな児童向けのものじゃないと楽しめないんじゃないかと思っていた節があったんですけれど、デビュー前後、大学生の後半くらいから、読めて楽しいものなんだって分かってきたんです。
『オリーヴ・キタリッジの生活』は装丁がすごくきれいだったから本屋で買ったのかな。ひとつの田舎町の話で、いろんな人物の視点に変わるんですけれど、主人公格のオリーヴ・キタリッジがすごく気の強い老婆で、元先生なので正しいことを言うんですけれど、だから息子に嫌われたりもする。彼女は家の近くに息子のための家を用意していたのに、息子は彼女の好みとはまったく違う嫁を選んでまったく違う州に移り住んで、屈辱感を味わうんです。またその息子の結婚式に自分が選んだドレスについて、新婦の友人が物陰で「あんなケバいドレスを着て」と言っているのをたまたま聞いたりして。ああ、これだけ強い老婆も傷ついて、惨めさを味わいながら生きているんだっていうことに驚いたのかな。そういうショックと、それでもやっていかなきゃいけないんだっていうところがすごくよくて、そこに共感できたから、海外文学に対する扉が開いた気がします。

――『ザ・ロード』を読んだきっかけは。

彩瀬:『ザ・ロード』は最初図書館で立ち読みして、息子と父親の会話がすごく印象的だったんですね。世界が何らかの理由で終わった後、父親と息子だけが浮浪者みたいな格好で、人間らしさを剥奪された世界をとぼとぼ歩いている設定なんですけれど、息子は幼いから荒廃する以前の世界をろくに知らない。母親はとっくに自殺してしまっていて、もう街も何もなくなっていて、生きている人はひたすら戦いを続けていて、子どもを食べる集団まで出てきている。その時に息子は「なんで僕たちは歩き続けなきゃいけないの」って訊くんですよ。お父さんは息子に死んでほしくないから、ひたすら「それでも歩かなきゃいけないんだ」って言い聞かせる。でも父親も心の中では「なんで俺たちはこの状態の中でも生き続けなきゃならないんだろう」っていう自問自答が常にあるんですよ。それでも息子は天使みたいな子で、自分より惨めな人に自分の持っているものを分け与えようとする。それは危険な行為だから父親は認めたくないし、息子もどこかで分かっている。とにかく辛いシーンが続くんですが、最後にまた「なんで歩かなきゃいけないの」と訊かれた時お父さんは「俺たちは火を運んでいるんだ」って言う。おそらく火というのは、人間の善性なんですよ。善さ、善なるものを運んでいるから、この荒廃した世界であらゆる人が戦いを続けたり、子どもを食べたり、人間性をかなぐり捨てていくなかで、俺たちはなるべく人間らしく、善性を運んでいかなければならないんだっていう結論にたどり着く小説で。はじめて読んだ時はこんなふうに言語化できなかったんですけれど、今まで自分が生きてきた中に、「善性」なんて概念はなかったので、本当に驚きました。私がまったく馴染みのないものを心の柱にしている社会があるんだなと。

――あえて海外小説を読もうと思ったのは、どうしてだったんでしょうね。

彩瀬:やっぱり装丁が美しかったから。なんであんなにいいものばっかりなんですかね。今思い出したんですけれど、本屋大賞の海外部門の1位を獲っていたテア・オブレヒトの『タイガーズ・ワイフ』もすごく好きでした。旧紛争地域のセルビアの出身の著者で、オレンジ賞も受賞しているんですよね。あれもすごくいいシーンがたくさんあった。紛争にまつわる描写がすごく多くて、それまで愛していた土地がこれから失われるということについての問いかけがすごく多いんですけれど、その中で明日爆撃される街に視点人物が行くんです。「なんで来たんだ」って言われて「愛した場所だからだ。そして明日失われるからだ」って言って、今にも砲弾が飛んでくるかもしれないなか、ホテルで晩餐するんですよ。この本には都市伝説みたいな不死身の男というのが出てくるんですけれど、彼はもうすぐ死ぬ人間が分かるんですね。で、その晩餐をもてなしてくれているホテルのボーイが明日死ぬことが分かるんですが、本人には伝えないって言う。視点人物が「今からでも伝えれば彼は家に帰って家族との時間が持てる」と促すと、彼は「このあとちゃんと家族との時間は持てる」と言い、「自分の職業を大いに誇りにしている男だから、俺たちは大盤振る舞いをして、あいつにも贅沢な思いをさせてやるんだ」と言う。視点人物は泣きたい気持ちになりながら豪華な晩餐をするんですよ。それでもやっぱり明日自分が爆弾で死ぬとなぜ知らせないのかと言うと、不死身の男は「あいつの人生がいきなり終わってしまうからだ」って言う。「それを知る必要はないだろ。知らないで苦しまずに済むんだ」って。視点人物に対しても「あんたはいきなり死ぬ」、「それまで抱いてきた生死にまつわる葛藤や思いは、あんたが死んだあとにやってくるし、もうそのときあんたはその場にいない」って。実際にその人物は、物語の前半で亡くなっているんですよ、唐突に。唐突に奪われる命について、あまり悲劇的に扱っていない。それまでに自分が抱えてきた考え事や心配事は一瞬で失われるんだっていう、その姿勢は完全に紛争地帯に生きた人だからこその視点だなって思わせる。死生観の違いをまざまざと感じて面白かったです。やっぱり、死にゆく男のために「すべての料理を持ってきてくれ」っていう晩餐がすごくよかった。労りってこういうものかもしれないなっていう。それを25歳くらいの若さの女性が書いているんですよ。もう、自分も著者だから言うと「やってらんないわ」っていう気持ちです(笑)。

  • 夜、僕らは輪になって歩く (新潮クレスト・ブックス)
  • 『夜、僕らは輪になって歩く (新潮クレスト・ブックス)』
    ダニエル アラルコン
    新潮社
    2,376円(税込)
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  • 美しい子ども (新潮クレスト・ブックス)
  • 『美しい子ども (新潮クレスト・ブックス)』
    ジュンパ・ラヒリ,ミランダ・ジュライ,アリス・マンローほか
    新潮社
    2,052円(税込)
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――読む本ってどうやって選んでいるのですか。

彩瀬:やっぱり評判のものは手にとってみます。意識的に海外のものを多く読むようにしています。多くの日本人作家の方は自分と同じ社会、近い環境で書くことになるけれど、どうしても物語の意外性って社会環境だったり宗教だったりがまったく違う海外のもののほうから多く出てくる気がします。だから楽しんで読む本は海外が多いです。で、国内の小説でもちゃんと学ばなければいけないものや押さえておかなければいけないものは読むようにしています。

――海外ものはどうやって選んでいますか。レーベルとか。

彩瀬:新潮クレスト・ブックスはチェックしています。もう、新潮クレストの本を読んだら必ずブログとかで勝手な感想を書くから全冊プレゼントしてほしい、と思うくらい(笑)。なんであんなに装丁がきれいなんですかねえ。今持ち歩いているのはダニエル・アラルコンの『夜、僕らは輪になって歩く』なんですけれど。

――『タイガーズ・ワイフ』も『夜、僕らは輪になって歩く』も訳者が藤井光さんですね。

彩瀬:藤井光さん、いいですよね。サルバドール・プラセンシアの『紙の民』もすごくよかったですよね。デビュー直後に池袋リブロで立ち読みして、3700円くらいするのにその場で買っちゃったもん。よかったです。だから、藤井光さんの翻訳が出ているとやっぱり見ますよね。コーマック・マッカーシーさんも新刊が出れば読むし、そこから派生して読んでいったりするし...。新潮クレスト・ブックスがたまにアンソロジーを作ってくれるんですよね。『美しい子ども』とかがあります。それを読んで好きな作家を増やしていったりしています。

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