第221回:高山羽根子さん

作家の読書道 第221回:高山羽根子さん

この夏、『首里の馬』で芥川賞を受賞した高山羽根子さん。これまでも一作ごとにファンを増やしてきた高山さん、多摩美術大学で日本画を専攻していたという経歴や、創元SF短編新人賞に佳作入選したことがデビューのきっかけであることも話題に。読んできた本のほか美術ほか影響を受けたものなど、高山さんの源泉について広くおうかがいします。

その6「応募のハードルは低かった」 (6/7)

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――では高山さんの場合、新人賞に応募したのは、ある程度の枚数のものが書けたらちょっと出してみようという気軽な気持ちだったのですか。

高山:そうです、そうです。応募に関してはすごくハードルが低かったんです。美術大学に行っていると、課題で描いた絵なんかをどんどんコンペに出すんですよ。腕試しじゃないですけれど、せっかく描き上げたのにそのままほったらかすのもなにかなって。人にもよるので、ある程度まとまってから個展を開く人もいるし、できあがった時点でテーマに合った公募展に出す人もいたし、何もしない人もいる。でもとにかく、応募することに対してハードルが高くなくて、「せっかく50枚書けたから50枚前後で応募しているところがあったら応募してみようかな」という。駄目だったとしてもあんまり気にせず、またぽいぽい応募しようかなという気持ちでした。

――それで、規定枚数が合う新人賞として、たまたま第1回創元SF短編賞があった、と。

高山:たまたま、他に100枚とか200枚のエンタメを書いている人が、「自分にはこういう賞は合わないけれど、今回から始まるこの賞はあなたは合うもしれないから応募してみたら」って教えてくれたんですよ。私は結構変な話を書いていたので、「新しい賞でまだちゃんと傾向も決まっていないだろうから、いいんじゃない」って。それで応募したんですよね。

――そういう仲間がいたんですね。

高山:いろんな大学に社会人が受けられる授業があって、その一環の小説講座みたいなところに行ったんです。完全に好奇心だったというか、絵を描くにもやっぱり学校に行ったわけだし、自分がゼロから面白いものが書けるか疑わしいから言ってみたというか。
 結局そんなに長くは通わなかったんですけれど、そこでわりと仲良くなった人がその後も連絡を取り合ってくれて。先生もすごく気にしてくれたので、ありがたい話です。

――あ! そういえば、根本昌夫さんの教室に通っていたという話を小耳にはさみました。芥川賞を受賞した若竹千佐子さんや石井遊佳さんも通っていた教室ですよね?

高山:そうです。根本先生は、今はどうか分かりませんが、大学の授業とかカルチャースクールとか、いろんなところで教えていたんです。通ってくる人も、年齢も10代20代から70代80代の方がいたし、会社で社史を作らなきゃいけないけど文章が書けないという人や、編集のお仕事の人とか、シナリオを書いている人とか、いろんな方がいました。私は石井さんとはたぶん違うところだったと思うんですけれど、若竹さんは同じ教室の同じ時期にいました。授業が終わった後に喫茶店に行って喋ったり、映画を観に行ったり、いろんなことをしましたね。「こんなことになって面白いもんだね」って言っています(笑)。

――そうだったんですね。それで、話を戻しますと、そのお仲間から創元SF短編賞のことを教えてもらって応募して、佳作に入選してという。

高山:1冊の本にして出せるのは正賞を取った方だけなんですが、その他の最終選考に起こった作品のなかで面白いものをまとめてアンソロジーとして1冊にしましょう、みたいな話になって、そこに入れてもらったんです。そこから自分の短篇集を出すまでに5年くらいかかりました。東京創元社さんって、SFのレーベルはあるけれど、SFの雑誌はないんですよ。なのでWebミステリーズ!とかいろんな媒体でちょいちょいと書かせてもらったものを集めて5年くらいかけて『うどん キツネつきの』という1冊になりました。
 その次の年くらいに「太陽の側の島」という短篇で北九州市が主催している林芙美子文学賞をいただいて、ちょっとずつ「もうちょっと長いものを」という感じで書かせてもらえるチャンスをいただけて。SFの短篇は書いても駄目だったりしたんですけれど、「小説トリッパー」にはじめて100枚以上のもの、『オブジェクタム』を書いた時に、書評などに取り上げてくださる方がすごく多くて、それがありがたくて。そこからちょっとずつ首が繋がり続けたみたいな感覚です。その頃は仕事をしながら書いていたので、出すのものんびりだったんですけれど、100枚以上のものを書きはじめてから、なんかいろんなことがパタパタッといろんなことが起こっていった感じです。

――そして『首里の馬』で芥川賞を受賞されて。ただ、ご自身ではSFとか純文学といったジャンルは意識されずに書いていたわけですよね。

高山:そうですね。たまたまSFの方が「面白い」と言ってくださって、それをたまたま文芸誌の方が読んで「面白い」と思ってくださった、みたいなところがあって。自分としては、書いているものが70枚だろうが250枚だろうが、自分のなかの考え方や組み立て方みたいなものは変わっていないつもりでいます。

――さきほどスケッチブックの話をしましたが、そうやって最初に紙の上にいろいろな断片を書いたり貼ったりして整理して話を組み立てていくのはいつも同じなんですか。

高山:10枚20枚の短篇や掌編、コラム的な小説の時は、ああいうのは作らずにワンアイデアで一気に書いちゃいます。30枚でも作らないかな。50枚に近くなると舞台設定とか、時間の経過とか、「一方その頃こちらでは」みたいな部分とかの整理のために作ります。単純に、能力的に整理しないととっちらかってしまうというだけの話で、頭の中で整理できる人は必要ないと思いますが。

――トレーシングペーパーを使って重ね貼りしたりして、立体的に作っているのが面白いなと思ったんです。

高山:小説を書くようになってから、面白いなと思ったことが結構ありました。絵って、下地ですごく間違えたものがあると、上に描いたものも全部消さないといけないけれど、小説って最初に埋めてなかったものを途中で埋め込むこととかもできるんだな、とか。最後まで書いた後に途中でここだけパカッとなくすこともできるし、パカッと違うものに替えることもできるし。そういう、文章の自由度感じることってすごくあります。

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