第226回:酉島伝法さん

作家の読書道 第226回:酉島伝法さん

2011年に「皆勤の徒」で第2回創元SF短編賞を受賞、造語を駆使した文章と自筆のイラストで作り上げた異形の世界観で読者を圧倒した酉島伝法さん。2013年に作品集『皆勤の徒』、2019年に第一長編『宿借りの星』で日本SF大賞を受賞した酉島さんは、もともとイラストレーター&デザイナー。幼い頃からの読書生活、そして小説を書き始めたきっかけとは? リモートでお話をおうかがいしました。

その5「小説を書き始める」 (5/8)

  • ポップ1280(新装版) (海外文庫)
  • 『ポップ1280(新装版) (海外文庫)』
    ジム・トンプスン,三川 基好
    扶桑社
    935円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • オクトローグ 酉島伝法作品集成
  • 『オクトローグ 酉島伝法作品集成』
    酉島 伝法
    早川書房
    2,530円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

――会社に勤務していた頃、読書する時間はあったんですか。

酉島:少しでも時間ができると個展のための絵を描いていたし、頭は疲れているしで、今までで一番本を読めなくなった時期でした。それでもクライムノベルなら楽しんで読めたんですね。タランティーノの「パルプ・フィクション」にはまって、タランティーノがよく言及していたエルモア・レナードを読むようになって。ドナルド・E・ウェストレイクの「ドートマンダー」シリーズも好きでした。"ダイムストア(安物雑貨店)のドストエフスキー"という惹句につられジム・トンプスンの『ポップ1280』を読んではまり、『残酷な夜』では、パルプノワールでこんな前衛的なことをしていたのかと驚かされました。最後のほうで語り手が正気を失って、訳の分からない文字列になっていくんですね。その頃には、京極夏彦さんもよく読んでました。

――フリーランスになってから、小説の投稿を始めたのですか。

酉島:フリーの仕事を適度にこなしつつ、アート系の作品に集中していたんですが、うまく展開できずに行き詰まって。その時に、「もともと何がしたかったのか」を自分に問い直して、ふと、「小説書くのが好きだったな」「夢中になって書いていたな」と思い出して、ひさびさに書いてみたんです。そしたらすごく楽しくて。当時読んでいた小説の影響もあって、近未来クライムノベルみたいな内容だったんですけど、書き上がると、せっかくなので日本ファンタジーノベル大賞に応募しました。酒見賢一さんや佐藤亜紀さんをはじめ、受賞作には好みの作品が多かったですし、賞金が500万円というのも魅力的でした。とはいえ、箸にも棒にもかからないだろうと思っていたのですが、一次選考に通ったので、「もしかして、呼ばれているのでは」と思い始め、それからも書き続けていきました。
 でも小説にのめり込みすぎてだんだん生活がきつくなって、6時で上がれることに惹かれて刷版工場に勤めだしたのですが、ワンオペ状態になることも多くてきつかったですね。どんな感じだったかは『オクトローグ』収録の「金星の蟲」に柔らかめに書いたのですが、一人で大きな刷版を運んで、焼付機にいれ、出てきたら現像機に入れたりしつつ、パソコンの方でもデータの処理や割り付けをしながら、やたらとかかってくる電話にも応対するという。だんだん、宇宙人に訳の分からない仕事をさせられているような気持ちになってきて、ある時、そのまま小説に書いたらいいんじゃないかって気づいたんですよね。

――もしかしてそれが、創元SF短編賞を受賞する「皆勤の徒」でしょうか。そこにたどり着くまでも、いろいろ新人賞に投稿されていたわけですよね。

酉島:そうですね。2回目にファンタジー大賞に送って一次を通ったのが、さきほど言った、「棺詰工場のシーラカンス」なんですが、ある日、『文学賞メッタ斬り!』を読んでいたら、大森望さんがそれについて話しているんですよ。筆名も作品名も出ていないんですが、内容説明で自分の小説だと分かって。「超弩級の異色作で、大賞候補に残したんだけど他の人全員に反対されて、候補にも残らなかった」みたいなことが書かれていました。

――なにも知らずにたまたま読んでいたら、その箇所に行き当たったんですか。

酉島:ええ。寝っ転がって読んでいて、跳ねるように立ち上がりましたよ。それでまた、「やっぱり呼ばれている......」と勘違いして、余計に本気になってしまったんですが、そうなるとなかなかうまくいかないもので。だんだん読書の興味が純文学の方に傾きだして、純文学系の賞にも送るようになったのですが、そちらは全然うまくいかなくて。自分の作風に合う賞やジャンルが分からなくなっていました。 SFは好きで神林長平さんの小説などにのめり込んでいましたが、自分には書けるとはとても思えなくて、 SF系の新人賞には送ったことがなかったんです。それがある時なんとなく落選作を小松左京賞に送ったらいきなり最終選考に残って、「もしや SFに向いているのか」と気づき始めたんです。

――SFの大家の大森望さんが推してくれたのに、なかなか気づかなかったという。

酉島:不覚でした。もちろん、大森さんが面白いと思うようなものを目指して書き続けていたのですが。落選が続いて、大森さんが一次から最終選考まで全部関わる賞があればいいのに、と無茶なことを願っていたら、まさにそんな無茶な創元SF短編賞ができたんです。しかも選考委員が応募作を全部読むと言う触れ込みで。第1回の応募数は612編、第2回も550編あったのに、全部読まはったそうです。さすがに3回目からは編集部と分担になったそうですが。1回目は間に合わなくて手持ちの短編を送ったら一次には通り、今度は全力を尽くそうと半年かけて「皆勤の徒」を書きました。一番得意なもので挑もうと考えときに、封印していたグロテスク資質が溢れ出してきたんですね。小説の賞に応募を始めて11年目くらいだったので「これが最後かも」という気持ちでした。

――それで第2回創元SF短編賞で見事受賞、と。

酉島:第1回で山田正紀賞を受賞した宮内悠介さんもこの「作家の読書道」で「創作の神様はぎりぎりを見極める」と言ってたと思いますけど、僕も「ぎりぎりを見極められたのかな」と。

――「皆勤の徒」では、造語にあふれた世界を作り出していますよね。

酉島:幾つかの小説で実験的には造語を使っていたのですが、全面的に造語を使えば、自分の思い描いているビジュアルイメージを言語化できるんじゃないかと思ったんです。言葉じたいが牢獄になるような小説を目指してはいたものの、自分でも困惑するくらいの文面になってきて、「これ、読めるのかな」と思ったんですが、「まあ、大森さんなら大丈夫だろう」と。
 実は、最初はアートブックみたいな作品にするつもりで、絵から描きはじめたんです。それまで絵と小説は別々に取り組んできたのですが、自分の中では切り離せないものだと気づいて。普通、応募原稿に挿絵をつけるのはあまり推奨されませんし、これまでやったことはなかったんですけれど、創元の賞に関しては当時、「どういうものを送ってきても、あなたがSFと思うものなら構わない」みたいなことが募集要項に書かれていたので大丈夫だろうと。でも、だんだんと文章の比重が多くなって、現在の形になりました。

――受賞の連絡があった時はいかがでしたか。

酉島:ちょうど牛丼を食べようと蓋をあけた時に電話がかかってきたんです。その回はゲスト選考委員が堀晃先生だったんですが、当時手伝いに行っていた事務所の近くの店に堀晃先生がよくお見えになるという噂を聞いていたので、電話を替わられた時に、もっと大事なことを話せばいいのに「堀先生がよく行くお店知ってます」などと言ってしまって。そうしたら「そこで祝杯をあげよう」となってご一緒し、その後その店がだんだんSF作家のたまり場みたいになっていきました。「マーガレット」という、ジャズ関連に強い、たこ焼き居酒屋だったんですけれど、残念ながらなくなってしまいました。

» その6「衝撃を受けた作家その1」へ