第227回:尾崎世界観さん

作家の読書道 第227回:尾崎世界観さん

2001年にロックバンドのクリープハイプを結成、12年にメジャーデビュー。ヴォーカル、ギター、作詞作曲で活躍する一方、16年に小説『祐介』を発表した尾崎世界観さん。最新作『母影』が芥川賞にノミネートされるなど注目を浴びる尾崎さんは、どんな本を求めてきたのか。歌うこと、書くことについて切実な思いが伝わってくるお話です。リモートでインタビューを行いました。

その2「「ぴあ」で世界を広げる」 (2/8)

  • ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙
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    ヨースタイン ゴルデル,Gaarder,Jostein,香代子, 池田
    NHK出版
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――ほかに小学生時代に読んで記憶に残っているものは。

尾崎:小学校高学年の時に図書券ではじめて買って読んだのが下村湖人さんの『次郎物語』でした。何も知らずに手にとったんですけど、夢中になりましたね。あれがはじめて「ちゃんと小説を読んだ」と思えた本です。読み終わった時に寂しくなったのがはじめてだったんです。登場人物たちに置いていかれたような、自分だけ放り出されたような寂しさがありました。そういう経験をして癖になったというか、本っていいなと思いました。
 でも、小学校6年生くらいにその頃流行っていた『ソフィーの世界』を買って、これはまったく読めなかったです(笑)。

――ファンタジー小説だけど内容は哲学入門で、めちゃくちゃ分厚かったですよね。

尾崎:あとは、書店の近くの中華料理屋に週一回家族で行っていて、帰りに本を買ってもらっていた時期がありました。その頃は、とにかく読み切ることが大事だったので、いつも薄い本を探していました。群ようこさんの『膝小僧の神様』というエッセイを読んだりしていましたね。どの本も、中華料理の味つけとセットで覚えています(笑)。

――小学生時代はモヤモヤしていたとのことでしたが、将来どうなりたいと思っていたのでしょうか。

尾崎:父親が板前なので後を継ぐと言ったりもしていたけれど、そこまで深く考えていなかったですね。はやく子供を終わらせたいと思っているわりには、大人になって何になりたいかはまったく考えていませんでした。

――中学校に入ってからの読書生活は。

尾崎:読書の記憶が抜けてしまっているので、あまり読んでいなかったのかもしれません。そのかわり、雑誌の「東京ウォーカー」にはまりました。
 小学生の頃から近所のビデオ屋さんに通うようになって、映画が好きで「ロードショー」や「スクリーン」といったハリウッド俳優が出ているような雑誌を買って読んでいたんです。小学生が珍しいのか店員さんが可愛がってくれて、映画館に連れていってくれたりもして。中1の時にデヴィッド・リンチの「ロスト・ハイウェイ」を観にいって、エロくてどうしたらいいか分からなかったですね(笑)。そういう大人の世界を見せてくれた店員さんはバンドマンで、映画だけでなく洋楽もいろいろ教えてくれたんです。その人がいつも読んでいたのが「東京ウォーカー」でした。それで僕も読んでみたら、行ったことのない街の情報が分かるのがすごく面白かった。そこから、もっと情報が欲しくなって「ぴあ」にいきました。文字だけで読んで、この町のこの映画館はどんな感じかなと想像したり、エキストラ募集の情報を見て、この日のこの時間にこういう映画を撮るんだなと思ったり。実際の行動範囲は狭かったけれど、「ぴあ」を見て妄想していました。小学生の頃からずっとしてきた妄想をいい方向に逃せたんです。
 ライブハウスの情報はバンド名が詰めこまれているから、そこからもいろいろ想像できるし、イベントのタイトルからもどんな音楽のジャンルかを想像できる。それで実際に行ってみたくなって、中学生の時からライブハウスに行くようになったんです。最初は弟と2人で、週末のお昼、高田馬場のライブハウスであったアマチュアバンドのオーディションライブに行きました。入口でバンドメンバーに「タダでいいから入りなよ」って声をかけられて入ったら、お客が僕と弟の2人だけで気まずかった。「楽屋においで」と言われていったら、バンドメンバーの奥さんと子供がいたりして。今思えば家族がいるのにオーディションライブに出ているのは大変ですよね。でもその時はそんなことは思わず、デモテープをもらって、全然いい曲じゃないんだけど弟と一緒に憶えるまでずっと聴いていました。そういうこともあって、「ぴあ」に思い入れがあります。

――「ぴあ」って映画でも音楽でも展覧会でも、いろんな情報が一挙に載っているので、興味がないものも目に留まって、だからこそ世界が広がりましたよね。

尾崎:タダで手に入る情報より、お金を払って得た情報のほうが縁起がいいような気がしていたんですよ。面白いものに当たる確率が高くなる気がしていて。だからちゃんと「ぴあ」を買って、そこからの情報で見に行ったもののほうが思い入れがあります。バイトでも、無料の冊子よりも、お金を出して買ったバイト情報誌を見て応募したほうが、面接に受かるような気がしていたんです(笑)。それと同じ感覚が「ぴあ」にもありました。

――ところで、映画も好きだったんですね。

尾崎:地元から上野の映画館が近くて、友達と観に行くようになったんです。先ほど話した近所のビデオ屋でレンタル落ちの中古CDを買っていたので、自分にとっては映画と音楽は繋がっていました。とにかく情報に飢えていたので、映画館に行くとパンフレットも買って、隅から隅まで読んでいました。当時、「シネマ通信」という番組があったんですよ。(石川三千花さんの)イラストで新作映画を紹介していて、あれを見るのが楽しみでした。

――どんな映画が好きでしたか。

尾崎:最初はアクション映画とか、ハリウッド大作を映画館で観ていました。中学生くらいから邦画を観始めて、「ぴあ」で情報を得ていたので、ある時ぴあフィルムフェスティバルで準グランプリを獲った熊切和嘉監督の「鬼畜大宴会」という映画を観たんです。監督が大学の卒業制作として撮った内ゲバの話です。あれ、すごい内容なんです。背伸びしてレンタルビデオで借りて観て、友達に薦めたら怒られました。「肉食えなくなった」って。
 そういうことも含めつつ、映画も音楽もスタンダードなところから入って、「ぴあ」を通してちょっとずつ深いところにいけました。

――自分で演奏することはいつから始めたのですか。

尾崎:だんだんバンドに興味が出てきたけれど、その時はまだお金がなくて楽器も買えなくて。でも、夏休みに従兄弟に会うと「BANDやろうぜ」という雑誌を読んだりしていて、何か楽器を買えば仲間に入れてもらえるかなと思ったんです。それで雑誌に載っているなかでいちばん安い楽器を選んで、「これ買うから仲間に入れて」と言ったら、「それはチューナーだから無理」って言われました(笑)。
 中学2年生の時にギターを始めました。本でいうと、「歌BON」や「ソングコング」という、新曲などのギター弾き語りのコードが載っている雑誌を買っていました。「歌謡曲」とか、何種類か同じ系統の雑誌が出ていましたね。「Go!Go!GUITAR」も、最後のほうに初心者向けのアコースティックギターのコードが載っていました。父親はかぐや姫というフォークグループが好きで、自分はギターを持っていないのになぜかかぐや姫の弾き語りのコードが載った本を持っていたので、それをもらいました。楽器は買えないのに本だけは買っているなんて、親子でやっていることは一緒でしたね(笑)。

――そういう方も多いと思いますが、ギターは独学だったわけですよね。

尾崎:ギターのTAB譜も、最初は反対に読んでいたんです。弦のどこを押さえるかが書いてある譜面で、TAB譜通りに押さえているはずなのに音がおかしいなと思って。でもそれは自分の気合いが足りてないからおかしく聞こえるんだって(笑)。そこから練習して、基本のコードをおぼえていきました。ゆずの楽曲のコードが載った本を見ていました。
 子供の頃から、プラモデルを作ってもみんなと同じようにならないし、できないことばかりだったんです。みんなと同じようにできないのはなんでだろうというのが常に目の前にあって、音楽もそうだったけれど、でも何かが違った。できなくても諦めたくないとはじめて思えたのが音楽でした。そこからずっとそのままです。ひとつできたらまたできないことが出てきて、結局いまだにそれを繰り返している。まだできないことがいっぱいある。それがあるから続けていられるんだと思います。

――人前で歌うことは。

尾崎:中2の時から路上で弾き語りを始めました。その頃、ゆずの影響ですごく流行っていたんです。友達と学校帰りに「今日やろうか」と言って、浅草のアーケードでやったりしていました。子供を連れたお母さんが「この子の面倒みてて」って500円くれて一人でパチンコに行って、その子に「何が聴きたい?」って訊いたら、すごく簡単なものを言うと思ったのに「エリック・クラプトン」って返ってきて。「それは歌えねえなー」って(笑)。そんなこともありました。
 自分と関わりのない街でやろうと思って銀座のホコ天でやった時は、大人も多いし外国人観光客も通るから、珍しかったのか写真を撮ってくれたりして。それで喜んでいました。

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