第227回:尾崎世界観さん

作家の読書道 第227回:尾崎世界観さん

2001年にロックバンドのクリープハイプを結成、12年にメジャーデビュー。ヴォーカル、ギター、作詞作曲で活躍する一方、16年に小説『祐介』を発表した尾崎世界観さん。最新作『母影』が芥川賞にノミネートされるなど注目を浴びる尾崎さんは、どんな本を求めてきたのか。歌うこと、書くことについて切実な思いが伝わってくるお話です。リモートでインタビューを行いました。

その7「執筆について、好きな作家について」 (7/8)

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――そもそも小説を書くきっかけは何だったのですか。

尾崎:2014年くらいから、思うように声が出ないことが続いて、どんどんひどくなっていったんです。ライブは休まずにやっていたんですけど、うまく歌えず、これはもうバンドを辞めるしかないなと思うようになっていました。その時にたまたま編集の方に「書きませんか」と声をかけていただいて、それで書き始めました。逃げ道だったんです。自分が作った歌だから自分が一番上手く歌えるはずなのに、頭では分かっているのに身体が動かなくて、上手く歌えなくなって。それでも、歌うよりも小説を書くほうが難しかった。そこに救われたんです。こんなにできないことがあるんだ、だったらまだやれるなと思えた。いまだに小説は難しいし、だからこそ本当に大事なものです。

――最初、すぐにすらすら書けましたか。

尾崎:15枚くらいはなんとなく書けるんです。歌詞を書いてきた手癖で書ける。でも、そこからまったく進まない。言葉を遠くに投げようとしてもすぐ手前で落ちてしまう。言葉に対する自分の肩が弱くて、すごく苦労しましたね。自分は歌詞を書いて言葉を扱ってきた気でいたけれど、歌詞は文章ではないんだなと思いました。それまで曲はメロディと歌詞が5:5だと思っていたけれど、7:3くらいだなと感じたんです。歌詞というのは、そこまで強くないのかもしれない。だからこそ一生懸命作るんですけど。

――第一作目の『祐介』を書き上げた時の達成感は。

尾崎:書けた時は嬉しかったんですけど、やっぱり悔しさもあって。音楽活動をやっていく上で何かを変えたくて書き始めたけれど、書店でタレント本コーナーに置かれているのを見て現実を突きつけられました。その時、いつか文芸誌に載るような小説を書きたいと思いました。それで、どういう人が載っているんだろうと気になって、文芸誌を読むようになったんです。

――『文學界』とか『群像』とか『すばる』とか『新潮』とか『文藝』とか......。

尾崎:『文學界』や『新潮』『すばる』はよく読んでいましたね。『小説トリッパー』も対談の連載をさせていただいていたのでよく読んでいました。中でも好きだったのは『文藝』で、当時はリニューアル前でしたがすごく読んでいて、文藝賞出身の町屋良平さんとも仲良くなって。町屋さんに小説のことを聞きながら勉強していきました。

――町屋さんと仲良くなったというのは。

尾崎:『祐介』を出した時に雑誌で特集をしてもらったんです。何か企画をやろうとなって、自分の本が本当にタレント本コーナーにしかないのか検証したいと言って、都内の書店をまわったら、本当にタレント本コーナーにしかなくて落ち込みました(笑)。その時にカメラマンの方が「ちょっと小説買ってきていいですか」と言って買っていたのが町屋さんの文藝賞受賞作『青が破れる』だったんです。タイトルと装幀がよかったから気になって、後日買って読んだらすごく面白くて。その後、小説のことでインタビューしてくれたライターさんに「最近面白かった本は」と訊かれて町屋さんの本をあげたら、「友達なんです」と言うから「紹介してください」って言って。それで会わせてもらいました。

――町屋さんにどんなことを聞くんですか。

尾崎:小説の読み方ですね。「あの作品ってどうなんですか?」と訊くと「これはこうだと思う」って、すごく根気づよく親切に丁寧に答えてくれるので、いまだにいろいろ訊いてしまいますね。自分は感覚でしか言えないから、自分と感性が違う人の感想を聞くと嬉しくなります。

――以前、彩瀬まるさんの短篇「けだものたち」を読んで(『くちなし』収録)、そのイメージで「けだものだもの」という曲の歌詞を書かれていましたよね。そいうことって他にもあるんですか。

尾崎:あれはすごく好きな話で、あんな風に小説から歌詞を書いたのはそれだけですね。「けだものたち」は「別冊文藝春秋」に掲載されているものを読んで、こんなにすごい作家さんがいるのかと思って、そこから彩瀬さんの小説をすごく読みました。

――「けだものたち」は女の人たちが獣になるという、現実社会のありようを幻想にトレースして描いた作品でしたよね。自分も幻想的なものを書いてみたいと思いますか、それともやっぱり現実世界を舞台に書きたいですか。

尾崎:現状は、現実をしっかり掘り下げていきたいと思っています。
 そういった作家さんだと金原ひとみさんも好きですね。小説も好きですが、エッセイ集の『パリの砂漠、東京の蜃気楼』なんて、あそこまで自分のことをさらけ出しながら、それを文章として芸術にまとめあげていて。最近の金原さんはずっとコロナのことを題材にしているじゃないですか。起きた出来事をすぐ小説にする行動力がありますよね。『文藝』春季号に載っていた「腹を空かせた勇者ども」は、今コロナに対して思っていることを物語のなかで書き切ったんだろうなと思わせる。時代の流れとともに作品を仕上げていく過程が見える気がして、作家ってすごいなと思いました。

――ところで、以前、群像劇のような、いろんな人が出てくる話が好きだとおっしゃっていましたよね。

尾崎:あれからしばらくたって、そういう形式の作品が多いなと気づいたんです。同じ出来事や人間関係を違う視点で書いて、この時この人にこう思われていたあの人は、実はこんなことを思っていた、と分かるような連作短篇集が。読者として、都合よく簡単に視点を替えられるのは、なんだか楽をしちゃう気がするんです。もっと想像する余地があっていいし、そんな簡単に両方の胸の内を知れてしまうのは横着な感じもする。

――ちゃんと意図があって成立している連作短編集もありますが、確かに一時期、安易なものも増えました。

尾崎:多様性がいわれるなかで、ちゃんといろんな人の意見を拾うスタイルになってきているのかもしれないけれど、もうちょっとワガママな一人の視点を感じていたいなと思うようにもなりました。でも、こないだ『文藝』春季号に書いた「ただしみ」は、いろんな土地のライブカメラで起きていることを見ている群像劇のような内容です。ただそれは、すごく冷めた感じで、皮肉っぽく書いています。
 自分はまだ一人称でしか書けないんですよ。一回三人称で書いてみようとしたら、難しくて挫折しました。逆に、三人称は得意だけど一人称は無理、という人はいるんでしょうか。

――うーんどうでしょう。一人称に近い三人称を書く方も多いですよね。

尾崎:そうですよね。読んでいてたまに「これどっちだろう」って分からなくなることがある。とにかく、もっと勉強したいですね。人に言われたことを素直に聞こうと思えるのは小説だけです。

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