第227回:尾崎世界観さん

作家の読書道 第227回:尾崎世界観さん

2001年にロックバンドのクリープハイプを結成、12年にメジャーデビュー。ヴォーカル、ギター、作詞作曲で活躍する一方、16年に小説『祐介』を発表した尾崎世界観さん。最新作『母影』が芥川賞にノミネートされるなど注目を浴びる尾崎さんは、どんな本を求めてきたのか。歌うこと、書くことについて切実な思いが伝わってくるお話です。リモートでインタビューを行いました。

その8「書くことと歌うこと」 (8/8)

――書く題材はどのように考えていますか。『祐介』は主人公が音楽をやっている青年だし帯に「半自伝的小説」とありましたけれど、私はそういうことを意識せずにこれは小説だと思って読みましたが。

尾崎:最初がそういう、自分に近い人間を書いた作品だったので、その次は自分から遠いものを書こうと思いました。又吉直樹さんの作品が好きなんですけど、又吉さんの作品で今出ているものは、自分に近い人の話じゃないですか。好きだからこそ、同じことをやっても駄目だなと思って、離れたものを意識しました。

――『祐介』の文庫版に収録されている「字慰」や、芥川賞候補になった『母影』は、子供の視点ですね。

尾崎:『母影』は母親と子供の話を書こうというのが先にあって、その後で子供だと年齢も離れているからいいなと気づきました。
 いまだに身体が思うように動かないので、よく整体や鍼に行くんですけど、昔通っていたところで、隣で女の子が宿題をやっているのが見えたことがあったんです。その時なんとなく、もしここが、いかがわしいところだったらどうだろうと思ったんですよね。「リンネル」という雑誌の企画でチョコレートを題材にした短篇を書いた時に、隣でお母さんを待っていて指についたチョコレートのざらつきがとれなくて、という子供の話を書いたんです。今回はそれを膨らませました。

――子供の一人称って難しくないですか。

尾崎:それを、後で知ったんです。当時は何も気にせずに書いていたんですけど、今年になっていろんな人から「難しい」という意見を聞いて、もっとはやく言ってほしかったって(笑)。でも、あれじゃないと書けなかったんです。ただでさえ難しい小説に対して、あれぐらい難しいテーマじゃなかったらエンジンがかからなかった。難しいということは、それだけ可能性があるということだから。
 小説って本当に難しい。1作書くと「また次書きたい」というより、「次書けるだろうか」という気持ちが強いんです。音楽だったら、1曲作ったらまた次も作れると分かっている。でも、小説は次の保証がないんですよね。まず書き上げるということが一番の目標です。

――以前、「怒り」の感情から作品にすることが多いとおっしゃっていましたよね。

尾崎:『祐介』は怒りだけで書き上げたところがあります。音楽も、ただ怒っているだけで成立してしまう事がある。でも、小説は怒っているだけじゃ作品にならないと感じるようになり、もう一個何かないといけないなと考えて、次に思ったのは「諦め」です。もうどうしようもなく怒るんだけど、そこには諦めもある。たとえば誰かが死んでしまった時に、「なんでいなくなったんだ」という怒りが湧いたとしても、死んだという事実はあって、もうどうしようもない。怒りの感情にプラスして、そんな絶対的なものの前にいる時の諦めを書いたのが『母影』でした。

――諦めというのは、現実を受け入れるということですか。

尾崎:受け入れるというのとは違って、「それでも生きるよな」という情けなさのようなものです。自分自身、歌が上手く歌えないもどかしさがあるけれど、それでもやっている。満足に歌えなくなったから全部がマイマスかというとそうではなくて、その分身体のことを気にするようになったし、執着が生まれたし、だからこそ続けていられる実感もある。『母影』でいうと、人によってはつらい話だというけれど、自分はそういう暮らしがあることをたんたんと描きたかったんです。それでも生活をしていく、ということを子供の視点を通して書きたかった。でも、読んで「可哀そうだし嫌な気持ちになった」という人もいっぱいいます。そういう人は自分をこの物語に投影しないし、「自分はそっちには行かないよ」という意志がある。でも、「自分も子供の頃に抱いたあの感情を今味わえてよかった」と言う人もいる。はっきり違いが出るから、なんだかリトマス試験紙のような物語だなと思っています(笑)。

――執筆はパソコンを使っていますか。

尾崎:なにか思いついたらまずiPhoneにメモしておきます。結局それはほとんど使わないんですけど、なんとなく書いた時の感覚が溜まっていくので、そうしたら書き始めます。原稿用紙20枚分くらいまでたまったらそれをポメラに縦書きで清書して、またiPhoneで書き溜めてと、効率が悪いけれどそれが今のところ自分には合っています。

――1日の中で、執筆時間は決まっていますか。それと、普段の読書スタイルは。

尾崎:小説を書くのは夜が多いですね。『母影』を書いている時は緊急事態宣言でずっと家にいたので夕方に書いたりもしていましたけど、書くのはやっぱり夜が一番いいです。
 本は家で読みます。カフェで本を読むといったことができないんです。人の話を聞いちゃうから(笑)。いつも家で寝っ転がって読んでいます。

――今後、どのような小説を書きたいですか。

尾崎:音楽ってちゃんと嫌なところもあるのに、小説の中だとロマンチックに書かれることが多い気がしていて。トリプルファイヤーというバンドの吉田靖直さんのエッセイ『持ってこなかった男』は音楽の嫌な部分がちゃんと書かれていて、自分もいつかそんな小説を書きたいと思いました。
 次は、自分自身を書くわけではなくても、自分の経験を通した、自分だからこそ書けるようなものが書きたいですね。表に出て仕事をする人間の視点で、自分だから知っている感覚を書きたい。他にもいろいろ書くものがあるので、それが終わってからですけど。年内には絶対に書きたいなと思っています。
 今、小説も共感できるかどうかで判断されがちだけど、それにちょっと違和感があるんです。多くの人の前に立って表現する人間が、簡単に共感されてしまっていいのかと思う。共感というより、新しい感覚を提示したい。それと、10代の頃「こんなこと考えている自分はヤバいんじゃないか」という状態を本に救ってもらったからこそ、自分もそんな人を救いたいですね。

――最後に、やはりお身体のことが気になるのですが。

尾崎:ずっと闘いながらやっていますね。相変わらず、ライブが怖いと感じる事もあります。
 でも今、バンド専門の鍼の先生に見てもらっていて、結構奥まで刺すからすごく痛いんですけど、かなり良くなってきています。
 芥川賞の候補になれたことで、自分の中で決着がついたところがあります。小説もしっかりやっていけるという自信がついたし、歌えない自分にも向き合う覚悟ができました。だから今わりとこうして、いろんなところでこのことを話せています。「情熱大陸」の取材でも歌えないことは話したし、鍼を受けているところも撮影してもらいました。
 これからは、そういうことも伝えていきたいですね。他のミュージシャンでも似た症状で悩んでいる人や辞めていく人が多いし、実際そういう症状を抱えている友達も増えました。だから、悪いことばっかりではないです。
 本当に小説に救われていますね。身体のことがなかったら小説を書いていなかったし、小説を書いていなかったら音楽を辞めていたと思う。小説のことでいろんなことを言われてつらい思いもしますけど、でも、思うように歌えないことに比べたらなんでもない。だから、またこれからも書きたいです。

(了)