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今井 義男の<<書評>> |
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黒と茶の幻想
【講談社】
恩田陸
本体 2,000円
2001/12
ISBN-4062110970 |
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評価:A
四人の男女が訪れた太古の森。同窓会気分と裏腹に空気はピンと張りつめている。ゲーム感覚を装った言葉のやりとりが、ただならぬ破局を予感させ、互いの包み隠した感情が、この上なくスリリングな心理劇を醸成する。圧倒的な自然を前に、それぞれの胸に去来するおぼろげな残像。四者四様の回想が導き出した、ある失踪事件の裏側には、ガラスのように危うげな愛があった。最終章を蒔生ではなく節子の視点で語らせた構成が巧妙である。ついついろくでもない修羅場を想像してしまったが、この作家がそんなありきたりなこと書くわけがなかった。もっとも、予想どおりにいかないから、読む甲斐もある。これだけの質量で寸分のたるみもないのはさすが。新作の度に新しいカードを切る恩田陸の進化は留まるところをしらない。 |
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本棚探偵の冒険
【双葉社】
喜国雅彦
本体 2,500円
2001/12
ISBN-4575292818 |
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評価:AA
古きよき時代の探偵小説ファンの一人として非常にうれしい本だ。おそらくページを繰っている間、私の顔はずっとチェシャ猫のようだったろう。いやはや愉快な人がいるものである。著者は探偵小説に魅せられ、その収集に全精力を注ぐつわものだ。本は読むためのもの、と考える一般市民にはおよそ理解しがたい狂熱的風景がここにある。無意味なこだわりが、無尽蔵のエネルギーを生み出し、バカげた欲望が金銭感覚を麻痺させ、出版社の都合でコロコロ変わる文庫の装丁が、奥付の単なる数字が、函が、帯が、明日なき暴走に駆り立てる。古本仲間の生態も楽しく、レトロな造本、添付の月報も◎。続編が待たれる。三国一の幸せ者だ喜国雅彦は。オサキ、トウビョウ、ハカゼ、ゲドー…。多種多様な日本の憑きもの分布に私は<コショ>という新種を付け加えたい。吉田禎吾先生どう思われますか。 |
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ジョッキー
【集英社】
松樹剛史
本体 1,500円
2002/1
ISBN-4087745678 |
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評価:AAA
私はギャンブルにまったく興味がない。だからD・フランシスの競馬シリーズも麻田哲也の麻雀小説も読まない。記念すべき第一回新刊採点の課題テキスト『マジックドラゴン』も未読だった。最近は多少利口になって、なんでも読めるようになり、このような幸運にも出会う。<馬には乗ってみよ>とはよくいったものである。勝馬投票券を買う気にはならないが、競馬社会の仕組みはすこぶる面白い。騎手と厩舎、馬主と厩舎、調教師と厩務員、そして彼と彼女らと馬。どの断面にも興味の尽きないドラマがある。競走馬は騎手だけでなく、関わった人たち全ての思いを乗せて走っていたのだった。先日、余熱の覚めやらぬ頭で初めて真剣にテレビの競馬中継を観た。名前も知らない葦毛が土くれを高く跳ね上げ、嘆きと歓声の待つゴールを駆け抜けた。解説者とゲストが顔を見合わせて苦笑した。予想外の大番狂わせだったらしい。少し得をしたような気分になった。
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東京タワー
【マガジンハウス】
江國香織
本体 1,400円
2001/12
ISBN-4838713177 |
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評価:B
この作品の都会的雰囲気はきらいではない。淡々とした会話も耳触りよく、とても<いま>の感触を的確に捉えている。どこか日常から遊離したような低温度の人間関係は、この種の小説では定番中の定番。狂おしい情念も、どろどろしたせめぎ合いも似合わない。あくまで軽く、物憂げに時は刻まれる。これは皮肉でもなんでもない。見当はずれもいいところかもしれないが、私はこの一見無味乾燥な小説空間は『野菊の墓』や『伊豆の踊り子』にみられたリリシズムが、姿かたちを変えて現れたもののように思えてならないのである。桎梏ゆえに届かない幸福と、桎梏のなさゆえにたゆたう幸福は、実は同じものではないのか、と一人意を強くした次第である。平日の深夜にそんなことしてる場合ではないが。ところで、またもや続出する渡来楽曲の連呼。これは流行り病の一種なのかもしかして。 |
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ちょん髷とネクタイ
【新潮社】
池内 紀
本体 1,800円
2001/11
ISBN-4103755032 |
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評価:A
いきなりだが『大菩薩峠』は相当なシロモノだそうである。本書では他にも色々すごいものが紹介されている。評価の高い時代小説だからといって読者は油断してはならない。プロの作家がいい加減なものを書くはずがないという刷り込みは、とりあえず捨てたほうがよい。意外にも時代小説はトンデモの巣窟だった。この出色のエッセイ集は、藤沢周平や松本清張などの精緻な作品についても言及しているが、最大の功績はやはり、祭り上げられた大作・名作の正体を白日にさらしたことだ。しかしてそれらの実体は埃と紙魚にまみれた壮大な無駄としかいいようがない。どなたか百名山を踏破する覚悟でチャレンジされてはいかがだろうか。著者には次回作でぜひ斬りこんでもらいたい小説が二つある。ともに国民的ヒーローを生み出したが、あまりの人気に私は名前を出すのもためらわれる。さて、誰と誰? |
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緋色の時代
【小学館】
船戸与一
本体 各1,800円
2001/12
ISBN-409379104X
ISBN-4093791058 |
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評価:E
また内容以前のことを書かねばならない。どうにも気になって仕方がないことがある。全編にわたって執拗に繰り返される会話表現がそれである。作者の困った癖というより、行を埋めるためのマニュアルではないかと勘ぐりたくなるぐらい頻度が高い。加えて、台詞回しがおそろしく一本調子で、話し手を入れ替えてもほとんど差はない。いくら性格を書き分けても、これでは無意味だ。出自の異なる多くの人物を配しながら、誰一人として顔が見えてこないのはそのせいだと思う。暴力や殺人がぎゅうぎゅう詰めの割に、プロットは平板で、それもそのはず、どこかで見たような景色とやたらダブるのだ。帯でネタ元を明かすとは太っ腹である。すべてはアフガンからはじまった? いやいやアフガンでなくともはじまったろう。この小説の主眼はギャングどうしの派手な殺し合いにあるのだから。 |
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アースクエイク・バード
【早川書房】
スザンナ・ジョーンズ
本体 1,600円
2001/12
ISBN-4152083840 |
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評価:B
<朦朧系>、つまり事実関係や結末が判然としないまま、フェイドアウトしてしまうミステリである。被害者がいて、犯罪の痕跡は歴然としてあり、状況が指し示す被疑者もいる。ただ、真実だけが薄い皮膜で覆われている。それらしい解釈は、いく通りか用意されるものの、いずれもいまひとつ決め手に欠ける。白黒はっきりさせないと我慢できない人には、さぞ、もどかしいことだろうが、私はこれこそサイコ・サスペンスの本来あるべき姿だと信じて疑わない。歪みはフラットな面に生じるから、不安を募らせる要因になりうる。内面のほころびを突き詰めていけばいくほど、霧はますます濃く深くなる。なんでもかんでもサイコパスのせいにして、歪みの在り処を限定する小説に真の恐怖は描けない。本書には食い足りなさも残るが、私が異国での暮らしを経験していたら、いま以上の震撼にさらされていたのは想像に難くない。 |
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ダイヤモンド・エイジ
【早川書房】
ニール・スティーヴンスン
本体 3,000円
2001/12
ISBN-4152083859 |
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評価:C
飛影の邪眼とコブラのサイコ・ガンを足して二で割ったようなスカル・ガン。それと恐竜の王を決定する挿話。面白かったのはその部分のみ。バラード以降SFに訣別し、記憶力、解析能力を著しく欠くいまの私に、この先鋭的な小説はまるで唐人の寝言だ。わかりにくいシステムの説明と造語の氾濫に、アナログ頭はあえなくフリーズの連続で、物語がいっこうに加速しないのである。多すぎる枝葉に、焦点がなかなか定まらず、散漫な印象に終始した。仮想世界の約束事に順応できない私も私だが、大原・岬コンビの仕事を見習って、もうちょっと敷居を低くしてもらえないものか。それが無理なら《プライマー》で読ませてほしい。それもだめなら、せめてスカル・ガンだけでも装着したい。装着してどうするそんなもの。 |
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ミスター・ヴァーティゴ
【新潮社】
ポール・オースター
本体 2,400円
2001/12
ISBN-4105217070 |
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評価:AA
自然界には外見の美しさが危険度の高さを表現する生物が少なくない。いわゆる警戒色である。それに類するシグナルを感知した。すぐれたファンタジーには往々にして毒がある。その毒とは、性と死。空中浮揚も同じ匂いがする。ウォルト少年が初めて飛べた瞬間にも、飛べなくなった瞬間にもだ。悪に生き、師と友に出会い、苛酷な修行の末に会得した特殊能力に託した願いはまことに直截。重力の束縛に再びとらえられたとき、彼に戻る場所はひとつしかない。すべてが金のためなのである。甘ったるさがまるでない。アメリカをしぶしぶ認める気になるのは、ときに真の正義感をもつ官吏と、自国の古傷を直視する文学を生み出すからだ。私がどこかの中学校の校長だったら、この硬質な教養小説を、絶対に夏休みの読書課題に指定する。
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ガラテイア2.2
【みすず書房】
リチャード・パワーズ
本体 3,200円
2001/12
ISBN-4622048183 |
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評価:D
どちらかといえば競馬よりも人工知能のほうが数倍そそられる。ツボをくすぐるタイトルもよい。当然期待もふくらむというものだ。しかし日頃、神仏を軽んじているせいか、世の中ままならない。なぜ競馬があんなに面白くて、人工知能がこんなに退屈なのだ。読みづらい文章で延々、助走を見せられたかと思うと、盛り上がりもなくぷっつりと終わってしまった。え、ほんとうに? これでタイムオーバー? むしろこれからではないか? 疑問符は果てしなく浮かぶ。作者が《ヘレン》とリチャードに命じた哲学的芝居にどれほど高尚な意図があるのか、私にはわからない。普段、衒学趣味には寛容なつもりだが、これは疲れた。読後、『ダイヤモンド・エイジ』がとてもシンプルな作品に思えてきた。上には上? があるものである。 |
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