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今井 義男の<<書評>> |
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セイジ
【筑摩書房】
辻内智貴
本体 1,400円
2002/2
ISBN-4480803645 |
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評価:AAA
夏休みの自転車旅行。たまたま立ち寄った店になんとなく居着く若者。そこで出会うのは気のいい人間ばかり。いまどきとは思えない物語である。人にも街にも類型的な作りばかりが目につく。だが、信じられないことに、そのステレオタイプな住人たちの会話に引き込まれ、耳を傾ける自分がいる。ふと我に返ると、ゆったりと刻む田舎街の時の流れに、身も心もゆだねていた。午睡にも似た浮遊感に私の神経がすっかり弛緩してしまったとき、予兆もなく事件は起こる。尋常でない惨劇に街の空気は一変し、人々の上に重くのしかかる。そして世捨て人のセイジが奇跡を。…カミはいてもいい。頑迷固陋な無神論者の私でさえそう思った。併収の『竜二』は中年になっても夢を食って生きているような旧友と、それを苦々しく思う実直な兄との、兄弟愛を描いた清々しい作品である。二編に共通しているのは、主人公の視線がさりげなく、押し付けがましさが全然ないことと、記憶の中にある<音楽>が呼び覚まされることだ。 |
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世界の終わり、あるいは始まり
【角川書店】
歌野晶午
本体 1,600円
2002/2
ISBN-4048733508 |
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評価:AA
身内、それも自分の子供が、重大な犯罪に関わりをもっているのではないかという疑惑。親としてこれほどいたたまれない状況があろうか。もしそれが思い過ごしではなく事実だとしたら、自首でも逮捕でも結果は同じ。家族は二度と世間に顔向けできない。マスメディアで総攻撃を受け、隣近所から白い目で見られ、親類縁者に疎んじられ、職を失い、巨額の賠償を請求され、たちまち社会生活は破綻する。いばらの道を好む人間などいない。そこで愚かな親は少しでも破局を先へ延ばそうと、保身と責任逃れに身をやつす。そのいく通りものシミュレーションがズキズキと心に痛い。痛すぎて読むのがつらくなる。少年犯罪が凶悪化の一途を辿る現代、書かれるべくして書かれた恐るべきドメスティック・クライム・ストーリー。 |
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昆虫探偵
【世界文化社】
鳥飼否宇
本体 1,400円
2002/3
ISBN-4418025030 |
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評価:C
狙いは悪くないが、ユーモアに徹するのか、シリアスなドラマ仕立てで読ませるのか、中身は中途半端。擬人化した昆虫たちの言動が通俗的に過ぎるし、受け狙い見え見えの描写も再考の余地がある。せっかく驚異に満ちた昆虫界をクローズアップしているのだから、そこに人間界の生臭さを投影させる必要などない。生物の行動原理は、全て種の存続に根ざした非情なものだ。昆虫には昆虫ならではの、ドライな劇空間がある。この設定で謎解きを主体にすれば、いきおい専門的な知識に頼らざるをえない。策に溺れず、むしろハードボイルド一辺倒で突っ走るべきだった。虫に関する薀蓄で読者を煙に巻きたかっただけなら話は別だが。
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天切り松闇がたり 初湯千両
【集英社】
浅田次郎
本体 1,500円
2002/2
ISBN-4087745600 |
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評価:D
盗人にも三分の理というが、優にその十倍は老盗人に語らせたものがこの連作集である。個人的にはこの偉そうなおっさんが義賊であろうが、根っからの悪党だろうがそんなことはどっちでもいい。いずれにせよ、お天道様に背を向けた泥棒風情ではないか。そんな輩をここまで持ち上げてどうする。中にはしんみりとした人情話もあるのだが、自慢げな話しぶりが癇に障って仕方がない。まるで、特定のタレントをやたらとおだてる、バラエティ番組のような見苦しさである。金持ちからしか盗まないと見得を切ったところで、その減らず口に入る物相飯の出所は庶民の血税なのだ。少しは悪びれるなり、かしこまるなりしたらどうかと私はいいたい。作者が作中人物の言葉を借りて、偏向的言説を弄するところも姑息である。 |
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白い声
【新潮社】
伊集院静
本体 1,500円/1,400円
2002/2
ISBN-4103824050
ISBN-4103824069 |
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評価:AAA
《宗教は人にどんなことでもさせる》誰だったか忘れたが正鵠を射る言葉だ。かつて文学でカトリックに復讐を試みて時代の寵児ともてはやされた野嶋は、世間から忘れ去られたいまも枯渇した才能にすがりつこうとしている。野嶋に関わる者はまるで試練のように振り回され、傷つき疲弊する。結局は野嶋を見捨てる愛人啓子も編集者片岡もそうだ。その野嶋との出会いに神の啓示を見た少女玲奈は、ひとり身を賭して煉獄で苦しむ野嶋に手を差し延べる。人間のクズさ加減にも種々あるが、神の名のもとにエゴを剥き出しにして恥じない、玲奈の父はひときわ醜悪である。この世に汚れのない魂が存在するとしたら、二人の道行きの果てに我々が目にするものがそれである。どす黒い血とともに吐き出された憎悪と懊悩。そして新しい命。信仰は人になにを喪わせ、なにを与えるのか。物語の終章、光と風の中でつぶやく玲奈のモノローグは清廉ゆえに力強い。 |
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はぐれ牡丹
【角川春樹事務所】
山本一力
本体 各1,600円
2002/3
ISBN-4894569361 |
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評価:B
頬を撫でる春先の風。江戸は深川の裏店。勝気で働き者の女がいて、元気な子供がいて、道理をわきまえた男がいる。もうそれだけで山本一力の世界である。読み手にとってこの安定感は貴重だ。贋金作りという、素人の手に余る事件をテンポよく処理する手際も鮮やかで、底辺に隠し持った酷薄さをちらりと覗かせる松前屋と寅吉の悪人ぶりも堂に入っている。どの役者も過不足なく、十分に楽しめる作品だとは思うが、後半やや急ぎすぎたきらいもある。丹誠を凝らした名作『あかね空』に比べると一段見劣りがしてしまうのもまた事実。高く評価された作品のあとでは、さぞやりにくかろうが、この作家には今後も更なる高みを目指してもらいたい。そう願うのは私だけではないはずだ。 |
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アイスマン
【早川書房】
ジョー・R・ランズデール
本体 1,600円
2002/2
ISBN-4152083980 |
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評価:A
ずさんな強盗を計画し仲間を死なせ、警察に追われるビルを拾ったのは旅回りのサイドショーだった。異形を芸にする一座である。彼らは通常と異なる身体をあえて見世物にすることで生活している。したがって世のヒューマニストにはとても正視に堪えない場面が続出する。いやなら見なければいいのだが、我々が知らぬ顔を決め込もうと、彼らがそこにいる事実は動かしようがない。ならば直視をためらうのは失礼というものだ。この物語はまさしくその一点から始まる。ビルがそう感じたように読者は《ドッグマン》が好きになり、《ふたご》を困ったやつらだと思う。そして、自分の正体にいつしか蓋をする。その蓋をこじ開けるのがフリークスを毛嫌いするギジェットだ。我々は彼女の突き抜けた存在感にただ圧倒され、ひれ伏すだろう。フリークスとギジェットは人間の本性を具現したコインの裏表だ。腰砕けのノワールが束になってもかなわない、本物の<悪>の結晶がここに息づいている。 |
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煙突掃除の少年
【早川書房】
バーバラ・ヴァイン
本体 1,600円
2002/2
ISBN-4150017123 |
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評価:C
わけあり風の表題がいい。翻訳ミステリはこうでなくては。高名な作家死して遺したものは、偽りの名前と偽りの履歴。作家には妻と二人の娘がいて、調査するのは姉のほうだ。この家族、死んだ作家も含めてあまり好感が持てない。特に妹が。ハサミで人をコケにするゲームが彼らの品性を凝縮している。ハイソに恨みはないが、読んでいていい気分はしない。家の中で一人浮いていた妻もなかなかの食わせ者で、同情する気持ちも消し飛んだ。パズルのピースが徐々に埋まるにつれ、姉の性格も鼻につきだす。よくよく考えれば、すべての元凶は作家にある。それでも三人の態度は目に余る。大したことも起こらないまま、隠された過去に到達するが、最後に明かされる<霧>の意味と、この枚数を読者が果たして納得するかどうか疑問である。唯一感心したのは、ハサミの謎をひと目で見破ったジェイソン。天晴れだ。 |
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ウォーターランド
【新潮社】
グレーアム・スウィフト
本体 2,600円
2002/2
ISBN-4105900293 |
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評価:D
辞職を勧告された歴史教師トムの断片的な回想が延々と続く難儀な小説である。思うに反抗する生徒プライス、校長ルイスの二人に迫力が足りないのが、現在進行のドラマをつまらなくしている大きな理由だ。人口に膾炙する情報としての歴史に意味なんかない。ほんとうに知る必要があるのは、歴史の埒外に放置された累々たる怨念だ。そのことをこそ歴史教師はプライスに、校長は歴史教師に、教えなければならなかった。そしてプライスは語るべき歴史を持たなかったディック・クリックの代わりに、この自説に酔いしれる歴史教師を糾弾しなければならなかった。饒舌で空虚な文学と、言葉足らずで独善的な学術論文ではどちらがより罪深いか。答えは前者である。なぜなら、私が論文のために時間を費やすことは生涯ありえないからだ。
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わたしは女 わたしは船長
【原書房】
リンダ・グリーンロウ
本体 1,800円
2002/2
ISBN-4562034734 |
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評価:A
まず<海の男>というイージーな幻想は捨ててほしい。そんな男はどこにもいない。職場が特殊なだけで、みんな普通の人間だ。真面目なやつもいれば、どうしようもないやつもいる。事情は日本もそう変わらない。さすがにドラッグを持ち込むバカは見たことがないが、差別はある。船の上にはクルー問題。海上では同業者との縄張り争い。悩みの種は人間だけではない。潮の流れ、気圧、風向き、水温…。勝手気ままな自然にも、二十四時間神経を尖らせていなければならないのである。好きでないと、とても続かない。天職とはこのことだ。自らの職務を全うする、漁師リンダ・グリーンロウには最大限の敬意を表する。余談だが私が新米の船乗りだった頃聞いた話に<赤道を示すブイ>というのがある。もちろんからかわれたのだ、ジェスロのように。 |
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