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今井 義男の<<書評>>
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事故係生稲昇太の多感
事故係生稲昇太の多感
【講談社】
首藤瓜於
本体 1,700円
2002/3
ISBN-4062111098
評価:A
 いい意味で力の抜けた、生活感あふれる警察小説。警察官が主体の話なので当然事件も起きるが、作者の目のつけどころは市民の窺い知れぬ警察署内にある。といっても、不正の告発や陰湿な内部抗争とかではなく、焦点は縦社会の人間模様に絞られていて、ちょうど企業ドラマのような趣きである。殺伐としていない分、彼らの地道な日常がくっきりと浮かび、嫌味のない仕上がりになっている。こうして改めてみると警察官もいろいろだ。脇目も振らず昇進試験に挑む者がいるかと思うと、出世と無縁の現場処理に凄腕を発揮する者もいる。仲間意識があれば嫉妬もあるし、挫折もすれば恋だってする。どこの職場もやっぱり似たようなものなのだ。事故係生稲昇太が多感な理由もむべなるかな、である。

夕海子
夕海子
【アートン】
薄井ゆうじ
本体 1,700円
2002/4
ISBN-4901006274
評価:A
 夕海子は寄生、つきまとい、詐病、妄想などを駆使して生きている。さながら精神病質のデパートだ。最近この種の素材と出会うたびにうんざりさせられるが、作者はストーリーテラー薄井ゆうじである。安直なサイコサスペンスなど書くわけがない。期待通り、ことはそんなに単純ではない。通常こういう人物に対して抱きがちな危惧が片っ端から覆されるのである。冒頭のアイテムは他人の保護を得るための手段なので、本人に苦悩は皆無。他人に経済的負担をかけるわけでもなく、犯罪性もどんどん稀薄になっていく。結果として、周囲の誰ひとりとして被害者がいない。従って彼女に治療を望む者も存在せず、相互依存の状況すら呈する。収束する必要がなくなってしまったこの物語の、行き着く先はもはや予測不可能。そうして読者は稀代のヒロイン・夕海子の降臨した地平に驚愕する。

左手首
左手首
【新潮社】
黒川博行
本体 1,400円
2002/3
ISBN-4106026546
評価:D
 短絡的なバカばかりが出てくる犯罪小説集である。全体に充満するこのいいようのないがさつさを演出しているのは、やはり<大阪>というロケーションだろう。いい加減な犯罪と土地柄がこんなにも調和してしまうのだから情けない。大阪弁には活字で再現できないニュアンスが多々あるが、チンピラの舌からそんな細やかな言語は発声されないのでご心配なく。すべて書かれたまんまの意味であり、心理を読み取る努力は不要だ。すなわち、ここにあるノワール仕様の大阪には、いま実際に寝起きしているわれわれの生活臭とか日常の風景は一切なく、横着な連中が右往左往するのみである。この町には《ニセ夜間金庫》とか《カーネル・サンダース拉致疑惑》といった類のない事件を生み出す土壌もある。次回作では是非そういう大阪を描いてもらいたい。

日本ばちかん巡り
日本ばちかん巡り
【新潮社】
山口文憲
本体 1,800円
2002/2
ISBN-4104516015
評価:A
 <信仰>は現世の有り様をいかようにも変化させられる装置であり、考え方によっては依存症的側面も否定できない。だが、どのような教義であろうと、信者が心の拠り所を得ているなら、部外者が四の五のいうのはお門違いだろう。その点、礼をわきまえた著者の取材姿勢は好ましい。本書で取り上げられた教団はおおむね穏健で素朴である。ちらほらトンデモ系が混じっているものの、まあ実害が及ぶこともなさそうだし、地域の方々には鷹揚に構えていただきたい。ちなみに杉浦日向子さんの『東京イワシ頭』では九官鳥グッズを身にまとって躍る《九官鳥心理教》なるものが紹介されているが、京都にもトホホな物件がある。通称はなんとコアラ寺。無論住職の頭にはコアラ帽……。末法やハルマゲドンに気を病むよりよほど陽気ではあるにしても、ありがたみがなさすぎるのも考えものだ。

秘密の花園
秘密の花園
【マガジンハウス】
三浦しをん
本体 1,400円
2002/3
ISBN-4838713665
評価:AAA
 モビールのように、安定と不安定のはざまで揺れ動く三人の少女の主観による三つの物語。ただし、われわれが目にするのは、どこにでもいる少女の平生ではない。折りに触れ忍び寄る凄愴な心象風景に、自我を侵蝕されながら懸命に踏みとどまる那由多。デュオニソスに、ひとつだけ望みをかなえてやると言われれば、あとさきも考えず返答しかねない淑子。研ぎ澄まされた思惟でトライアングルの重心近くに位置する翠もまた、不可思議な幻想を心の内に飼う。那由多の変化に、淑子と翠が露わにする距離感。淑子の失踪に那由多と翠が垣間見せる温度差。この危ういぶれが生み出す息苦しい位相の前では、思春期への腑抜けた郷愁などひとたまりもない。那由多と淑子の投じた影に独り歩み寄る翠。その冷ややかな眼差しに潜む、男女とは別種の<少女>が、怖いほど美しい燐光を放つ。

李朝 暗行御史霊遊記
李朝 暗行御史霊遊記
【角川書店】
中内かなみ
本体 各1,500円
2002/3
ISBN-4048733559
評価:C
 隣国にも関わらず朝鮮半島の妖怪情報は乏しい。中国と比べると雲泥の差だ。興奮するなといわれてもどだい無理である。その入れ込みが災いした。おどろおどろしい雰囲気はよく出ているし、細部も目新しいことばかりで大変うれしいのだが、なんか行儀がよすぎるのだ。いや、暗行御史・金知龍のことではない。この手の人物は絶対堅物に限るが、配下に加えた魔物には、隙あらば寝首を掻くぐらいの性根の悪さがほしい。眼前の敵に加えて、いつなんどき寝返るか分からない従者という図式の方が、数倍スリルがあっていい。それに悪徳官吏を裁くやり方も問題である。これではまるで桜吹雪と印籠の合体ではないか。作品のスピード感を著しく損なっている上に堅苦しい。妖怪退治なんてもっとハチャメチャでいいのである。

龍時
龍時
【文藝春秋】
野沢尚
本体 1,429円
2002/4
ISBN-4163208704
評価:AA
 そもそも興味のない球技の筆頭がサッカーである。ワールド・カップの組み合わせどころか、選手の名前も知らない。しかも対ホンジュラス戦のせいで、三沢VS蝶野という世紀の一戦が生中継されなくなり腹も立っていた。その私がいったいなんの因果でサッカー小説を読まねばならないのか、とぼやきつつ読み始めたら、なんということだ。これが予想外の面白さで、たちまちやめられなくなった。一途な夢、切ない恋、旅立ち、焦燥、昂揚と青春必須アイテムの波状攻撃に、体中の関節を極められてしまって、あえなくタップである。燃えつきることを恐れず、愛する者を振り返りもしない、リュウジのファイティングスピリットは活字の隅々からビンビン伝わってくる。知識がなくても関心がなくても面白い小説は面白い。単純明快な読書の基本原則を再認識、ん? 何度再認識したら気が済むのだ私は。

著者略歴
著者略歴
【早川書房】
ジョン・コランピント
本体 1,800円
2002/3
ISBN-4152084030
評価:AAA
 急死した友人の書いた小説の作者になりすまし、それが絶賛され、あっという間に大金持ち。良心の呵責もどうにかごまかして、美人の妻と名声を同時に手中にしたキャル・カニングハム。死人は権利を主張したりしないので、盗作が露見する心配はない。あとは悠悠自適の人生を送るだけのはずだったが、世の中そんなに甘くない。満を持しての登場は、伏線の効いた破局への案内人である。その日を境にキャルの生活はことごとく悪女・レスに引っ掻き回される。やましさが生み出す不安と、悪人になりきれない主人公の苦闘ぶりがあいまって、最後の一行まで飽きさせない。作者はいま流行りの処方箋に頼ることなく、必要最小限のキャスティングとプロットの妙で第一級のサスペンス・スリラーを書き上げた。後味の良いラストも文句の付けようがない。シンプル・イズ・ベスト! 

悩める狼男たち
悩める狼男たち
【早川書房】
マイケル・シェイボン
本体 2,200円
2002/2
ISBN-4152083999
評価:B
 最初にはっきりさせておくが、これは真正のウェアウルフを扱った短編集ではないのでくれぐれも誤解のなきよう。とはいっても勘違いして買う人いるだろうなきっと。気に入った作品は、離婚調停中の男が、顔見知りの黒人少年の練習試合に付き合って弁護士との約束をすっぽかす『スパイク』、野球嫌いのベングトがそれでも伯父の古びたスパイクを履いているところがいい。『悩める狼男たち』は奇矯な同級生ティモシーが振りまく幻想と、両親の別居という現実を行き来する少年の話。ホラー好きには『暗黒製造工場で』がお薦め。『ミセス・ボックス』は皮肉たっぷりな結末がサキを彷彿させる。この統一感のない中身は《粒ぞろい》というよりは玉石混交に近い。つまるところ、好みの作品が占める比率で評価の根拠は揺れ動きそうだが、この作家の書く児童文学なら読んでみたい。

散文売りの少女
散文売りの少女
【白水社】
ダニエル・ペナック
本体 2,400円
2002/3
ISBN-456004743X
評価:C
 主人公本人はともかく個性的な弟妹たちがにぎやかで楽しいのは認める。出版社に勤めるマロセーヌは典型的な巻き込まれ型のキャラで、なんとも締まりのない男である。評判のシリーズらしいが、残念なことに人気の秘密はわからずじまいだ。ユーモア・ミステリというには笑いがなく、本格ミステリと呼ぶには謎解きの要素は弱い。次々と転がる死体には必然性もあり、適度な緊張も用意されているが、読み終えた瞬間の達成感は乏しい。事件の血生臭さとアンバランスな、軽めの作風にはどうにか馴染めたが、突如乱入する脚本形式の会話文がまったくもって意図不明。単なる遊びにしてもあまりいい趣味とは思えない。

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