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今井 義男の<<書評>> |
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ハルビン・カフェ
【角川書店】
打海文三
本体 1,800円
2002/4
ISBN-4048733486 |
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評価:AAA
架空の町・海市を覆い尽くす暗雲。発端は現職警察官の地下組織とアジアン・マフィアによる、血で血を洗う抗争である。終わりなき報復と裏切りの果てに現出するのは、何層にも設えられた常闇。生き残るのは誰か、仲間を売った者に鉄槌は振り下ろされるのか。刻一刻と迫るカタストロフィーに、息つく暇もない局面の連続。まさに騎虎の勢いで一気読みだ。この多人数で積み残しをださない筆力もすごい。端役をないがしろにして集団劇は成り立たない。どの男もどの女も陰影は濃く深い。より説得力のある悪、より純粋な悪だけがパイを切り分ける。正義は死に絶えたのではない。そんなまがい物は最初から存在しなかったのだ。混沌を読ませる手法のすべてが注ぎ込まれた圧巻の暗黒小説。 |
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痩蛙
【角川書店】
鳴海章
本体 1,600円
2002/5
ISBN-4048733613 |
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評価:AA
<癒し>や<自分探し>というものに眉をひそめたがる向きがいるようだ。きっとその人たちにはしっかりとした足場があって、人生に逡巡とか不安がないのだろう。乱暴ないい方をしてしまえば、この本はそんな幸福者に用はない。自分は何者であるのか、なにをすべきなのか、とぶざまに思い煩う者だけが読めばいい。人間は誰だって弱い。その場しのぎでも縋るものがほしい。側で見守ってくれる者がほしい。明日が見えない半端者にも、栄光を夢見る自由ぐらいは残されている。目指すは起死回生を賭けたリング。袋小路に追い詰められたボクサーのあがきが、肉体のきしみが、読む者の胸に激しく迫り、鳴り響くゴングが凶暴な魂を呼び覚ます。 |
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ルール
【集英社】
古処誠二
本体 1,600円
2002/4
ISBN-4087753069 |
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評価:A
このような作品は時期など関係なく、いつなんどきでも書き継がれなければならない。誰も顧みなくなってからでは遅いのである。大日本帝国の突き進んだ道は、PLOやIRAの辿った道とは根本的に違う。腐りきった軍部のための戦争であり、杜撰きわまりない大義名分が駆り立てた戦争である。作中、米将校のオースティンが日本兵の行動に対して繰り返し疑問を抱くが、当然だ。当事者がなんの展望もなく戦っていたのだから。極限でさらけだす生への執着は悲惨を通り越して無残である。欧米人は横井伍長や小野田少尉が生還したとき、ますます違和感を募らせたはずだ。神国のルールは彼らにとって理解の埒外なのである。
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パレード
【平凡社】
川上弘美
本体 952円
2002/5
ISBN-4582829961 |
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評価:B
独立した短編と読めなくもないが、前作の読者に向けたボーナストラックのような絵本。喧騒とは無縁のゆったりした風合いはちゃんと生かされており、そこそこ残酷な世相もまるでおとぎ話の一部と化している。それがいけないとは思わない。いくら現実を突きつけても鈍感な人間にはなにも伝わらないのだから、絵空事でも物的証拠でも結果に差はない。伝わらなければなにも起こっていないのと同じである。ほのぼの語り合うような話か、と怒る人がいても構わないし、昼寝に誘い込まれる人がいても別にいい。さて本編を知らずに買った消費者がこのアナザーストーリーに下す判定やいかに。 |
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ベリィ・タルト
【文藝春秋】
ヒキタクニオ
本体 1,524円
2002/5
ISBN-4163209107 |
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評価:AAA
アイドルは金の成る木だそうだから、実際の芸能界でこんな狼藉がまかり通っていると聞かされても驚くにはあたらない。夢を売る商売もひとたび裏にまわれば生臭いことばかりで、甘ったるいシンデレラストーリーなど望むべくもないが、それにしても壮絶な争奪戦だ。作者の<仕事>を書く確かな眼は、細部にも隙がない。人物造形も巧みである。アイドルを創り育てる関永と小松崎は女衒というより、仏師のようだ。二人は木の中で眠っている少女リンを現世に彫りだすのである。彼らのビジネスライクな姿勢はしたたかだが、欲望と理想の間に確たる線引きがあり潔い。一方、大手のプロダクションやリンの母親は、まがう方なき私たちの代弁者であった。敗者はいるが勝者のいない結末、戦い済んでリンを見送る関永と仁のやせ我慢は実に格好がよい。 |
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空のオルゴール
【新潮社】
中島らも
本体 1,500円
2002/4
ISBN-4104531014 |
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評価:D
迷走状態に突入して久しい中島らもの新作。読者がなにを期待して本を手にするか。この作家の念頭にはその種の屈託は存在しないらしい。面白い小説がないから仕方なく自分で書いている、と豪語した往年の勢いはすっかり影をひそめてしまった。物語の妙味もコクもない、全編ダシガラのような読みざわり。せっかく仕掛けほうだいの題材を選んでおきながら、あきれるほどの芸のなさ。リリパット・アーミーの舞台なら役者がフォローできたかもしれないが、活字ではごまかしはきかない。巻末のおびただしい資料と空回りするギャグが思い出すだに痛々しい。支持者をそんな気持ちにさせてこの先どうするつもりだ。 |
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非道、行ずべからず
【マガジンハウス】
松井今朝子
本体 1,900円
2002/4
ISBN-4838713673 |
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評価:AA
江戸は堺町、芝居小屋・中村座を舞台にしたミステリ。小屋の差配、役者や裏方の所作がていねいに書き込まれ、読み応えは十分。殊に立女形・沢之丞の他を圧する存在感と弟子・沢蔵の小者ぶりが、狂言の世界に漂ういかがわしさ、気高さを活写して見事の一言。彼らを前にしては役人も商人も影が薄い。ミスディレクションも周到で、最後の最後にまんまと引っかかった。負け惜しみでいうのではないが、謎解きにはそれほど積極的に参加しなかった。私はこの純日本風しっとり感と、現代ドラマでは味わえないテンポを、満喫することに全精力を傾けようと決めたのだ。だから、犯人が分からなくても平気だし、暗号が解けなくても全然悔しくない、っていえばいうほど負け惜しみではないかこれは。 |
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坊っちゃん列車かまたき青春記
【毎日新聞社】
敷村良子
本体 1,600円
2002/4
ISBN-4620106577 |
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評価:C
この小説の名誉のためにいっておくが決してつまらない作品ではない。実在の人物をモデルにしただけのことはあって時代が透けて見えるところは興味深いし、蒸気機関車のかまたき仕事も薀蓄たっぷりで面白い。なのに読み進んでもいっこうに心騒がない。いちばんの難点は意外性のない主人公の行動パターンだ。どこにでもいる荒くたの半生に思えていまひとつ魅力に欠ける。それも分からないではない。大方の人間が、そうそうはみ出た生き方などしないものだ。最終目標の機関士が単に順番待ちでは、もとよりはじけようもない。作者の人の良さが伯父への遠慮になったのなら残念なことである。 |
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石のハート
【新潮社】
レナーテ・ドレスタイン
本体 1,800円
2002/4
ISBN-4105900307 |
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評価:AAA
災害や犯罪被害などに巻き込まれて助かった者が、罪悪感に苛まれるという話はよく聞く。少女エレンがいばらの道に放り出されたのは十二歳。もう一人の生存者である四歳のカルロスは優しい養父母に引き取られるが、彼女はそのことに折り合いがつけられず、弟を心の中から閉め出してしまう。そして、姉のビリーと兄ケスターの残像を引きずったまま生きるのである。惨劇の起きた家に戻り、ささめくような過去の足音に耳を傾けるには、二十五年もの歳月を要する。潮は満ち、やがて遠くへ引いていくが、人は後戻りができない。留まって朽ち果てるか、先に進むかだ。残りの人生が悲しみを相殺させるかどうかは分からない。それでもエレンは踏み出すことを選ぶ。先立った家族のためにではなく、自分のためにである。意を決して二人に別れを告げる場面は涙なしには読めない。
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ミルクから逃げろ!
【青山出版社】
マーティン・ミラー
本体 1,600円
2002/4
ISBN-4899980353 |
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評価:A
国民性とは恐ろしいものだ。日本の作家がこのストーリーをそっくりそのまま借用しても、このルーズな空気は絶対に再現できない。立っている地盤が違いすぎる。筋運びは雑なようでいて、押さえるべきところはしっかり押さえているから脇見は厳禁。触感をあえていうなら、場末のバンドがかき鳴らすノイジーなガレージサウンド。あるいはヘタウマを蹴散らす、とことんヘタくそなストリートアート。酒とクスリはあってもバラはない、不健康で退廃的で自堕落な日々。そこかしこに塗り込められた諧謔と、妙に憎めない連中。こりゃ、やっぱりイギリスだ。私個人の嗜好からすればスティーヴ・エリクソンの『真夜中に海がやってきた』にも引けを取らないエントロピー・ノベル。こんなヘンな話を書く作者も大したものだが、翻訳した出版社もえらい。 |
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