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阪本 直子の<<書評>>
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晴子情歌
晴子情歌
【新潮社】
高村薫
本体(各)1,800円
2002/5
ISBN-4103784024(上)
ISBN-4103784032(下)
評価:AAA
 高村薫と北村薫は似ている。名前が、という話ではない。作者の性別が作品世界に過剰な影響を及ぼしていないこと。この作者にとって自分の読者は紛れもなく「読者」であり、「ユーザー」などでは決してないということ。そして、一つの殺人も起こらない物語を書いてさえ、それは確かにミステリなのだということも。
 大正2年の東京から昭和50年の青森まで、市井の暮らしと社会の変化を克明に描き出す、端整で精緻で重厚な長編。読みながら私は何度も向田邦子や早坂暁のドラマを思い出したりしたけれど、この本の頁を先へ繰らせる興趣は、それらの物語が持っていた「古い日本への郷愁」などとは決定的に違う。何十年という家族の歴史の中のあれやこれやの事件や秘密だ。それが薄紙を剥ぐように一つずつ現れてくるのを固唾を飲んで見守る緊張感だ。
 北村薫の『六の宮の姫君』がミステリであるように、この小説もまたミステリである。それも、優れたミステリだ。

イン・ザ・プール
イン・ザ・プール
【文藝春秋】
奥田英朗
本体 1,238円
2002/5
ISBN-416320900X
評価:B
 変で面白い奴が出てくる小説は面白い。が、滅多に読むことができない。変で面白い奴というのは、実は結構難しいのだ。変で面白い、だけで止めておけばいいものを、自由な魂を持たせようとか社会を映す鏡にしようとか、作者が余計な色気を出したばっかりに、鼻持ちならない自意識過剰に堕してしまう。そんな例が多過ぎる。
 で、この小説。帯を見ると「トンデモ精神科医」とか書いてある。ちょっと心配しながら読み始めたんですが……おお、この医者はほんとに変だ。しかも面白い。いかにも現代の都会ならではの悩みを抱える患者達は、彼に振り回され呆れ果て、しかし気がついたらちょっぴり自由な魂を感じちゃったりもしてるのだが、それはあくまで患者達の側のこと。このデブ医者当人は、多分なーんにも考えてない。だから嫌味も臭味もないのだ。
青年誌コミックの面白い奴みたいな読後感です。『ギャラリー・フェイク』とかね。

夢の封印
夢の封印
【文藝春秋】
坂東眞砂子
本体 1,333円
2002/5
ISBN-4163209506
評価:D
 『水の時計』を読んだ際、坂東眞砂子の選評に首を傾げた。少年少女の性を書かないのがおかしいというのだが、だって、そういう話じゃないでしょうが。蕎麦屋にラーメンがないと言って怒るようなものだ。何だかなあ……と思っていたのだが、この短編集でちょっと納得。なーるほどねえ。どうやらこの人の世界観は、人生これ全てセックスに満ちてなきゃいかんらしい。
 といってもこれは、所謂官能小説ではない。いやむしろ、その方が良かったんですが。上司と部下の愛人関係とか、夫への疑惑から発した浮気願望とか、いじましい話ばかりなんだもの。登場人物は皆惰性で生きてるだけで、即物的な性描写には恋のときめきも情事の喜びもない。1冊読みきる頃には、すっかり気持ちが沈んでいる。
 例えば田辺聖子なら、同じように中年男の身勝手な浮気を描いても、自ずと人間讃歌になってるんだけどね。人物に「可愛げ」があるからだ。私はそっちの方が好きです。

子盗り
子盗り
【文藝春秋】
海月ルイ
本体 1.476円
2002/5
ISBN-4163209603
評価:A
 読者として小説の登場人物に寄せる共感は、現実の人間に対するものとは違う。実際に自分の周りにいたなら好意も親近感も決して持たないであろうタイプの相手とも、紙の上でなら嫌気がさすことなくつき合える。その作者の腕がよければ。
 この小説には3人の「ヒロイン」がいるが、彼女達の誰一人として、プラスの個性を与えられてはいない。跡取りを産めない嫁という立場に抗って、赤ん坊を盗もうとする美津子。感情が死に絶えたような生活を送っている看護婦の潤子。幼稚なくせに狡猾なひとみ。彼女達だけではない、美津子や潤子の婚家の人々も、潤子に執着する男・峰岸も、およそ出てくる人間全てが愚かで空疎な連中ばかりなのだが、それを描く筆には愛情、もしくは熱意がある。愚かさを正当化もしない代わりに嘲笑もしない。ただ、そういう人間として、ぽんと読者の前に提示する。それだけの筆力のある作者だ。

蚊トンボ白鬚の冒険
蚊トンボ白鬚の冒険
【講談社】
藤原伊織
本体 1,900円
2002/4
ISBN-4062111985
評価:A
 自分だけに聞こえてくる声。小説の設定としてはそう珍しいものでもない。しかしその正体が、頭の中に入り込んだ蚊トンボだとなればどうだろう。これだけでも既に充分とんでもないが、この蚊トンボ、何でだか「筋肉の専門家」である。でもって、宿り主と会話できるのみならず、その筋肉の力を瞬間的に強化もできる……ね、ちょっと凄いでしょ。しかもこんな近来稀に見る設定のこの小説、SFでもギャグでもない。切なくてハードボイルドで冒険な、直球勝負の物語なのだ。
こういう話は書き方が上手くないと目も当てられないが、そこはさすが藤原伊織。足りない描写も不必要な説明もない。特に人物造形がいい。主人公の達夫を始め、質問魔でビール中毒の真紀も、怪しいトレーダー黒木も、やくざの瀬川も……アパートのうるさいおばさんに至るまで、皆、血肉の通った人間だ。
と、作品には楽しませて貰ったが、出版社には文句があるぞ。帯に粗筋を全部書くなッ。

水の時計
水の時計
【角川書店】
初野晴
本体 1,500円
2002/5
ISBN-4048733826
評価:A
 横溝正史ミステリ大賞受賞作、しかも全選考委員が「激賞!」「絶賛!」と帯にある。受賞作だからといって軽々に安心はならず、それどころか選考委員への信用を一気に無くすことさえままあるのだが、しかし今回の顔ぶれは綾辻行人や北村薫ですからね。皆さん、信じてくれていいです。
 語の厳密な意味から言えば、多分この小説は「ミステリ」ではない。しかし「ミステリの雰囲気」を備えている。冒頭から結末まで途切れることのない緊張感と、その後に漂う静かな余韻と。そして、ここには生身の人間が動いている。数字や記号ではない、ゲームの駒でもない、それぞれの体温と痛覚と感情と思惑を持った人間達だ。真紅のバイクを駆る少年。その姿を目に焼き付けて立ち尽くす人々。月明かりの病室に響く、アンプからの声。一つ一つの場面が、どれも息を呑むほどに鮮烈で美しい。
 あ、それからこのことも。内容とは関係ないけど、カバーの下の表紙もぜひ見て下さい。

偶然にも最悪な少年
偶然にも最悪な少年
【角川春樹事務所】
グ スーヨン
本体 1,800円
2002/6
ISBN-4894569396
評価:D
 まず読む前に著者略歴を見たら、この作者はCFディレクターらしい。テレビ屋さんが書いた小説か。ということは、もしや……胸をよぎった一抹の不安は、不幸なことに、杞憂ではなかった。
 舞台はどうやら東京で、センター街とかいうところが出てくるが、説明も描写も殆どなし。東京のギョーカイ人には確かにこれだけで判るんでしょう。まるで昔の歌枕みたいに。だけど生憎、こちとら無知なあずまえびす、都の常識なんか知りません。地名、店名、ブランド名、ただそれだけ投げ出されても、街のイメージは立ち上がってなんかこない。それから会話。何人もが一度に喋ってる時、どれが誰の台詞なんだか判らない。判らせる工夫をした形跡もない。全体に、何か絵コンテの説明メモみたいな文章なのだ。
 物語の内容だけを見れば、作者は真剣に書いたのだと判る。だけど、下手です。いくら題材が切実でも気持ちが真剣でも、下手を大目には見られません。

ゼルプの裁き
ゼルプの裁き
【小学館】
ベルンハルト・シュリンク
本体 1,900円
2002/6
ISBN-4093563314
評価:A
 猫と暮らす私立探偵には、人に言えない過去がある。親友にして亡妻の兄である化学工業会社会長の依頼は、コンピュータシステムに侵入したハッカーの追跡。それが新たなる事件を呼び起こして……。
 という、思いっきり「そうそう、そうでなくっちゃ」な私立探偵ミステリだが、主人公はちと異色。何と68歳なのだ。しかしよく食うし飲むし煙草も吸うし、立ち回りも色恋もある。相手は二人、しかも親子ほども年下だ。体力維持に必死なようには書かれてないから、ひょっとしてドイツじゃ珍しくないんでしょうか。す、凄い。
 個人と組織、それぞれの過去と罪の相克は探偵ミステリの常道だが、この小説の場合は一際重い。探偵が事件の観察者であることを許されなくなってしまうからだ。当事者として彼が選んだ行為は、倫理的には確かに悪い。しかし、合理的でも論理的でもない個人の破れかぶれだけが、巨大な組織が予想し得ない唯一有効な反撃であるのかもしれないのだ。

第四の扉
第四の扉
【早川書房】
ポール・アルテ
本体 1,100円
2002/5
ISBN-4150017166
評価:C
 第2次世界大戦から数年後、イギリスはオックスフォード郊外。という設定で始まるこのミステリは、しかし作者はフランス人で原書刊行は1987年である。はて? しかしまあ、考えてみれば日本にも、わざわざ「パラレル英国」なんて設定をしたシリーズも存在することだし……などと思いつつ読んでいったらば。なーるほどねえ、そうきたか。この作家、日本流にいえば「新本格」ってことになるでしょう。ミステリ好きによるミステリ好きの為のミステリ。ニヤリとさせてくれるサービス満載です。
 と、決して印象は悪くないんだけれど、評価は「頑張ったで賞」が精々だなあ。本家を超えたフランスのディクスン・カーってのは、何ぼ何でも褒め過ぎでしょう。フランスのミステリ界はノワールやサスペンス主流で本格は僅かとのことですが、日本はそうじゃありませんからね。怪奇密室殺人なら、もっとそれらしい雰囲気がなくっちゃ。

食糧棚
食糧棚
【白水社】
ジム・クレイス
本体 2,200円
2002/5
ISBN-4560047464
評価:B
 ショートショート集。と言ったら少し違うか。僅か数行のもの、10頁にわたるもの、起承転結のあるもの、散文詩風のもの、内容も形式も様々な64の作品が、「第一話」「第二話」……と題名もなしに並んでいる。訳者あとがきによれば、最初から全部で64話と決めて、全体で一つの作品として書かれたのだそうだ。エンデの『鏡のなかの鏡』の感じに似てるかも。
 で、全ての話は食べ物がテーマ。しかしまともな話が殆どないのだ、これが。ラベルが剥がれて放置されている缶詰。にんにくを食べ過ぎた人。なすアレルギーなのに、なすを食べずにはいられない人。去年のピクニックの後忘れていた、5か月前のゆで卵……。こんなんばっかり64話。どうですか!
 という訳で、面白くはあるんだけど、1冊丸ごと読んだら悪酔いがしてきます。毎月1話ずつ、料理の写真かイラスト付きで雑誌に連載したらちょうどいいかも。

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