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今井 義男の<<書評>> |
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GOTH
【角川書店】
乙一
本体 1,500円
2002/7
ISBN-4048733907 |
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評価:AAA
狂った概念をモチーフにした小説はそれこそ掃いて捨てるほどあるが、そうかまだこんな手が残っていたか。これは困った。また昔の自分に戻ってしまいそうだ。別に困ることはないが、ミステリの可能性には全く果てというものがない。それにこの作者、猟奇を描くには低温が適していることをよく分かっている。作家の体温が乗り移った思い入れたっぷりの文章など贅肉にすぎない。淡淡とした筆さばきと坦坦とした表現こそが、耽耽と牙を隠し持った作品を生む。あたかも彼がポケットに忍ばせるナイフのように。生涯熱に浮かされた乱歩が生きていたら、比類のない愛すべき<欠落>に歯噛みしたに違いない。風変わりな二人の若者を狂言回しにした叙述トリックの傑作でもある。ミステリ引力圏から脱出中の私をしばし立ち止まらせるだけの蠱惑がこの連作集にはある。才気とはこういう書き手に対して用いる言葉である。 |
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狂王の庭
【角川書店】
小池真理子
本体 1,700円
2002/6
ISBN-4048733753 |
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評価:A
《芸術は爆発だ!》は単なるCMコピーではなかったのか。アトリエで自作のオブジェに囲まれる彼の映像を見てそんな疑問を持った。拡散ではなく収束の印象が強かったのだ。リアリズムもキュービズムも通過点にすぎず、結局彼は岡本太郎イズムに収斂し、やがて我々の棲む三次元宇宙からものの見事に消えた。以後、いかなる追随も模倣も見聞しない。話がどんどん逸れているようだが、生来私はこういう閉じた世界が大好きで、陣内青爾の庭からも同じ匂いを嗅ぎ取ったのである。高等遊民の道楽と揶揄するのは簡単だが、それは彼の行為以上に非生産的で無意味なことだ。人は誰でも<庭>を欲している。庭は人の内面を再現する。なにより純粋な目的ゆえ、彼の創造した庭園にはひとかけらの邪気もなかった。低レベルのサイトで虚栄心を振りまき、安上がりな王の愉悦に浸る小心者とは棲む世界が違うのである。 |
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斬られ権佐
【集英社】
宇江佐真理
本体 1,600円
2002/5
ISBN-4087745813 |
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評価:AA
長い間視野の狭い本読み生活を送ってきた私がいうのもおこがましいが、時代物を読まない人はつくづく不幸である、ってまあこんなこといくらいい続けても読まない人は一生読まないだろうからもどかしい。颯爽としたスーパーヒーローの登場する活劇もいいが、ごく普通の生活者を描いた人情物語もいい。剣豪捕り物SF戦国怪談歴史忍者芸能……その他なんでもござれの時代物は、日本が世界に誇るスーパー・エンタテインメント・ジャンルなのである。別に私は時代小説のスポークスマンではないのでこの辺にしておくが、この『斬られ権佐』も滅法面白かった。しかし体が弱いのに格好がよいというキャラクターも相当に珍しい。心配りの行き届いた脇役も粒が揃っており、彼らの醸す空気はまことに芳醇である。権佐が命より大事だったもの。同じものに出会えた私は果報者である。
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コンビニ・ララバイ
【集英社】
池永陽
本体 1.600円
2002/6
ISBN-4087745864 |
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評価:AA
いまの時代を切り分けたとき、どう工夫したって見たくないものが見えてくる。振り切れない過去、つかみようのない未来、見果てぬ夢の残滓、人間の数だけそれらはある。普通はそんなややこしいものに誰も関わりたくない。ところがミユキマート店主・幹郎はそうせずにはおれない人物なのだった。イライラとギスギスが飽和状態の世にあってこの驚くべき善人ぶり。そりゃないだろう、と斜めから口をはさみたくなる半面、こんな店があったら、と思わせるほど私たちは渇ききっている。どれもいい話ばかりだが、いつも同じものを買いに来る子どもが泣かせる。人間はかくも俗っぽく、いとおしい生き物だったのだ。自転車で夜中に帰宅するとき、終夜営業のコンビニは説明し難い安心感をもたらしてくれる。幹郎の暖かさはあの明かりによく似ている。 |
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石の中の蜘蛛
【集英社】
浅暮三文
本体 1,700円
2002/6
ISBN-4087753034 |
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評価:D
《ファンタジーとハードボイルドの融合》だそうである。過去にW・ヒョーツバーグの『堕ちる天使』という成功例があるにはある。鈴木泉三郎の『生きている小平治』のニュアンスもそれに近い。他にあまり思いつかないが、なんか凡作怪作の跳梁しやすそうな看板である。作家は作品における神であるから、どんなことでも自由自在に書けばいい。ここまで読者に気をつかう必要なんて少しもなかったのである。並外れた感覚を説明するための字数と労力が、なにからなにまで逆効果。作者の力の入れようがこちらの意識を字面からどんどん乖離させる。この齟齬はいったいどこから生じたのか。少なくとも、私が小説に期待しているのは<説明>ではなく<翻弄>である。メッキであろうとイミテーションであろうと面白ければそれでいい。本書の《新しい試み》は融合というには抵抗が大きすぎた。リアリティ偏重の弊害がここにもある。 |
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麦ふみクーツェ
【理論社】
いしいしんじ
本体 1,800円
2002/6
ISBN-4652077165 |
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評価:C
レイ・ブラッドベリは過ぎ去った少年の日々を、まるで読者がその場に居合わせているかのような瑞々しい文章で読ませてくれたものだが、決して現在進行で稚気を装ったりはしなかったし、<子ども>や<ファンタジー>をオールマイティのカードかなにかだと勘違いもしていなかった。子どもの読者になにひとつおもねっていないから子どもが読んでも面白かったのである。本は出版社や作者が想定した読者層とは関係なく読まれる運命にある。万人を納得させることなど不可能だが、率直にいって私は子どもをストレートに書いた話のほうが読みやすい。アクをすくいすぎたものも嫌いだ。どこかしらにチクチクさせる要素がないと退屈で仕方ない。子ども時代の記憶がまだ鮮明に残っていて、実際に自分の子どもと接してきた中年男には、この《とん、たたん、とん》の物語はいささか緩く、スリルがない。 |
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天の夜曲
【新潮社】
宮本輝
本体 2,000円
2002/6
ISBN-4103325135 |
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評価:AA
母子の話は比較的冷静に、他人事として読める。ところが父子となると事情が少しく異なり、俄然感情が昂ぶり体内にアドレナリンが漲る。私の素性のせいであって作品に責任はないが、生身の人間が読むのだから致し方ない。山師のような親を持ったが子どもの不幸の始まり、まさしく流転の名に相応しい家族小説であるが、彼らに変転を余儀なくさせるのは世間とのせめぎあいであって、夫婦・親子間にそれほどの葛藤がないことが救いだ。妻・房江も息子・伸仁も無理をしているし幸福な状態には程遠いが、これしきのことで悲愴感にかられていては生きていけない。むしろこの家族の正念場は成長した伸仁と熊吾(ルビぐらい振ってくれ)の対峙にある予感がする。山あり谷ありの人生を懐かしむのはオッサンの習性で、現役の子どもはそんなことしない。ふと我に返ると父親の目線で読む自分自身に気がつく。歳だこれは。 |
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それでも、警官は微笑う
【講談社】
日明恩
本体 1,900円
2002/6
ISBN-4062112132 |
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評価:AAA
現場一筋たたき上げこわもて反骨男と、一見苦労知らず軽薄自己中優男の刑事コンビ。もちろん年下の後者が上司である。このありがちであざとさ全開の設定が思いも寄らぬ人間ドラマを繰り広げると誰が予想しえたであろうか。と、やや力を込めて叫びたい気持ちである。誰がどう考えたってドタバタにしかならない組み合わせだろう。やはり小説とは人間を書く作業なのである。つまらないトリックや誰も知らない精神病を見つけて悦にいるような輩には縁遠い仕事と断言できる。私は『GOTH』と本書によってミステリ訣別計画の一時凍結を決定した。突然だが、極私的・国内探偵ランキングの変動を発表する。四位・古畑任三郎、三位・西之園萌絵、二位・榎木津礼二郎、そして最強の三人を押し下げた張本人は、本書初登場<警察社会に紛れ込んだ異物>潮崎哲夫その人である。 |
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壜の中の手記
【晶文社】
ジェラード・カーシュ
本体 2,000円
2002/7
ISBN-4794927320 |
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評価:B
十代の頃、得がたい幸福を味わえる箱入りの叢書があった。早川書房の『異色作家短篇集』である。フォントは微妙に違うものの、本書は各篇中扉のレイアウトがそっくりで強烈な既視感を覚えた。クイーンはともかくエリスンが賛辞を寄せるだけのことはあって、確かにあの種の色彩を備えた作家である。感性豊かな年頃(自分でいうか)に出会った作品と比べるのはフェアでないが、作家の仕掛けるけれんの快感を知ってしまった私には物足りない部分もある。ドアを開けた途端に堅牢だと思っていた世界が消失した、という風に読者を突き放す話になりそうで、そうでもない。短篇ながら装飾過剰気味の文章も好みを分かつところだ。作者はアイデア・ストーリーを目指して書いてはいないのだろう多分。
余談だが実をいうと私は晶文社のサイが昔から好きである。関係ないけど。
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上海ビート
【サンマーク出版】
韓寒
本体 1,800円
2002/7
ISBN-4763194232 |
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評価:D
上海はいいとしても、ビート? いったいこの緩慢な小説のどこをどう切り取ればビートなどという言語がひねり出せるのか不思議だ。人口比率からして90万部がそれほどすごいことかどうか疑問だが、なんせペンより剣のほうが百万倍強いお国である。香港と並ぶ特異点上海でこんなものだとしたら、作家の将来など知れたものだ。こういっては不躾だが、内に飲み込んだ剣があるなら、一刻も早く海外に居を構えて『アナザー上海ビート』を書いてみせてほしい。万里の頂上も遠くから眺めて初めて全貌を知ることができる。書く気になれば、いや書かねばならないテーマはおそらく一生分は優にあるはずだ。私は愛国者ではないがこと小説に関してだけはこの日イズル國に生まれたことを心から感謝している。 |
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