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山内 克也の<<書評>>
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半落ち
半落ち
【講談社】
横山秀夫
本体 1,700円
2002/9
ISBN-4062114399
評価:A
 アルツハイマーの妻を殺し、罪そのものを認める警察官は、殺害後から自首するまでの2日間の行動について何も語らない。「殺し」を主眼に置かないあたりミステリとして異彩を放っている。
 と同時に、警察、検察、裁判所といった「権力組織」が真実の行方を断絶しようとする負の動きも描く。警察官の犯罪だけに、権力組織は事実とはほど遠い形で、無難に「空白」を埋めようと企む。謎を追う6人の男は「上」からの情報操作、左遷人事の示唆、司法バーターといった絡め手に翻弄される。なりふり構わぬ醜態を見せる「権力組織」。ふだん伺い知れることのないこうした組織事情を単なる知識で描くのではなく、刑事訴訟法などの専門知識を著者なりにかみ砕きながら筋立てしていて、かえって物語に真実味を持たせる。実は、サイドストーリー仕立てのこの権力組織の不条理さこそ著者は一番読ませたいのではないだろうか。

ファースト・プライオリティー
ファースト・プライオリティー
【幻冬舎】
山本文緒
本体 1,600円
2002/9
ISBN-4344002296
評価:C
 「30歳過ぎると年の加算が早くなる」と、私が知りうる三十路を過ぎた女友達は、未婚も既婚も離婚も無職もキャリアも口をそろえる。同年代の私もその思いは同じだが、彼女らは「今のうちにやるべきことをやる」といい、彼氏見つけや子づくり、社内制度活用した海外留学といった具体的目標にひた走った。中年と若年の端境期というべき30代最初のステップ「31才」は、この本で言う「最優先事項」というものを女性が見極めてくる年頃なのか。
 車を持つことでの安心感や子どもの反抗に遭う母親としての不安…。小説では身近なものや出来事を取り上げ、「欲望」や「飢え」「乾き」「幸せ」といった「31歳女性」の本能を瞬間的にとらえている。女性の生態をのぞき見るようで男の眼としては正直、怖い小説だった。

成功する読書日記
成功する読書日記
【文藝春秋】
鹿島茂
本体 1,429円
2002/10
ISBN-4163590102
評価:C
 活字中毒者なら、読書が「安全な所作」とは思わないだろう。目は疲れるし、固まった姿勢が長時間に及ぶため体の節々は痛くなる。実際、私は書評を受け、いつもの倍集中して読むためか、最近胃がキリリと痛みだし、薬を傍らに置いて読み込む日々が続いている。そう、読書とは、ある種、身を賭した“戦い”なのだ。
 本書の大半は「週刊文春」の連載「私の読書日記」を収録した形だが、その幕間の、読書に伴う肉体的な苦痛を和らげる処方を施したエッセイが一番興味を引いた。「椅子」「照明」「眼鏡」。読書環境を整えるには、この3点が重要と著者は説く。「椅子」の章では、柔らかい椅子は前かがみになるため胃や腸に負担がかかる、と指南。著者が推す堅めの椅子で読むが、私の胃はよくはならなかった。もとより神経性なので仕方ないが…。

山背郷
山背郷
【集英社】
熊谷達也
本体 1,600円
2002/9
ISBN-4087746089
評価:B
 何年か前、東京駅の地下道を歩いていると、東北への旅を誘うキャンペーンポスターが眼に入った。「東北大陸へ行こう」。東北大陸…。本州の一地方にもかかわらず、九州人には魅力的なキャッチコピーだった。期間を置かず、青森と福島をのぞいてぐるりと東北を旅した。主に温泉地と都市部に沿って巡ったため、「大陸」の実感はつかめなかったが、この本を読み初めて「東北大陸」の奥深さを味わった。
 マタギ、オカミン、ジャッペ…。各短編の中心テーマに据えた東北伝来の生業が興味をそそる上、自然環境の厳しさやムラ社会の掟といった具体的な記述を盛り込み一種の民俗小説に仕上げている。物語は終戦を境にした潮目の時代にスポットを当てる。おのおのの主人公は移りゆく新しい時代への生活に戸惑ったり、希望を見いだしていく。伝統の生業を背負いながらも「大陸の地」で必死で生き抜こうとする現実の進行形に、南国育ちにとって「東北」とは異国だ、との認識を新たにした。

劇画狂時代
劇画狂時代
【飛鳥新社】
岡崎英生
本体 2,000円
2002/9
ISBN-4870315203
評価:C
 今、ハマっている漫画は「ブラックジャックによろしく」と「医龍」。どちらも大学病院の組織的な病巣を鋭く描き、リアルタッチの画に専門性にじむストーリーで、「絶対、大学病院に診察を受けまい」と心に決めている。それにしても、日本の漫画でこのような社会性をテーマに描くようになったのはいつの時代だろうか。その一つの答えがこの本にある。
 この本の主役である青年漫画誌は、1967年に創刊され、著者は編集者として在籍した数年間を回顧している。当時、大学紛争華やかなりし頃で、呼応するかのように宮谷一彦や上村一夫など反体制的な劇画作家が出現したのは、時代の必然性、と著者は言う。「政治的社会的な閉塞感を打破しようとする過激な気分に関係していた」。なるほど。私は劇画の定義は知らないが、劇画とは時代を映す鏡だったのだろうか。今に続く青年漫画誌の完成された作品の源泉を知った。

青空チェリー
青空チェリー
【新潮社】
豊島ミホ
本体 1,000円
2002/9
ISBN-4104560014
評価:B
 文章がなまめかしい。「のぞきで作った免疫くらいしかないあたしの心臓にはそれだけでもう、チメイショウ」だの「『だめー! とんこつは臭いからだめ。ロマ〜ンチックな今日はだめ』」といった字面を見るだけで官能的になってしまうのは、私が「おじさん」になりつつある証拠なのか。
 3つの短編とも主人公の描き方がみずみずしい。予備校での男子浪人生との会話とか、田舎に住んでいる男に思いを馳せる空想の場面など、誰もが共有する「甘い」「苦い」思い出が臨場感を持たせる。登場人物の刹那的ながらも前向きに生きようとする姿が、エロの部分を微妙に包み込み、一つの青春文学として爽快さを抱かせる。

マゼンタ100
マゼンタ100
【新潮社】
日向蓬
本体 950円
2002/9
ISBN-4104559016
評価:B
 時代の臭いを強烈に放つ小説。
 表題作は、舞台設定の「バブル」そのものと添い寝したようなせつないセックスを描く。続編の「モノグラム」では、「一郎くんちには、最新式の『内蔵脂肪チェック機能付体脂肪計』があって…」と、バブルが弾けつつもその余韻に浸る男の性癖というべき生活を赤裸々に述べ、それぞれの男と共有する空間の雰囲気をしっかり伝える。
 全体的に端正な文章で書き通し、男から見れば「立たせない」ストーリーだが、そのことが別側面の「バブル」の狂気を感じさせた。

最後の審判
最後の審判
【新潮社】
リチャード・ノース・パタースン
本体 2,500円
2002/9
ISBN-4105316036
評価:B
 アメリカの法廷ミステリは、日本より何十倍も面白い。理由の一つとして、司法の土着性に濃淡の差があるからだと思う。多くのアメリカの裁判小説を読むと、弁護士や警察はおろか、検察官や裁判官までも、「かの地の出身者」との設定も珍しくない。
 この小説でも、女性弁護士が捨てたはずの故郷に戻り、若い頃の恋人で、その土地で検察官を勤めるバツイチ男性と交じり合う場面がある。中央集権的な司法制度下の日本では、古里での裁判の直前に、同じ古里生まれの検察官と弁護士が愛を交わすなんぞほとんどナンセンス。だが舞台はアメリカだ。法廷内で交錯する人間関係を緻密に演出することで、メーンストーリーの女性弁護士の名門一族による愛憎劇がより一層スリリングになっている。よく練られた法廷ミステリだ。

望楼館追想
望楼館追想
【文藝春秋】
エドワード・ケアリー
本体 2,571円
2002/10
ISBN-4163213201
評価:D
 アパートやマンションといった集合住宅を舞台にした小説は大概、筋立てが見えてくる。一つの建物に、多種多様の性格を持つ人物が多く住めば、著者が狙うところの「話の不条理性」が浮き彫りになってくるのだ。
 この小説も、約束に違わず、博物館で蝋人形もどきの仕事をする主人公をはじめ、犬の性癖を持つトゥエンティ、TVにしか興味を示さないクレア・ヒッグなど、狂気としか思えない住民らを据え、新住人となった眼の悪い女性が住人たちの心奥深く潜む記憶の桎梏を解き放つ。「隣は何をする人ぞ」という壁一枚向こう側の見えぬドラマを描く「アパート物語」を幻想風に塗り替えただけの話。この作品と似た設定の高橋留美子の漫画「めぞん一刻」は、ラブコメであるにせよ、住人と管理人の一途な恋愛を、一癖ある住人たちを絡ませることで不条理的な性格を帯びさせ、物語に新味を与えた。
 物語を書いた作者の国籍が違うだけで、二番せんじの作品を読んだ感じ。

家庭の医学
家庭の医学
【朝日新聞社】
レベッカ・ブラウン
本体 1,400円
2002/10
ISBN-4022577983
評価:A
 身内に末期がん患者を抱えると、家族は、途方もない混乱に陥り、死ぬまでの限られた時間の中で絶望の淵をさまよう。かつて私の祖母も末期の肝臓ガンに冒され、娘となる私の母は仕事を休んで看病で懸命になり、父はがん治療の名医探しで躍起になり、当時、東京の大学にいた私は「丸山ワクチン」なるものを故郷へ運びこんだ。シチュエーション的に同じような設定のこの小説は身につまされたが、抑えた筆致が効き、すんなりと読むことができた。
 作中、日々母親はやせ衰え、止めようのない「死んでいくプロセス」を踏む中で、看取る側は「(母親が)今日はマッシュポテトを四口も食べたよ」とささやき、自らを奮い立たせるほんのかすかなきっかけにすがろうとする。逆説的に言うと末期がんの患者の存在とその介護は「家族」というものを一丸にまとめ上げ、その意味の深さを後で省みさせてくれる。

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