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池田 智恵の<<書評>>



P.I.P
P.I.P
【小学館文庫】
沢井鯨
定価 670円(税込)
2003/6
ISBN-4094055916
評価:B
 「衝撃的」な本です。カンボジアの刑務所拘留経験を持つ作者による半実話。馳星周が解説で書いているように、小説としては下手くそなんですが、カンボジアという国の「悲惨」がひどく具体的に書いてあり、気が遠くなりました。貧困や差別、環境の劣悪という悲惨ももちろんですけど、何より怖いのは「他人は誰一人信用できない」という状況でした。かつてポルポトは、全ての兵士に罪のない同胞を殴り殺すことを命じたそうです。逆らったものも処刑。その為、自分が生き残るためなら人を殺せる人間だけが生き残る……。
 この本が衝撃的なのは、その内実のすさまじさから「人間的であるにはある程度恵まれていなければいけない」という事実が浮かび上がってくるからです。大学で第三世界論を勉強し、世界の悲惨に詳しいつもりでいた私ですが、人事行為による徹底した荒廃の爪痕の深さを見せつけられた気がしました。この本になら「平和ボケ」と呼ばれてもいいです。

将棋の子
将棋の子
【講談社文庫】
大崎善生
定価 620円(税込)
2003/5
ISBN-4062737388
評価:A
 羽生さんのあの容易ならざる雰囲気から、将棋界というのは尋常でないところだと感じでいた。この本はそんな将棋の世界の厳しさを裏付けてくれる一方で、外側からは絶対に見えない豊かさを教えてくれる。
 成田英二という、一人の棋士を主人公にして語られるのは、年齢制限に苦しめられ、浮き世から離れた生き方を選ぶことになる棋士たちの苦悩や挫折。それは、外側からはあまりに苦しく厳しいもののように写る。しかし、自ら小学生の頃から将棋に親しんでいたという著者は一つの経験の共有者として、棋士たちに、そして将棋に暖かい視線を向ける。「将棋は厳しくはない。本当は優しいものなのである。」一見感傷的に感じられるこの一文。だが、プロ棋士になれずに40半ばにしてその日暮らしを続ける成田が、将棋が自分に与えてくれたものについて語る瞬間に、この言葉がすっと胸に染みいる。天才たちの世界を至近距離で見つめながら、普遍性を獲得しているところがすごい。

菊葉荘の幽霊たち
菊葉荘の幽霊たち
【ハルキ文庫】
角田光代
定価 525円(税込)
2003/5
ISBN-4758430403
評価:B
 理想の住みかを探す友人と“わたし”。「あそこのアパートが満室なんだったら、住民を一人追い出せばいいんだよ」という友人の言葉に従って、奇妙な形でアパートの住民たちに関わり始めた“わたし”だが……。
「大島弓子のロストハウスに似てる…」って書評にならんですね。ただ、居場所を探し続けていた人間が、その喪失によって世界に気付くという構造が似てるかなと。孤独に気付いた瞬間から世界が開くというような。しかし、ロストハウスが描こうとしたのは朝日の昇る瞬間。逆に菊葉荘からは雨の日の後の曇り空の様な印象を受けました。空気が重いというか。閉塞感とも違う独特の温度の低さのようなものが、少々の居心地の悪さを作り出しています。
 面白いと思ったのに上手く表現できない……。感情移入をさせないように作ってある小説って解説するのが難しいです。すいません。

カカシの夏休み
カカシの夏休み
【文春文庫】
重松清
定価 620円(税込)
2003/5
ISBN-4167669013
評価:D
 3回読んで出した結論。「シゲキヨ、ニセモノじゃん」。というのも、この3作の泣かせどころが「許し」と「受容」であるのに、その「許容」に至る過程がきちんと書かれていないからだ。例えば、「カカシ」に出てくる厳しい父親をラケットでぶん殴った小学生。ちょっと余所の家でくつろいだからって、なんでいきなり父に謝ろうって気になるんだ?同級生からの「死ぬんだ」という電話を冷たくあしらったら、翌日その子が本当に自殺してしまって「人殺し」と呼ばれるようになった女の子の話も変。宗門して悔い改めよとは言わないけど、おさまりのいい言葉でまとめて本題から逃げてないか?
 まあ、上手いから一時泣けるけどさ。“ここまで来たんだな、と思うことが最近増えた”って書かれたらじーんとくるだろうけどさ。最近はどうも「優しさ」と「甘やかし」を勘違いしている小説としか受け取れない。
 人気作家である事実も含めて、その不誠実さが嫌いだ。

おれは非情勤
おれは非情勤
【集英社文庫】
東野圭吾
定価 500円(税込)
2003/5
ISBN-4087475751
評価:A
 ピカソがその辺のがらくたを集めて作ったオブジェというのを見たことがある。余技にしか過ぎないそのオブジェが、きっちり天才の仕事だったので「ありゃあ、凡人の努力は天才の手なぐさみにかなわないのか」と思ったことを記憶している。ピカソと並べるのはちょっと極端ではあるけれど、この本にも似たような印象を覚えた。主人公は子供嫌いの非常勤講師。彼の赴任先でしばしば妙な事件が起こるというパターン。学年誌に掲載されていたとのことで、トリックは簡単。文章は平易。P数も少ない。限りなくシンプルで、そのぶん作者の技量が問われる状況だ。で、これが間違いなく面白い。しかも2Pも読まないうちに「これは面白い!」と分かる。子供が読者だからといって、人間の書き方に甘さがないところもすばらしい。天才、凡人なんて言葉をもてあそびたくはないけれど、やっぱり天才というのは存在して、一段高いところにいるんだなと思った。

ノヴァーリスの引用
ノヴァーリスの引用
【集英社文庫】
奥泉光
定価 480円(税込)
2003/5
ISBN-4087475816
評価:C
 個人的に好みじゃない。この一言に尽きます。かつての学友の死をめぐって交わされる中年男性たちの対話から、一人の男の死の原因と共に様々な哲学的考察(なのかどうかもよくわからないのですが)が浮かび上がってくるという話なんですが、あんまりピンとこないんです。交わされる対話を、思考のレッスンとしては面白いと感じることができるし、青春を振り返る中年たちが自らの弱さを自覚する小説としてなら理解できるんですが。くり返される「マルクスの思想云々」の対話を「言葉遊びみたい」と感じてしまいました。わざとそう書いている…わけではないですよね。
「自分が死んだ後も世界が存続するとは考えられる。だが──」というような文章に心惹かれる方には面白いんでしょうか。それとも、「ある年代の人にとっての青春小説」としてとらえて割りきるべきなんでしょうか。

悪意銀行
悪意銀行
【光文社文庫】
都筑道夫
定価 840円(税込)
2003/5
ISBN-4334734898
評価:C
 「笑いのメガバンク」と帯に書いてあるのにくすりとも笑えない……。しかし、これは別にこの本がつまらないという証明にはなりません。もともと笑いというのは共有しづらいものだからです。私にとって笑えないというだけのことです。しかし、ユーモアと銘打っているのに笑えないものを評価するのはつらいので低評価。
 笑えない理由を一応挙げておきます。それはこの本の文章のテンポが、ゆっくりし過ぎていると感じてしまうからです。これは受けとり方によっては品格につながるのでしょう。しかし、笑いのテンポとして受けとめると、私にはちょっとついていけないのんびりさでした。探偵小説としては非常に安定感のある作品ばかりなのだと思いますが……。

いい人になる方法
いい人になる方法
【新潮文庫】
ニック・ホーンビィ
定価 780円(税込)
2003/6
ISBN-4102202145
評価:B
 売れないライターで皮肉屋の夫が、突如善行に目覚めた!医者であり、独立するだけの甲斐性を持った妻は、混乱しつつも夫の行いを否定できない。徐々にエスカレートする善行が、少しずつ家族をバラバラにして行く……。
 上手い。登場人物は程度の差こそあれ誰もが愚かで、弱くて、自分勝手なのに、乾いた心理描写がそれを暑苦しく感じさせない。何より、バラバラになった家族をつなぎとめるものがとてもささやかで頼りないものだというのがいい。安易なハッピーエンドより、かえって作者の人間に対する確証を強く感じさせる。主人公である妻が中流階級に属する自らの境遇に対して罪悪感を感じているところに共感。大して幸福でない人ほど恵まれていることに罪悪感を感じたりするんだよね……。

不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ
不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ
【ハヤカワ文庫SF】
パトリック・オリアリー
定価 987円(税込)
2003/5
ISBN-4150114447
評価:B+
 死後の世界にあって自らの死を自覚していない中年の兄弟二人が、謎の男に互いを探し出すように命令される。お互いのことを探る過程で、二人の過去と同時に、不可思議な死後の世界の謎が解き明かされてゆく。CM監督と英文学教授という、違った性質の職業に就いた二人が、お互いに持っている負い目が徐々に明らかになり、兄弟の関係は最後に不思議な和解をむかえる。フィクショナルな状況でしか成立し得ない行動を登場人物にとらせることによって、一つの真実を導く手法がいかにも小説らしくていい。穏やかな悪夢といった趣の情景が、うまい具合に悲しみを盛りあげている。閉じた死後の世界にあっても懸命な人々が与える、寂しげな印象が美しい。小説らしい小説なんで無理なんだけど、映像で観てみたい。
 と、思っていたら似たような夢を見た。怖かったけれど面白かった。