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松井 ゆかりの<<書評>> |
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博士の愛した数式
【新潮社】
小川洋子
定価 1,575円(税込)
2003/8
ISBN-410401303X |
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評価:A
私は小川洋子さんの熱心な読者とはいえないが、清澄さと温かさを合わせ持つ作風はずっと気になっていた。
主な登場人物は、博士と呼ばれる数学者、家政婦と10歳になる彼女の息子。博士は、交通事故が原因で記憶が80分しか持続しなくなってしまったのだが、数学を愛する気持ちは常に心にあり、その美しさを他者へ伝えるようと試みる。文中には数式や公式なども盛り込まれ、数学の知識が随所で披露される。しかしながら、難解さは不思議と意識されず、数学を文学に取り入れた試みは成功している(それもすばらしく効果的に)。
だが、この小説で最も賞賛されるべきは試みそのものではなく、登場人物たちの心の動きが繊細に誠実に描かれていることだと思う。言葉を尽くしてはみたが、とどのつまり、私が言いたいことは「とにかく読んでみてください」、この一言で十分だった。今月いちばんのおすすめです。 |
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サウンドトラック
【集英社】
古川日出男
定価 1,995円(税込)
2003/9
ISBN-4087746615 |
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評価:B
殺伐としている。残念ながら好みのストライクゾーンではない。でも希望もある。不思議な小説だと思った。
SF映画は好きなのだが、SF小説は苦手である。映画「ブレードランナー」が好きだったので、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」も、ほぼ3〜4年に1度、オリンピックくらいの周期で「読んでみよう!」と思い立つのだが、毎回挫折している。いままでに読んだSFといえば、星新一と新井素子、それに眉村卓の作品を少々(この人たちは文句なしにSFの人ですよね。本誌で大森望さんや三村美衣さんの対談を読み、自分のSFというものに対する定義に自信が持てなくなりました)。
しかし「サウンドトラック」を読んでいる間は、一度も投げ出そうと思わなかった。この話がどうなるのか、目をそらせなかった。私自身はできればもっと明るい未来を夢見たいけれども。 |
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クライマーズ・ハイ
【文藝春秋】
横山秀夫
定価 1,650円(税込)
2003/8
ISBN-4163220909 |
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評価:B
日航機事件が起こったとき、私は高校3年生だった。もちろん掛け値なしの大事件であり、そのとき感じた追悼の意は本物だったと思う。しかし当時の私にとって、死は身近なものではなかった。それは物理的にも精神的にも自分とは遠く離れた場所で起きた出来事だった。
私事だが、この夏父が他界した。日航機事件から18年、その間に私は母親になり、親戚や知人の死を遭遇し、そして今年最も近い家族のひとりを失った。いまになって、あの事件によって失われたものの大きさが(遺族の方々の悲しみにはくらべるべくもないが)、ようやく実感できる。また、この「クライマーズ・ハイ」の主人公悠木和雅とその息子淳の間にある溝に、将来生じるであろう自分の息子たちとのすれ違いが予感され、心が痛む。18年前の自分だったら、ここまでこの小説が胸に迫って感じられることはなかったと思う(この小説のメインとなる新聞社内部のあれやこれやよりも、そういうところに目がいってしまう読み方は傍流かもしれないのだが)。
若い頃の読書はかけがえのない体験だ。でも年を重ねてようやくわかることもある。人生捨てたもんじゃない、と確信を得たい中高年世代に、特におすすめしたい。硬質な中にも甘さのある横山秀夫さんの文章を堪能されることと思う。
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まひるの月を追いかけて
【文藝春秋】
恩田陸
定価 1,680円(税込)
2003/9
ISBN-4163221700 |
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評価:B
1ページめからぐいぐい引き込まれる、という体験は久しぶりだった。なるほど恩田陸さんという作家は、こういう文章を書くんですね。
失踪した男。そして彼を追いかけるふたりの女。ひとりは彼を愛する女、そしていまひとりは彼の異母妹。舞台は春の奈良。一歩間違うと2時間ドラマになりそうだ。
しかし、話は意外な方向へ意外な方向へ転がっていく。ミステリーの正しい読者(=引っかかりやすい単細胞)である私にしては早い段階で気づいた、男がほんとうに愛する相手が誰かということを。それよりも、男が言った「もう時間がない」という言葉の真の意味の方が、はるかに意表をつくものだった。私にとってはこちらが大オチ。
以前「ハスラー2」という映画を観たとき、「え、この先が気になるのにここで終わり!?」と呆然としたことがある。この本も“「ハスラー2」小説”と呼びたいくらいだ。だってどうなっちゃうんでしょう、この人たち(余韻の残る終わり方ではあるけれども)。別にガチガチの推理ものってわけじゃないんだけど、いろいろここでは明かせない謎が多い小説なのだ。ぜひご一読を。 |
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殺人の門
【角川書店】
東野圭吾
定価 1,890円(税込)
2003/9
ISBN-4048734873 |
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評価:B
うーん……後味はよくない。
とても緻密な構成の小説だ。多くの伏線が張られ、物語が進むにつれてそれらがばっちりと効いてくる。同じ著者の「白夜行」がこんな感じだったなと思う。東野ファンにはたまらない一冊か。
読んでいて、幼い頃に観た「ウッドペッカー」のアニメを思い出した。くまなくつつかれ、それでもかろうじて形を保っている家。しかし、ウッドペッカーが自分の羽を1本引き抜いて吹き飛ばす。その羽が屋根に舞い降りた瞬間、家はもろくも崩れ去るのだ。「殺人の門」の主人公は、長年にわたりひとりの男に苦しめられ、何度も何度も思い立つのに、それでも殺人には踏み切れない。殺人の門をくぐるのに必要なのは?ひとひらの羽のようなものなのだろうか。主人公の答えはこの小説の中にある。
私は、東野作品の中では「トキオ」が大好きで、読了した8月11日を“トキオ記念日”としている。次回作ではもっとスカッとした話を読めたらうれしいです、東野さん。 |
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日曜日たち
【講談社】
吉田修一
定価 1,365円(税込)
2003/8
ISBN-4062120046 |
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評価:B
不勉強で恥ずかしいが、「パーク・ライフ」も「パレード」も未読である。時折見かける新聞や雑誌の紹介記事などから、吉田修一という作家はもっととんがった文章を書くのかと思っていた。こんなにぐっとくる小説を書くとは思わなかったぞ!最後の最後で泣かされました。
読みやすい文章で淡々と綴られており、30歳前後の男女の心の機微を描いてうまいなあと感心しながら読み進む。結局(アメリカの現代小説などにときどきあるように)、すーっと読めてもあまり後に残らないような内容なのかしら……という懸念もあったのだが、さにあらず。目をみはるようなオチなどはないが、読後感がさわやか。どんなに趣向が凝らしてあっても後味が悪いと感じる小説より、私は断然こちらを推す! |
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青鳥
【光文社】
ヒキタクニオ
定価 1,680円(税込)
2003/8
ISBN-4334923976 |
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評価:B
今月読んだ課題図書の中で、最も「拾い物だ!」と思ったのがこれ(などと言ったらヒキタクニオさんに失礼か。すみません、予備知識がなかったものですから)。広告制作の世界や多国籍な面子が揃う職場は私には縁遠いものだが、どんどんページが進んだ。
主人公はもうすぐ30歳になろうとする中国人女性シャオウェイ。腰かけではない、少しでもいい仕事をしたいと願う女性にとって、社会は甘くない。でも、足を踏み鳴らす日々が続いても、納得のいく仕事をやり遂げた達成感は何物にも代えられない……。
私のへたな要約では、気恥ずかしい人生訓か何かと思われそうだが、作者の小気味よい文章による人物描写が効いているため、好感の持てる内容に感じられると思う。
登場人物の中で、私が気に入っているのが藤原部長だ。ファッションセンスをはじめとにかく奇抜な人物で、彼のためだけにでもこの小説を読んだかいがあったと思っている(しかし、人によっては、というか、たいていの人が、私の意見には不賛成かもという不安も拭えないが)。 |
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光ってみえるもの、あれは
【中央公論新社】
川上弘美
定価 1,575円(税込)
2003/9
ISBN-4120034429 |
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評価:B
息子が3人いるせいか、少年たちが主人公という小説に弱い。私にとってのストライクゾーンさらにど真ん中な少年像といえば、宮部みゆき作品の主人公たちだ。「ああ、息子たちがこんな風に、まっすぐひたむきに育ってくれたら……」と夢は広がる。東野圭吾「トキオ」のトキオくんもたいへんよかった。
さて、川上弘美さんが描く少年は?読む前からとても興味があった。が、川上弘美ファンを自認しているものの、正直中盤まではあまりのれなかった。「(主人公の母)愛子さんが主人公だったらもっとしっくりくるかもな」とか思いつつ。
しかし、翠とその友人花田が長崎へ行くあたりから、がぜんおもしろくなった。ご自身にも翠と同年代の息子さんがいらっしゃる川上さんにとって、この小説は相当なチャレンジだったことだろう。翠くんもばっちり私のストライクゾーン(内角低めくらい)にきましたよ。「少年もの」に興味がある方におすすめ。 |
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安楽椅子探偵アーチー
【東京創元社】
松尾由美
定価 1,575円(税込)
2003/8
ISBN-4488012930 |
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評価:A
私には小2を筆頭に3人の息子がいるのだが、前々からおそれていることがある。それは「子どもらが江戸川乱歩にはまったらどうしよう!?」ということだ。私自身、ホームズものによってミステリーを読むようになったし、クリスティの長編も本棚にコンプリートしてある。しかししかし、私はあの少年少女向けの江戸川乱歩シリーズがこわいのだ。表紙の絵もこわいし、背表紙の題名を見るだけでもこわい(もっと先行きを心配するなら、息子たちがさらに長じて横溝正史にはまったらどうしよう!?という不安も。むむむ……)。
さて、「安楽椅子探偵アーチー」だ。私は読んでいる間ずっと、微笑むか、にやにやするか、爆笑するかしていた。実は今月の課題図書の中で私が最も注目していたのがこの本だったのだが(だって椅子が探偵なんですよ!)、期待に十二分に応えてくれる一冊だった。
ああ、私は息子たちにこの本をすすめたい。そしてもちろん、この文章を読んでくださっているみなさんにも。
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魔女は夜ささやく(上・下)
【文藝春秋】
ロバート・マキャモン
定価 (各)2,800円(税込)
2003/8
(上)ISBN-4163221204
(下)ISBN-4163221301 |
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評価:B
学生時代、アメリカ現代文学の授業でアーサー・ミラーの「るつぼ」という作品を読まされたことがある。魔女裁判を題材にとった高い評価を得ている戯曲だそうだが、いまとなっては「集団ヒステリー」という言葉ばかりが思い浮かぶ、私にとってはどうにも興味の持てない話だった。
さて「魔女は夜ささやく」だが、あの「るつぼ」の悪夢再びか?と少々逃げ腰になりながら読み始めた。うーん、禍々しいテイストの小説だ。さすが作者がホラー小説畑出身のことはある。
ただ、推理小説としてみれば、謎が謎を呼び読者をぐいぐいと引っぱっていく、ある意味王道ともいえる内容だと思う。「こんなに大風呂敷広げちゃってたためるの?たためるの?」と心配したのだが、ちゃんと謎解きもあったし(でも疑問がすべて解消されてはいない気がするんだが。私の頭が悪いせいでしょうか)。猟奇趣味な感じが私の好みではなかったが、スリルとサスペンスを求める、ホラーもいける口の方にはおすすめ。 |
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