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誰か―somebody
【実業之日本社】
宮部みゆき
定価 1,600円(税込)
2003/11
ISBN-4408534498 |
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評価:A
この作品で描かれる事件は、新聞で言えば、社会面の片隅の埋め草記事になる程度の、言い方は悪いかもしれないけれど「ありふれた」事件です。しかし、どんなに「ありふれた」事件であっても、それに関わった当事者たちのさまざまな感情――悲哀や憎悪、恐怖――が込められている可能性があります。当事者たちにとって、それは、一生に一度の大事件なのです。
大会社の会長付き運転手だった男が、自転車に追突されて死亡。
要約すれば30字でまとまってしまうこの事件も、運転手自身の生きてきた65年の日々や、残された遺族の抱える感情に思いを馳せるなら、30字ぽっちでは到底語れないはずです。だから380ページかけて、作者は語っています。この事件は、いったい何を明らかにし、何を後に残すことになったのかを。
人生の重み、存分に噛みしめてみましょう。真に読むに値する作品です。 |
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辰巳屋疑獄
【筑摩書房】
松井今朝子
定価 1,680円(税込)
2003/11
ISBN-4480803734 |
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評価:C
「士は己を知る者のために死す」。史記の刺客列伝にあるこの言葉は、人と人が理解しあうことの尊さと危うさを同時に感じさせる、趣き深い言葉です。この小説の主人公・元助は、身分こそ商人に過ぎませんが、その心意気はまさに「士」と呼ぶにふさわしいと思います。その高潔さと愚劣さ、双方においてですが。
8代将軍・吉宗の治世、一代で財を成した炭問屋・辰巳屋の大旦那の死によって蒔かれたお家騒動の種は、跡を継いだ若旦那の早すぎる死を経て、奉行所まで巻き込んだ一大疑獄事件に発展します。
この事件の中心人物「小ぼん」様の、いささか偏狭で不人情で悪辣な性格まで含めて理解しつつも、最後まで付き従おうとする元助の、己を捨てた奉仕ぶりには感動を覚えます。一方で、だったらその忠誠心を「小ぼん」様の暴走を止める方向に使えなかったんかい、と詮無いツッコミを入れたくなってしまいました。
まこと、人とは不便な生き物であることよ。 |
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号泣する準備はできていた
【新潮社】
江國香織
定価 1,470円(税込)
2003/11
ISBN-4103808063 |
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評価:E
私が中高生の頃、部活で天体観測をしている時のBGMはたいてい、中島みゆきでした。当時(1980年代)の中島みゆき作品と言えば、別離の悲哀を時に力強く、時に切々と歌い上げる、はっきり言えば真っ暗な歌詞が多かったです。
この作品群を読んでいて思い出したのは、かつての中島みゆきが歌っていた、聞く者を沈み込ませずにはいられない情念のほの暗さでした。それはたぶん、主人公達が皆、恋や愛の不確かさに悩み、もがいている女性だという点からの連想だと思います。
ただ、歌を聴いている時との最大の違いは、いったん沈み込んだ後に、揺り返しとして現れるカタルシスが、この作品群には感じられないことです。確かに、歌詞と小説という違いはあるでしょうが、その違いを差し引いたとしても、各所に散見される表現のぎこちなさがどうにも気になってしまいました。もう少し、何とかならなかったのでしょうか。 |
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瑠璃の海
【集英社】
小池真理子
定価 1,785円(税込)
2003/10
ISBN-4087746623 |
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評価:B
書評を始めてみて気付きました。私にも、苦手なジャンルがあるということを……例えば、この作品のような大人の恋愛小説。
私の場合、本を読む時、ストーリーそのものに乗っかりながら、同時にいろんなことを想起していることが多いのですが、この作品の場合、そういう頭の回転が抑制され、読書に専念せざるを得なかったです。思いっきり感情移入した結果、話に入り込んで他のことを考えられない、というのではなく、主人公・萌と、彼女が愛してしまった運命の人・遊作との、あまりにも濃厚な恋愛を見せつけられて、蛇に魅入られた蛙のように、麻痺してしまって身動きならず、といった心理状態に陥らされたのでした。
正直言って、周りすべてを拒絶して二人だけの愛の世界にどっぷり浸っている様子に、いささか居心地の悪さを感じざるを得なかったのですが、そういう感覚を引き起こすだけの筆力には感嘆しきりでした。もっと免疫つけなきゃダメですか。 |
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ツ、イ、ラ、ク
【角川書店】
姫野カオルコ
定価 1,890円(税込)
2003/10
ISBN-4048734938 |
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評価:B
14歳の頃の自分を思い浮かべてみます。どうしてあの頃の「俺」は、あんなにも傲慢で、残酷で、苛烈だったのだろう? それはたぶん、世界中を敵に回していながら、立ち向かう武器もない自分にできる、精一杯の戦い方だったのだろうな、と、20年経った今、そう思います。
この作品の主人公・隼子もまた、世界中を敵に回したような気分を抱えながら、その戦いの手段として禁断の恋を選びます。戦況はあまりに絶望的で、34歳になろうとする私から見れば、風車に槍持って向かうドン・キホーテか、蝋の翼で太陽をめざすイカロスのような、狂気と悲哀に満ち溢れているように見えます。しかしその姿は同時に、純粋であり、高貴でさえあります。
私とはあまりに戦闘手段の方向性が違うとは言え、人生に対して、14歳なりの真剣勝負を挑んだ彼女に、「戦友」としての親しみを感じました。
「俺」は確かに、あの時、あの戦場に君と一緒に立っていた。 |
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くつしたをかくせ!
【光文社】
乙一
定価 1,260円(税込)
2003/11
ISBN-433492414X |
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評価:B
私は、子供の頃、ほとんど絵本というものを読んだことがなくて。幼稚園くらいの頃はもっぱら図鑑と、いきなり小学校低学年向けの文学全集を読んでいた記憶があります。だから、ほとんど生まれて初めて、絵本というものを読むことになった訳ですが……
作者が曲者だからなあ。初めての絵本がこの作品であることで、絵本に対して何か間違った理解をしてしまいそうで、ちょっと怖いです。
だいたい、なぜサンタさんが来るのに、大人たちが恐怖をあらわにしながら、靴下を隠させるのか? ああ、そうか。こんなことをいちいち考えること自体が、ワナなんだな。と、勘ぐりながら読んでいる自分は、すっかり子供の心を無くしてしまいましたっ。
世の中には説明なんて付けずに、あるがままに読めばいいタイプの作品があるってことです。絵本無しに育った子供は、そういうことに気付かず、ダメな大人になりました。反省します。 |
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ZOKU
【光文社】
森博嗣
定価 1,575円(税込)
2003/10
ISBN-4334924085 |
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評価:D
ヤケクソ気味に金を持っているブルジョアが、しょうもないことに湯水の如く金を使う。その使いっぷりのバカバカしさをネタにするというのは、コミックやゲームでキャラを立てるための定番です。
従って、このネタを使うには、あえてそれを使うだけの勇気か、あるいは、今まで誰も思いつかなかった新たなアプローチを生み出す才知が必要となります。この作品は、前者です。よくぞここまで定番を貫いてくれました。その勇気は賞賛に値します。
世間を騒がせはするけど、深刻に迷惑になるようなことはしない。そんな力加減で壮大な悪戯を仕掛ける謎の組織「ZOKU」と、彼らに対抗するために作られた「TAI」。二つの組織の対決は、回を追うごとに無意味さを増してゆき、遂に最終話では……
小林信彦さんの「唐獅子」シリーズを髣髴させる決着が、どこか懐かしかったです。ただ、笑いに徹しきれず、どこかスタイリッシュであろうとする向きが感じられ、スカしてらあ、と思う個所がまま見られたのが残念でした。 |
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アヒルと鴨のコインロッカー
【東京創元社】
伊坂幸太郎
定価 1,575円(税込)
2003/11
ISBN-4488017002 |
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評価:B
知らない街に初めて行く時の、目的地にたどり着くまでの時間って、妙に長く感じますよね。あれはやっぱり、未知の状態に対するとまどいによって生じる感覚なのでしょう。何が起こっているのか全く分からないまま、ストーリーをたどっていかなければならないタイプのミステリでも、同じようなことがあると思うんです。この作品が、まさにそれ。
現在と2年前の出来事が互い違いに語られていく中で、2年前の方は、まあまだしも何が起こっているのかが分かりやすいのですが、現在の方は、冒頭から突拍子もないことをもちかけられた語り手が、その行動の意図を探って試行錯誤するさまが、まさに初めての道をたどる不安を読者にも共有させるのです。ほんとに目的地にたどり着けるのかなあ、と。
現在と2年前が合流する地点、そこが目的地です。物語の終着点に到達した時、タイトルの意味がかちっ、とはまります。着いてよかったなあ、ここに、と思える作品。 |
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天使と悪魔(上・下)
【角川書店】
ダン・ブラウン
定価 (各)1,890円(税込)
2003/10
(上)ISBN-4047914568
(下)ISBN-4047914576 |
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評価:A
闇に消えた秘密結社「イルミナティ」が、積年の怨恨を晴らすべく、歴史の表舞台にその不気味な姿を現すオープニングから、ぐいっと引き込まれてしまいました。
数マイル四方を消し飛ばしかねない反物質と、誘拐された次期ローマ法王候補たちの行方を突き止めるべく、「イルミナティ」の暗号をたどってヴァチカン市国内を走り回らされるのは、宗教学者・ラングドン。彼も、朝起きた時には、自分がこんな1日を過ごすはめになろうとは思ってもみなかったろうに……
息もつかせぬアクション、二転三転する真相。娯楽作品としても一級の出来ですが、科学と宗教の対立と融和という、人類がこれからもずっと抱えてゆくだろう課題への一つの回答をも示唆する大作。
こんなゲームで遊んでみたいです。各社の皆様、企画の検討をお願いします。と言うより、いっそ自分が企画書を作りたいくらいの気分になりました。 |
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文学刑事サーズデイ・ネクスト1
【ソニー・マガジンズ】
ジャスパー・フォード
定価 1,890円(税込)
2003/10
ISBN-4789721388 |
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評価:B
本の中の世界に自在に入ることができるとしたら、あなたはどの本に入って、何をしたいですか? 私はもちろん、たいした理由も無く殺されてしまう美少女や別嬪さんを守りたいと思います。ミステリでそれやったら、そもそも作品が成り立ちませんが……
この程度のささいな出来心ならともかく(おいおい)、この作品に登場する大悪党・ヘイディーズの企んだ計画の凶悪さは、世界の文学界を恐怖のどん底に陥れるものであります。副題にもあるように、奴の標的は、かのイギリス女流文学屈指の名作「ジェイン・エア」。一人称小説であるが故に、主人公にちょっと干渉しただけで、作品世界が大変なことになってしまう、という展開に爆笑。はたして、女刑事サーズデイは、かつて愛読した作品を守ることができるのか?
ミステリや純文学の小道具を要所要所に散りばめつつ、一気にクライマックスに雪崩れ込む。その勢いに、うっとりしました。続編が待ち遠しいです。 |
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