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三枝 貴代の<<書評>>


古道具 中野商店
古道具 中野商店
【新潮社】
川上弘美
定価 1,470円(税込)
2005/4
ISBN-410441204X
評価:B+
 骨董店ではなく古道具屋。そういった店である中野商店に勤めるヒトミとタケオ、店主の中野さん、その姉のマサヨさん、店のお客たちの、恋愛にまつわる話の連作短編集。
 現在大量に出版されている恋愛小説はだいたい二種類に分かれていて、一つは二人はくっつくのかどうかということが興味の中心となる物語、もう一つは二人の関係はかぎりなく強いのだが病気などで引き裂かれるという悲劇で、いずれにせよかなりドラマティックなものです。しかしこの連作集はどちらのパターンとも微妙に違います。つきあいだした二人の関係が年月にともなってどう移り変わってゆくのかを主に描いたもので、かなり地味。しかし実際の恋愛はこの作品集で描かれたように進行するものなので、この本の方が実施の際に参考になるものと思われます。なによりもものすごく巧いので、読んで損はありません。強力におすすめします。
 ただ、こういう普通の小説は川上弘美でなくても書けるのだから、川上弘美には川上弘美にしか書けない小説を書いて欲しいなあと思うのは、わたしのわがままでしょうか。

象の消滅
【新潮社】
村上春樹
定価 1,365円(税込)
2005/3
ISBN-4103534168
評価:A
 村上春樹を初めて読みたいのだけれど、何を読んだら良い? と、誰かがわたしに訊ねてくれたならば、わたしはきっとこう答えるはずだ。『風の歌を聴け』がいいよ、と。
 こう言ったならばたいていの作家さんが嫌がるし、きっと村上さんも嫌がるだろうけれど、わたしは村上春樹の作品は、近作よりも初期の作品の方が好きなのだ。初期の村上春樹は、流れるようにではなく訥々と語り、含羞からかほとんどセックスについては話さず、若々しく、村上先生というよりまさに村上くんといった風情だった。それは、村上春樹より年下のわたしにとって、いつでも、より自分に近しい作品であるように思える。
 優しく、生活の生臭さからは遠く、幻想的で、奇跡のように素晴らしい翻訳者を得たどこか外国の作家であるような錯覚さえする初期の村上春樹。日本初の逆輸入小説集に、これほどふさわしい作家もいないだろう。
 これからは、初めて村上春樹を読む人にすすめるべき本として、この本を選んでも良いかもしれないと思うのだ。

カギ
カギ
【集英社】
清水博子
定価 1,785円(税込)
2005/4
ISBN-4087746976
評価:A
 35才の姉とその3才年下の妹の日記のみで構成された小説です。妹の日記はインターネット上に公開され、姉の日記はディスクの中に密かに書き溜められているという設定。妊娠したのを期に結婚した妹は、夫の収入に不釣り合いな贅沢な暮しを夢見ています。生まれた子供は姉の夫が引き取るはずだったのですが、彼が亡くなって1年、姉は遺産で優雅に一人暮らしをし、子供は姉妹の両親が育てています。姉妹のいずれも子供を引き取るつもりはないし、世話をする能力もありません。妹は姉の暮らしをうらやみ、姉がお金のために義兄を殺したのだと信じ込み、やがて――。
 非常にパロディ的な要素の高い、コラージュ型の、前衛芸術的な作品です。本気か? と疑うような著者近影写真まで含めて、徹底的に作り込まれ、計算され尽くした、ぞっとするお話。宙に浮いたような終わり方といい、読者の好みに大きく左右されるでしょうが、好きな人は大変好きではないかと思える、皮肉で批評的な、ひねった小説です。

オテル モル
オテル モル
【集英社】
栗田有起
定価 1,575円(税込)
2005/3
ISBN-4087747468
評価:B+
 卑近で現実的な問題とファンタジックな幻想とがマーブル模様に絡み合った、奇妙に魅力的な物語。
 希里には双子の妹・沙衣がいて、希里のかつての恋人・西村は沙衣との間に娘をもうけて結婚した。だが沙衣は、薬物中毒で入院していて、今は家にいない。まさに昨年のベストセラー『真夜中の五分前』を思わせる設定だ。しかし希里は、あの作品のヒロインのようには思いを残さない。そっくりの双子であれ一方が選ばれたならば、その理由がなんであっても、残された方は新しい相手を捜して歩みだすほかないのだ。希里は就職のためにオテル・モルを訪れた。
 辛い思いに耐え、ふらついても自分の足で歩こうとする勇ましい彼女だからこそ、このすばらしいホテルに癒されるにふさわしく思えてくる。なんて魅力的なホテルだろうか。うちの町にも一軒欲しい。

告白
告白
【中央公論新社】
町田康
定価 1,995円(税込)
2005/3
ISBN-4120036219
評価:AA
 初期の町田康の小説を、どうしても読むことができませんでした。冗談めかした文体で、半分冗談みたいな日常生活を描かれれば、いったいそういった話を読む意義はどこにあるのかと、自問してしまうのです。ところが、町田康の人生相談回答は大変に面白かった。つまり町田康は、いいかげんな話をいい加減な文体で書くだけでなく、ものすごく悲惨なこともいい加減な文体で書く人だったのです。その冗談めかした文章は深刻なことを書くときにこそ魅力的であり、日常会話に近い音楽的なリズムは非日常的なことをこそ美しく浮かび上がらせます。
 書き下ろしフィクションとしては前作にあたる『パンク侍、斬られて候』から、町田康の小説テーマは日常生活を離れ、その文体を本当に生かすことができるジャンルへと進出することに成功しました。明治時代の大量殺人犯を描いた本作は、生活に密着した地に足がついた言葉で、想像もつかないような暗闇を、異様な迫力で描きだします。読めば誰もが圧倒されるみごとな大作です。

さくら
さくら
【小学館】
西加奈子
定価 1,470円(税込)
2005/3
ISBN-4093861471
評価:D
 一人の人間が死ぬことによって崩壊した家族が、一匹の犬の危機によって再生する物語。
 こういった、稚拙な、子供っぽい文章で書くことが、最近はやっているのでしょうか。最初はその文章に微笑ましさも感じましたが、だんだんと、いくらなんでも幼すぎるのではないかと不安になりました。子供の作文を読まされてもねえ。作者も、もうかわいいって年じゃないでしょうし。「豹が一頭寝そべっていても家族の靴を置くことができた」なんて書かれてもですね、そんな実感のないたとえを本気で書いているのかどうかと訊ねたいのですよ。小一時間。じっくりと。
 ぶりっこ。しかし、この作家さん、本当に芯から幼いのかもしれません。美しくなくなった男女は性交しなくなるとか、顔が醜くなって傷つくのは美しい人に顕著な事件だとか、本気で信じているようすです。その場合、貴重な個性だし、好きな方もいらっしゃると思いますが、わたしはつきあいたくありません。

半島を出よ(上下)
半島を出よ(上下)
【幻冬舎】
村上龍
定価 上 1,890円/下 1,995円(税込)
2005/3
ISBN-434400759X
ISBN-4344007603
評価:B
 野蛮、である。
 近未来小説と銘打たれたこの小説は、年号に伏せ字が採用されない。一番最近の日付は、実に2007年春である。近も近、わずか2年後。普通の作家ならば、自分が手間暇かけて書き上げた作品の寿命をできるだけ伸ばそうと、そんなおそろしい日付は採用しない。その迫力だけで、龍先生に頭を下げてしまいそうになる。
 上巻、突っ込みどころはいくらでもある。戦争でも亡命でもなく発生した大量のホームレスがある社会で、少なくとも家賃のインフレだけは起こらないだろう、だとか。預金を凍結するより消費税をもっと上げる方が先だろう、だとか。しかし作家の、日本人は平和ぼけだ、この平和がいつまでも続くはずがないという、怨念にも近い主張が、ごうごうとした風圧をもって吹き寄せてくるのだけはしっかりと感じられる。この迫力には誰もが圧倒されるほかないはずだ。さらに、政治批評が主な上巻から一転、下巻は暴力に満ちあふれたエンタテインメントとして非常に面白く読ませてくれる。タイムリーなテーマといい、ベストセラーになるのももっともだろう。
 村上龍、あいかわらず利口なのか馬鹿なのかわからないお人だが、乱暴で度胸があることだけは確かである。

泣かない女はいない
泣かない女はいない
【河出書房新社】
長嶋有
定価 1,470円(税込)
2005/3
ISBN-4309017053
評価:B-
 中編と短編各1からなる作品集。
 表題作(中編)は、三十才前後と思われる女性が、配送会社のOLとなってから、仕事を辞めようと決意するまでのお話。東京に近すぎるために過剰に田舎的な雰囲気のする舞台として大宮を選ぶあたりは素晴らしく適切です。しかし主人公が惚れる男は上からの声として登場し、最初に印象に残る行動が蛇からみと、フロイト先生に相談するまでもないわかりやすさ。彼女が、カラオケで中森明菜を歌ったあと、泣いたことがないことに気づいたりする親切設計も、ちょっとやりすぎでしょう。色々事件があっても、方向性とスピードは一定で、格好良い男はどこまでも格好良く、尊大な男はいつまでも尊大です。この平板さならば、中編ではなく短編の方が良かったのではないでしょうか。ただ、下手な書き手ならばあと1行最後に書いてしまったところを、よく書かずに我慢したなと思います。
 にしてもこの作者さん、趣味が悪いなあと思ったところで、次の作品のタイトルが「センスなし」。ははは。充分わかったうえでなさっているのですね。参りました。お見事。でも、センスが悪いことを世代のせいにしちゃ、ダメっ。

オルタード・カーボン
オルタード・カーボン
【アスペクト】
リチャード・モーガン
定価 2,940円(税込)
2005/4
ISBN-4757211295
評価:B
 ミステリSF。このジャンルでは定番である、殺人あるいは自殺が無意味である世界におけるホワイダニット。
 密室トリックかもと思わせる要素もあって、ハードボイルドとしてはなかなか読ませてくれます。孤独なアウトサイダーはあくまで格好良く、謎の女はどこまでも魅力的。文章もハードボイルドの伝統にのっとっていて、タイトで粋です。かっこいい。
 しかしSFとしては、人格がデジタルデータに還元される社会において個人識別がいまだにDNA利用であったり、引退後まともな再就職先のない職業にすぐれたプロフェッショナルが集まったりするあたりの矛盾が、論理的でないと言えば論理的でないわけで、SFの人は嫌うのかもしれません。わたしはてっきり、その矛盾点が謎解きにかかわるのだろうと思い込んで、別の回答を想像し、みごとにだまされたのでした。

ナターシャ
ナターシャ
【新潮社】
デイヴィッド・ベズモーズギス
定価 1,785円(税込)
2005/3
ISBN-4105900463
評価:B
 ユダヤ系ロシア人。書くだけでなんだか悲惨なイメージではあるが、噂されているほど迫害されていたわけでもないようだ。だが彼らはロシアを捨て、さらにイスラエルを捨てて、カナダに移民した。英語はろくに話せず、親族と離れ、ロシアではそれなりの専門職についていたのにメイドや工場労働者の身分になってまで。
 自分たちには犬しかいないと信じる夫婦。金のために娼婦同然の生活をおくる娘達。賄賂を送る生活に馴染んでいたせいでシステムの異なる国に移っても賄賂を送るしか生活の改善方法を思いつかない人々。ロシアに帰るべきか、とどまるべきか。いつ、自分たちの暮らしは破綻するのか。淡々と、染み込むように、哀しみが綴られ、やがてその哀しみは連作を一つのトーンに染めて、不安や不幸は特別なことではなく、そこで生きる以上当然の前提であるかのように感じられるまでに順化されてゆく。
 弱くて不運だからこそ、挫折も屈折も、謙虚で真摯な美しさに満ちている小説だ。