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林 あゆ美

林 あゆ美の<<書評>>



輓馬
輓馬
【文藝春秋】
鳴海 章
定価620円(税込)
2005/11
ISBN-4167679639
評価:★★★★
 事業に失敗し家庭も壊れ、借金だけを山のようにこさえて行くあては――。離れて暮らしてからはほとんど頼ったこともない、輓馬の調教師をしている北海道の兄のところだった。
 輓馬は2、3度見たことがある。物語でも描写されている通り、一直線200mのコースを重い荷物を載せた馬が障害物を2つ越える。がっしりした馬がゆっくりゆっくり進む。はじめ見たときは、あまりのゆっくりさにこれでもりあがれるのかと思ったが、自分でも馬券を買うと、おのずともりあがり大声で馬を応援した。この輓馬の裏で調教師たちが過酷な世話をしていることを、遅まきながら本書を読んで知った。その地味で過酷な仕事を、矢崎は兄のもとに居候するかわりに手伝うのだが、馬に妙になつかれる。そして馬と生活するうちに矢崎の内面に変化がおとずれる。大きな変化に見えるそれが、自然な流れの中の小さな変化にも見えてくる。人が変わるのは、変わろうと思った時ではないかもしれない。私もまたあの輓馬を見ることがあるだろうか。

本格小説
本格小説 上下
【新潮社】
水村 美苗
定価上巻820円
下巻740円(税込)
2005/11
ISBN-4101338132
ISBN-4101338140
評価:★★★
 上下あわせて4.5cm ほどの厚み。そう、長い小説なのだ。疲れていたりするととても読みたいと思えるような長さではない。長い物語はどこから展開がはじまるのか、冒頭でもたもたしてしまうと、なげだしてしまいたくなる。しかし……と、前置きがこの小説のはじまりのように長くなったが、これは非常に読みやすい長い小説だ。ニューヨークで「私」の家族が出会った会社お抱え運転手がその後、大金持ちになる。「私」は小説家として身をたてるようになったとき、運転手の過去をひょんなことから聞かされ、小説の題材にする。それがこの小説。それぞれ登場する人物たちのひょうひょうとした会話から、昭和の軽井沢が浮かび上がり、時代に残っていた階級社会をも見せてくれる。時折、写真が挿入され、文字ばかり追っていた目がびっくりする。土地の風景写真が挿入される効果で、小説はリアリティを強め、読み手はすっぽりと小説世界に身をつつむのだ。濃い感情が行き交い、小説家が小説らしい題材を得たと書きだしたことに合点がゆく。

真剣

真剣
【新潮社】
海道龍一朗
定価940円(税込)
2005/11
ISBN-4101250413

評価:★★★★
 戦乱の世に、2人の師匠につき新しい兵法を具現した漢(おとこ)の生涯が書かれた長編小説。
 女の私が読んでいると、まさしく漢だと思う。これは単純に男らしさとは少し違う。男のもつ精神性が、かつて女のもつものと決定的に違っていたのが、この時代だったのではないだろうか。「己を律する心。漢としての魂。そして、武人としての求道」、これらを研鑽して、兵法を極めるのが、上泉伊勢守信綱だ。
 信綱は兵法を通して、芯の太い漢になっていく。人をそこまで成長させる兵法とはどんなものなのだろう。修行を重ねることにより、己が解きほぐされ、自由な発想を生み出していく。極めることの強さと美が人間を通して書かれている。
 筋の通った生き様にため息が出た。時代小説といえば、少々固い文面を想像したのだが、予想外の情景描写の詩的さにあれと思ったところ、あとがきを読んで著者が詩を書いていることを知り納得した。それにしても、兵法の強さを読むとなよなよしている自分の精神性が情けなくなるが、本からもらったエネルギーを何かに生かさなくては。

つきのふね

つきのふね
【角川書店】
森 絵都
定価460円(税込)
2005/11
ISBN-404379102X

評価:★★★
 この作者の本は全部読んでいる。デビュー作からじわりじわりとうまくなり、この『つきのふね』を読んだときに化けたと思った。いやになるくらい、上手に気持ちを言葉にのせているのだ。
 主人公さくらは中学生。友だちを無くしたくはないけれど、かといって親分にあやつられるように万引きを繰り返すのはもっといやだ。だからグループから離れ、ひとりを選んだ。大丈夫、さくらには智さんがいる。でもその智さんも……。
 人とは群れていた方が楽なはず。ひとりを選ぶ方がずっと山あり谷ありの道を歩まなければならない。その大変な方を選んだことからして、さくらは意志が強く優しい。作者は、若者のいばら(?)の道を少しだけ上品に描く。どろくささがないとはいえ、リアリティは失っていない。悩みのない青春なんてない、と思う。でも求めていれば、助けの手はどこかにあるのだとも思う。そう信じられるラストの一文がいい。

いつか記憶からこぼれおちるとしても

いつか記憶からこぼれおちるとしても
【朝日新聞社】
江國 香織
定価500円(税込)
2005/11
ISBN-4022643544

評価:★★
 人の生き方には幅があり、お金をもっている人とそうでない人は雲底の差がある。江國香織さんが描く世界は、とりあえず表面的には恵まれているけれど、精神的にはそうではなく見える。
 本書は6つの短編がおさめられ、そのいずれも10代の女子高生の心が描かれている。その年齢だからこそもつ独立心と孤独と残酷さ。そういうのを描かせたら江國さんはとっても上手だ。スノッブになりすぎないようぎりぎりなところでとどまり、親しみやすい言葉をとりまぜながら、屹立した世界。この世界にはまれないと、どうしてこの本を読むのかしらという気持ちになってしまう。なので、こういう世界にひたりたい時と意識的になった時が読みどきなので、それをはずすとちょっと足踏みしてしまう。

青空感傷ツアー

青空感傷ツアー
【河出書房新社】
柴崎 友香
定価494円(税込)
2005/11
ISBN-4309407668

評価:★★★
 今年はたっぷり本を読んだ。本を読めば読むほど、小説にはいろいろな書き方があるのだとあらためて思う。この本でもそう感じた。
 文体は全部が話口調ではないのにも関わらず、この物語を読んでいるとずっと友だちと長電話し、それもずっと聞き役でいた気分だった。何かおこった時のことをずっと語るとなると、それはひとつの物語のように長いものになると思う。それをただ「うんうん」とうなずくだけの聞き役でも飽きずに最後まで聞けた(読めた)ということは、それは小説のもつ力なのだろう。
 自ら美人と認めるわがままな女友だちに言いなりになっているのが、主人公。その女友だちにひきずられるように、大阪からなんとトルコ、四国、石垣島まで旅行するのだ。適当に男友だちも呼びつけたり、かと思えば置いてけぼりのように男友だちにさよならしたり、気の向くままの旅が連なっている。ただそれだけのことが、ただそのように書かれていて、読ませる小説になっていた。


凍れる森

凍れる森
【講談社】
C.J. ボックス
定価820円(税込)
2005/10
ISBN-4062752190

評価:★★★
 猟区管理官ジョー・ピケットは、エルクの大量殺戮の現場に居合わせハンターをつかまえようとするが……。
 エルク殺戮で幕を開けた事件は反政府グループを巻き込み、対する政府側も傲慢で好戦的、ジョーはその中で人間としてどうするべきかという、ごくあたりまえの感情で事件に対処していくが、なかなか事はうまく運ばない。
 事件の結末としてすこし強引なところはあるが、ピケット一家の暖かさが物語にいっかんして流れ、それが読後感をよいものにしている。
 個人的にちょうどこの本を読んだ時に外は吹雪だった。なので、本書の状況に近しさを覚え、季節的にはぴったりの読書だとすいすいページを繰る手がはかどった。家の中に閉じこめられるような吹雪は読書にピッタリなのだ。
 

魔力の女

魔力の女
【講談社】
グレッグ・アイルズ
定価1140円(税込)
2005/11
ISBN-4062752344

評価:★★★
 なんとも魅惑的な表紙につられて手にとった読者もいるのでは。
 物語は、その表紙からただよう魅力そのものの女性が登場する。しかし、その女性の正体がこのサスペンスのキー。
 ジョンは妻とひとり娘の3人暮らし。結婚以来、一度も妻を裏切らずよき夫だったジョンがある時、見知らぬ女性から「もうすぐね」とささやかれる。その言葉の意味は……。
 ありえない!と思いながらも、ぐいぐいひきこまれ結末を知りたくて一気読みした。理屈ではない状況下でおきていることなのに、夫婦だけがそれを理解する様は感動してしまう。ありえないと思いつつも、もしこんな状況におかれたら、自分は夫を信頼できるだろうかと、しなくてもいい想像までしてしまった。ともあれ、セクシーで濃密なサスペンスを描きつつ、夫婦の強い絆と愛をも描いていて読ませる一冊だ。
 
 

パ−トタイム・サンドバッグ

パ−トタイム・サンドバッグ
【ランダムハウス講談社文庫】
リーサ・リアドン
定価840円(税込)
2005/11
ISBN-4270100168

評価:★★★★★
 なんて書いたらいいのか言葉がみつからない。帯にも引用された冒頭がなにより、本書をよくあらわしている。
 「彼らがみた、あれほど若くも愚かでもなく、怯えてもいなかったなら、どんなにちがう人生があっただろう」
 チャーリーは、兄であるP・Tと祖父オールド・ジェリーと3人で暮らしている。両親はすでにいない。しかし祖父が亡くなってしまい、兄弟はより支え合う必要がでてくる。しかしそのために選んだ道とは――。
 痛くて切なくて苦しい。でも重いだけの話ではない。家族が家族を思うこと、その強さはどこからでてくるか。チャーリーが兄を支えること、兄がチャーリーを支えること、そのかけがえのない優しさに打ちのめされた。しかし、優しいがゆえに愚かになり、その愚かさは、冒頭の引用からいくと若さもあったのか。
 読了後、タイトルがまた痛さをそそる。

塵よりよみがえり

塵よりよみがえり
【河出文庫】
レイ・ブラッドベリ
定価714円(税込)
2005/10
ISBN-430946257X

評価:★★★★★
 四千年のかなたから聞こえてくる声、そして雷鳴が叫ぶ「はじまれ!」
 不可思議で雰囲気たっぷりのブラッドベリを堪能できる短編連作集。表紙のチャールズ・アダムスがその不気味さともども物語の空気にぴったりあっている。
 魔力をもった〈一族〉が丘の上の屋敷に集う。“ひい”が千回もつくおばあちゃんに、普通の人間の子どもであるティモシーが話をねだる。大いなる夜、一族が世界中からやってくるそのはじまりを、ティモシーは聞きたいのだ。ワインで唇をぬらしたおばあちゃんが、「さて」と語り始める。
 あぁ、ブラッドベリだ。ぞくりとさせたあとに、なつかしいようなノスタルジーがよびおこされ、そう思ったら、もう物語にひきこまれている。ブラッドベリが子どもの頃、ハロウィーンの季節に祖父の家に集った親戚たちから物語のかけらを受け取った。そのかけらがとけて熟成され形を成すのに要した時間が55年。豊饒な物語を堪能したい。