年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班
久保田 泉

久保田 泉の<<書評>>



輓馬
輓馬
【文藝春秋】
鳴海 章
定価620円(税込)
2005/11
ISBN-4167679639
評価:
 この小説を読んでいる間、実に自然な、好感のもてる清々しい文章だなと思いつつ読んだ。主人公は事業に失敗して借金取りに追われる男、矢崎学。学が捨てた故郷北海道の長兄が営む矢崎厩舎に転がり込む。長兄は一家の大黒柱として、末の弟の学を大学までやり、自分は婚期を逃したままだから、学は恩をあだで返すようなものだ。学は田舎を嫌い、都会で金と見栄に振り回された挙句、落ちぶれて故郷に逃げたのだ。そして兄とのわだかまりも、厩舎で働くうちに互いに消えていく。個性的な厩舎の人々や、なぜか自分を認めてくれた馬のウンリュウとの出会いの中で、未来に希望も持ち始める。こうやってあらすじを追うと、一人の男が挫折から自分らしく生き始める、という通俗的な話に思えるが、この小説は実に初々しいのだ。文中、長兄が「馬はよ、曇りのない鏡さ」というセリフがある。鳴海章の書く小説もまさにそう。今後が楽しみな、地に足が着いた作家だとも思った。

本格小説
本格小説 上下
【新潮社】
水村 美苗
定価上巻820円
下巻740円(税込)
2005/11
ISBN-4101338132
ISBN-4101338140

評価:
 分厚い上下巻は、いざ読み始めたら大長編の不安は雲散霧消し、本格小説の世界にどっぷり浸かっていた。この長さで一気読みも全く苦にならず。冒頭、著者がこの小説に着手する前の長い話、とした序章から、実話なのか虚構なのか分からない雰囲気も魅力になっている。登場人物や背景、まだ階級社会が残る戦後の昭和という時代、ニューヨークに軽井沢という舞台もこれぞ小説の王道!で読み手の血が騒ぐ。アメリカでお抱え運転手から億万長者になった謎の男、東太郎の幼少期から現在までの人生を、特別の想いを抱き彼を見守った冨美子の語りで描く。両親もおらず、伯父一家に苛められ育った貧しい太郎と、隣家の裕福な一族の娘、よう子の許されざる恋。幼く孤独だった太郎のよう子への愛情は、一種の狂気を帯び一族と共に翳りをおびながら生きながらえていく。夏の霧、雨、苔むした別荘地、それらを覆う木々が枯れ、浅間を見渡す冬も含め、軽井沢という土地はよほど物語を生む磁力が強いのだろう。本格という言葉がふさわしい大作だ。


真剣

真剣
【新潮社】
海道龍一朗
定価940円(税込)
2005/11
ISBN-4101250413

評価:
 表紙の副題に、新陰流を創った男、上泉伊勢守信綱とある。う〜む出たな、乱世だ、兵法に生きる男の世界だー。なんか先月にもあったなあ。しかし男性作家が書くと、また全くアプローチの仕方が異なり、臨場感あふれるドキュメントを見てるみたいに、思わず引き込まれる場面が多い。基本的に戦いのシーンというものに血湧き踊らない私だが、信綱が鹿島の松本備前守の下の修行時代に、三日三晩いつ現れるか分からぬ何十人の刺客と、たった一人でぼろぼろになるまで闘うシーンは唸ってしまった。すっ凄い修行だ。私はもう一人の師匠、元海賊という飄々とした移香斎との修行の方が、風変わりな修行と師匠の人間臭さが面白かった。しかし私が一番興味深く読んだのは、阿呆舟の途方と題した著者のあとがき。精魂込めた長編を読んだ後だから尚更なのだが、真剣が産まれるまでの道程こそが、まるで小説みたいだと感心した。大人物の奥さんのためにも、この小説が多く読まれ、売れて欲しいと切に願う。

つきのふね

つきのふね
【角川書店】
森 絵都
定価460円(税込)
2005/11
ISBN-404379102X

評価:
 森絵都の作家としての才能と、職人的な物語を紡ぎだす姿勢は、今さら私が言うまでもなく信頼できるものだと思う。本著は傑作「DIVE!」の前に書かれた中学生のさくらの憂鬱を軸にした物語だ。そもそも憂鬱じゃない中学生なんているんだろうか。森絵都の描く中学生を読むと、自分も一瞬中学生に戻れた気がする。遠い昔の心の底が透けて見える気がする。森絵都の小説にはそういう力が確かにある。さくらの冒頭のセリフがつくづくいい。親友の梨利を裏切ったことを悔やみ、すくすく伸びろと強要する学校に疲れ、しみじみ植物がうらやましいさくら。このさくらの心情のリアルさといったらない。植物は間違わないが、人間は常に間違うのだ。宇宙船で人類を救う妄想と生きる智さん、同級生の勝田君、不良グループに引きずられる梨利、放火事件。物語はどんどん加速し、不穏に進んでいく。そして最後に、幼かった智さんの静かで感動的な手紙へとたどり着く。ちなみに、解説にあるYH文学は森絵都同様、みなお勧めです!

いつか記憶からこぼれおちるとしても

いつか記憶からこぼれおちるとしても
【朝日新聞社】
江國 香織
定価500円(税込)
2005/11
ISBN-4022643544

評価:★★★★
 江國香織らしさが、たくさんつまった一冊。短篇は、彼女の物語の持つ雰囲気と魅力を一層際立たせる気がする。都会の、経済的には恵まれた子女の多い私立の女子高校に通う、女子高生たち。若い彼女たちの日常と、ときには鋭利で、あるときは老成したような彼女たちの心が混ざり合い、甘くてほろ苦い六つの物語が紡がれていく。彼女たちは、親をはじめとする、自分たちのまわりのすべてとの距離感をはかりかね、同時に、そんなことは分かりきっていて、途方にくれているみたいに思う。取り分け彼女たちが、同性として、母親を見つめる目は鋭い。“ママはお金をつかうのが大好きだ。お金をつかうのは、ママの復讐なのだと思う。幸せじゃないから。”そして彼女は、ボーイフレンドからの他愛もない贈り物が嬉しくて、嬉しいほど自分の孤独を知ることになる。著者はひらがなを文章で実に効果的に使う。彼女たちの幸福と不幸を通し、あざやかな江國節がこぼれ出す物語。

青空感傷ツアー

青空感傷ツアー
【河出書房新社】
柴崎 友香
定価494円(税込)
2005/11
ISBN-4309407668

評価:★★★
 主人公の芽衣は、三年勤めた会社をやめる。そんなとき、突然昔の友だちで、超が三つくらいつくような美人、かつ超ゴーマンな音生から電話がかかってくる。彼氏に女がいた、と怒り狂う音生の傷心と憤怒に完全に仕切られながら、遠くに行こうと言う彼女の言葉に乗っていく。なぜかしょっぱなはトルコだ。関西弁でポンポンと繰り広げられる、女二人の文句が多い会話は、何もトルコくんだりまで来てしなくてもいいようなバカバカしさで笑える。傷心旅行?の合間に音生が男友だちを傍若無人に振り回す。お次は四国で、芽衣はかつて失恋した相手と再会する。そして次はなぜか石垣島だ。芽衣と音生をはじめとする、登場人物たちがテンポよくかわす会話が作品の魅力だ。芽衣を取り巻く現在も未来も現時点では、全然前途洋洋じゃない。でも何をしようが考えようが、毎日はなんだかんだとしゃべくりながら能天気にも過ぎていく、それが本当なんだよ!という話だと思った。


凍れる森

凍れる森
【講談社】
C.J. ボックス
定価820円(税込)
2005/10
ISBN-4062752190

評価:★★★★
 これは思いがけず引き込まれ、テンポ良く面白く読めた。まず主人公が馴染みのない、猟区管理官というのが、かえって新鮮で興味をそそられた。雪深い広大な大自然や生きものが暮らす場所で、人間が犯す生々しい事件が起こるのが、帯にあるようにまさに現代のウエスタンという感じ。ウエスタンらしく、過剰な修飾語とは無縁で、骨太な文章は不自然な日本語でもなく読みやすい。冒頭で、主人公のジョーはエルクの大量虐殺に遭遇する。動機も分からぬ知己の犯人は、何者かに殺されてしまう。事件の犯人として、最悪の女性役人やFBI捜査員は国有林の一部を占拠する独立市民に目をつける。しかしそこには、ジョーの養女で、産みの親に連れ去られたエイプリルがいる。物語は事件を追う管理官のジョーと、父親として愛する娘を奪還したいジョーと家族の苦悩の両輪を軸に、緊迫したまま展開していく。上司が同情の余地なしの悪役なのと、その裁かれ方はいかにもアメリカ的ではあるが、それもまたよしかと思う。

魔力の女

魔力の女
【講談社】
グレッグ・アイルズ
定価1140円(税込)
2005/11
ISBN-4062752344

評価:
 この話もまた、引き込まれ度はかなり高い。意味ありげな、巻頭の読者への著者の献辞が読了後、しみじみ身にしみて怖い。親友と二人で、石油会社を経営する妻子ある41歳のジョンに、ある日セクシーな美女が接近する。彼女は十年前に殺された恋人のマロリーしか知りえない事実を次々口にする。彼女とのセックスに溺れていくジョン。しかし彼は、相次ぐ流産から憂鬱症になって以来、心も体もすれ違う妻リリーとの問題を抱えている。果たして、死んだはずの恋人の魂は本当に不滅なのか、それとも誰かの陰謀なのか。マロリーの存在を信じればゾッとするホラー色の強いミステリーとして堪能できるし、陰謀ならサスペンスタッチが増してくる。すべてはジョンの妄想という見方も可能だ。常軌を逸した話とは思わないが、読者の読み方によって様々な恐怖を味わえるのは、稀有な話だ。ラストもすっきり解決はせず、未知なる恐怖は続き、新たな想像力を生む。ラスト近くでリリーが、マロリーの魂を腫瘍みたいなものと形容したのには拍手。女は強くて怖い。

パ−トタイム・サンドバッグ

パ−トタイム・サンドバッグ
【ランダムハウス講談社文庫】
リーサ・リアドン
定価840円(税込)
2005/11
ISBN-4270100168

評価:
 舞台はアメリカのミシガン州。時代は1967年から1970年の三年間。長年の自殺願望のある祖父を、知的障害のあるP・Tが殺してしまう。兄の罪を弟のチャーリーがかぶった事件から、兄弟と彼らの周りの人々の物語が動き出す。チャーリーは懲役か兵役の選択を余儀なくされ、親友のジーノも徴兵され、ヴェトナムへ送られる。無事帰還するが、ジーノは薬物中毒、チャーリーも戦争で空いた喪失感が消えない。私はこの時代に生まれていたものの、幼すぎてリアルタイムな記憶は全くない。この小説を読み、戦争に巻き込まれ、生きて戻ったものの混沌と絶望感に満ちたヴェトナム帰還兵の想いを感じた。P・Tが二度目に犯した殺人で、ジーノはP・Tにチャーリーが罪をかぶり実際に行っていた場所を教える。二度とこんな所にチャーリーを送れないのだと。チャーリーを救ったジーノは誰にも救えなかったラストが辛い。ジーノがつぶやくレッドネックとは、戸外の労働で赤く日焼けした首のこと。リアドンの描くレッドネックへの視線が温かいことに救われた。

塵よりよみがえり

塵よりよみがえり
【河出文庫】
レイ・ブラッドベリ
定価714円(税込)
2005/10
ISBN-430946257X

評価:★★★★
 何とも形容しがたい不思議な物語。例によって翻訳ものと縁遠く、この大御所の作品も初読の私。まっさらな気持ちで、ファンタジーの世界を愉しみ、解説を読んでなるほどと感心し、うなずく。イリノイ州の田舎の小高い丘に建つ一軒の館。そこは不思議な魔力を持つ、「一族」が集まる場所だ。そこで、たった一人拾われた人間の子供のティモシーが、祖母の話を聞き始めようとしている。祖母と言ってもそこは魔物、ささやきは4千年の時を越えて語られるのだ。ハロウィーンは、世界各地に散らばる家族が集まる日だ。翼のはえたアイナーおじさん、心を飛ばす魔女のセシーほか魅力的な魔物たち。そんな不思議な力を持ったものたちの前にも、暗雲がたちこめてくる。本著は、著者の長編としては9年ぶりで、半世紀に渡り書き続けてきた「一族物」の集大成だという。ファンは感動するだろうし、初読の読者にも面白い。しかし80を超えてなお、日々千語は物語を綴るという著者の創作意欲に脱帽である。出会えて嬉しい作品だった。