WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【単行本班】2008年3月の課題図書 >佐々木克雄の書評
評価:
どんな人にもドラマはある──それを教えてくれる一冊。
「ドラッグ、妊娠、恋人が病死」でもなく、「次々と殺人事件が起こる」でもない。阪急今津線に乗る、フツーの人々が主人公。だからこそ、彼らの一挙一動がごく自然に、すんなりと読み手の中に入り込んでくる。婚約者を寝取られた翔子さん、まっすぐに生きてきた時江おばあちゃん、暴力彼氏に悩むミサ、恋愛若葉マークの圭一くん&ゴンちゃん、進路に悩む女子高生えっちゃん……みんな悩んでいて、みんな優しいから、応援したくなっちゃう。しかも彼らは他の章で脇役として出ているから話が繋がっているし……巧いなあ、有川さん。
それと本を側面から見て気が付いたのだが、真ん中あたりに黒いタテ筋が一本──このページで今津線(=物語)が折り返しているなんて……巧すぎるなあ、有川さん。
年に数冊現れる「出会えてよかった本」。家族や親友に薦めたい。
評価:
「道尾秀介にはダマされないゾ!」と警戒しながらページをめくる。だって「ええっ……この人が真犯人!」てな衝撃ラストを投げつけてくれるんですもん。
作品全体に漂う、ドロリとした雰囲気は相変わらず。青春を失いかけた若者の空虚、退廃が、バンド仲間を通じて滲み出てくるのもイイ。これに密室殺人なる本格ミステリー風味がブレンドされるのですが、推理以前に主人公の姫川が背負った過去の暗さってば、もう救いがないです。それが彼の恋人の殺害に絡みついてくるのだからたまんない。ズブズブ、ズブズブと底のない闇へ引き込まれる感じ。さあ、恋人を殺害した真犯人は誰なのか?
ラットマンの絵のように、物事を思いこみで見ていると真実を見失うことになりますよ──と忠告されているような気がしてならない。実際「思いこみ」がキーになってるし。
でもね、今回は途中で真犯人分かっちゃった。
評価:
タイムマシンがない限り、未来は想像の世界にしか存在しない。それも今を生きる現在があってからこそで、現在と未来を結びつけるこの作品は、途方もない時間の経過具合を極めてリアルに描ききっているから、スゴイ。だからこそ結末のリアルが、コワイ。
私論だが、SF長編の勝負ドコロは、登場するキャラ、場面設定、抽象的な造語などが読み手の中にイメージできるか否かにあると考える。本書に出てくるバケネズミ、神栖66町、呪力などは主人公の視点で細やかに語られており、否が応でも浮かび上がるから、勝ちです。
前半は学校生活を送る少年少女たちの冒険譚で、つい「ハリポタ茨城版?」と穿った見かたをしてしまった。スミマセン。後半の「人間vsバケネズミ」でぶっ飛んだ。これは現代人に警鐘を鳴らす、かなり深いフィクションなのだ。面白半分に読んだらケガするぞ。
できますれば、大友克洋監督のもとでアニメ化してほしいなあ。すごく見たい。
評価:
「戦争を知らない子供たち」という歌を知らない子供が増えている──という話すら、何のことか分からない人が多いはず。けれど、この国は60余年前、確かに戦争をしていたわけである。その語り部たちが徐々に去りつつある現代に、古処氏の戦争小説の存在意義は大きい。
戦争を実体験した方々からは、戦後生まれの作者が描くフィクションにリアルを感じることができず、嫌う声もあるようだ。だがフィクションであるからこそ描けるエンタテイメント性、人心の繊細な揺れ動きの妙に戦後世代は引きつけられるとも考えるのだ。本作ではビルマでの撤退行において、従軍看護婦の静子と救援看護婦である現地女性との価値観の違い、違うからこそ分かっている静子の矛盾が克明に描かれている。「戦争=悲惨」だけでないものがある。
『遮断』『敵影』と直木賞を逃すたびに忸怩たる思いを個人的にしてきたのだが、本作が文藝春秋発行ということで、いよいよ古処作品が大舞台に立とうとしているな、と期待している。
評価:
「Don't think, feel」とブルース・リーは言った。本作はまさにその言葉が当てはまるのではなかろうか──ひたすら「感じろ」と。ふたつの短編が収められたこの本は、小説というよりもむしろ現代美術のようなイメージに近い。「何を意味してるんだか、まったくワカリマシェン」と両手をあげればそれまでよ。そんな挑戦的な作品でもある。だって表題作は空から人が降ってくるんですよ。それを主人公の「俺」はレスキュー隊員として、バット片手に立ち向かうっていうんですよ。オカシイじゃないですか。落ちてくる人についての考察だけで長々と繰られる文章を読んでいるウチに、読んでいる自分が何処にいるのか分からなくなってくる。いえ、作品を否定しているのではなく、摩訶不思議な世界に痺れているのです。自分の目に見えてきたものは乾いた町の風景と、砂埃、そこに立ちつくす「俺」──でも世界観を共有できそうにないなあ。
もう一作も含め「考え、理解する」ようにすると、ドツボにはまりそうな気がする。
評価:
平安寿子の描く小説にはポジティブな主人公が多く、設定がちょっとひねくれているものの、概ね楽しく読めるものが多いと思う。このエッセイは、作者が28年前に3カ月だけパリに語学留学した想い出を綴ったものだが、「ネガティブ」な平安寿子像が浮かび上がってくる。本人曰く「甘っちょろい見栄と期待」で訪れたものの、他国からのクセのあるクラスメイトに辟易し、内に閉じこもってしまう(これ、今の留学生にも多いだろう)。帰国後、彼らとの関係や自己の想い出すら断ってしまったと本の終盤で告白している──だが、それでもパリは「セ・シ・ボン。そりゃもう、素敵」と締めくくっている。年月を経て、「涙にくれたパリでの日々」が「今」を支える土台になっているというのだ。つまりは、28年前の苦しんでいた時代があったからこそ、今の小説があるということなのですな。
まったく、羨ましいです。自分もそう言える境地に達したいものです。
評価:
海外の、それもSF系作家さんとくれば、個人的に馴染みが薄いのですが、この七つの短編を読んでいますと「え、これがSFなの?」と首をひねりたくなる。まあ確かに宇宙とか出てくるのですが、それ以上に描かれる人々の心の揺れ動きがかなり繊細で、だからこそどの作品もリリカルなイメージが漂っていて、SFとして括れないのではと。
気に入ったのは最初の二作。シュールとアイロニーがごちゃ混ぜになった物語を読んでおりますと、星新一をむさぼっていた少年時代を思い出しましたよ。このあたりSFってのは普遍的なんですよね。けれど表題作は違う。架空の歴史を設定した1940年のイギリスで、ゲイの老学者が、かつての恋人(現権力者)に思いを馳せる云々……ってのは、テーマも設定も斬新で深い。けれどベースとなる時代背景が読み切れなくて、情感はあるもののイマイチ入り込めなかった。それは読み手である自分に素養がなかったという一言につきるのだが。
今月の課題図書でも出ましたが、平安寿子さん本をもう一冊。
現代の、市井の、そんでもって若い女性を描かせたらピカイチだと思うのです。エキセントリックでも、シャカリキでもない女性が「あ、それありそう」な悩みを抱えてる物語が多い。
主人公の風実さんは25歳。高校卒業後、これといった夢もなくアルバイトで生計を立てている人です。そんな彼女にちょっとした災難がふりかかる。ボクサーを目指していた彼氏が挫折したり、ゲイをカミングアウトした弟がアパートに転がり込んできたり──そのストーリー展開がかなり「身近にありそう」なもので、風実さんが二人の友達に相談している会話なんて、近所のファミレスに座っていたら、うしろの席から実際に聞こえてきそう。
逆境に立ち向かう彼女に勇気づけられる。ラストの、家を棄てた父親と対峙する場面も秀逸! 本を閉じたとき、彼女のパワーを少しだけ分けてもらったような気がするのです。
東京は思った以上に坂の多い町で、その理由を知ったのは中沢新一著『アースダイバー』を読んでからなのだが、坂が多いと趣のある階段も多くなる。本書は、そんな東京の階段に魅せられた著者が、あまたある階段を写真とともに解説を加えている案内書。
どこをめくっても階段、階段、階段。これでもかと階段が現れるが、その造形の解説、歴史や周囲の風景が丁寧に語られており、さらに段数や幅、高低差に傾斜角度などのデータが詳細に記されてあるから、ビジュアル以外でもその階段の様子が浮かび上がってくる。
著者は「街オタ」ではなく、大学で建築を学んで人であるから、学術的な「東京の階段」が楽しめるわけである。歴史ある愛宕山や湯島天神の男坂、味のある市ヶ谷界隈の階段など、見ているうちに登ってみたくなるから不思議。
長崎、神戸、尾道──遠出しなくても、素敵な坂の風景は自分の身近にあったのですな。
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