WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年5月 >佐々木康彦の書評
評価:
明治時代、日本の奥地を旅したイギリス人女性I・Bの通訳を務めた伊藤亀吉。物語は伊藤亀吉の手記パートと、その「イトウの手記」を実家の屋根裏で発見した教師を中心に展開する現代パートと、交互に書かれています。
手記には、亀吉が自分の母親と言っていいほど年の離れたI・Bに惹かれていく様子が書かれていて、この手記パートは非常に惹き込まれて読みました。亀吉自身は自分の能力を過信してしまっているところとかがあって、すごくイイ奴とは言えないのですが、それは若さゆえのこと。その不器用さというか、粗削りなところが、何故か気になる、応援したくなるのです。私の涙腺は基本的に子供を扱ったものにしか反応しないと思っていたのですが、切ない「イトウの恋」の物語にちょっと涙腺が弛みそうになりました。
モデルとなったイギリス人旅行家イザベラ・バードとその著書「日本奥地紀行」も気になるところ。既読の方はより楽しめると思います。
評価:
80年代後半から90年代にかけて青春を過ごした自分としては、60年代に青春を過ごした人たちに対してとても憧れがあります。自分たちが熱狂した音楽の源泉はやはり60年代にあるという思いが強く、私なんかが偉そうに音楽を語っても、ビートルズをリアルタイムで聴いてた人にはかなわんなあ、という思いが常にあるのです。知識は後からでも得ることは出来ますが、その時代時代の空気感のようなものは、リアルタイムで経験していないとわからないんですよね。
本作は大学生を中心とした反体制運動の風が吹き荒れる中、高校時代を過ごした著者の自伝です。その時代の空気感みたいなものがすごく伝わってくる内容でしたが、よくもここまで当時のことを細かく書けたなと感心します。もちろん取材しているんでしょうが、高校時代の何年の何月に自分に何が起きたなんて、覚えてないですもの。
若い時は映画も小説も音楽も漫画も、体験できるだけ体験しておくべきだなと感じました。そういう意味で中高校生の方々にも読んで欲しい一冊です。
評価:
昭和三十年の和歌山、夏休みに出会った小学校四年生の広之と勝治。メインはたったひと夏のお話ですが、その夏は彼らの人生でとても大きな存在になったのです。
「生きとるもんは死んだもんの魂を抱きしめて生きらなあかんのや」と三本毛は言います。タマシイって?「魂いうのは、思い出や」と伊蔵は言う。そして「タマシイがいちばん大事な思い出ならこの夏そのものがタマシイだ」と広之は思った。
人と人との本当の繋がりっていうのは、血の繋がりとか、一緒に暮らしているとか、長い期間を一緒に過ごしたとかで出来るもんでもないし、一緒にいるから繋がっているっていうことでもないんだなと感じました。
「あの世に行ってもまた会おうな」って友達が皆さんにはいますか?家族とか友達とか、人との繋がりについて最近あまり考えたことがありませんでしたが、本作がそんなことを立ち止まって考えるきっかけになりました。
評価:
「色は思案の外」なんてことを昔から申しますが、恋愛というものは突き詰めていけば子孫を残すことに繋がるわけで、ということは本能のど真ん中の欲求なのでして、そんなものに対して人の理性なんてものは、吹けば飛んでく将棋の駒に等しいのであります。
本作には男女の相性を数値化したGP値というものが登場しますが、その数値が異常に高いカップルに暴力事件が起こります。やはり好き過ぎると理性が働かなくなるのか、と事はそんな単純なものではありません。隠されていた人間関係、GP理論の成り立ちなど、様々な新事実によって明かされる事件の真相はちょっと複雑。読みはじめに単純な真相を予想していた自分が恥ずかしい。
見た目重視と言うほど簡単なものじゃないのかも知れませんが、人って結構見た感じで決めている部分が大きいと思っていましたので、作中のGP理論は面白いと思いました。
ただ、ちょっとひねくり過ぎた感があり、気がつけば皆がちょっと隠し事のある人になっていて、読んでいて疲れた部分もありました。
評価:
19世紀末のニューヨーク、屏風から姿を出さないシャルビューク夫人の依頼は、姿を見ずに肖像画を完成させること。成功すれば莫大な報酬をもらえ、失敗すれば……。
これは本当にヤバイです。坂道を転がり落ちるのを止められないように、ページをめくる手が止まらないのです。シャルビューク夫人の正体とか、街で流行りだす奇病とか物語の根幹を貫く謎を早く知りたくて読み進めるというよりも、単純にこの世界に浸っていたいという思いが強くて読んでいたような気がします。だから、ページをめくる手は止まらないのですが、謎が明らかになると物語が終わってしまうので、真相に近づくにつれて、読んでいたいのに読みたくないというかなり複雑な心境になりました。
妖艶で幻想的、奇怪だけど、これは愛の物語だなあ。読んでいる途中ではなくて、読み終わった後にそう思いました。
評価:
本作の舞台1960年代のアメリカは黒人の社会運動が過熱し始めた時期、その時代のうねりの真っ只中にいる黒人警察官デレクとその周辺を中心に描いた作品。
今月の課題書「ハイスクール1968」と同じく、本作も1968年が舞台です。あわせて読んでみると1968年というのが世界的に激動の年だったのがよくわかります。
未だに、黒人が大統領になれば、暗殺されるとまことしやかにささやかれるアメリカです。当時は民衆の価値観が変わってきた時代とは言え、黒人のおかれた立場というのは想像以上に辛いものがありました。しかし、興味深く思ったのは白人自体も根本的な問題を抱えていたということです。そして、そんな中で登場する悪人たちを表層だけで捉えるのではなく、ちゃんとその裏側というか中身まで描いていて、そんなところにグっときました。
帯で大絶賛されていたので、かなりハードルを上げて読みましたが、軽々とその上を跳んでいってくれる内容でした。
評価:
ジャングルの奥地、隔離された主人公たちと、そこで繰りひろげられる惨劇。状況は怖いのですが、災厄の元凶に、う〜ん……と首をかしげてしまいました。
この明らかなB級さというのは、個人的には嫌いじゃないのですが、有り勝ちな内容と言えなくもありません。しかし作中、主人公たちが、もしもこの出来事が映画になれば自分の役はどの俳優が演じるか、と冗談を言い合うのは、このB級さが確信犯だということを暗に示しているのかも知れません。
ただただ苛酷な状況におかれる主人公たちの苦痛や恐怖を延々と読まされて、読了後まで気分が落ち込んでしまいましたが、どこか可笑しく思ってしまうところもあるのはこのB級さのおかげで、これがひとつの救いのようなものになっているのであれば、やはりわざとなのでしょうか。
難しいことは考えずにパニックホラーとして、純粋に楽しむ、いや怖がることの出来る作品です。
「人と上手につきあう方法」みたいに「○○を上手にする方法」といった本が、それだけでひとつのコーナーが出来るくらい、たくさん出版されていています。このような本を読んで、みんな真面目です。自分を高める為に努力しています。向上心のない自分が恥ずかしい。そのような本の対極に位置するのが本書。力抜けまくりです。内容は「TV LIFE」に4年間連載されたものに後日譚等を加えたコラム集で、「木更津キャッツアイ」など、著者がかかわった作品に関して書かれていることが多いのですが、日々のくだらない出来事なども書かれており、ドラマのことを知らなくても楽しめます。
感動する話があるわけでもなく、大爆笑出来るわけでもない(笑えますけど)けれど、何かを得るためだけに本を読むのでは息苦しい。たまにはこんな「脱力コラム」で息抜きしてはいかがでしょうか?
あと、最後の方に出てくる川島なお美さんが、ざっくばらんで好い人でした。印象が変わりました。
WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年5月 >佐々木康彦の書評