WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年5月 >島村真理の書評
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この3人の登場人物が実にいい味をだしている。新米中学教師の久保耕平、彼が受け持つ郷土部の部員赤堀、そして、劇画の原作者田中シゲルだ。彼らは、久保が見つけた古い手記でつながっていく。
唐突なほど、この史料に入れ込む久保がまず滑稽だ。なにせ、著者“イトウ”の曾孫にあたるシゲルを探り当て、後半部分の行方を伺いに行くのだから。思い込んだら突っ走る彼とは対照的に、中1なのに久保よりもずっと常識的な赤堀といいコンビなのです。でも、空回りしながらも、やる気のないシゲルまで吸引する力があるのですからすごい。手記の残りを探し始める彼らはまさに凸凹トリオで、残りの手記がみつかるかどうか期待してしまいます。
もう一つ注目したいのは、問題のイトウの手記の中身。明治初期、通訳者として活躍したイトウとI・Bとの関係だ。横浜から北海道へとの旅の記録なのだが、はじまりからして、恋の告白めいて、いったいどうなるのか。新旧の恋の行方を楽しんでもらいたい。
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大人が語る大学闘争、思い出したようにテレビに映し出されるあさま山荘事件。あの時代に何かがあったことはわかるが、後の世代の私にはそれが何かよくわからなかった。1968年、高校1年生となった著者の、大学闘争の影に隠れ埋もれてしまっている高校生の政治活動と、当時の空気感を残したいという気持ちがよく伝わってくる。
東大への進学者を多数輩出している進学校、“教駒”で中学校からの持ち上がりの真面目な優等生が、ビートルズやロック、多数の文学や映画に影響される興奮と、周囲で巻き起こる反戦や体制への反抗の数々を目の当たりにし、翻弄されて傷ついて行く姿。その中で彼らは、なんと前向きで行動的で積極的なのか。それが、時代だといえばそれまでだけど、驚かされるばかりだった。
私の記憶では、この時代について特に教えてもらった覚えはない。まだ、客観的に扱うのは早いのかもしれない。60年代後半の流行と真実を知りたければ、この本を読んでもらいたいと思う。
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かつては荒くれ者だった父とは対照的なひ弱な少年広之は、夏休みに勝治と出会う。彼は汚い子どもで、家族もなにか後ろ暗い秘密をもっているようだ。勝治だけでなく、広之の家にも複雑な事情があるのだが、ふたりの少年が、じゃれあうように遊びほうける姿はまぶしくほほえましく、いい年の大人になった私にも思い出がよみがえってくるようだ。
しかし、まったくそれが無関係であるわけもなく、大人の事情でやがて別れ別れになってしまう。一瞬のまぶしさをもった夏休みの思い出だが、そのまぶしさとは裏腹の暗さも付きまとう。それが、例年より雨も降らない夏の情景や、瓶詰めのイモリの残虐性など文中の端々に現れている。
というふうに、夏の思い出をメインのストーリーとタイトルとにはギャップを感じてしまう。「抱き桜」という言葉につなぐ秘密あるのだが、子どもの視線を通して見え隠れしていた家族の問題が、時を重ねることで向かえる結末を味わってほしい。
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ブライダル情報サービス会社「グロリフ」の会員が不審な死を遂げ、紹介されたカップル間でトラブルがあったことがわかった。それには、GPという恋愛相手の相性の数値が関係しているらしいのだが・・・。
調べても、調べても、余計こんがらがってきます。本の分厚さもさることながら、わかったと思ったことが覆されるので、謎が謎を呼び、誰が敵で味方かわからなくなります。もはや、誰も信じられません。全員容疑者。
そういう意味では、複雑さがぐいぐい読ませる魅力になっています。けれど、あまりに疑り深くなって、どっと疲れるという印象だけが残りました。これだけかき回しといて、その結末ですか?といいたいのですが。いえ、私がすっかりストーリーに置いてきぼりにされたからの印象かもしれません。
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19世紀末のニューヨーク、大航海時代から2世紀、イギリスから独立を果たし、産業や文明が急速に興隆した時代。映画では「ギャング・オブ・ニューヨーク」のころが舞台。画家ピアンボは肖像画家として、地位も名誉も手にしながら、自分の芸術に不満を抱き、倦んでいる毎日を過ごしている。そこへ、姿を見ずに肖像画を描けというシャルビューク夫人からの依頼が舞い込み、法外な報酬よりも、芸術家としてのプライドをくすぐる内容に、承諾することになる。
世紀の変わり目(電気とロウソク、馬車と車)、新旧混合の時代に、旧い方に属するピアンボ(肖像画家という職業)。揺れる心と時代の雰囲気を存分に味わえます。シャルビューク夫人の奇妙な依頼と、語られる過去の異様さ、奇病の流行。これが絶妙なチョイスで、読者を不安な気持ちにしていきます。この不吉さを振りほどくようなラストが好きです。新しい世紀のはじまりというのはこんなんかなぁと思わせてくれます。
評価:
アメリカ・ワシントンDC。この町で暮らす黒人たちの日常。最初、冗漫な感じでストーリーが進むのでとまどった。でも、最終的に、登場する黒人たち、白人たちの鬱屈した憂鬱な毎日の克明さがどれだか物語に大切かがわかりました。とにかく読み進めてほしい。
印象的な言葉がある。黒人少年デレク・ストレンジが、先に万引きをした悪友にそそのかされ、彼も万引きを犯し、店員に捕まえられる。そこで他のふたりを捕まえなかった理由を聞かされる。「捕まえても、連中のためにならないと思ったんだよ・・・もうすでに転がり落ちているとでも言おうか。そのスピードを増すようなことに手を貸したくないんだ。・・・」もうどうしようもない、救いのない空気というのがよく伝わるのではないだろうか。キング牧師をうまく登場させ、黒人たちが自分たちの権利を獲得していく、時代のうねりと嵐の予感を抱かせる。
本書は、デレク・ストレンジシリーズの中の1冊。他の作品で彼がどうなっているのか気になるところだ。
評価:
アメリカからメキシコへ、バカンスでやってきた4人の男女。現地で陽気なギリシャ人と知り合い、わけありのドイツ人とも仲良くなる。突如現れる、退屈な毎日に飽きた若者をくすぐるような冒険。彼らは、まだ戻らないドイツ人の弟を探しに、残された地図をたよりに発掘現場へと向かう。
行ってはいけない場所、入ってはいけないところ。そういうところへ、登場人物たちは好き好んで行ってしまう。まるで花の蜜に引き寄せられるかのよう。こういう典型的なホラーは飽き飽きするのだ!と思いながらも目を離せなくなりました。
まったく淡々と、まるで新聞記事かドキュメンタリーのような、突き放した書き方で語り、彼らの内面を丁寧にみせてくれて怖さを増します。晴れ渡った明るい風景と反するような救いがない地獄。しまった、と思ってももう遅い。真実を知れば知るほど辛くなります。出口のない恐怖ですね。
職人、それは、物を作り技を磨き自らの腕に自信をもっている人たち。下町で育ち、また、いまも下町で暮らす、いとうせいこう氏による職人ワザのルポ。
職人の技=伝統のものという印象が強い。でも、そういう堅苦しさがすっぽり抜きになっているのは、著者が自分の馴染みの人たちに話をうかがっているからでしょう。懐に入っているので、ちょっとした立ち話のような気楽さがあって、とっつきやすい感じがします。
扇子、江戸文字、てぬぐい、効果音、鰻にスポーツ刈りなどなど、インタビューをされた人たち誰もが、自分の仕事を愛しているという事実がとてもうれしく感じる。いとう氏の聞き上手のたまものとも言えるこの本。ワザのすごさはさることながら、「人の話を聞く」ということの面白さを味わえる一冊です。
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