WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年12月 >福井雅子の書評
評価:
高校生ボクサーと美少女の恋を描いた青春小説ね、と軽い気持ちで手に取ったはずが、あっという間に止まらなくなり、朝まで読むはめになってしまった。
幼なじみの高校生・稔と亜紀のもどかしいまでの純恋とボクシングに対するまっすぐな姿勢が瑞々しく描かれ、そのあたりは予想通りの青春小説風の展開なのだが、ここに周囲の大人たちのさまざまな人生が織り込まれて、どちらがメインストーリーだかわからなくなるほどの厚みを物語に与える。夢破れた元ボクサーやその恋人だった女、恋愛などしないと言いつつ本気の恋に落ちる恋愛小説家、元ボクサーを生涯思い続ける女など、稔と亜紀をとりまく人々の人間くさい魅力がたまらない。稔も亜紀もまわりの大人たちも、不器用ながら必死で生きている。その姿が愛しくて、放っておけない。だからページを捲る手が止められないのだ。予想以上に面白く、厚みのある物語だった。
評価:
エッセイのような読書ガイドのような作品で、とにかく無条件でフランスが好きだという人や、フランス文学に詳しい人にはたぶんとても楽しい本である。でもそれ以外の読者には内容的にはやや退屈かもしれない。……にもかかわらず感心してしまったのは、文章があまりにもおしゃれだから! 言葉の選び方、組み合わせ方、言い回し、文章のリズム、すべてが洗練されていて上品なのだ。ただ上手いだけではなく、文章にも「センスのよい」「おしゃれな」文章があるのだということをこの本で再認識させられた。
まるで香水でも本に染み込ませてあるかのように、ページをめくるたびに魅惑的な香りが匂い立つような、そんな文章は一読の価値ありではないだろうか。ただし、読書のお供は紅茶かカフェオレで。この本を読むときに限っては抹茶や昆布茶は似合いません。
評価:
甘〜い恋愛小説を予想していたのだが、よくあるベタ甘恋愛小説とは少し趣が違って、強迫的な潔癖症を患う夫への愛と、年下のゲイの青年への愛の間で揺れ動く主人公の心に焦点をあてた小説。安易な不倫ものにありがちなエロチシズム主導の展開に偏ることなく、精神的な苦悩に重心を置いた純愛小説に仕上がっている。
相手と深くかかわり合いたいと思う気持ちが恋愛の原点であるなら、精神的な触れ合いと物理的な触れ合いのどちらか片方が欠けてしまうとどうなるのだろう……というテーマには興味を惹かれる。主人公、その友人、夫など主要登場人物が恋愛小説の中にしかいないようなステレオタイプ的なキャラクターである点では面白味に欠けるし、結末もなんとなく予想できてしまうところがやや残念だが、テーマが面白いので切り口が変わった感じの恋愛小説として楽しく読める。
評価:
「恋愛小説を書いてみたいと思うなら、あなたが〈出逢えなかった人〉について書けばいい。……厄介な生々しい現実から遠く離れた地点に、恋愛小説はかろうじて成立するのだと思う」と著者があとがきで述べている通り、この短編集に描かれる恋愛はどれも美しく、決してドロドロしていない。読み終えて改めてカバーが夜景の写真であることに気づき、なるほどと思った。そこには悩みや苦しみも抱えながら一生懸命生きている人々の生活があるはずなのに、夜景はただただ美しく人々を魅了する。この作品で描かれる恋愛もまた、ドロドロした面は描かれず、静かに美しく読者を誘う。
恋愛小説はこうあるべきだとまでは言わないが、こういう恋愛小説があってもいい。すべてを忘れて美しい夜景に酔いたいときがあるように、こんな恋愛小説に酔いしれたいと思うときだってあるのだから。
評価:
これは確かに闘病記なのだが、そこに映し出されているものは、あるひとつの「愛」である。咽頭がんの手術で声を失ったインタビュアーの著者を介助し、病院に付き添い、大きな心で見守る妻の姿には、「究極の愛」という言葉しか見つからない。彼女はいつも明るくてさりげない。だが、夫はがん再発の恐怖と戦い、日常生活には介助が必要で、肝臓を病み、精神科の治療を受け、そのうえ収入はほとんどないのだ。その夫の傍らで、いつもさりげない明るさとあたたかい心を保ち続けることがどれほど難しいことかに思い至ったとき、彼女の強さと大きな愛に深い感動をおぼえた。
闘病記としてはややまとまりに欠け、決して読みやすいとは言えないのだが、そのことが痛みと苦悩にもがき苦しむ著者の息遣いをリアルに伝えていることは確かだ。インタビューという形で本質を浮き上がらせる名人だった著者のこと、闘病日記という形で妻の愛を描き、彼女にありがとうと言いたかったのかもしれない。
評価:
単行本が発売された時に読み、言葉にならないほど感動した本。何度読んでも感動と驚愕と畏敬の念が湧きあがる。『深夜特急』以来の沢木耕太郎ファンだが、この作品で改めて彼の取材力、構成力、文章力に感服した。わかりやすい言葉で淡々と綴る静かな文章は、きらびやかな言葉や大げさな言い回しという演出なしに深い感動を呼び起こす。静かだけれど魂のこもった力強い文章と、行間ににじみ出る取材対象に対する熱意のこもった真摯な姿勢が、作品に一層の品格を与えているようにも見える。
また、この作品で忘れてはならないのが、山野井夫妻というクライマーの圧倒的な存在感だ。精神力、体力、判断力、冷静さ、心の自由さ……どれをとっても常人の域を超越していて、畏敬の念さえ湧いてくる。この本を読んで以来、私の尊敬する人物リストに山野井泰史・妙子夫妻の名前が加わったことは言うまでもない。
ここ数年のノンフィクション作品の中では私の一押しである。絶対の自信を持っておすすめしたい本。ごちゃごちゃ書くのも畏れ多いので、ぜひ読んでみて欲しい。
評価:
これはちょっと評価が難しい。全25編の短編に共通しているのは、暗喩が多く使われ、ベースにSF的な感覚が潜んでいること。それでいて、読後にやわらかな余韻が残ること。生と死、現実と妄想、現在と過去のあいだのぼんやりした領域を、独自の感覚で切り取っているのだが、SF風やファンタジー風に描いたものもあればもっと叙情的なものもあり、作品ごとに印象はずいぶん異なる。正直に言えば、何の暗喩かよくわからなくて読後に「ん?」と首をかしげるものもないわけではなかった。それでも何かが心に残るのは、卓越した表現力のなせる業だろうか。直接的ではない表現がふんわりと包み込むような余韻を生み、リズムのある美しい文章が心地よく心に響いてくる。
個人的には、『心移し』という不倫関係にある男女の別れを描いた一編の、一見コミカルにも見えるけれど読後にじわっと悲哀が染み入る感じが好きである。
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